49:再び来る魔族
ある天気の良い日の事、リーシャとルナは外に遊びに出かけていた。ルナは本当は家で本を読んでいたかったが、リーシャが無理やり引っ張りだして来たのだ。そしていつものごとくダイとシファの二人と合流し、一行は原っぱへと向かう事になった。
子供達が遊んでいる原っぱに到着した四人はいつもの定位置の場所に座る。ルナは花を眺めたり、シファはダイをからかったりとそれぞれ過ごし、ふとシファが思い出したようにリーシャとルナの方に顔を向け、口を開いた。
「それで、アレンおじ様の件は結局どうなったの?リーシャ、ルナ」
シファがそう尋ねると、呆然と空を見上げていたリーシャが我に返ったように顔をシファの方に向け、ああと小さく声を漏らした。その横ではルナもシファの方に顔を向ける。ダイも剣の師匠であるアレンの過去については気になっていた為、自然とリーシャ達の方に視線を向けた。
「あー、えっとね。一応色々分かったよ」
「えっ、そうなの?なら私達にも教えなさいよ」
ある程度進展はあっただろうと予測していたシファだが、リーシャの答え方からしてかなり深く知っている様子だった為、詰め寄ってそう要求する。しかしリーシャは視線を逸らして知らん顔するように指を口元に当てると。
「え~、どうしよっかな~?」
「あ、あんたね~……!」
シファの事を弄ぶようなリーシャの態度にシファはピクピクと頬を引き攣らせ、怒りを露わとする。しかし普段は弄ぶ側であるシファのそんな風な様子が面白いのか、リーシャは必死に笑うのをこらえながら視線を逸らしていた。
やがてシファが離れるとリーシャも満足したように息を吐き、アレンの事について説明を始める事にした。
忌み子であった事は伏せ、アレンが魔族の吸血鬼に育てられた事、どのように過ごしていたなどを簡潔に纏めて伝える。話を聞いている間、ダイとシファは目を見開き、呆気に取られたように口を開けていた。
「へ~、師匠が魔族に育てられてたなんて……何と言うか、意外だなぁ」
リーシャの話を聞き終わった後、ダイはどこか気が抜けたように息を吐きながらそう感想を言った。
自分が予想していたような過去とは全然違った為、少々付いていけてないのだろう。現に隣のシファもぽかーんとした間抜けな表情を浮かべており、そこに普段の気の強い彼女の姿はなかった。
「まぁ納得と言えば納得ね。どうしてアレンおじ様があんな色々な種類の魔法を覚えてるのかずっと謎だったけど、まさか何千年も生きると言われた吸血鬼に教わってたなんて……羨ましい」
最初の数秒は驚きと戸惑いで呆然としていたシファだが、三人の視線に気が付くと慌てていつもの表情に戻り、納得したように頷きながらそう答えた。シファからすればアレンが魔族に育てられていたという事よりもたくさんの魔術を教えてもらった事の方が気になるらしい。彼女は羨ましそうに瞳を輝かせていた。
「二人は怖くないの?お父さんの育ての親が魔族って事には……」
ふとリーシャの後ろにずっと座っていたルナがひょこっと顔を出し、二人にそう尋ねた。やはり魔王のルナとしては周りの魔族の認識が気になるのだ。ダイとシファは一瞬顔を見合わせ、特に迷いもせず答えた。
「そりゃ魔族が怖くないって言ったら嘘になるけど、それでもアレンおじ様を育てた方なら優しい性格だったんでしょ?なら別に怖くないわ」
「僕達が魔族に苦手意識を持つように、向こうだって僕達みたいな亜種族には苦手意識を持ってるだろうしね。にも関わらず種族の違いを気にせず師匠を育てようとしたのは凄い事だよ」
魔族に対して恐怖があるのは覆せない事実である。その事を二人は否定しなかった。だがそれでも全ての魔族を拒絶するような事はせず、あくまでも魔族でありながらアレンを育てたレド・ホルダーには理解を示していた。それだけでもルナにとっては嬉しい事であった。
「そっか……良かった」
ポソリとそう呟き、ルナはほっと胸を撫でおろした。
魔族の認識は恐怖の対象として変わらないものの、それでも二人がレド・ホルダーの事を拒絶しなかった事には嬉しかったのだ。その事にリーシャも気づいたのか、自然とルナの肩にポンと手を乗せていた。
「でももうそのレドさんって方は亡くなってるのよね?」
「うん、魔物退治に出て戻って来なかったって村長からは聞いた」
「そう……残念ね。生きていたら是非とも魔法を習いたかったのに」
確認を込めてシファがそう尋ね、リーシャは村長から言われた通りの事を答えた。するとシファは本当に残念そうに指を鳴らし、魔法を習いたかったと本音を零した。
エルフの彼女は魔法の知識について貪欲であり、大魔術師のシェルにも教えを乞うている。そんな彼女からしたら長生きする吸血鬼の知識など黄金よりも価値のある物となるだろう。故に彼女は本気で残念がり、やつあたりなのかダイの脇腹を抓っていた。
それから四人はアレンの過去に事について色々話し合ったり、普通に遊んだりして過ごした。そして時間も良い頃合いになって来たので解散する事になり、リーシャとルナは二人と別れた後帰りの道を並んで歩いていた。
「ねぇルナ」
「ん……なぁに?リーシャ」
ふと空にある雲を眺めながら歩いていたリーシャは顔を上に向けたままルナに話しかけた。ルナは若干顔を下に向けながらリーシャの方へと視線を向ける。
「良かったね。ダイとシファが優しくて」
「うん……そうだね」
ニパッと屈託ない笑みを浮かべてリーシャがそう言う。
ルナが魔王である事を打ち明ける事は決して出来ない。いつまでも隠し通せる事ではないかも知れないが、それでもおいそれと他人に教えてはならない事だ。その重要性はリーシャとルナも子供ながら理解していた。だからこそ、今回ダイとシファが魔族のレドの事を受け入れてくれたのはルナにとって救いであった。例えそれが自分だけが勝手に思ってる事だったとしても、ルナの中にある僅かな暗闇に光が灯った。
◇
家でアレンはある準備をしていた。動きやすい恰好になり、倉庫から取り出して来た槍の手入れを黙々と行う。久々に取り出した武器である為、不備がないかを確認しているのだ。その様子をシェルは庭から運んで来た洗濯物を畳みながら眺めていた。
「先生、お出かけですか?」
アレンの様子から見て今から何処かへ行こうとしている様に見えた為、シェルはそう尋ねた。するとアレンは槍の手入れの手を一度止め、シェルの方に顔を向ける。
「ああ、ちょっと森の方にな。また魔物が出たらしいんだ」
例のごとく村長からの話でアレンは魔物の対処を頼まれていた。しかも今回の魔物は既に森で暴れているらしく、結構な厄介もののようだ。この情報を聞いたアレンは今までのように剣一本だけでは厳しいかも知れないと判断し、久々の槍を取り出す事にしたのだ。と言っても槍も大分使っていない時期が多かった為、錆付いている部分がある。アレンはそれを見て顔を顰めながら手入れを続けた。
「気を付けてくださいね。何なら私も一緒に……」
「いや、大丈夫だ。そろそろリーシャ達も帰ってくるだろうし、シェルは二人の世話を頼むよ」
「そうですか。分かりました」
シェルは心配に思ってそう進言するが、アレンは笑って首を振りそれを遠慮した。
魔物が出たと言ってもわざわざ大魔術師のシェルの手を煩わせるまでもないし、そもそもシェルはお客様としてこの家に居てもらっているのだ。シェルには家事まで手伝ってもらっている為、この後に及んで魔物退治までしてもらうなど恐れ多い。故にアレンは柔らかく断った。
槍の手入れを終え、幾つかの道具とリーシャとルナ用に作って余ったお菓子を袋に入れるとアレンはそれを持ち、槍と剣を装備するとおもむろに立ち上がった。
「それじゃ、行って来るよ」
「いってらっしゃい、先生」
玄関に向かってアレンはそう言い、シェルも笑って送り出す。
それからアレンは真っすぐ森へ向かい、目撃情報があった場所まで移動した。そこに残されている形跡などを確認し、アレンは辺りを警戒しながら腰を下ろす。
足跡のような物は残っておらず、地面にはボタン一個くらいの小さなくぼみがあるだけ。木々の近くには粘液のような妙な液体が零れており、アレンはそれらを観察した目を細めた。
(この痕跡からして昆虫型の魔物か……というかこれ……)
近くに落ちていた枝でその粘液を突き、アレンはある事に気が付く。この液体は昆虫型の魔物が零す物であり、時間が経てば経つ程粘り気がなくなるものだ。だが今アレンが突いてみた限り、粘り気は十分な程は残っていた。これが意味する事はつまり。
「まだ……近くに居る?」
アレンがそう呟いた瞬間、背後からカサッと何かが掠れるような音が聞こえた。その瞬間アレンは反射的に前方へと転がった。自分の背中に何かが引っ掛かり、ビリッという音と共にアレンが身に着けていた袋が地面に転がった。慌ててアレンはその場から距離を取り、顔を上げる。
「ギギギ……ッ!!」
そこには巨大な蜘蛛が木々の間に糸を張り、空中からアレンを複数の目で睨んでいた。長い八本の脚がかぎ爪の如く鋭く光、アレンの事を狙っている。
アレンは後一瞬遅かったら切られていたのは袋どころではなく、自分の身体であっただろうと冷や汗を掻いた。
「いきなりか……まぁ良いけどさ」
すぐさまアレンは槍を取り出し、長さを利用して距離を取ったまま巨大蜘蛛に突き付ける。しかし意外にも蜘蛛の方も俊敏に動き、八本の脚は小刻みに動かしながら木々の合間を掻い潜り、アレンの攻撃を避けた。
「うおっ、結構すばしっこいな……!」
「ギギギィッ!」
蜘蛛はアレンの事を嘲笑うかのように気味の悪い声を漏らし、木々の間を跳んでアレンへと攻撃を仕掛ける。剣のように鋭く伸びた八本の脚がアレンを貫こうと襲い掛かった。アレンはそれを地面に伏せる事でやり過ごすが、蜘蛛はそのままアレンの上へと飛び乗り、逃げられないように周りに脚を広げて固定する。
「ぐっ……!?」
「ギギァァァアアア!!」
牙を剥き出し、蜘蛛はアレンを食い千切ろうと姿勢を低くして顔を近づける。アレンは必死に槍を盾代わりにしてそれを防ぐが、体勢的に完全に自分の方が不利な為、厳しい状況が続く。歯ぎしりをしながら額から汗を垂らした。
「くっ……荒ぶる炎よ、敵を灰にせよ!」
アレンは魔法を詠唱し、炎で蜘蛛を覆う。すぐさま蜘蛛はアレンから離れ、炎から逃れようと脱出を試みるが、そのままアレンは起き上がると炎の中から槍を突き付け、蜘蛛の腹に突き刺した。
「ギァアアァァァアアアッ!!?」
「おおおお、らぁッ!!」
蜘蛛は悲鳴を上げて木々に飛び乗って逃げようとする。しかしアレンは槍を振り下ろし、そのまま蜘蛛を地面へと叩きつけた。炎を浴びた状態のまま蜘蛛は動けなくなり、そのままビクビクと痙攣してその場から動かなくなる。
それを見てアレンは念の為引き抜いた槍で蜘蛛を突きながら絶命したのを確認し、槍を戻し辺りに飛び散った炎を消すとその場に座り込んだ。
「ふー……疲れた……歳の癖に激しく動き過ぎたな……」
肩に手をやって腕を回しながらアレンは呼吸を整えてそう呟く。
いくら特訓をしたり最近調子が良いと言ってもアレンももう良い歳だ。限界というものは必ずある。アレンはやれやれと首を振り、腰を摩りながら小さくため息を吐いた。そして飛んで行った袋を回収しようと起き上がった。
「ん……?」
ふとアレンは首を傾げる。何故なら辺りを確認しても蜘蛛に切り離された袋が見当たらないからだ。その事におかしいと思っていると、アレンは少し離れた所に切り株に誰かが座っている事に気が付いた。気配など全くなく、アレンはそれを認識して驚いたように硬直した。
「久しぶり……おじさん」
「……レウィア?」
そこには切り株に座りながらアレンの持ち物のはずの袋を広げ、中に入っていたお菓子を口にしている魔族のレウィアの姿があった。真っ黒な長い髪に同じく漆黒の瞳をし、陶器のようになめらかな肌に美しい容姿をしつつもどこか儚げな雰囲気を醸し出す少女。服装も喪服のような真っ黒なドレスの為、一層それに拍車をかけている。
「美味しいね。これ」
彼女は魔族である。それはアレンが初めて会った時に自分から自己紹介したくらいで、本人は魔王候補という重要な地位に付いている存在でもある。そんな彼女が人間の大陸の辺境の森で何でもないかのように切り株に座り、アレンが用意したお菓子を食べている。実に不可思議な状況であった。
「な、何で君がここに……?」
流石のアレンも驚きが隠せず、動揺したように声を震わせながら何とかそう尋ねた。
レウィアは中立的な魔族である。ルナの事を魔王だと知りつつもそれを自分の国に教えるような事はせず、魔王という地位にも興味がない為ルナに敵意を向けるような事もなかった。だがルナが混乱を招く存在である事は理解している為、敢えて味方をするような事もせず、無干渉に徹しているのだ。そんな微妙な立場の者が現れたという事にアレンは何事かと動揺しているのだ。
「うん……あれから色々調べてね。ちょっとおじさんに聞きたい事が出来たんだ」
全部のお菓子を食べ終え、手に付いていた欠片をレウィアは舌でペロリと舐めるとそう答える。そして袋をアレンに投げ返し、おもむろに切り株から立ち上がった。彼女の漆黒の瞳は変わらず光はなく、ただ純粋にアレンの事を見つめている。そんな彼女の瞳はまるで心を見透かしているようで、アレンは僅かに一歩後ろに下がった。そしてレウィアは自分の黒髪を指で弄ると、遂に本題へと入る。
「少し、お話良い?」
ニコリと微笑んでレウィアは可愛らしくそう尋ねる。しかしアレンは彼女の笑みを見ても全然暖かみを感じず、むしろ寒気を覚える程であった。自分よりも小さく、年齢も下のはずの少女。しかし彼女には確かにアレンを上回る実力を持っている。アレンをそれを肌からピリピリと感じ取っていた。そして彼はただ黙って頷き、レウィアの申し出を受け入れるしかなかった。




