50:世界の命運を
アレンにとってレウィアという少女は苦手な存在である。だが魔族だから苦手意識があるという訳では決してない。単純に相性が悪いのだ。
彼女は高い実力を持ちつつも何を考えているか分からないような性格をしており、本当にどんな行動に出るか予測する事が出来ない。アレンは基本相手の出方を見てから対策を立てたり攻略法を考えるスタイルの為、彼女のような存在は対処できないのだ。おまけにレウィアは敵なのか味方なのか判別が付き辛く、本人も曖昧な答え方をする。なまじ魔王候補という重要人物である為、必然と警戒心を持ってしまった。
「そう緊張しないでよ。別にこの前みたいに戦いに来た訳じゃないんだから……それに、おじさんと戦うと色々面倒そうだからね」
切り株に座り脚を組みながらレウィアは薄っすらと笑みを浮かべて安心させるようにアレンにそう声を掛ける。
レウィアとしてもアレンともう一度戦うのは望ましい事ではない。それはルナが悲しむからという理由もあるが、彼女は前回の戦いでアレンが中々の実力者である事を実感したのだ。決して卓越した実力を持っている訳ではないが、それでもアレンには手数の多さと鋭い洞察力がある。現にアレンは失敗には終わったが煉獄の剣を破り、レウィアの懐まで迫ったのだ。そんな行動を取れる男が次どんな事をして来るか分からない。故にレウィアも戦いは望んでいなかった。
アレンはレウィアも敵意がない事を知り、チラリとレウィアが装備している黒く禍々しい剣を見ると、僅かに警戒を緩めて力を抜くように息を吐いた。
「なら君は何をしに来たんだ?まさか気が変わってルナを連れ去りに来たとかじゃないだろうな?」
まずは要件を尋ねる。魔王候補という重要な立場である彼女が用もなく気軽に人間の大陸に来る訳がない。アレンが真っ先に最悪の予測を思い浮かべる。元々レウィアは魔王であるルナの事に関しては様子見に徹していたが、何らかの心境の変化でルナを連れ去りに来たか、あるいは始末しに来たか。だがこれは最も可能性がありそうだが、それならばわざわざアレンの前に現れる必要がない。案の定レウィアは首を左右に振って答える。
「そんな事はしないよ。私もルナには幸せで居て欲しいしね……それに、今日用があるのはおじさんの方だけだから」
「俺……?」
首を傾けながらそう言うレウィアを見てアレンも疑問を感じ、同様に首を傾げる。
聞きたい事はあるとか言っていたが、だからと言って要件の全てが自分だとは思わなかった。アレンは何を聞かれるのかと若干緊張しながらもレウィアがルナを狙っている訳ではないと知り、少し安心したように上げていた肩を落とした。しかしその安堵はすぐに覆される事となった。
「気付かなかったよ。まさかおじさんがあの吸血鬼の一族〈ホルダー〉に育てられてたなんて」
「……!」
レウィアからの思わぬ言葉を聞いてアレンは固まる。まさか彼女の口からホルダーの名が出て来るとは思わなかったのだ。
「まさか、婆さんの事を知ってるのか……?」
アレンは思わず一歩前に踏み出し、動揺した様子でレウィアにそう尋ねた。
彼にとってレド・ホルダーとは育ての母であり、同時に大切な存在であった。だがアレンはレドの事をよく知っている訳ではない。元々隠し事が多かった彼女の為、生前レドはあまり自分の昔の事を教えてくれなかったのだ。故にアレンはレウィアが何か知っているのかと思い、普段のアレンらしからぬ焦った様子で質問する。
「おじさんを育てた吸血鬼について深く知ってる訳じゃないよ。吸血鬼は色々厄介な一族でね、魔族の間でも結構有名なんだ」
そんなアレンの疑問に対してレウィアは静かに訂正した。
彼女が知っているのはあくまでも吸血鬼のホルダーであり、決してレド・ホルダー個人の事を知っている訳ではない。アレンはそれを聞いて少し残念そうに顔を俯かせ、額に手を当てて気持ちを落ち着かせた。
「そうか……」
「うん……おじさんは吸血鬼がどんな一族か知ってる?」
「いや、そこまで詳しくは……婆さんもあまり教えてくれなかったからな」
レウィアはアレンがどれだけ吸血鬼の事を知っているかを尋ねた。しかしアレンは首を左右に振り、詳しく知っている訳ではないと答えた。ここでもレドは吸血鬼という一族についてアレンに深く教えるような事はしなかったのだ。
「吸血鬼は他の種族よりも特に亜種族を見下してるんだ……自分達こそが最も高潔な一族だと信じてる。だから同じ魔族でも敵対する事もあるくらい」
両手を組み、少女らしからぬ重苦しい雰囲気を出しながらレウィアはそう説明した。
前回話をしていた時もそうだ。レウィアが魔族の世界の状況を説明していた時、彼女は今と同じように悲しそうな表情をしていた。同時に深い憎しみも感じ取れる。アレンはレウィアが本当に同族同士の血が流れるような争いが嫌いなのだと察した。
「そんな傲慢な性格の一族だけど、魔王の地位に興味がないのは幸いだったかな……彼らからしたらわざわざ魔族の王になるより、既に吸血鬼の血が流れている自分達の方が上だと思ってるんだろうね」
運が良かったと言うべきか吸血鬼達は魔王の玉座争いに興味を示しておらず、そもそも他の魔族達とも交流を持とうとはしなかった。それだけプライドが高い一族という事なのだろう。レドからも吸血鬼はプライドが高い石頭だという事だけは教わった為、その点はアレンも納得するように頷いた。だがまだ分からない事もある。
「それで……それが俺と何の関係がある?確かに俺は吸血鬼の婆さんに育てられたが、血は繋がってない。ただの育ての親だぞ」
「分かってるよ……私はただ確認がしたいだけ。本題はここからだよ」
吸血鬼がどういう存在なのかは分かった。しかしそれが分かった所でアレンに直接的な繋がりがある訳ではない。確かに吸血鬼のレドはアレンにとって母親のような存在だが、それはあくまでも育ての母なのだ。アレンからすれば吸血鬼のホルダーの話をされた所でピンと来る物はなかった。そうアレンは伝えるが、レウィアは本番はここからだと言って組んでいる脚を一度解き、別方向にまた組み直した。
「大昔、ホルダー家には一人の優秀な吸血鬼の子供が居た。一族を背負うにふさわしい才能と器を持ち、周りからも期待されている程の子だった」
そう言ってレウィアはある吸血鬼の話をし始める。一見関係なさそうな話だが、アレンはそれを黙って聞き続けた。
「その子供は周りの望み通り長にふさわしい力を持つ吸血鬼へと育ったが……一つ筋書き通りに行かない事があった」
ここまで聞けば普通に将来を期待されている吸血鬼が立派に育つだけの話に聞こえるが、レウィアは指を一本立て、アレンに忠告するように差すと不気味な声色で話を続けた。
「突然姿を消したの。ホルダー家の方針に反発し、その吸血鬼は一族との契りを絶った……噂では、人間の大陸に身を隠したとか……」
「…………」
レウィアの言葉を聞き、興味無さげだったアレンは僅かに眉を顰めた。
彼はずっと疑問に思っていた。レドは魔族なのに何故あの村に居たのか?本来なら暗黒大陸に居るはずの魔族が人間の大陸に居るなどよっぽどの理由がなければありえない。もしもレウィアが今言った話が本当だとすれば、それに当てはまる人物は一人しか居ないだろう。
「まさか……その吸血鬼が婆さん……レド・ホルダー、なのか?」
思わずアレンは声を震わせながらそう呟いた。レウィアも視線を合わせ、賛同するように顔を頷かせる。
「多分ね……まぁ吸血鬼の一族とは不干渉が続いているから、確かだとは言えないけど」
「よく調べれたな……そもそも何で俺の育ての親が吸血鬼だって分かったんだ?」
「まぁ……魔族にも優秀な人材が居るんだよ」
アレンが素直にレウィアの情報収集能力を評価すると、彼女は手を振って何て事ないように答えた。殺伐としてそうな魔王城だが、一応はきちんと仕事をしてくれる者も居るという事か。アレンは勝手にそう納得する。
「さて、私が確認したいのは一つ……レド・ホルダーの死因について」
ふとレウィアは先程吸血鬼の話をしていた時とは雰囲気が変わり、漆黒の瞳でアレンの事を見つめた。アレンはレウィアの問いかけを聞き、僅かに肩を揺らした。あまり思い出したくない過去が脳裏にチラついたのだ。
「…………」
「ホルダー家の吸血鬼であるレド・ホルダーが簡単に死ぬとは思えない。こちらの調べでは事故か何かで亡くなったとしか分からなかったけど……差支えがなければ教えてくれないかな?おじさん」
アレンはしばらく黙ったままだった。答え辛い質問である事は分かっているのか、レウィアも催促しようとはしない。ただ黙ってアレンが答えるのを待った。
アレンにとってあの時の記憶はトラウマそのものだ。彼にとって唯一の繋がりとも呼べたレドが死に、全てを憎むようになった。アレンは気持ちを落ち着かせるように深呼吸をすると、顔を上げて口を開いた。
「婆さんは……魔物の大軍にやられた。あの時は魔物の動きが活発化していたから、それを止める為に婆さんが出たんだ」
「そう……それは、ご愁傷様」
「もう何十年も前の事さ」
何とか絞り出しながらアレンはそう答え切った。レウィアも一応気を遣って頭を下げるが、アレンはそれを笑って流した。
実際辛い過去であったがもう大昔の事、あの時は子供だったから色々とあったが、今はもうきちんと割り切っている。アレンの中ではもう既に終わっている事の為、そこまで取り乱さずに済んだ。
(……ホルダー家の吸血鬼が、ただの魔物に……)
ふとレウィアは口元に手を当て、ある疑問を思い浮かべる。レウィアが知っている情報とアレンから教えてもらった情報を照らし合わし、僅かに首を傾けた。
(少なくとも一族の長として有望視されていた吸血鬼が数が多いとは言えただの魔物に遅れを取るとは思えない……それとも、何か訳があったのか?)
視線を下にずらし、しばらく表情を険しくしながらレウィアはそう考える。
そもそも長い時間を生きている吸血鬼は実力も桁違いに高い。ましてやレド・ホルダーは長として期待されていた程の人物。そんな彼女がたかが数が多いだけの魔物にやられるだろうか?もちろん何かしらの理由があって遅れを取ったのかも知れないが、アレンがそれに関しての事を言わないという事は本当に何もなかったのか、それとも……と思考を続けた所でレウィアは考えを一度打ち切った。それ以上考えた所で答えに辿り着く訳がないし、アレンが言わないのならそれはそれで良い。結果だけが知れただけでも十分だと彼女は判断した。
「分かった……教えてくれて有難う、おじさん。ごめんね、色々聞き出しちゃって」
「いや、別にこれくらい構わないさ。それに本当は君もルナの様子を見に来たんじゃないか?」
「…………」
満足げにレウィアはそう言って切り株から立ち上がり、アレンにそうお礼を言う。そしてさっさと去ろうとするが、アレンの指摘を聞いてピクリと肩を震わし、アレンの方に静かに視線を向けた。
「魔王様の為とか言ってるけど、君がただの主従関係以上にルナの事を大切にしているのは分かる。何せ戦った仲だからな」
「……やれやれ、だからおじさんは面倒臭いんだ」
アレンの指摘に対してレウィアは参ったと言うようにため息を吐いて髪を掻いた。
アレンも確信を得ていた訳ではない。相変わらずレウィアは予測の出来ない油断ならない相手ではあるが、彼女はわざわざ人間の大陸にまで侵入し、魔王であるルナを探していた。そして見つけた後も勇者であるリーシャが居る事を知りながらも、今のアレン達の関係を壊そうとはしなかった。彼女は魔王城を混乱に陥れたくないからと言っているが、それ以上のその姿勢はルナを守ろうとしているようにアレンの目には映ったのだ。だがレウィアはそれを簡単に肯定しようとはしなかった。
「私はただ混乱を防ぎたいだけだよ。争うのはもうたくさんだからね……その上で今の魔王様が勇者との争いを望まないのは私にとっても好都合……ただそれだけだよ」
「へぇ、そうかい」
髪を掻き分けながらレウィアはそう答える。その答えはもっともらしい物であったが、アレンはどこか教科書通り過ぎるような感覚を感じた。まぁ本人がそう言うなればそれで良い。どっちにしろレウィアの行動がそれで変わる訳ではないのだから。
「まぁとにかく……ルナの事は頼んだよ、おじさん。存外世界の命運はおじさんが握ってるんだから」
「おおい、怖い事を言うなよ」
アレンは冗談のように怖がっているが、レウィアは実際これを本気で言っていた。
勇者と魔王とは当然だが特別な存在である。かつての勇者と魔王はその激しい戦いから一つの大陸を消滅させた程。それくらい両者はとても一個人が所有してはならない力を持っているのだ。そんな存在をましてや二人も、子供の頃からアレンは育てている。本来なら戦い合う運命にある二人を。そしてもしリーシャとルナがアレンではない人物に拾われていれば、今頃世界は勇者と魔王を筆頭に人間と魔族の激しい戦争が起こっていただろう。それぐらい二人の存在は多くに者達の心を動かすものなのである。故にレウィアはただ黙って祈るしかなかった。この平和が誰にも邪魔されず続いてくれる事を。
「ああそうだ。それと最後にちょっと忠告……」
「ん?」
今度こそ帰ろうとレウィアが木々の隙間にある影に入ろうとした所で、思い出したように彼女は振り返り、黒髪を揺らしながらアレンの方を向いて指を指した。
「魔王とは本来支配欲が強く、闇を統べる存在……幸いおじさんの教育が良いからか今のルナは良い子だけど、いずれあの子も闇に飲まれる時が来るかも知れない……」
「……それは……どういう意味だ?」
突然のレウィアの説明にアレンは嫌な予感を感じ、思わずそう尋ねた。
本来魔王とは邪悪な存在であり、ルナのような大人しい性格の魔王など存在するはずがない。ルナは人間であり魔族にも理解があるアレンに拾われたからこう育っただけで、本来なら異質な存在なのだ。そしてレウィアはそんな優しいルナもその内消えてしまうかも知れないという恐ろしい未来を口にした。これには流石のアレンも不安に思う程であった。
「注意しておけってこと……私がさっき言ったおじさんが世界の命運を握ってるってのは、大袈裟でも何でもないからね?」
最後にどういう意図でかは分からないがレウィアは静かに笑みを浮かべてアレンにそう言い、木々の影の中へと溶け込んで行った。そのままレウィアは完全に消えてしまい、気配すら感じ取れなくなる。
アレンはただその場に突っ立ったまま、ふと自分の広げた武骨な手の平を見つめた。ただのおっさんの自分には重すぎる程の責任。彼は別に世界を守りたいからとかそんな大層な理由でリーシャとルナを育てている訳ではない。ただ二人が争い合うような悲しい未来だけは見たくないという、親としてのちょっとした意地で育てているに過ぎない。だがその意地では通じない日がいずれ来るかも知れない。そんな未来を薄々と感じ取りながらアレンは手を握り絞め、小さく息を吐くと村に戻る為に歩き出した。




