60:何がいけないの?
蔓に手を縛られ、張り付けられるように樹木に拘束されているシェルを見て妖精王はため息を吐く。既に彼女に意識はなく、夢の中で己の本当の感情を見せつけられて苦しんでいる。時折辛そうに表情を歪めているのがその証拠だ。
「まぁ……ただの人間にしては頑張った方かな」
手を開いたり閉じたりを繰り返しながら妖精王はそう口にする。
実際今回の戦いは全て妖精王に有利な状況が整っていた。事前に準備させておいたピクシー達を勇者と魔王が別行動を取った所で放ち、二人が出会わないように誘導する。森ならばその自然を自在に操る事が出来る為、勇者とシェルが二人きりの時を狙って襲撃する。まさに完璧な作戦であった。途中精霊の女王が勝手な行動を取るという事があったが、それでも概ね計画通りである。にも関わらず苦戦を強いられた。悪戯範疇の攻撃でしかなかったとは言え大勢のピクシーと、大型の魔物でも倒木で仕留める事が出来る木の軍勢を相手に、あのシェルという魔術師は抗って見せたのだ。妖精王は忌々しそうに氷漬けになっているピクシーと木々の方に視線を向ける。
一応結果的には魔術師を捉える事は出来、勇者も蚊帳の外。計画は順調である。離れた木の下で精霊の女王が苦しそうに呻いているが、それは妖精王も無視した。
「さてと、後は時間の問題だ」
視線を外した後妖精王は羽をふわりと動かして地面に降り立つ。久々に運動をした為少し肩こりを感じ、腕をクルンと回した。今回の目的は様子見だけだから楽だろうと思っていたが、意外にも疲れてしまった。妖精王は疲れたように肩を落とす。するとその時、勇者であるリーシャを閉じ込めている樹木からピシっと何か嫌な音が響いた。思わず妖精王は勢いよくその方向を見る。
「え……?」
妖精王が間抜けな声を漏らすと、再び樹木はビキッと先程よりも大きな音を立て、魔法陣が刻まれている所に亀裂が入った。嫌な予感を感じて妖精王は無意識に一歩後ろに下がる。次の瞬間、亀裂から光が漏れだし、巨大な衝撃波によって樹木が吹き飛ばされた。中から白く輝く剣を持つリーシャが飛び出し、地面へと着地する。
「わわっと! ……あ、出れた」
「おいおいおい、冗談じゃないよっ……いくら勇者でもまだ子供だろう?何で僕の拘束魔法から抜け出せる?」
妖精王は信じられないように首を左右に振りながら震え声でそう言う。その声色は若干上ずっており、まるで馬鹿らしくて笑っている様であった。
リーシャに掛けていた拘束魔法はシェルが予想した通り古の魔法だ。はるか昔から妖精王が使う魔法は当然人間達とは仕組みが違い、術式の構築も全く違う物となっている。強力で頑丈。それが古の魔法の特徴だ。それを突破する事は難しく、拘束魔法の解除も単純な力押しでなければ解除する事は出来ない。それを魔法を使わずにリーシャが突破したのを見て妖精王は乾いた笑いを零した。
「ふふん、前に父さんが言ってた。ダンジョンや古い城には魔法の罠が仕掛けられていて、それは頑丈で簡単には解除出来ない。でもそういう魔法には必ず根源となる部分があって、そこさえ断ち切れば簡単に解除出来るって」
リーシャはどうだ見たかと言わんばかりに満面の笑みを作って妖精王に剣を突きつけてそう言う。
確かに拘束魔法や結界魔法の類の物には術式を維持する為の魔力の根源がある。それは魔法陣だったり、何か別の物体だったりするのだが、今回妖精王が使った魔法は樹木に刻まれていた魔法陣が魔力の根源である。リーシャはそれを内側から破壊する事によって脱出したのだ。ただしそれは閉じ込められてる側からすれば解除するのは非常に難しいはずであり、種類によっては意識すら失う事もある為、完璧な方法とは言えない。現に今回の妖精王が使った拘束魔法だってリーシャは樹木の内側でしっかりと拘束されていたはずだ。にも関わらず簡単に脱出されたのは妖精王にとって面白くない事であった。
「くそっ……!」
「----!」
妖精王はすかさず手を伸ばして周りの蔓を操る。こうなったら力業と言わんばかりに蔓を暴れさせ、リーシャを再び拘束しようとした。しかしリーシャもその攻撃にいち早く反応し、軽く剣を振るうと簡単に蔓を斬り飛ばしてしまった。そしてリーシャは駆け出し、剣を勢いよく振りかぶる。白く美しいその聖剣は黄金の輝きを纏い、妖精王の目の前まで詰め寄ると三日月の形をした斬撃を放った。
「吹き飛べッ……!」
「なぁっ……!?」
すぐに飛んで逃げようと妖精王は羽を動かすが、間に合わず斬撃を真正面から喰らう。ギリギリの所で魔法壁を張ったが斬撃の威力はそれを上回り、簡単に魔法壁を打ち破ると残った衝撃で妖精王は遠くへと吹き飛ばされてしまった。樹木に激突し、妖精はうめき声を上げて地面に倒れる。彼の羽は死に掛けの虫のようにピクピクと動いた。何とか顔だけ起こし、ジンジンと伝わって来る背中の痛みに耐えながら意識を保つ。
(ああくそっ……分かってたはずなんだけどな。前の勇者だったあの子だってそう……〈こいつ等〉は化け物なんだ……ッ)
妖精王は理解していたはずである。勇者や魔王と言ったそういうクラスの存在がどのような力を持っているのかを。現に前の勇者をこの目で見て実感したはずだ。この子は自分が力を与えなくとも十分世界を壊す程の力を有していると。時間が経って忘れてしまったのか?子供だからと思って高を括っていたのか?そんな考えは全て間違っていた。少なくとも今自分の目の前に居る可愛らしい顔をした金髪の勇者は、自分以上の力を有している。妖精王は顔に出来た傷を拭いながら笑った。それは最初に見せたような不気味な笑いではなく、何かを諦めたように弱々しい表情だった。
「さぁ、シェルさんを解放して。でないと私もいい加減、本気になるよ」
「……ッ」
リーシャは樹木に張り付けられているシェルの事を指差しながらそう言う。きっとその言葉に偽りはないのだろう。彼女は本気で自分を殺しに来る。かつて精霊の女王に瀕死の重傷を負わせたように。妖精王は恐怖を感じた。しかしすぐに引き下がるような事はしない。ゆっくりと身体を起こすとふらつきながらリーシャとの距離を一定に保ち、彼は言葉を選んで口を開く。
「分かったよ勇者ちゃん……僕の負けだ……けど、君は知っているのかい?その魔術師ちゃんは君達に嫉妬しているらしいよ?」
「……え?」
妖精王もただでは引かない。力業が駄目なら言葉でそそのかすだけだ。樹木に張り付けられているシェルを指差しながら真実を告げる。リーシャはその言葉に固まり、少し迷うようにシェルの方に視線を向けた。
「……どういう意味?」
「言葉通りさ。彼女は君達のお父さんに好意を抱き、特別な存在になりたいと思っている。彼女からすれば勇者ちゃんの立ち位置は喉から手が出る程欲しいものなのさ」
妖精王はふらつきながら立ち上がり、服に付いた土を払いながらそう話を続ける。リーシャもシェルがアレンに好意を抱いている事は知っている為、妖精王の言葉には耳を傾けた。少なからず彼女もシェルの心境について気付いていたのだ。
シェルが抱いている感情は何も好意だけではない。誰かに対しての好意は時に別の人に対しての敵意となり得る。もちろんシェルはリーシャとルナに優しいし、敵意を向けるような事は絶対しない。だが本人が気付かないくらいの小さな嫉妬は心の奥底に眠っているものだ。
「あの魔術師は君達を守りたいなんて言いながら、結局は君達を羨ましく思い、嫉妬する愚かな人間なんだ。ひょっとしたら君達の大好きなお父さんも、取られちゃうかも知れないよ?」
手を広げて大袈裟な態度を取りながら妖精王はもしもの可能性を口にする。最後に言った言葉は殆どデマカセに過ぎないが、それでも可能性が全くないとは言えない。少しでもリーシャが動揺してくれればそれで良い。そんな気持ちで吐いた言葉であった。だが意外にもリーシャは冷静で、以前妖精王に剣を突きつけた体勢のまま静かに黄金の瞳を妖精王の方に向けた。そして彼女は何てことのないように顔を傾けながら口を開いた。
「……それの何がいけないの?」
「……へっ?」
リーシャの言葉に妖精王は目をぱちくりとさせる。まさか肯定されるとは思わず、本当に今自分が言った言葉を理解しているのかと疑う程であった。当のリーシャは何かおかしな事を言ったのかと疑問そうな表情をしている。突き付けていた剣を下ろし、少しだけ警戒を緩めながら彼女は語り始めた。
「シェルさんが父さんの事を好きって言うのは知ってる。昔から色々お世話になったって言ってたし、あの様子なら今も本気で好きなんだと思う……なのに父さんの傍に娘の私とルナが居れば、そりゃ面白くないよね」
そもそもリーシャは全部分かっていた。シェルの想いは本物であり、だからこそ自分達に嫉妬の感情が向けられる事を分かっていた。シェルも表には出さないが、時折アレンと自分が喋っている時に羨ましそうな視線を向けている。それにしっかりとリーシャは気付いていた。だがだからと言って彼女がシェルを拒絶するような事はなかった。
「でも、それが悪い事だとは思わない。私だってシェルさんが初めて来た時、父さんが楽しそうに喋ってるの見て羨ましいって思ったもん」
リーシャは少しだけ寂しそうに胸に手を当て、視線を下に向ける。
シェルとアレンは冒険者の頃からの付き合いであり、過去を共有する事が出来る。だがリーシャの知っているアレンは父親のアレンだけであり、冒険者の頃の話を共有する事は出来ない。故にリーシャもシェルが村に来たばかりの頃は彼女の事を羨ましいと思い、少し距離を取るような事があった。この感情は仕方がないものだ。人間だから。自分が持っていない物を別の人が持っていれば、その人を羨ましがり、嫉妬するのが当然である。
リーシャは顔を上げる。その黄金の瞳には一切の影がなく、真っすぐ妖精王の事を見つめていた。そんな純粋な瞳を見て彼は心を覗かれているような錯覚に陥る。
「私はいちいちそんな事気にしないよ。シェルさんもルナももっと素直になれば良いんだ。だって、好きな事に正直になって悪い事なんてないんだから」
「……ッ!」
まるで子供が我儘を通す時の言い訳のようだ。否、実際彼女は子供でもある。だが妖精王はその言葉を正面から否定しようという気力が湧かなかった。普段なら言葉を巧みに操り、甘い言葉で相手を懐柔する側だと言うのに、今はその言葉で押されている。何故か妖精王は頭が痛くなり、自然と足を後ろに動かした。
(ああもう……何なんだこの子は……)
体調が悪くなったように顔を青くし、妖精王は額に手を当てる。リーシャの言葉を聞けば聞く程力が抜けてしまい、それ以上対峙しているのが嫌になる。最早彼は正面からリーシャと視線を合わせる事すら出来ずに居た。そんな弱っている妖精王を見てリーシャもこれ以上戦う必要はないと悟ったのか、剣を地面に刺すと身体をシェルの方に向けた。
「それに、シェルさんは貴方が思ってる程弱くはないよ。妖精の悪戯程度で心が折れたりなんかしないんだから」
ニヤリと笑みを浮かべながらリーシャは妖精王にウィンクをしてそう言って見せた。その様子からシェルの事を信頼しているらしく、その瞳に迷いはなかった。妖精王はただ地面に膝を付き、疲れたようにリーシャの顔を見上げる事しか出来なかった。
◇
暗闇の世界でシェルはあるのかも分からない床に伏せながら項垂れていた。病に掛かった人のようにその存在感は薄く、生気がない。現に彼女の普段は綺麗な水色の瞳には光が灯っておらず、まるで死人のようにその瞳は何も映していなかった。
「私は……違う……嫉妬なんて……私は、ただ先生と……」
ブツブツとシェルは言葉を呟き続ける。その声も覇気がなく、呪術を唱えるかのような不気味な物であった。
あれから彼女はずっとこの暗闇の空間で苦しみ続けているのだ。自分がリーシャとルナに嫉妬している事を自覚してから何もかもが嫌になり、本当はただアレンの傍に居たいが為にリーシャ達の事を利用してたのではないかと疑い始める。最早彼女は自分自身を信用出来なくなっていた。
「…………」
おもむろにシェルが顔をズラすと、顔に白フードが掛かった。シェルはそれを退かす気力もなかったが、ふとある事を思い出す。
(そう言えば……このフードって……先生から貰った物だっけ……)
この白いフードはアレンと何度か依頼をこなしている時、帰り道に突然買ってもらった物だ。確かあれは初めて難しい依頼を達成した時で、アレンはご褒美的な感じで白フードを用意してくれたのだ。魔除けの効果もあるらしく、冒険で重宝するかも知れないから要らなければ売ってくれとアレンは軽く言っていたが、シェルにはとても嬉しいプレゼントだった。そもそも誰からか何かを貰うという事自体が初めてだったのだ。それ以来シェルはずっとこの白フードを付けるようになり、大人になった今でもサイズを調整して身に着けている程である。その時の事を、シェルは思い出した。
「……ッ」
シェルは弱々しく唇を噛む。小さな抵抗であるが、それは少しでも意識を覚醒させようとした行為であった。このまま暗闇の世界に閉じ込められるのに恐怖を感じ、失いかけていた感情を取り戻そうとする。
終わりたくない。自分はまだなにも成していないのだ。村に留まるかどうかで悩み、アレンに迷惑を掛けてしまうのではとうじうじと悩み想いを伝えられずにいる。そんな状態のままこの世界に閉じ込められるのだけは御免であった。
(そうだ……先生……先生に、もう一度会いたい……)
自然と拳を握り、シェルは意思らしい意思を抱き始める。この暗闇の世界から脱出出来るのかは分からないが、それでも死ぬ前にアレンにもう一度会いたい。彼に会って想いを伝えたい。その感情がシェルの瞳に再び光を宿らせた。
(例えこの気持ちが自分勝手な物だとしても……リーシャちゃん達の事を利用していたとしても、この気持ちだけは伝えてから終わりたい……っ)
気付いた時には全身に力が戻り始めていた。相変わらず身体は重く夢の中のように上手く動かないが、それでもシェルはうめき声を上げながらよろよろと身体を起こし、小鹿のように脚を震わせながら立ち上がった。そして純白の杖を手に取り、見えない床に突き刺す。次の瞬間その場からシェルを中心に辺りに氷の波が広がり、暗闇を凍らせていった。闇すらも氷が飲み込み、最後には砕け散って世界に光が戻る。
シェルは目を開く。気付くと自分を縛っていた蔓はなくなり、彼女は地面に降り立っていた。ふと顔を上げるとそこには普段と変わらない様子で金髪の少女が笑みを浮かべており、シェルが戻って来た事を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「お帰り、シェルさん」
リーシャは優しく微笑みながらそう言い、シェルが戻って来てくれた事を喜ぶ。シェルは少し複雑そうな表情をしたが、それでもリーシャの眩しい笑みを見ていると自分まで嬉しくなって、ただいまと言って笑みを浮かべる。妖精王は信じられないように目を見開き、その光景を呆然と眺めていた。




