63:ルナの覚悟
夜、普段なら寝る時間であるのにも関わらずリーシャとルナは家の裏にある薄暗い森の中へと足を踏み入れていた。夜の森は肌寒く、遠くからは魔物の遠吠えらしき声が聞こえて来る。暗闇からは何かの生物の目玉がギョロギョロと光っており、リーシャはそれに少し薄気味悪さを感じた。しかし一方でルナはそれに怯えた様子も見せず、淡々と森の中を歩いて行く。
「ルナ、話したい事って何?」
「……うん」
しばらく歩き続けた後、月明かりで照らされている場所へと辿り着き、ルナはそこで立ち止まる。リーシャも立ち止まり、念の為装備して来た聖剣の鞘をそっと触れながらそう尋ねる。
事の始まりは夕食が終わった後、ルナが話したい事があると相談して来た時であった。いつもならアレンの言う通りにすぐに寝床に着くはずなのに、それを内緒でこっそりと家から抜け出し、誰にも聞かれないようこの森へとやって来た。つまりルナはアレンやシェルには聞かれたくない事を相談したいという事だ。でなければ彼女が大好きなアレンに内緒でこんな危険な事をする訳がない。そう判断してリーシャは少し緊張した顔つきでルナの事を見た。ピクシーの事件があってからルナの顔つきは少し変わっており、その漆黒の瞳は何か強い力を秘めているように輝いていた。
「ねぇリーシャ、リーシャは私の事好き?」
「へぁ?」
ルナはリーシャの方に顔を向けず、その場に咲いている白い花をに手を添えながらそんな事を聞いて来た。思わずリーシャは変な顔を上げ、身構えるように手を上げてしまう。ルナらしくない直球な質問。こんな事をわざわざ聞く為に森に来たとは思えないが、リーシャは咳払いをしてからとりあえず素直に答える事にする。
「そりゃまぁ、当然でしょ。ルナは大切な妹なんだから」
「……そっか」
リーシャは何てことないように髪を弄りながらそう答える。
この答えは絶対に揺らぐ事のない思いだ。例え勇者と魔王という宿敵同士の関係だとしても、どちらかが滅びなければならないとしても、リーシャはルナを嫌うような事は絶対にない。それくらい強い思いをリーシャは抱いていた。その答えを聞いてルナは花から手を離し、表情は見えないがそっと笑ったようにリーシャは見えた。ルナは立ち上がり、改めてリーシャの方に身体を向ける。月明りに照らされ、ただでさえルナの白い肌も相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。
「あのね、私今日……やっちゃいけない事をしちゃったの」
少し寂しげな表情を浮かべながらルナは恐る恐る告白する。昼間にピクシーに襲われた際、ピクシーを攻撃してしまった事。そして魔力を制御出来ず、森の一部分を闇で覆ってしまった事。これはリーシャもアレンから教えられていた為知っている。
「それはっ、ルナのせいじゃないでしょ。あのちゃらちゃらした妖精のせいだよ!」
「うん……でも今回の事がなかったとしても私はきっと同じ事をしてた。時々調子が悪くなって、魔力が上手く操作出来なくなる時があるの」
リーシャはルナが責任を感じる必要はないと励ますが、ルナは弱々しく首を横に振った。彼女は分かっていたのだ。あの魔力の暴走は元々予兆があり、今回はたまたまピクシーの事件が切っ掛けになったに過ぎない。そして彼女は時折体調不良になる事を明かし、自分の包帯が巻かれた方の手を上げた。
「父さんが言うには魔力が多い子にはそういう事が起こるんだって。成長途中だから魔力が制御出来ず、溢れ出して暴走しちゃう。私の場合は魔王なのが関係してるのか、気持ちも変になる……」
家に戻った後ルナはアレンからあの時起こった事の詳細を聞いた。だいたいは一般でも起こる魔力の暴走と同じらしいが、ルナの場合はその規模も現象も規格外であり、やはり魔王であるからか危険な物であった。シェルも協力して症状を和らげる方法を考えてくれると言っていたので、しばらくの間は安心だが、また同じような事が起これば今度は無事では済まないかも知れない。しかもルナが暴走した際、彼女は言葉にできない破壊衝動に襲われた。そのせいで森の奥に逃げる間に自我を失い掛け、周りに闇をぶつけ回って木々をへし折ったりしてしまった。あの時の自分は本当に自分ではないような気がして、ルナは今更ながら恐ろしさを覚え、ぎゅっと自分の腕を掴む。そしてゆっくりと自分の手の甲に巻かれている包帯を解くと、そこでは魔王の紋章が昼間の時のように淡く紫色に光っていた。そしてルナが少し魔力を込めると、ズグリと音を立てて彼女の手から煙のように闇が溢れ出す。そして寂しげな表情を浮かべながら、弱々しく笑ってルナはリーシャの方を見た。
「ねぇ……こんな私でも、リーシャはまだ私の事を好きでいてくれる?」
泣き出しそうに声を震わせながらルナはそう尋ねる。その問いかけにリーシャは即答する事が出来なかった。硬直したように口を開けて呆然とし、ルナの姿に衝撃を受けていたのだ。
それは普段のルナからは想像出来ない程禍々しい闇であった。少し溢れ出させただけで強大な魔力が広がり、全てを飲み込まんと蠢いている。何より恐ろしいのはそれだけ強大な力を持ちながらも一切動揺せず、それを溜め込んでいるルナが異様に映った。一体あの小さな身体のどこにこれだけの力を秘めているのか。
月に照らされ、青白い光を浴びながらその反対側では禍々しい闇が蠢いている。とても恐ろしい姿なのに、一方では美しく見えるという矛盾を孕んだその姿はまるでルナの思いを現しているかのようであった。
「ルナ……」
「ごめん……ごめんね。酷いよね、私……こんなの見せても、怖がらせちゃうだけだよね……」
「……ッ!」
何とかルナを安心させられるような言葉を言おうとするが、リーシャの口から出るのは掠れた声だけで、それがきちんとした言葉になる事はなかった。かろうじて出たのはルナの名前だけであり、結局何も語る事が出来ない。ルナも腕を抑えながら謝り始め、リーシャから一歩離れる。それを見てリーシャは胸がズキンと痛むのを感じた。無意識にルナの方に手を伸ばし、ここでルナを拒絶しては駄目だという思いに駆られる。気付いた時には、走り出していた。
「私はっ……ルナの事嫌いにならないよ! だって、私はルナのお姉ちゃんだからッ!」
「……!」
邪魔をしようとする闇を払ってリーシャは無理やりルナに抱き着く。ルナはその勢いに押され、トスンと地面に尻もちを付いた。リーシャはその間もルナを離さず、手に力を込める。
「ルナの良い所も、悪い所も、全部ひっくるめて好きなの……! それが、家族ってものでしょ……?」
全てを受け入れる訳ではない。ルナの強大過ぎる魔力は確かに危険だし、現に森の一部を破壊仕掛けた程だ。それを見ても大丈夫だと言い張れる程リーシャも完璧な人間ではない。だがそれ以前にリーシャとルナは家族なのだ。例え血が繋がっていないとしても、殺し合う運命だったとしても、ルナを拒絶する事だけはしない。何故なら愛しているのだから。
「……ッ」
ルナは泣いた。自分でも泣いてばかりだなと思った。でもそんなでもリーシャは受け入れてくれた。優しくルナの事を抱き、頭を撫でる。その姿は本当にお姉さんらしく、暖かい存在であった。そんなリーシャの胸にルナも顔を埋め、強く抱き返す。今だけは勇者も魔王も関係なく、二人は姉妹の時間に浸った。
ようやく泣き止んだ後、二人は近くにあった倒木を椅子代わりに並んで座った。リーシャは用意しておいたハンカチをルナに手渡し、涙を拭かせる。
「大丈夫?」
「うん……ありがとう」
心配そうにリーシャが尋ねるとルナは何とか笑みを浮かべて元気だという事を証明する。そして涙を拭き終わるとリーシャにハンカチを返した。
さっぱりとした気分であった。何かが解決した訳でもないのだが、それでも悩んでいる事を打ち明けると胸が軽くなる。例え結果がどうなったとしても、それだけは確かであった。最初の時よりもルナの顔も明るくなり、今は瞳の奥にあった強い力のような何かも見当たらない。それを確認してリーシャも安堵したように息を吐いた。
「ルナは泣き虫だねぇ。前も気持ち悪い虫が家に出た時凄い怖がってたもんね」
「あれは、忘れてよ」
和ませるようにリーシャはそんな話題を出す。するとルナは恥ずかしそうに頬を赤らめた。あまり思い出して欲しくなかった事らしく、不機嫌そうに眉を吊り上げる。しかしそんな顔でもルナがすると可愛く見え、リーシャはぷっと笑った。すると益々ルナは不機嫌になる。しばらくそうやって他愛もない話をし、二人は姉妹の会話に花を咲かせた。
「あのね、前にリーシャが悩んでいた時、一緒に乗り越えようって約束したの覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「私もその約束を破るつもりはない。この村に居たい、ずっとお父さんの傍に居たいって思ってる……」
ふとルナは膝を抱えて木に座りながらそんな事を尋ねた。リーシャも懐かしいと思いながら頷く。あの時はリーシャが精霊の女王の事件のせいで自分は本当にこの村に居ても良いのかと悩んでおり、普段のリーシャらしくない程落ち込んでいた時だ。その時はルナが励まし、どんな困難があっても一緒に乗り越えようと誓いを立てる事によって前に進む事にした。その事はルナも覚えており、懐かしそうに自分の手の甲をなぞった。
「でも、私のせいでお父さんが傷ついたら、私は自分を許せない。もちろん最善は尽くすけど……もしもの事はある」
ルナは自分の力の危険性を十分理解している。世界を滅ぼす程の力を持つと言われ、現に前の魔王と勇者の戦いによって大陸が一個消えた程だ。本来ならこんな村で野放しにして良い力ではない。優秀な師が必要かも知れない。制御方法を教えてくれる人物が必要かも知れない。封印か何らかの処置を取るべきなのかも知れない。本当は暗黒大陸に行き、魔族として正しい生活を送るべきなのかも知れない。だがルナはその道を蹴り、アレンの傍に居る事を選んだ。それが彼女の望んでいる事だからだ。だがそれでもアレンが危険な目に遭う可能性がある。ただでさえ制御が出来ない力を有しているのだ。リーシャとルナは乗り越えると約束したが、ルナは最悪の事態の事も想定していた。そして解決手段も。
「その時は、リーシャが私の事を殺して」
「……え?」
一瞬リーシャはルナが何を言っているのか理解出来なかった。耳から聞こえて来た言葉を頭で理解しようとする事を拒否し、呆然と目を見開いてルナの事を見る。すると彼女の瞳はこれでもかというくらい真剣で、冗談には全く見えなかった。否、ルナは元々冗談を言う性格ではない。リーシャはルナが覚悟を込めて言っているのだと受け止めた。
彼女は自分の命を天秤に掛けて冷静に判断したのだ。数多の手段と犠牲の元に自分の暴走した力を止めるのと自分の命一個で事を解決に導くの、どちらの方が合理的で危険性と犠牲が少ないかを。もちろん最終手段である事には変わりないが、これから先まだまだ未知が潜んでいる。妖精王のような存在は次々と現れるだろうし、魔王候補の不穏な気配もある。最後の手段は用意しておいた方が良いのだ。でないと取返しの付かない事になる。リーシャはしばらく考えた後、ルナの瞳をじっと見つめた。彼女の漆黒の瞳は一切揺れず、ただ真っすぐリーシャの事を見つめ返している。それを数秒見つめた後、リーシャは諦めたように肩を落とした。
「分かった……」
この状態のルナに何を言ったところで無駄だろう。彼女は覚悟を決めている。その覚悟を踏みにじる訳にはいかない。そう判断してリーシャはルナの提案を受け入れた。本当は死ぬ程嫌ではあるのだが。それを聞いてルナは安心したように頬を緩ませる。
「でもっ、私は最後まで最善を尽くすからね。ルナに何かあったとしても、必ず助ける……あくまでもそれは最終手段だから」
「うん、分かってる……ありがとうリーシャ」
「お礼言わないでよ……こんな事で」
ルナは嬉しそうにお礼を言うが、リーシャからは殺しの約束をされてお礼を言われても全然嬉しくなかった。
リーシャは悔しそうに拳を握り絞める。自分にもっと力があれば。それこそ魔王のルナを制御出来るくらいの力があれば、ルナはこんなに悩まないで済むのではないか。究極的に言えば精霊や妖精、魔族すらも支配出来る程の力を手に入れれば、自分達家族は平穏に暮らせるのだろうか。そんな事を彼女は心の中で思う。
しばらくの間二人は無言だった。内容が内容なだけにすぐに会話を戻す事が出来ず、気まずい雰囲気になる。やがて冷たい風が吹くと、ルナはブルッと肩を震わせた。
「そろそろ戻ろっか……風邪引いちゃう」
「うん、そうだね」
流石に夜も遅い為、アレンにバレる前に家に戻ろうとリーシャは木から降りた。ルナも頷いて木から降りる。そしていざ帰ろうと思った時、リーシャはルナに手を差し出した。手を繋ごうという合図だ。ルナはそれを見て少し迷ったように瞳を揺らしたが、やがて弱々しく笑うとその手をゆっくりと握った。勇者と魔王は少し寂しそうな表情を浮かべながら手を繋いで家へと戻った。




