7:精霊の呼びかけ
森の中をアレン、リーシャ、ルナの三人が歩いていた。アレンはこの前新調した剣を携え、腰にはロープや短刀が装備されている。上着に獣皮で繕ったローブを纏っており、狩猟用の恰好だ。その後ろではリーシャがアレンから護身用に与えられた少し細身の剣を腰に下げていた。ルナは何も持たず、時折周りをキョロキョロと見ている。
「ふぅ……今年の冬はちょっと寒いな」
「でも楽しいよ! こうやって父さんと一緒に森を散歩できるだけで!」
「散歩じゃなくて狩りだし……本当は危ないからお前達には家で待っていて欲しいんだがな」
口から白い息を吐きながらそう呟くアレンにリーシャはぴょんぴょんと可愛らしく飛びながらそう言う。
一応これは狩猟の為、リーシャが思うような軽い散歩とは違う。最近は魔物も凶暴化している為、魔物除けを抜けて村の近くに魔物や獣が来ないように見回りをしているのだ。
(まぁリーシャならこの辺の魔物くらいなら全然余裕だろうし……ルナはそもそも平気だからな)
とは言ってもアレンも二人の事をそこまで心配していない。リーシャの実力なら十分魔物相手でも戦う事が出来るし、普段は明るい彼女も真剣な時はきちんと状況を見極め、冷静な判断を下す事が出来る。そしてアレンはルナの方に視線を移した。彼女の方はそもそも心配をする必要がない。なぜならばーーーー。
「相変わらずルナは好かれてるな。魔物に」
「うん……」
「クゥン、クゥン」
ルナの後ろから懐くようにすり寄る真っ黒な狼の子供、〈ダークウルフ〉。漆黒の毛並みをした魔物で、鋭い爪と牙を持つ。今はまだ子供であるが十分その実力は高く、持ち前のスピードを活かして十分なポテンシャルを発揮する。
どういう訳かルナは魔物に好かれる体質だった。初めはこのダークウルフの子供も群れから離れてしまったのか、森を散歩していたアレン達と出会い、それ以来何故かルナに懐くようになったのだ。
それ以外にもルナは遭遇した魔物に襲われるような事がなく、ルナを見ても興味を示さなかったりさっさと去って行ったりしてしまうのだ。
(むしろ魔物の方がルナを恐れているような……まぁ流石に凶暴な魔物なら見境なく襲うが、何故ルナは大抵の魔物に襲われないんだ……?)
前足でルナに突っかかりながら吠えるダークウルフを見ながらアレンはそう考える。
確かに特異体質として獣に好かれたり、幼い頃から獣と一緒に過ごしていたから警戒心を持たれなかったりする事例はあるが、それが魔物とは一体どういう事だろうか?魔物は基本人間を襲う傾向がある。ルナが別なのはどういう訳か?アレンは様々な可能性を考えるが、やはり分からない。彼はそもそも勘違いをしているのだから。
ルナは魔王である。魔物とは魔族と種族が近い生き物。すなわち魔物達にとっても魔王であるルナは自分達の王なのだ。故に恐れる者、逃げ出す者、純粋に好意を示す魔物達が存在する。ルナも薄々と自分のその体質には気付いており、勇者であるリーシャもその事には気が付いていた。
「ルナ! 私にもクロ触らせてよ!」
「良いけど……また噛まれても知らないよ?」
「うっ……確かにそれはやだな」
いつの間にか名前も付けていたらしく、ダークウルフのクロに懐かれているルナを見て羨ましく思ったリーシャはそうせがんだ。ルナも別にそれを断るような事はしなかったが、噛まれないように注意をするとリーシャはちょっとだけ青い表情を浮かべた。どうやら前にも噛まれた事があるらしい。
「良いなー、私も魔物とじゃれ合いたいよ」
「でもリーシャは動物と仲良いじゃん。リスとか鳥とか……」
「それはそうだけどー」
結局クロにまた噛まれる事を恐れてリーシャは手を引いた。普段は何事にも積極的なリーシャだが、今回はやけに素直に引く。それ故か不満そうに頬を膨らませてそう言葉を述べた。ルナはリーシャは動物と仲が良いじゃ無いかと言うが、リーシャはそれだけでは納得しなさそうに唇を尖らせた。
「それにしても中々魔物出て来ないね。父さん」
「そうだな……やっぱりルナが居るからかもな」
そのまましばらく歩き続け、魔物や獣に一切出会う事なく狩猟と言う名の散歩が続いて行く。
別に狩る事が目的ではないので遭遇しないのは別に良い事なのだが、流石にこんなに生き物と出会わないのにはアレンは疑問を抱いた。やはり魔物に襲われない体質のあるルナが居るからだろうか?そんな事を思って顔だけ振り返ってルナを見ると、疲れてしまったのかいつの間にかクロを抱えながらルナは歩いていた。それを見てアレンはついほっこりと暖かい気持ちになる。
「……ん?」
ふと動かし続けていた歩みを止めてアレンは目を細める。その父のいつもとは違う行動にリーシャとルナも立ち止まった。リーシャも何か異変を感じ取り、腰にある剣の柄に手を添える。
アレンは静かに辺りの様子を探る。別段いつも見る森と同じだが、いつもと木々の雰囲気が違うように見える。しばらくそのまま様子を見ていると、アレンはようやくその違和感に気が付いた。
「これは……珍しいな。森の小精霊達か」
眺めていた木々がやがてほのかに光り始め、辺りに蛍のように小さな光を放つ何かが飛び始める。淡く綺麗な色をした光にリーシャとルナも目を奪われ、先程までの警戒を一気に解いてしまった。
「父さん、何これ?光ってるよ?」
「これは精霊だよ。前に本で読んであげただろう?滅多に人前には姿を見せないんだが……縁起物だな」
辺りを飛び回っている光に触れながらアレンはリーシャの疑問にそう答える。
精霊は木々や岩、川や山といった様々な自然に宿る神聖な生き物。一種のエネルギーとも言える。一部の魔法には彼らが司る力を詠唱で借りる形で使用する物もあり、時には人の傷を癒してくれる事もある。普段は姿を見せる事はなく、こうして目に見える形として見れる事は希少である。
「へー、凄ーい。綺麗ー」
「なんか……リーシャに集まってきている気がする」
「え?あ、本当だ! 何で?」
ふと気が付くと小精霊達がリーシャの元に集まり始めて来ていた。
精霊は魔力が強い者だったり、何か特殊な力を持っている者に集まる事がある。魔力が多いのならばルナはずなのだが、何故リーシャの方に集まるのだろうとアレンは疑問に思った。リーシャは集まってくる小精霊達を見て喜び、頭にくっ付いた精霊を指で突いている。
「うーん、リーシャは小精霊に好かれたのかな?何にせよ精霊は悪い物から身を守ってくれる頼もしい存在だ。好かれて損は無いぞ」
「良いなぁ……」
何故リーシャの元に小精霊が集まるのかは分からないが、いずれにせよ精霊とは人間にとっても良い存在であり、災いや悪い力を退けてくれる力がある。これと言った害もないし心配する必要はないだろう。
リーシャが小精霊に好かれてるのを見てルナは羨ましそうにクロを抱きしめた。アレンはそれを見て優しい笑みを浮かべる。
ーー勇者を解放せよ……。
「……ん?」
一瞬、アレンの耳に妙な声が聞こえて来た。女性の声。掠れた声で、何かを訴えるような声色だった。しかし一瞬だった為にアレンは空耳かなと首を傾げる。
ーー勇者を、人々の希望を……解放せよ……!!。
「……ッ!」
また声が聞こえてくる。今度は先程よりも大きな声で。しかし掠れた声である為にアレンは聞き取る事が出来ず、やっぱり何かの空耳なのだろうかと自身の髪を掻いた。
「お父さん、どうかしたの?」
「いや……何か聞こえた気がしたんだが……気のせいかな?」
ふとルナに声を掛けられ、アレンはうーんと唸りながらそう答えた。
何か切羽詰まったような声色だったのだが、聞き取れないのだからどうしようもない。そもそも辺りから人の気配はしないし、やっぱり気のせいだったのだろうとアレンは勝手に納得した。
「さて、そろそろ帰るか二人共……ん?リーシャ?」
「…………」
結局今回は魔物と全然遭遇しなかったし、そろそろ村に戻ろうと判断したアレンは子供達にそう声を掛ける。クロを抱えているルナも頷いて戻ろうとするアレンの後ろに付いた。するとリーシャだけが付いてこない。いつもなら一目散にアレンに抱き着くはずなのに。不思議に思ったアレンが振り返ると、そこでは立ち止まったままリーシャが神妙な顔つきのまま宙を見上げていた。
「リーシャ?帰るぞ」
「……ん、あ! はーい。父さん」
いつものリーシャらしくない様子にアレンは不思議に思うが、別に気にする事なく普通に声を掛ける。するとリーシャも何でもなかったように慌ててアレンの方に近づき、いつものように抱き着いて来た。やれやれと思いながらアレンはリーシャの頭を撫で、村へと戻った。
いつものように畑でとれた野菜の料理で夕食を囲み、お腹いっぱいになった後、三人はそれぞれの寝床に付く。リーシャとルナは一緒の部屋で眠っている。ベッドは別々だが、時折リーシャはルナのベッドに潜り込む事があった。今夜はリーシャも自分のベッドで大人しく眠っている。だがそんな薄暗い部屋の中に、扉の隙間から小さな光の球が入り込んで来た。淡い光を放ちながら、リーシャの上をクルクルと舞っている。
「……んぅ」
するとリーシャは重たい瞼を開けてその光に気が付き、眠たそうに目を擦りながらも身体を起こした。しばらくそれを凝視し、何かに勘づいたように真剣な表情を浮かべる。
「…………」
リーシャは身体を起こして静かにベッドを降りながら床に足を付いた。すると光はまるでリーシャを導くように移動を始め、扉の隙間から出て行った。リーシャもそれに続こうとする。すると床の軋む音で目が覚めたのか、眠たそうな顔をしながらルナが顔を起こした。
「んんぅ……どうしたの?リーシャ」
「何でもないよ。ルナはまだ寝てて良いよ」
「んー……おやすみぃ」
起きているリーシャを不思議に思ってルナは殆ど目を瞑った状態のまま話し掛ける。どうやら寝ぼけているらしい。リーシャは優しく笑い掛け、安心させるようにそう言った。するとルナもこれはただの夢だと思ったのか、パタンと枕に顔を埋めると再びすぅすぅと寝息を立て始めた。その様子を見てリーシャは可愛らしいと思って笑みを零した後、気を引き締め直して部屋を出た。
薄暗い廊下の中をほのかな光の球が移動し、リーシャもその後を追う。やがて光の球は家の庭へと出て行った。外は肌寒かったが、リーシャは気にする事なく寝間着の姿のまま靴を履いてそこに足を踏み入れた。
そこは明らかに普段とは雰囲気が違う空間だった。いつもアレンとリーシャが剣の特訓をする庭であるが、辺りには昼間に見た小精霊達がたくさん跳び回っており、優しい光を放っている。そしてそんな中心で、一際大きな光を放つ巨大な球体が宙に浮かんでいた。リーシャはそれを見て少しだけ警戒するように目を細めた。
「……貴方?昼間私に呼びかけてたのは……?」
「ようやくお会いする事が出来ましたね……」
リーシャがポケットに手を突っ込みながら話し掛けると、巨大な光の球が強く輝き始め、粒子と共にそこから女性が現れた。しかし人間の姿とは違って光に包まれており、巨大な翼のようなものが背中から生えており、感じる気配も明らかに人間とは違う。その女性はリーシャに警戒心を持たせないよう、優しく笑いかけた。
「私は精霊の女王。貴方を正しい道に戻す為、お迎えに上がりました……勇者様」
光り輝く女性、精霊の女王は身体を屈めてリーシャに服従するように頭を下げるとそう言葉を述べた。リーシャはただそれを、怪訝そうな表情を浮かべながら見下ろしていた。