48:ルナの苦難
ルナの朝は微睡の中から始まる。意識が浮上し始めてもまだきちんと目覚めた訳ではなく、頭の中がふわふわした状態が続く。
窓に掛かっているカーテンの隙間から日差しが入り込むと、彼女はそれをうっとおしそうに思いながら身体を起こし、猫のように手足を伸ばした。
「んんぅ……ふわぁ……」
大きく欠伸をし、寝癖の酷い彼女は髪を掻きながら辺りを確認する。隣のベッドにリーシャは居ない。恐らく朝の訓練をアレンとしているのであろう。日課だから別にそれを気にする事はない。むしろ日が昇る前から起きれるリーシャを羨ましく思っていた。それから彼女はベッドから床に下り、自分の包帯が巻かれている手の甲をおもむろに見つめた。
「……またコレか」
ルナは頭を振って不機嫌そうなそうな表情をしながら手を握り絞める。
頭が重い。特に身体の中に巡っている魔力の動きが悪い。寝起きのせいだからか分からないが、ルナは時々こうやって魔力の乱れを感じる事があった。まるで水面が波打つかのような不安定な状態。こうなると魔法が上手く使えなくなり、おまけに身体もだるいという最悪な状態が重なる。ルナは小さくため息を吐き、壁に手を付けて自分の身体を支えた。
(何で朝だと調子が悪いんだろ……少し前まではこんな事なかったのに……)
ルナはどうして自分がこんな状態になってしまったのだろうかと顔を俯かせて考える。
昔はこんな状態にはならなかった。寝起きが悪いのは元々で体調が悪い事もあったが、それでもここまで酷い状態ではなかったし、魔力の調子が悪いという事もなかった。だがそれがある日突然こんな風になってしまったのだ。確か、シェルが村に住むようになってくらいからのはずだったが。
(何というか……渇いてる?……まるで魔力が何かを求めてるみたい……)
自分の胸元に手を当てながらルナは感じた事をそのまま心の中で思う。
感覚的に言っているだけなので断定出来ないが、ルナは自分の魔力が渇いているように感じた。魔力が渇くという表現がどういう意味なのかはルナ自身も分かっていないが、何となく何かを求めているようなそんな渇望感に近い物を感じたのだ。だが、だとすれば一体何を求めているのか?それが分からない。しばらく悩んでみるが、結局考えても分からない為、ルナは顔を洗いに洗面所へと向かった。
顔を洗い、髪を整えた後ルナはリビングへと向かう。そこでは既にシェルの姿があり、彼女は真っ白なケープのような私服で朝ごはんの支度をしていた。そんなシェルにルナは声を掛ける。
「おはよう、シェルさん」
「ああ、起きたのルナちゃん。おはよう、朝ごはん出来てるよ」
今ではすっかりルナもシェルに心を許し、ちょっと年上の姉と接するかのように仲が良くなっていた。シェルからは魔法も習っている為、その分ルナも彼女の事を信用しているのだ。
シェルはルナに挨拶をすると朝ごはんも用意出来ていると言って視線でテーブルの方に誘導した。そこには既にパンと暖かいスープ、そして畑から取って来たばかりの野菜のサラダが置かれており、食欲のそそる匂いを放っていた。思わずルナもお腹から可愛らしい音を出してしまう。
「……っ」
「ふふ、ルナちゃんもまだまだ子供ね」
「い、今のは不可抵抗力だから……っ」
「はいはい、ゆっくり食べてね」
ルナのお腹の音を聞いてシェルはからかうように笑みを浮かべる。ルナは必死に言い訳をするが、何を言った所で無意味だという事を悟り、恥ずかしそうに顔を赤くした。
このように今では引っ込み思案な所があるルナでもシェルとこれくらいの会話が出来るようになっており、喋り方も幾分か柔らかい口調へと変わっていた。その様子はちょっと歳の離れた姉妹と言っても差し支えないだろう。
ルナは席に座り、いただきますと言ってからシェルが作ってくれた料理を食べ始める。シェルの料理はアレンの料理の味と似ている為、ルナの好みであった。自分もいつかこれくらい上手に作れるようになりたいなと思いながらルナは一口一口よく噛みながら食べ続ける。
「ごちそうさま。おいしかった」
「そう、お粗末様。魔王様のお口にあったなら何より」
あっという間に料理を食べ終えたルナは両手をパンと合わせてそう言う。シェルは満足そうに頷きながら冗談を言い、ルナもそれに対して不満そうに頬を膨らませながらも笑みを浮かべていた。それから食べ終えた料理のお皿を運ぶ手伝いをし、ルナはシェルと一緒に後片付けをする。
「お父さんとリーシャはまだ朝の特訓中?」
「うん。結構時間経ったから、そろそろ帰ってくるんじゃないかな?」
ふとお皿を運びながらルナはアレン達がまだ特訓中かどうかを尋ねる。シェルもお皿を洗いながらそれに答え、窓から見える外の様子を見ながらそろそろ帰ってくるだろうと答えた。それを聞いてルナも背伸びをし、窓から外の様子を見る。
シェルの予想通り、窓の外では家に向かってきているアレンとリーシャの姿があった。いつものごとくリーシャは動き回ったから服のあちこちを汚し、せっかくの綺麗な肌も土だらけになっている。ルナはそれを見て思わずため息を吐いた。
「ただいまー!」
「ただいま。お、ルナも起きたのか」
扉を開けて勢いよくリーシャが家の中に入ってくる。若干遅れて首にタオルを巻いているアレンも入り、ルナの姿を見てそう声を掛ける。ルナもそれを聞いておはようと言い、それからジト目でリーシャの事を見ると彼女の元に駆け寄った。
「リーシャ、何でまたそんなに服汚してるの……膝も擦りむいてるじゃん……」
「えへへー、今日こそ父さんに勝とうと張り切ったら転びまくちゃってさぁ」
「はしゃいでる時のクロみたいに転がってたもんな……一瞬何の技なのかって焦ったわ」
どうやらリーシャはアレンとの剣の試合で今日こそはと意気込んだ結果、足がもつれて何度も転んでしまったらしい。流石のアレンもその時の光景はかなり異様に見えたらしく、呆れを通り越してリーシャのそこまでして自分を倒そうとする姿勢に焦りを覚えたらしい。だがそんな事を聞かされた所でルナが納得出来る訳がなく、変わらずリーシャの事をジト目で見つめていた。
「もう……治癒魔法使うからそこ座って」
「んー」
やれやれと言った感じにルナは首を振り、近くの椅子にリーシャを座らせる。そして自分は身体を屈ませて目線をリーシャの膝に合わせると、そっと手を当てて治癒魔法を唱え始めた。淡い光にリーシャの脚は包まれ、擦りむいていた膝の傷が治癒されていく。やがて完全に治ると、ルナはふぅと息を吐いて手を下ろした。
「はい終わり」
「おー、流石ルナ。ありがとー」
あっという間に治して見せたルナにリーシャは確認するように手や足を振りながらお礼を言う。それを聞いてルナも少し照れたように表情を和らげた。
最早これも日常の一部。特訓で怪我をして帰って来たリーシャをルナが治癒魔法で治すのがお決まりとなっていた。元々ルナは怪我ばかりするリーシャを心配に思い、治癒魔法を習得した。そのおかげでリーシャは傷一つなく日々を過ごせているのだが、ルナとしてはもう少し傷が出来ないよう控えて行動して欲しいというのが本音だった。その気持ちに気づかないリーシャは変わらず毎日アレンに挑んでいる。
「ありがとうじゃなくて、あまり怪我するような無理はしないでよ。リーシャ」
「分かってるってー。次は気を付けるから」
「前もそう言ってたじゃん……」
一応ルナは注意を促すが、リーシャはそれに答えているものの笑ってばかりでちっとも改める気はない。実際リーシャは注意を言われる度にそう返事をしているので、最早これもお決まりとなってしまっているのだろう。ルナとしては本当に無理だけはして欲しくないのだが、リーシャの感覚だと怪我をするくらいでは無理とは言わないらしい。ルナは困ったように肩を落とした。
「もう、リーシャは……」
「そう心配するな、ルナ。リーシャもきちんと分かってるさ」
「お父さん……」
鼻歌を歌いながら歩き去ってしまったリーシャを見ながらルナがそう呟くと、隣にアレンがやって来てルナの肩をぽんと叩きながらそう励ました。ルナは顔を上げ、アレンの事を見つめる。
「シェルさーん、おやつちょうだーい」
「……だと良いけど」
「へ、平気さ。多分」
ルナもそうあって欲しいと願ってリーシャの事を見るが、彼女はシェルの所に寄っておやつをねだっていた。訓練の後すぐにおやつが欲しいと言うリーシャの子供らし過ぎる姿を見てアレンも先程自分が言った言葉に若干自信が持てなくなる。リーシャは妙な所で鋭かったりする子なのだが基本は明るく無邪気な子供である為、普段のリーシャだけを見ていると危ない事も平気でしそうな気がしてしまう。アレンは乾いた笑い零しながら頬を掻いた。
「そうだお父さん! 今日の約束覚えてるよね?」
「ん?……ああ、今日は久々に魔法を見てやる約束だったな。もちろん覚えてるよ」
ふとルナは思い出したようにアレンの方を振り返り、そう尋ねる。アレンは少し考えるように髭を弄ると、思い出したようにルナの方を見てそう答えた。
最近はルナはシェルに魔法を習っているが、それでも様々な属性魔法を覚えているアレンからはまだ学べる事がある。なので時々アレンに魔法を見てもらう事にしているのだ。今日はその日であり、ルナはしっかりと覚えていた。
「それじゃ昼になったらやろうか。それまではシェルのお手伝いとかしてちゃんと良い子にしてなさい」
「はーい、分かった」
アレンにそう言われ、ルナも元気よく返事をする。
それから彼女は言われた通りシェルのお手伝いとして洗濯を一緒にしたり、掃除を一緒にしたりと家事を手伝った。シェルもすっかりとこの家に馴染んでおり、家事の一つ一つもしっかり覚えていた。ルナは最初の頃自分が教えていたのを懐かしいと感じた。
途中リーシャと遊んだりもして過ごし、あっという間に約束の昼になった。お昼ご飯を食べた後にアレンとルナは森の中へと移動する。今のルナの実力だと村で魔法の練習をするより森の中でした方が勝手が良いのだ。
「よし、じゃぁルナ。魔法を見せてくれ」
「うん……行くよ」
森の中で丁度開けた場所があったので向かい合う形になりながらアレンとルナは魔法の特訓を始める。ルナは早速意識を集中させ、手の平を前に突き出し、魔力を手の先に収束させた。すると氷の結晶と共に辺りが冷気に包まれ、鋭い音と共にルナの目の前に地面から巨大な氷の刃が突き出した。
「おおー、凄いじゃないかルナ! もうこんな上級の氷魔法が使えるのか」
「シェルさんにたくさん教えてもらったから……」
現れた氷の刃を見てアレンは目を見開いて驚き、近くによってちょんちょんと氷の刃に触れながらそう感心した。
今ルナがやって見せたのはシェルから教わった氷魔法の攻撃型。それも上級魔法であり、習得するには長い時間が必要とされる高難易度な魔法であった。それをルナはたった数日やり方を学んだだけで出来るようになったのだ。アレンは改めてルナの魔法の才能に感心し、彼女の事を褒める。ルナは照れたように頬を赤らめた。
「実際氷魔法は便利だし色々と応用が利くからな。覚えておいて損はないし、ルナにも合ってると思うぞ」
「うん……私もそう思う」
氷の刃を観察しながらアレンはそうアドバイスをする。するとルナもどこか嬉しそうに後ろに手を回して頷いていた。
ルナがシェルから氷魔法を習っているのは何も強さを求めているからではない。闇魔法以外の、魔族を連想させないような普通の魔法を覚えたかったのだ。ルナは自分の闇魔法がどれだけ強力なのかを知っている。自分がその気になれば大地に大穴を開ける事すら出来る事も薄々と気付いていた。だからルナは他の魔法も覚えて、自分の本当の力を使わなくても済むようにしようとしたのだ。幸いルナには氷属性の魔法の才能があった。その事に彼女は心から感謝した。
それからもルナは他の氷魔法も幾つか見てもらい、アレンは詠唱の修正箇所などを伝えるとそれで訓練は終了した。魔法を極めていないアレンではシェルのような専門的な教え方は出来ない為、少しでも魔力を節約する方法は詠唱の省略の仕方くらいしか教えられなかった。だがそれだけもルナにはアレンと触れ合っていられるだけで幸せであり、十分ためになる物であった。
「ねぇお父さん……レドお婆ちゃんの事についてちょっと聞いても良い?」
「んー?おお、もちろん良いぞ。好きなだけ聞け」
訓練が終わった後、ちょっと休憩という事でアレン達は切り株の上に腰を下ろしていた。ルナの元には途中で合流したクロがやって来ており、足元で転がりながらルナに撫でてもらっていた。するとルナがおもむろにアレンの方に顔を向け、そんな質問をした。アレンは別に断る理由がない為、快くそれを受け入れる。
「その……レドお婆ちゃんは私と同じ魔族でしょ?それで何か聞いたりしなかった?一時的に魔力の調子がおかしくなるとか、体調が悪くなるみたいなこと……」
ルナが気になっている事、それは今朝もあった魔力の妙な乱れである。単なる病気とも思えない為、ひょっとしたら魔族特有の現象なのではないかと思ったルナは魔族のレドもそういう状態があったかも知れないと考え、アレンに何か覚えていないかと尋ねたのだ。
「魔力の調子?……あー、確かに魔物の毒とかで魔力が正常に流れなくなるっていう状態はあるが、婆さんにそんな様子はなかったがなぁ」
アレンは少し考えるように髭を弄った後、思い出すように頭を捻りながらそう答えた。
魔力の流れに乱れが出るという症状はある。だがそれは毒と言った外的要因であり、普通に暮らしていて魔力の調子が悪くなるという事は聞いた事がない。故にアレンの口からルナが求めているような答えが出てくる事はなかった。
「そっか……」
「ああ。ところで何でそんな事気になるんだ?どっか調子が悪いのか?」
「う、ううん! ちょっと気になっただけ……何でもないから」
ルナの様子を見てアレンがそう尋ねると、ルナは慌てて首を横に振って否定した。
何となく、ルナはこの事をアレンに知られたくなかった。本能的にこの魔力の渇きはアレンに知られてはならないと感じたのだ。実際調子が悪いのは朝だけの為、日常に支障が出る事もない。ただもしももっと酷くなった時はリーシャに相談した方が良いかとルナは判断した。
「よし、と。それじゃ家に戻るか。ルナも魔法の練習怠らないよう、頑張るんだぞ」
「うん、今日は付き合ってくれて有難う。お父さん」
休憩が終わった後、そう言ってアレンは切り株から立ち上がる。ルナも転がっているクロを立たせながらお礼を言い、立ち上がった。そして二人は一緒に家へと戻る。先程まで二人が居た場所では、ルナが発動した氷の刃に僅かにヒビが入っていた。




