59:本当のシェル
妖精王が繰り出して来る攻撃をシェルは必死に避け続けた。津波のように押し寄せてくる木々を躱し、何十本もの蔓を氷の刃で切り裂く。妖精が使う魔法はどれも見た事ない物ばかりで、本当に魔法かさえ怪しい物であった。もしかしたら妖精特有の力なのかも知れない。いずれにせよ厄介極まりない事は確かであり、鞭のように鋭く伸びてくる蔓を避けながらシェルは唇を噛みしめた。
「……くっ!」
「中々しぶといねぇ。僕としては早く捕まってくれる方が楽なんだけど」
この戦いはシェルと妖精王の一対一の戦いに見えるが厳密にはそうではない。妖精王には付き従うピクシー達がおり、更には森の木々を操って戦っている。つまりシェルは百にも等しい敵を相手に戦っているのだ。妖精王は実質見ているだけであり、宙を漂いながらシェルの戦いぶりを見て面白がるように笑みを浮かべている。一方でシェルは飛び掛かって来たピクシー達を氷の盾で弾きながら苦しそうに表情を歪ませる。
(いくらなんでも……こんなの繰り返してたら魔力切れになる……!)
シェルは魔王のルナ程ではないが一般平均値を遥かに上回る魔力量を有している。しかし視界を埋め尽くす程のピクシーと木々を相手にいつまでも相手にしていれば流石の彼女でも魔力が尽きる。今は何とか魔力消費の少ない魔法で節約をしているが、その作戦もいつまで通用するかは微妙であった。思わず眉間にしわを寄せ、嫌な汗を流しながらシェルは目に掛かった自身の銀色の髪を払った。杖を握っている手は汗で滲み、少しずつ呼吸も乱れていく。
妖精王の攻撃は益々激しくなり、彼は楽しむように指を振るう。それに合わせて蠢く木々も蔓をシェルへと伸ばし、ピクシー達も滝のように襲い掛かる。遂にはシェルは辺りが崖に囲まれている所に追い込まれてしまい、逃げ場を失ってしまった。
「……ッ!」
「ハハッ、これで終わりだよ」
とどめと言わんばかりに妖精王は大袈裟に手を振るい木々とピクシー達を襲い掛からせるしかし逃げ場を失っているはずのシェルは焦る事なく杖先を地面に突いた。すると辺りからピキッと妙な音が響き始め、次の瞬間あちこちの場所から巨大な氷が出現し、辺りを凍らせ始めた。当然木々とピクシーもその氷に飲み込まれ、全く身動きが取れなくなる。
「なっ……これは……!」
流石の妖精王も突然起こったこの現象に驚愕の表情を浮かべる。そして最初に氷が出現した場所に視線を向けた。そこには薄く魔法陣が浮かび上がっており、それが幾つもあちこちに設置されていた。
(ッ……逃げ回りながらあちこちに設置魔法を仕掛けておいたのか。小癪な真似を……)
シェルはただ逃げていた訳ではない。一気に敵を殲滅出来るだけの魔法を唱える時間がないと判断すると、発動にまで時間が掛かる設置魔法を辺りに散らばせて置き、自分にとどめを刺そうと木々とピクシー達が集まった瞬間を狙って魔法を発動させたのだ。その作戦を読み取り妖精王は感心したように指を鳴らす。するとシェルが妖精王の事を見上げ、少し疲れたように杖を下ろしながら口を開いた。
「何度も言っているはずです……私はリーシャちゃん達を利用するつもりはありません。リーシャちゃんを解放してください」
「ふ~ん、悪いけどそれを決めるのは君じゃない。それに、利用するつもりがないと言うなら証明してみな」
シェルは自分は何も企んでいないと訴えるが、その声は妖精王には届かない。彼が再び指を振るうと、今度はシェルの真下に生えていた植物が揺らめき、蔓となって脚に絡みついた。反応が遅れたシェルは引っ張られて地面に倒れ、両腕も蔓で拘束される。思わず杖を離してしまい、杖はコロコロと地面を転がって行った。
(ッ……! 植物まで……!)
木々を操り、今度は小さな植物まで操る。妖精王の力は正にデタラメであった。言わばこの森自体が彼の手足のような物だ。シェルは忌々しそうに眉間にしわを寄せ、妖精王の事を睨みつける。彼は相変わらず不気味な笑顔を浮かべながらシェルの事を見下ろしていた。
「さぁ、眠りに落ちろ」
辺りの植物が姿を変え、怪しい色をした花が咲く。その花からは何やら良い匂いがし、抵抗出来ないシェルはその匂いを嗅いでしまい、トロンとした瞳をする。頭が回らなくなり、猛烈な眠気に襲われる。シェルは必死にそれに耐えようとしたが、手足を拘束されているせいでろくに抵抗する事が出来ず、そのまま意識を闇の中に手放してしまった。最後に彼女が見たのは、冷たくこちらの事を見下ろす妖精王の顔だった。
シェルリア・ガーディアンは臆病な少女であった。幼い頃に両親を亡くした事のショックから他人との関わり合いに壁を作るようになり、卑屈な性格になった。自分が一歩下がる事によって他人と心を通わさなければ悲しみも生まれないと考えたのだ。そうして彼女は自分一人でも生きていけるよう努力し、その過程で冒険者となった。まだ子供でろくに力もないシェルにとって唯一得意な事は魔法だった為、依頼をこなして日銭を稼ぐしか生きていく手段がなかったのだ。しかしそれでも冒険者ギルドがシェルの居場所になる事はなかった。相変わらず他人との関わり合いを怖がり、パーティーを組んでも仲間とは距離を取って食卓を共にするような事もなく、必要以上の接触を拒む。愛情を知らない彼女はそうやって他人から逃げ続けた。
転機が訪れたのはある先輩冒険者と出会った時だった。まだ冒険者になったばかりで右も左も分からないシェルに色々教えるという名目でその冒険者とパーティーを組む事になったのだ。どうやらこういう事はギルドにとって伝統的な物らしく、現にシェル以外も新米冒険者がその冒険者とパーティーを組んでいた。
「アレン・ホルダーだ。これからよろしく」
その人物はアレン・ホルダーと名乗った。何か特徴がある訳でもなく至って平凡な顔つきで、無精髭を生やした茶髪の男性。どこにでも居そうな朗らかな雰囲気を醸し出しており、本当に冒険者なのかと思う程その男性は「近所のおじさん」と言った感じだった。
「よ、宜しくお願いします……」
初めてアレンを見た時シェルは失礼ながらも頼りなさそうと思ってしまう程だった。それだけアレンは優しそうな普通のおじさんで、体格は良いが戦士と言った風貌ではなかったのだ。他の新米冒険者達も不安そうな顔をしており、何人かは貴方で大丈夫なんですか?と失礼な事を言っている者も居た。しかし意外にもギルドでのアレンの評判は良く、それどころか〈万能の冒険者〉などと言う大層な二つ名を与えられている程であった。そして実際ダンジョンでのアレンの指示は的確な物であった。
「シェルリア、その呪文なら詠唱なしで十分だから無詠唱で良いぞ。マルク、その植物は毒性があるから触れるな」
アレンは新米冒険者達の一人一人の動きや癖をよく見ており、その人物に足りない所などをピタリと言い当てて見せた。どうやら彼は人を育てる才能があるらしく、言われた通りの事をした冒険者達は次々と成長していった。本人はその事を自覚しておらず皆が才能があるからだと言っているが、誰がどう見てもアレンの教え方が良かったからであった。
特にアレンの凄い所は幾つもの属性魔法を習得している事であった。通常属性魔法は一人一つや二つくらいしか習得しない。何故なら一つを極めるのはとても難しく、色んな属性魔法に手を広げていれば全部がおざなりになってしまうからだ。英雄クラスの才能があって良くて三つか四つ、少なくともアレンのような何十種類もの属性魔法を平均的に使えるのは異質な事であった。
以前シェルはアレンにその事を尋ねた事があり、周りも興味があったので耳を傾けていた。しかしアレンは師が良かっただけだと言うだけで、あまり詳細は教えてくれなかった。結局それ以上の事は教えてくれず、周りも深く追求しようとはしなかった。
いずれにせよシェルはアレンのおかげで得意な氷魔法を伸ばし、依頼も一人でこなせるようになり始めていた。その事にシェルは嬉しがり、アレンに深い感謝と尊敬の念を抱くようになっていた。
「ようシェルリア、一人か?」
「あ、先生……」
ある日の事、シェルが今日の依頼を終えた為どこかで休憩しようと偶々視界に入ったベンチに腰を下ろして休んでいると、依頼を終えた帰りのアレンと出会った。アレンの衣服は少し汚れており、戦闘の跡も見て取れた為恐らくダンジョンに潜っていたのだろう。
アレンはシェルに隣良いか?と尋ね、シェルもそれを了承して慌てて横にずれて席を開けた。別にわざわざ詰める必要もないのだが、アレンは有難うと言ってシェルの隣に座った。
「何読んでるんだ?」
「えっと、魔術師協会についての本です……この前買ったので」
アレンに質問されてシェルは手に持っていた本を持ち上げて表紙を見せる。その際シェルは本で口元を隠すようにずらした。アレンの隣に居ると何故か緊張してしまい、落ち着きがなくなってしまう。それを少しでも隠す為のシェルの僅かな抵抗であった。
アレンは魔術師協会の事について記述されているその本を見るとほぉと興味ありげに声を漏らし、シェルの事を見た。視線を受けてシェルは更に本を持ち上げて顔の半分を隠す。
「へぇ、シェルリアは魔術師協会に興味があるのか?」
「はい……その、私魔法が好きなんで、おこがましいかも知れませんけど……将来魔術師協会に入りたいと思ってるんです」
シェルにとって魔法は小さい頃から備わっていた物であり、自分が生きていく為の唯一の武器であった。故に彼女は魔法の勉強を必死にし、アレンからも様々な事を教わった。そうしている内に魔法の事をもっと知りたいと思い、自由な研究が出来る魔術師協会に入る事に憧れるようになった。だが魔術師協会の魔術師になるのは難しい事であり、特に専門的な勉強をした訳でもなく、ずっと冒険者で戦いの中で魔術を学んでいったシェルは自分がそんな所に入れるのかと不安に思っていた。だがそんな不安を吹き飛ばすようにアレンは優しい笑みを浮かべる。
「良いんじゃないか?全然おこがましくなんかないさ。シェルリアは魔法の才能あるし氷魔法も得意だろ。絶対入れるって」
拒絶する事もなくアレンは励ますようにシェルにそう言った。人によっては簡単に言うと思うかも知れないが、少なくとも卑屈なシェルからすればアレンの言葉は何よりも暖かく、励みになる物だった。
「あ、有難うございます……」
だからか、自然と顔が赤くなってシェルは慌てて本で自分の目元まで顔を隠した。照れている所をアレンに見られたくなく、そのまま誤魔化すように顔を背ける。幸いアレンもその変化には気付いておらず、視線をシェルから逸らしていた。
「にしてもアレだな。シェルリアってちょっと長いな。戦闘の時とかに呼ぶのに時間が掛かったら困るし、せっかくだからあだ名とか考えないか?」
「え……?ああ、そうですね」
ふとアレンが思い出したように顔を上げてそう提案する。
確かにシェルリアという名前はすぐに呼びたい時に長く感じる。魔物との戦闘はほんの一秒もの油断も出来ない為、名前を呼ぶのに時間が掛かるのはデメリットと言えるだろう。現にギルド内でもあだ名や二つ名で呼び合っているパーティーも居るし、何らおかしな事はない。シェルも納得したように顔を頷かせた。そして少し考えるように顎に手を置いた後、本を退かしてアレンの方に顔を向ける。
「えっと……じゃぁ、シェルって呼んでもらえますか?」
単純ではあるが名前を少し削って前に残っているシェル、そう呼んでもらう事を彼女は望んだ。
これはシェルが本当にまだ小さかった頃、僅かにだけ記憶に残っている両親が自分を呼ぶ時のあだ名であった。シェルリアという名前は少々大人っぽい為、シェル自身もこちらの方が親しみを持ちやすい。しかし他人と距離を取っていた彼女は今まで誰からもこのあだ名を呼んでもらおうとはしなかった。あだ名で呼んでもらう事で距離が縮まるのが怖かったからだ。だが今は違う。アレンにはもっと自分の事を知ってもらいたいし、もっと彼の事を知りたいと思うようになっている。彼女にとってこんな気持ちは初めてであった。
「シェル……シェルか。うん、良い響きだな。じゃぁこれから宜しく頼むよ、シェル」
「はい、先生」
アレンも顎に手を当てて何度か口にした後、気に入ったように笑みを浮かべてそう言った。その表情を見るとシェルも自然と口元が綻んでしまい、また恥ずかしくなって口を本で隠した。
「じゃぁせっかくだからギルドの皆にもこう呼んでもらう様に……」
「あっ……それは、やめてください」
「えっ、何でだ?」
「えっと……その……恥ずかしいからです」
せっかくあだ名を考えたのだから他の人達にもそう呼んでもらおうと考えたアレンだが、急にシェルは困ったような表情をしながらそれを拒んだ。別に嫌がるような要素はないはずであり、アレンは不思議そうに首を傾げている。シェルは視線を下に向け、恥ずかしそうに頬を赤らめた。
(だって……先生にだけシェルって呼んで欲しいから……)
単なるわがままだ。子供が玩具を独り占めしたいと思うようなそんな軽い独占欲。けどアレンならそれに気づかないだろうし、気にしない。だからシェルはこの日この瞬間だけちょっとだけ意地悪になった。このあだ名だけはアレンと自分の間だけの物にしたいと願った。
この光景を、シェルはまるで走馬灯のように思い返していた。真っ暗な暗闇の中に立ち、そして何故か昔アレンと出会った時の事ばかりを思い返している。しかもその光景が周りに映し出されているのだ。
「これは……夢?」
言葉を発する事は出来た。しかし相変わらず見える景色は脳裏に思い浮かんでくる過去の記憶ばかりで、今がどういう状況なのかは分からない。まるで幻覚でも見ているようなその感覚は確かに夢と酷使していた。試しに少し歩いてみるが、景色は同じように映し出されるだけで出口らしき物は見当たらない。嫌でもシェルはその過去の記憶を見るしかなかった。そうして見ている内にシェルはある事を自覚し始める。
「そうだ……私は、先生の特別になりたくて……」
急に怖がるように頭に手を当て、肩を震わせる。思い出したくなかった事を思い出してしまったように、彼女の瞳にジワリと影が広がった。その姿はまるで子供のようで、普段の明るい彼女よりも昔の暗い性格に戻っているようであった。
シェルにとってアレンは父親のような存在であり、尊敬すべき先輩で、好意を抱く異性だ。故にシェル自身もアレンの特別な存在になりたいと願い、そう努力して来た。一時は離れ離れになってしまう事もあったが、今は再会して念願の関係に近づけている。それで幸せだと思っていた。そう思おうとしていた。
「違うッ……私は、リーシャちゃんとルナちゃんの事も大切に思ってる……!」
辺りは暗闇だと言うのに、蠢く影がシェルへと忍び寄って来た。それを無意識に払うようにシェルは手を振るい、声を荒げる。その事実を認めたくなくて拒絶するように、その行動は荒々しい。
「いいや、これは本当の君の感情だ。夢の中では嘘を吐く事は出来ない」
「ッ……」
どこからか声が聞こえて来た。それは妖精王の声であるが、シェルにその姿を認識する事は出来ない。意識も夢の中にある為、それが妖精王の声だという事すら認識出来なかった。しかしそれでも彼女にはその言葉が恐ろしい物だと感じ、同時に胸を抉られるような痛みがした。
「認めてしまいなよ。君の本当の思いを」
声は甘く、優しい口調であった。シェルもその言葉の言う通りにすれば救われるような気がして、思わずその場に膝を付く。幽鬼のようにダランと腕を垂らし、力なく彼女は顔を上げて銀色の髪の隙間から見える水色の瞳を濁らせる。
「私は……」
昔から分かっていたはずである。シェルリア・ガーディアンはアレン・ホルダーにとっての特別にはなれない。彼からすればシェルは数いる世話をしてきた後輩冒険者の一人に過ぎないのだ。
シェルがアレンに羨望の視線を向けている時も他にたくさんの新米冒険者が同じようにアレンの事を見ていた。自分がどれだけ頑張ってもアレンは同じように他の冒険者の事も褒めていた。
全員に平等。それはとても優しい事であるが、シェルにとっては辛く、耐え難い物であった。そしてようやく大人になり、大魔術師となってアレンと肩を並べられるようになった今でも、アレンの傍には別の誰かが居た。
「リーシャちゃんとルナちゃんに、嫉妬してる……」
アレンの娘達であるリーシャとルナ。彼女達は花のように可愛く美しい子供達で、そしてアレンにとって命より大切な宝物である。血は繋がっていなくともアレンは子供達の事を愛し、子供達もアレンの事を愛していた。シェルはそんな彼らの関係を見て、羨ましいと思ってしまったのだ。
シェルは弱々しくその場に崩れ落ちた。その綺麗な水色の瞳は今度こそ影に染まり、光は完全に失われた。
7月10日より「おっさん、勇者と魔王を拾う」第一巻が発売致します!
活動報告にてキャラデザやPOPを公開しておりますので、見て頂ければ幸いですー。




