70:対話
「えー凄い! 竜って喋れるの?でも口動いてないし、どうなってるの?!」
全く怖がる様子も見せずリーシャは何度も竜エレンケルの鱗を触りながらそう尋ねた。エレンケルは自分の鱗が触られる事を別に気にした様子も見せず、遠くのルナはその様子をハラハラとした気持ちで眺めていた。
(儂等は言葉を発する事はしない……だが他者の頭、心に語り掛ける事は出来る)
「つまりそれって念話って事?すごーい!」
エレンケルの答えを聞いてリーシャはますます興奮するように飛び跳ねる。
竜の生態系や特徴はまだまだ謎が多い。何故なら研究しようにも対象を捕獲する事はとても難しく、また希少な生き物の為発見する事も難しい。今リーシャが竜と会話しているなんて事を学者達が知れば信じられなくて卒倒してしまうだろう。
「ほら、ルナも来てみなよ!」
「……わ、私は良いよ」
エレンケルの鱗の感触を知ってもらいたいと思ったリーシャはルナの方に顔を向けて手招きする。しかし木々の近くに居るルナは影に隠れながら首を横に振り、それを断った。怖がっているのか、警戒しているのか、ルナはエレンケルの近くに全く寄ろうとはしなかった。リーシャはちょっと残念そうに唇を尖らせ、またエレンケルの方に顔の向きを戻す。するとエレンケルはその真っ赤に輝く瞳をギョロリと動かし、リーシャとルナの事を交互に見た。
(奇妙な事よのぉ……光の子と魔を統べる子が共におるとは……)
「エレンケルは私とルナが勇者と魔王だって知ってるの?」
(うむ……うぬらの気を探ればすぐに分かったわ)
先程も一瞬だけエレンケルが言っていた光の子と魔を統べる子という言葉にリーシャはピクリと反応する。言葉だけ見れば恐らくそれは勇者と魔王の事を意味しているのだろう。そうなるとリーシャも少しだけ警戒しなければならなかった。
(まぁ……儂にはどうでも良い事だがな。五百年生きていれば多くの光の子と魔を統べる子を見て来た。絶えず争い、その度に多くの命が犠牲となる……嘆かわしい事よ)
エレンケルはその長い腕を奇妙な角度に動かして指先で自身の頬を掻き、興味がないようにそう言う。やはり五百年も生きていると色々な事をみているらしく、どこか達観した様子であった。
「え、それってつまり私達の前の勇者と魔王を知ってるってこと?」
(ああ、もちろんだ。儂を部下にしようと勧誘しに来た魔を統べる子……儂を悪しき邪竜として討伐する光の子……どちらも儂からしたらはた迷惑な事だったがな)
まさかと思ってリーシャが尋ねるとエレンケルは長い首を動かして顔を頷かせ、肯定の意味を伝える。
リーシャ達の前の世代の勇者と魔王、すなわり百年前大陸戦争を起こした人物達。当然五百年生きているエレンケルはその二人の事も知っている。どちらもエレンケルにとっては自分の平穏を害する存在であり、昔の事を言うとフンと鼻を鳴らした。
「どんな人だったの?その人達って」
純粋な疑問からリーシャはそんな事を尋ねる。
リーシャは自分の出自を知らない。自分の親が勇者の末裔であるかも分からないし、百年前に最後の勇者が死んで血族が途絶えのにも関わらず勇者の自分が誕生した事を疑問に思っていた。だからこそ自分と関係性のある前代の勇者の事を知りたかった。
リーシャの言葉を聞くとエレンケルは人間が肩を回すように首を動かし、その場に大きな音を立てて座り込むと顔を下ろして目線をリーシャに近づけた。
(前の魔を統べる子は、まさしく王の名を冠するにふさわしい力を持った者であった……あの者は自身の力をもってしてこの大陸を支配しようとしていた……)
一瞬だけルナの方を見ながらエレンケルはそう語る。ルナも遠くの木の所に居ながらも興味があるのか耳を傾け、エレンケルの話を聞いていた。そして次にエレンケルは勇者の事を口にした。
(光の子は……とても責任感の強い者であった。常に自分を追い込み、まるで何かを恐れるように戦い続けていた……)
前の勇者と魔王はどちらも強大な力を持っていた。記録されている大陸戦争を見ればその事は誰もが分かるだろう。その二人を実際に見て言葉を交わしたエレンケルは懐かしむように二人の特徴を上げる。
(儂の知っている事は精々その程度よ。どちらも儂に剣を向けて来たからの、仲良くはなれんかった……)
大体の特徴だけ伝えるとエレンケルはそれ以外話さなかった。そもそもエレンケルが前の勇者と魔王と会ったのはほんの数回程度であり、五百年を生きる竜からすればそれはほんの一瞬の出来事に過ぎない。それでも百年も前の事を未だ鮮明に覚えているのはやはり高度な知識を持っている生物だと言える。
その後もリーシャは色々な質問をした。かつての勇者の事や魔王の事、竜自身についての質問。その遠慮のなさすぎる質問にもエレンケルは全く面倒臭がらず一つ一つ丁寧に答えた。そして大分時間が過ぎた頃、そろそろ戻らないとアレンが心配すると思ったリーシャとルナは村に戻る事にした。
「ねぇエレンケル、またお話しに来ても良い?」
(もちろんだとも……儂ももうしばらくだけこの地に厄介になる。傷がまだ完治した訳ではないのでな……)
最後にリーシャはそう質問し、エレンケルもそれを快く承諾した。そして彼女はルナと共に来た道を戻り、エレンケルはその場に座りながらそれを見送った。
帰り道、リーシャは少し先の道を歩き、ルナはいつも通りその少し後ろの所を歩いていた。リーシャは少し小さめの岩にぴょんと飛び乗ったりと遊んだりしながら来た道を戻っている。
「いやー、びっくりしたね。まさか竜が喋れるなんて。あ、念話か」
「うん……優しい竜で良かったね」
リーシャは竜と喋れた興奮から嬉しそうに飛び跳ねながら今日あった事を口にする。ルナも同意するように顔を頷かせるが、その表情はどこか浮かない。現に彼女はリーシャがエレンケルと喋っている間ずっと距離を取っており、木の影から出ようとすらしなかった。いつもならクロやアカメのような魔物相手でも全く怯えないルナがだ。その事にリーシャも多少なり疑問を感じてた。その事が気になり、リーシャは顔を後ろに向けて口を開く。
「ルナ、竜が怖いの?」
「えっ……いや、そういう訳じゃないけど」
「そう?なら良いけど……いつものルナっぽくなかったからさ」
リーシャの問いかけに首を横に振ってルナは否定するが、やはりその表情は暗い。違うと言っても他に何かもっと大きな理由があって竜に近づかないようにも見える。やはりまだ妖精事件の事を引きずっているのか、それとも単純に竜を警戒しているだけなのか、答えはルナしか知らない。彼女は自分の胸の前できゅっと手を握った。
「帰ったら父さんにも教えて上げよー。きっとびっくりするよ」
「そうだね……そして叱られると思う」
「あっ……」
竜と話せたという興奮をリーシャはいち早くアレンに伝えたく、その事を口にする。しかしそれを伝えればアレンは心配し、なおかつよそ者の魔物が居るという事を伝えたのにも関わらず警戒しないで森に入ったリーシャの事を叱るだろう。その事をルナに指摘されてリーシャも思い出し、どうしようという顔でルナの事を見る。そんな困っている姉の姿を見てルナはクスリと弱々しい笑みを零した。
◇
巨大蜘蛛の死体を始末した後、エレンケルは最初自分が寝ていた場所へと戻り、再び同じ場所に腰を下ろした。あの魔物のせいでせっかく高めていた治癒力が失われ、また最初から眠りに付かなければいけなくなってしまった。その事に忌々しさを覚えながらもエレンケルは勇者と魔王であるリーシャとルナに少なからず喜んでいた。今まで自分が見て来た勇者と魔王はいずれも敵対関係であり、どちらか一方が必ず死んでいた。勇者と魔王とはそういう宿命なのだ。だがリーシャとルナは違った。自分達が殺し合う運命だとしても共存の道を選び、共に生きていこうとしているのだ。同じような多くの勇者と魔王を見て来たエレンケルにとってその今までとは違う生き方は新鮮に映った。
(だがあの魔を統べる子……あの子は少し、悩んでいるようだの)
エレンケルはルナの事を思い出す。真っ黒な髪に漆黒の瞳を持つ少女。幽鬼を思わせる白い肌をしており、人間達からすれば小動物のような可愛らしい容姿をした女の子と言えるだろう。だが一見するとその繊細そうな女の子は竜であるエレンケルには別の物に見えた。自分の内側にある黒い泥を抑えるのに必死で、その器にすらヒビが入ってしまっている、そんな状態。エレンケルの目に映ったルナはそんな不安定な物であった。
(選ばれし光の子と魔を統べる子の共存の道か……荊の道だの)
エレンケルは二人の顔を思い出しながら大きく鼻から息を吐き出す。
二人共強大な力を持っている。一人でも大陸一個を消せる力を持っているのだ。そんな人物が一緒に居れば当然平穏な生活を送るのは難しい。現にリーシャ達は既に何度も外敵と戦っている。これは単なる偶然などではなく、そうなる運命なのだ。それでもその道を歩み続けるというのはとても辛い選択である。そんな風にエレンケルが二人の身を案じていると、森に薄っすらと霧が掛かり始めた。それに気が付いたエレンケルは首を起こし、辺りを見渡す。そしてある一点を見つめると、そこから一人の青年が姿を現した。
(嗚呼……うぬか。通りであの光の子から羽虫の臭いがすると思うた……)
木々の隙間から現れたのは妖精王であった。背中から生えている四対の羽を小刻みに羽ばたかせ、地面に降り立つとエレンケルにお辞儀をする。その姿はこの前リーシャ達の前に現れた時のふざけた態度とは違い、どこか畏まった様子だった。
「お久しぶりです。竜王エレンケル様……」
僅かに手を震わせ、その細い目を見開きながら妖精王は挨拶をする。エレンケルを敬っているだけではない。純粋に妖精王は竜であるエレンケルの事を恐れているのだ。もしも今自分がエレンケルの気に喰わない態度を取れば一瞬で炎で焼き尽くされてしまう。そんな恐怖が彼の脳裏にはこびり付いていた。
(その名を使うな。うぬらが勝手に儂の事をそう呼ぶだけよ……儂はただの竜、エレンケルだ)
「それは失礼しました……エレンケル様」
竜王と呼ばれた事にエレンケルは忌々しそうに牙を剥き、不満を告げる。慌てて妖精王は頭を下げながら自分の発言を撤回した。その姿はとても王の名を持つ者とは思えない程低姿勢である。
頭を上げた後、妖精王は服の袖同士を合わせて腕を隠しながら少しエレンケルに近づいた。
「それにしても驚きましたよ……まさか貴方様がこの地にやって来るなんて。ひょっとして勇者様が居る事を知って?」
(まさか……ただの偶然だ。まぁそうなるようになっていたのかも知れんが……儂は断じて光の子に用があった訳ではない)
妖精王が思っていた事を尋ねると、エレンケルは長い首を横に振ってそれを否定した。
エレンケルがこの地にやって来たのは偶然である。怪我を治癒しようと思って眠る為に偶々この地を選んだだけで、この近くに村がある事も知らなかったし、ましてや勇者と魔王が住んでいる事など夢にも思わなかった。エレンケルはやはり生き物は運命という物の奴隷なのだとしみじみ思った。
(うぬこそこの地で何をしている……?まさかまた勇者を取り込もうとしている訳ではあるまいな?)
「そんな事……僕程度の存在が勇者に敵う訳がないじゃないですか……」
(……ふむ、それもそうだな)
今度はエレンケルがこの場所に妖精王が居る事を疑問に思い、何か邪な事でも考えているのではないかと尋ねた。すると妖精王は苦々しく笑い、手を振ってそれを否定する。彼からすれば自分よりも何倍も強い相手が二人も居るというのに、どうやってそんな巧妙な作戦を企てるのかと言う考えだった。エレンケルも改めてそう思い、フンと鼻を鳴らす。ふと妖精王はエレンケルの鱗が剥がれている皮膚を見る。
「エレンケル様、その傷はどうなされたのですか?……まさか……」
(嗚呼、うっとおしい鼠に噛まれた……いや、蜘蛛か。奴ら大分必死なようだの……儂からすれば迷惑な話だ)
傷の事を指摘されてエレンケルが喉を鳴らし、忌々しそうにその傷の事を見る。妖精王はその傷の事を察し、僅かに表情を曇らせた。彼にとっては歓迎出来ない事が起ころうとしていると予測出来たからだ。
(うぬも光の子を護る者であるならば必死に護って見せよ……まぁ、その隣には仇も居るがな)
「ええ、難しい状況ですよ……でも僕は、勇者様に従いますので」
ギョロリと赤い目を動かしてエレンケルは妖精王にそう言い、彼もそれに怯えるように頭を下げながら応えた。
勇者達の周りにはまだ知らない脅威が山ほどある。その内の一つは既に少しずつこちらへと近づいて来ていた。妖精王はそれを守護者として守る義務がある。例え勇者の隣に宿敵である魔王が居るとしても。
ふとエレンケルは大きく口を上げて息を吐き出した。欠伸だ。眠たそうに目を細め、エレンケルは妖精王の事を見る。
(ふぅ……そろそろ消えよ。羽虫……儂はもう寝る……疲れておるのだ)
「それは失礼しました……ではまた、皆が揃いましたら集まりましょう……」
これ以上話した所で意味はないと思い、エレンケルは妖精王にそう言って眠る準備に入る。妖精王も竜の逆鱗には触れたくない為、最後に言葉を上すとすーっと霧の中へと姿を消して行った。それを見届け、エレンケルは首を下ろして身体を沈ませ、また岩と一体化するように眠りに付いた。




