61:闇に飲まれて
完全敗北と言うしかない。全てが計画通りに行ったと言うのにリーシャには拘束魔法を破られ、眠らせていたシェルには自力でそれを振り払われた。これ以上何をした所で無駄だと悟り、疲弊して肩を落とす。そんな彼の目の前ではリーシャがシェルの帰還を喜んで抱き着いていた。微笑ましい光景とは裏腹に妖精王の表情は益々暗くなる。
「……ん」
不意にリーシャが妖精王の方に歩み寄って来た。そして地面に突き刺しておいた剣を引き抜くとその冷たい剣先を突き付ける。最早抵抗する気力のない妖精王は逃げ出すような事はせず、リーシャの黄金の瞳を静かに見つめ返した。果たして今その瞳の中に宿る感情は怒りなのか悲しみなのか、彼女の表情を読み取る事が出来ない妖精王はただ甘んじてその剣を受け入れるしかなかった。
「これで分かったでしょ。シェルさんは強い人なの。外野がとやかく言わないで」
「……はは、分かりましたよ……僕の負けです。勇者様」
リーシャはチラリとシェルの事を見ながらそう忠告する。妖精王もここまで見せつけられたら言い返す事が出来ず、苦笑しながら両手を上げた。
実際受け入れるしかない。愚かだと思っていた人間が自力で妖精王である自分の力を打ち破り、勇者すらも確固たる意思を持って自分の立場を受け入れている。妖精の悪戯程度では揺るがない程の絆が結ばれているのだ。そんな物を見せつけられたら自分が仕掛けた事が全部恥ずかしく思えて来る程である。
「それで、貴方の目的は何だったの?まさか本当にシェルさんに悪戯する為だけに来た訳じゃないでしょ。精霊の女王みたいに私を連れ去ろうとしたの?」
「まさか……僕がそんな面倒で非効率な事をすると思う?」
妖精王が意気消沈しているのを見てリーシャも剣を引き、一応手に持ったまま初めから気になっていた事を尋ねる。すると妖精王はリーシャの推測に対して小馬鹿にするように鼻を鳴らし、自分の事を指差しながら答える。
「僕は気まぐれな妖精なんだ。元々人間達の争いに興味なんてないし、勇者と魔王が再び表世界に出て来る事も望んでいない。だから君を連れ去ろうとか魔王ちゃんを殺そうなんて物騒な事も考えていない」
少しだけ元気を取り戻した妖精王は羽をパタパタと動かしながら自分の事をそう称する。精霊の女王のような何か邪な目的があった訳ではなく、自分は中立だと主張した。相変わらずその話し方は軽くとても王という立場の者の発言には思えないが、リーシャはこの後に及んで嘘を吐いたところで仕方がないだろうと判断し、一応その言葉を信じる。
「だから今回は……そうだね、勇者ちゃんの様子の確認と、魔術師ちゃんをからかうのが目的で合ってるかな」
最後に肩を竦めながら軽い口調で妖精王はそう白状した。自分が推測した通りだった事にリーシャは驚き、思わず口をへの字にして妖精王の事を睨んだ。
実際妖精王のおおまかな目的は言った通りである。現勇者がどれ程の力を持っているのかを確認する為に近づき、そのついでに邪魔な存在になりそうなシェルを陥れようとした。ただし彼がそんな行動をした根源には勇者に対して複雑な思いを抱いている事が関係しており、前勇者に力を授けた時にその圧倒的な力を目の当たりにし、彼女達のような化け物に自分の力が必要なのかと疑問に思い始めたからであった。
「自分勝手な妖精だね」
「妖精とは本来そういう生き物さ。それに、貴女程じゃありませんよ……勇者様」
両腕を組んで呆れたようにため息を吐きながらリーシャがそう言うと、妖精王は口元を引き攣らせながら皮肉のつもりでそう言い返す。そんな事を言ったところでリーシャが気にする訳がない事は彼も分かっており、リーシャのキラキラとした瞳を見て眩しさを感じる。
「だったら今回ので分かったでしょ。私は変わらず村で生活し続けるし、シェルさんと一緒に居続ける。それで文句はない?」
「……ええ、もちろんです」
「じゃぁ……えいっ」
不意にリーシャは妖精王に近づき、剣を振り上げた。妖精王は斬られるかと思い、諦めて目を瞑る。しかし次に来たのは頭部に対しての激しい痛みであった。思わず目を開けるとリーシャは剣を持ち換えて柄の部分を向けていた。どうやらその部分で妖精王の頭を叩いたようだ。
「……ッ」
「シェルさんに迷惑を掛けた罰。そしてちゃんとごめんなさいって言って。シェルさんに」
目をぱちくりとさせ、妖精王はリーシャの事を見る。彼女はまるで悪戯をした子供を叱るようにそう言い、シェルの方に視線を向けた。頭の痛みを手で押さえながら妖精王はシェルの方に顔を向け、頭を下げる。
「申し訳ありませんでした……シェルリア・ガーディアン。僕は貴女を見誤っていたようです」
「いえ、別に私は気にしてませんから……むしろ悩みを振り払えたので、私は大丈夫です」
ふざけたような軽い口調ではなく、妖精王が真面目に謝るとシェルも手をパタパタと左右に振り、自分は気にしていないからと擁護した。事実シェルは一度は暗闇に落ちたとは言え、悩み続ける事によって一つの答えを導き出す事が出来た。だからと言って妖精王に感謝するという訳ではないが、それでも彼女にとって悩みを振り払う事が出来たのは大きな成果であった。そんな二人の様子を見て隣ではリーシャが満足げに顔を頷かせている。ひとまずこれで妖精王はもうリーシャ達に悪戯を仕掛ける理由はなくなった。妖精王にはリーシャの無言の笑みがこれで終わったんだから二度と変な事をするなよ、と忠告しているように思え、冷や汗を掻く。そして彼はゆっくりとリーシャの方に身体を向け、膝を折ると頭を垂れた。
「そして勇者様。迷惑と思うかも知れませんがこれからは精霊の女王と共に貴女に忠誠を誓います。貴女が近づくなと言うのなら二度と姿を現しませんし、女王にも勝手な事をさせません。それだけは約束致します」
「えっ……あ、ああ、そう」
急に畏まった態度で妖精王がそんな事を言って来るのでリーシャも反応が遅れてしまい、曖昧な返事をしてしまう。
妖精王はどうやらこの忠誠を本気で言っているようだ。勇者を守護する者としての責任なのか、迷惑を掛けた贖罪として言っているのか、どちらにせよリーシャからすれば面倒な物に感じた。だがそれでも向こうがもう関わり合いを持たないつもりでいるなら、少なくとも女王が今後変な事をしないと保証されるならその誓いもアリかも知れないと考える。リーシャは少し考えるように口元に手を当てた後、妖精王に顔を上げさせて口を開く。
「別にそんな堅苦しい忠誠は要らないよ。ただ女王が変な事しないように見張っといてくれたら、それで良い」
「分かりました。ご命令のままに」
とりあえず妖精王はこれ以上何かを仕出かす事はしなさそうなので、女王の事を任せる事にする。わざわざ妖精王と精霊の女王を手下にするような趣味もないし、二人が何もしなければリーシャはそれで良かった。その意思を伝えると妖精王はまた深々と頭を下げる。
「ああそれと、伝えなくちゃいけない事があるんだった。忘れてた」
「……?何それ?」
忠誠を誓い終わり立ち上がった後、ふと妖精王は人差し指を立てながら思い出したようにそう言う。リーシャも妖精王の方に顔を向け、その言動が気になったように目を僅かに細めて聞き返す。妖精王はチラリと倒れている精霊の女王の事を一度見てから、視線を戻して少し小さな声で語り始めた。
「実は最近魔族の動きが騒がしくてね……噂によると、こっちの大陸に〈魔王候補〉が侵入して来てるらしいんだ」
「----!」
リーシャはアレンとシェルからお面祭りの時に現れた魔族の話を聞いていた為、魔王候補という情報も知っていた。そしてそれがどのような存在で、ルナにとって喜ばしくない相手である事も理解していた。故に今自分達が住んでいる大陸にその宿敵が居ると知るとなると流石に驚かずにはいられなかった。息を飲み、自然と剣を握り絞める力を強める。
「魔王候補って……」
「以前、私と先生が戦った相手だね……その噂の魔王候補が同じ魔族なのか、それとも別の魔族なのかは分からないけど」
リーシャの斜め後ろに居るシェルも驚いた表情を浮かべており、嫌な事を思い出してしまったように服の裾を強く握り締めながら答えた。お面祭りに現れた魔王候補のレウィアに負けた事が悔しいのだろう。こう見えてシェルは負けず嫌いな所があるのである。恐らくはアレンの為だと思われるが。
「それを私に倒して欲しいって訳?」
わざわざこんな面倒な事をして更には情報も伝えて来たのだから、恐らくは勇者として魔王候補を倒して欲しいというのが本当の目的なのだろうと考えたリーシャはそう尋ねる。しかし妖精王はどこか面白がるように笑みを浮かべ、少しだけ最初の時のような調子を取り戻して指を左右に振った。
「いやいや僕は君に情報を教えるだけさ。その魔王候補の目的が何なのかも知らないし、居場所も分からないしね……ああ、もしかしたら君の妹ちゃんを狙ってるのかも」
「……!」
妖精王の指摘を聞いてリーシャは顔を強張らせる。ルナが狙われているかも知れないと分かった瞬間、彼女の瞳は鋭いものへと変わった。魔王候補が明確な敵であると認識し、あっという間に意識を切り替えたのだ。
リーシャは基本勇者としての務めをしようとしない。もちろん人助けが嫌だとかそういう事ではなく、単純に自分の人生が勇者という肩書で決められるのが嫌なのだ。それに勇者の道を進むという事は魔王であるルナと戦わなければいけないという事であり、そう言った望まない為にリーシャは精霊の女王の誘いを蹴ったりしていた。だが今回妖精王がもたらした魔王候補が侵入したかも知れないという情報は簡単に無視出来る物ではなく、少なくともルナの姉として彼女を守る為に剣を握らなければならない必要があった。
「まぁ……気を付けるようにはしておくよ」
「うんうん、それが良いと思うよ。僕も平和なのが一番だしね。ちょっと魔王ちゃんの事が心配だけど」
「……どういう意味?」
不意に妖精王が言った意味深な言葉にリーシャが目を鋭くさせて追及する。すると妖精王は少し言いにくそうに髪を掻き、どうしよっかなぁと目を泳がせると諦めたように口を開いた。
「実は勇者ちゃんと魔王ちゃんが一緒にならないように村にもピクシーを放っておいたんだけど……なーんか、不味い事になってるっぽいんだよね」
最初妖精王はピクシーに魔王がこちらに来る余裕がないよう足止めしておけと命令した。結果魔王のルナはリーシャ達の居る山奥に行く暇がないくらいの事態になったが、それが問題であった。妖精王の表情を見て察したリーシャは急いでその場から駆け出す。シェルも慌ててその後に続いた。
◇
アレンはクロに導かれるままに森の中を走っていた。軽い動作で木の根っこや蔓を飛び越えながら五十に近い男性とは思えない身軽さで木々の合間をすり抜けていく。子供とは言えダークウルフのスピードに付いて行く為、流石は元冒険者と言うべきであろう。しばらくそのまま森の中を進んでいると、アレンは妙な物を目にし始めた。
(なんだ……?周りの木々が折られてる……まるで巨大な魔物でも通ったかのような……)
それは不自然なまでに荒らされている木々であった。根本からパックリと折られている物や深々と抉られている物。アレンは気になり足を止め、その痕跡を調べる。木の表面を抉ってる跡は刃物などの痕跡はなく、代わりに微かな魔力が感じられた。という事は何らかの魔法でこの辺りの木々は破壊し尽くされたという事だろうか?だが誰が、何の為に?アレンはそう疑問に思う。その時、アレンはふと地面に身に覚えのある足跡がある事に気が付いた。
(これは……ルナの足跡か……!)
足の形からルナの物だと判断し、アレンはその足跡を追う。だがその足跡はフラフラと右へ行ったり左へ行ったりを繰り返しており、目的地などないように不安定な物であった。益々アレンは疑問に思う。そして周りの破壊跡とルナがここに居るという事から嫌な予感を感じ始めていた。
「ワフワフ!」
クロが倒れている木の上に飛び乗るとアレンの方に向かって吠えた。恐らく呼んでいるのだろう。足跡もその方向に向かっていた。アレンはなぎ倒されている木々をしり目で見ながらクロが居る方に向かう。そして視線をクロが吠えている方に向けると、そこには更に異様な光景が広がっていた。
「なんだ……こりゃ?」
普段ならそこは綺麗に木々が並び立ち、透き通るような川が流れ、動物達が木の実を食べに出て来る穏やかな場所のはずであった。だが今は見渡す限りが真っ黒な闇によって埋め尽くされ、全てが漆黒に染まっている。まるで泥のように蠢き、アレンは魔物の腹の中でも居るんじゃないかと思う程であった。
「まさか……ここにルナが居るのか?」
クロは怖がってそれ以上闇に近づこうとしない。現に偶々飛んでいた虫がその闇に触れると、たちまち闇は虫を飲み込んでしまった。まるで生き物のような動きで、グツグツと煮えたぎるような揺らめきを起こす。これがどのような現象なのかは分からないが、いずれにせよ素手で触るのは不味いという事は確かであった。
アレンは少しの間悩んだ後、近くにあった木の枝を手に取った。
「火よ、闇を照らしたまえ」
小さく呪文を唱えると木の先端にぽっと火が灯り、松明代わりとなる。試しにそれを闇に向けて見ると、突然闇はうめき声のような鈍い音を響かせながら退いた。これが火に反応したからなのかは分からないが、とりあえずこれで闇を退ける事は出来るらしい。アレンはこの先にルナが居るかも知れない為、恐る恐るその闇の世界へと脚を踏み入れた。松明で出来る限り周りを照らし、闇を払う。闇が退いた所からは元の芝生や木が出て来る為、恐らくこの闇はあくまで物体を覆っているだけなのだろう。最も、魔法で捕らえているのだから使用者がその気になればいつでも絞め殺したり出来る訳なのだが。アレンはこの魔法が無意識的に発動しているだけの物である事を祈った。
やがてアレンは闇が一層濃い場所へと辿り着く。松明を振るってもあまり闇は消えず、まるでその場所だけは見せたくないとでも言わんばかりだった。埒が明かないのでアレンは魔法を唱えて巨大な炎を放ち、辺りを明るくする。すると闇の隙間から身に覚えのある少女が現れた。それを見て、アレンは絶句する。
「……ルナ?」
「……見ないで……お父さん……」
それは紛れもなくルナであった。ルナであるはずだった。だがアレンは思わず一瞬だけ誰かと疑ってしまった。それくらい今のルナは異様な姿をしていたのだ。
普段包帯を巻いている方の手は腕まで真っ黒に染まり、蝋燭の煙のように時折影が揺らめいている。更にはそれは顔まで浸食し、ルナの精巧に整えられた顔は禍々しい亀裂のような線が入っていた。
ルナはこれを隠そうと周りの闇を自分に寄せていたのだ。彼女は悲しそうに表情を歪ませ、今にも泣き出しそうに真っ黒な瞳を揺らした。




