44:村を襲った歪み
ある日の事、アレン、ダン、シェーファの一行は村の原っぱへと訪れていた。そこは子供達がよく遊び場として活用する場所で、村の子供達も既に何人か遊んでいた。数名がアレンが現れた事に少し怯えた表情をしていたが、ダンが前に出るとすぐにその子供達は視線を外して遊びに戻った。どうやら忌み子のアレンより破天荒なダンの方が怖いらしい。
今日はシェーファから魔法の事を教えてもらう事になっていた。と言ってもシェーファが勝手に教えてやると言っているだけであり、アレンは一度も教えて欲しいなど口にした事はない。だが彼女はごねると色々と面倒な為、アレンは仕方なくそれを受ける事にした。何故か魔法の事は一切分からないし使えないダンも交えて。
丁度良い感じの樹木の下に三人は集まり、そこに座って授業を始める。シェーファはご丁寧に魔法に関する本も持ってきており、それを開いて説明を始めた。しかしアレンは既にレドから教えてもらっている箇所であり、ダンに至っては何を言っているかちんぷんかんな為、しばらくは暇な時間が続いた。
「だから、魔法って言うのは想像力が大切なのよ。どれだけその魔法を頭の中で再現出来るかが重要なの」
ふんと鼻を鳴らしながらシェーファは自信満々にそう言う。ただアレンからすればそんな事はとっくに知っている為、顔を頷かせたりして相槌を打つ事しか出来なかった。
「へー、そんなの簡単じゃんか。俺に魔力があればすぐ出来るぜ。そんなの」
暇そうに話を聞いていたダンはシェーファの説明にそれなら自分も出来そうだと思い、ドンと胸を叩きながらそう言った。
確かに想像するだけなら簡単そうにも思える。アレンも最初はそう思っていたくらいだ。だが実際に手の平に現れた炎を頭の中のイメージと同じにするのはかなりの至難の業であった。
「あのね、ただ想像するだけとは違うのよ。炎なら揺らめきの一連の動きを、氷なら結晶の一つ一つを。そうやって全てを詳細に想像しないといけないの。間違ってもあんたみたいな頭空っぽの奴が簡単に出来る訳ないでしょ!」
「お、おう、そうなのか……悪かった」
ダンの軽い発言が気に入らなかったらしく、シェーファは彼の胸に指を突き付けながら怒気を含んだ声でそう説明した。その気迫にダンも押され、思わず謝ってしまう。綺麗な容姿をしているシェーファだが、彼女は怒らせると怖いのだ。
シェーファはまだ何か言いたそうだったが、芝生の上に座り直して一応ダンの事を許した。
「じゃぁよ、アレンが中々魔法が上手くいかないのは何でだ?アレンって絵とかも上手いし、想像力はあるんじゃないか?」
ふとダンは気になった事をシェーファに尋ねる。それを聞いてアレンも思わずシェーファの方に顔を向けた。
アレンは決して想像力が乏しい訳ではない。むしろ細かい絵を描いたり観察も得意な為、想像力は豊かな方であろう。だがそれでもアレンはレドのように巧みに魔法を使う事は愚か、まだ覚えたてのシェーファにすら得意魔法では劣ってしまう。その疑問に対してシェーファは迷いなく答えた。
「そんなの簡単よ。才能がないから」
「……ばっさり言うな。お前」
一応アレン自身もレドから何度も聞かされていた為、自分に魔法の才能がない事は分かっていた。だがそれを改めて他人から言われると流石のアレンでも顔を顰めた。横ではダンが同情の目線を送ってくる。
「別に濁した所でしょうがないでしょ。事実なんだから」
「まぁ、それはそうなんだが……もうちょっと優しく言うとかさ」
「じゃぁ言ってあげる。アレンは小さい頃から魔法を勉強しているのにも関わらず覚えたての私にすら劣る程才能がない子です。はい、これでどう?」
「……俺が悪かったよ」
もう少し言い方はなかったのかとアレンが言うと、シェーファは面倒くさそうにため息を吐いて腰に手を当ててからそう説明した。そのあんまりな説明にアレンは今度こそ項垂れ、ダンと同じように謝った。
「まぁ別に才能がないって言っても適性のある属性魔法がないだけだから、練習すれば人並みの実力は付くけどね」
「へー、良かったじゃねぇか。アレン」
「……別に今の褒められたとかじゃなくて、ごく一般的な事を言われただけだからな。ダン」
一応シェーファは励ましのつもりでかそんな補足をしてくれたが、それはあくまでも長所は全て削ぎ落とされているがその代わり短所もないという普通の事を言っているだけで、一つを極める事が望ましいとされている今の世の中ではそれはとてつもなく足枷となる事であった。そして更に言えば魔法の適性は普通なら一つや二つはある為、アレンのような一つも適性がないのはむしろ珍しい事であった。
「本当かわいそうよね。せっかくレドさんみたいな良い師匠がいるのに。才能がないだなんて」
「どーせ俺は才能ねぇよ……」
パタンと本を閉じてシェーファはそう言う。アレンは半ば諦めたように弱々しい声で答えた。
その事はアレン自身も思っている。レドは長生きしている吸血鬼なだけあって膨大な知識を有している。その知識は武器だけでも数えきれない程であり、東洋の武器である刀の知識もあったりする程だ。魔法は適性がない魔法でも魔法書で理解しており、アレンにも教えられる。それ程レドは凄い人物であった。だからこそアレンは教えられている事を無駄にしないよう、全てを習得出来るよう努めていた。
(そもそも婆さんはどこであんだけの知識を得たんだか……)
ふとアレンは自分の手の平を開いてそこを見つめながらそんな事を考える。
レドが随分と前からこの村に住んでいるという事は村長から聞いて知っていたが、少なくともずっとこの村に住んでいて武器や魔法の知識が身に付くとは思えない。だとすればこの村に住みつく前にどこかでレドは学んだのだ?とても人間の一度の人生では学びきれない程の知識と技術を。
「そんなんで本当に冒険者になれるの~?アレン」
「うるせぇな。なるっつったらなるわ」
「まぁアレンは運動神経は悪くないしなぁ……」
小馬鹿にするようにシェーファはアレンにそんな事を言って来る。アレンはもう散々言われた為言い返す気力もなく、開いていた手の平を閉じると無造作に下ろし、そう弱気な声で答えた。ダンも一応は励ますようにそう言うが、アレンはあまり嬉しくなかった。
そうやって三人は他愛ない会話を続ける。基本シェーファが二人を詰るような言葉をぶつけるだけだったが、それが意外と楽しくて、アレンも自然と笑みを浮かべていた。そうしてただ時間が過ぎていく。するとふとアレンは二人から視線を外し、何かに気づいたように意識を柵の向こうにある森の方へと向けた。
「……ん?」
何か妙な気配を感じ取り、アレンは自然と立ち上がる。座ったままのダンとシェーファはどうしたのだろうかとアレンの事を見上げていた。
「どうした?アレン」
「……変な気配がする」
それは森の近くに住んでいるアレンだからこそ気付けた。魔物が徘徊する森に近いレドの屋敷では時折魔物の気配がする。決して入って来ようとはしないが、ギリギリの距離からこちらの様子を伺っているのだ。それは魔物が子供のアレンを狙っているからなのだが、レドはそれを自身の威圧を辺りに放つ事で防いでいた。アレンはずっとレドから守られていたのだ。その魔物の気配はアレンも小さい頃から感じており、今では近くだと気付けるくらいになっていた。そしてその気配が、今もした。
「何か、来る」
アレンがそう呟くと同時に原っぱの柵の向こう側になる木々の隙間から何物かが飛び出して来た。それは赤黒い刺々しい体毛に覆われた狼型の魔物で、鋭く伸びた牙は先端で大きく曲がり、緑色の一つ目という禍々しい見た目をしていた。バーサクウルフである。
バーサクウルフは柵を破壊するとそのまま原っぱへと侵入し、咆哮を上げた。遊んでいた子供達は突然現れた非日常な怪物に怯え、悲鳴を上げながら逃げ出す。
「グォォォォオオオ!!」
「お、おい……何だよあれ?」
「見りゃ分かるでしょ! 魔物よ!!」
現れた魔物にダンも慌てて起き上がり、戸惑いの声を上げる。それに対してシェーファは変わらず気丈に答えるが、声は震えている。実際アレンも突然現れた魔物に混乱していた。
何故魔物が村に入り込んで来たのか?柵の外には魔物除けを撒いているし余程の事がない限り入れないようになっている。にも関わらずあのバーサクウルフは入って来た。これは明らかに異常な状況である。
「ダン、大人達呼んできてくれ」
「えっ……お」
ほぼ反射的にアレンは動き出し、落ちていた太い木の枝を握り絞めると魔物の方向へ走り出した。
幸い魔物と子供達との距離はある。だが魔物が全速力で追い掛ければ捕まってしまうだろう。それを考慮した訳ではないが、アレンは目の前の敵を排除しなければならないと考えていた。
「グルルルルゥゥゥ……!」
「きゃあぁぁぁぁ!!」
「魔物だぁぁ!! お母さぁぁぁん!!」
子供達は必死に逃げるが背後からは不気味な唸り声を上げながらバーサクウルフが追い掛けてくる。すると一人の子供が転んでしまい、背後から魔物が来るという恐怖からからすぐに起き上がる事が出来ずに居た。当然バーサクウルフはその子供の狙いを定め、牙を剥き出しにして唸り声を上げる。アレンは子供達の波の隙間を掻い潜り、倒れている子供を守るようにその子の前に出た。
「……ッ!」
バーサクウルフにぶつかるギリギリの所でアレンは棒を振り抜く。バーサクウルフもアレンに飛び掛かるが、その前に鈍い音を立てて棒がバーサクウルフの顔面へと直撃し、そのままアレンはバーサクウルフを遠くへと吹き飛ばした。
「ひ、ぃ……!」
「早く逃げろ!」
「あっ……ぅ、うん……!」
アレンは倒れている子供を無理やり起こしてそう指示をする。子供はまだ怖がって泣きじゃくっていたが、助かったという事を知ると強く頷いて逃げ出した。それを確認するとアレンはすぐに前に視線を戻し、バーサクウルフと対峙する。
「グルゥァァ……!」
「ッ……やっぱり棒切れじゃキツイか」
バーサクウルフは何事もなかったかのように立っており、不愉快そうな低い唸り声を上げて一つ目でアレンを睨んでいた。
やはり木の枝程度では魔物相手には大したダメージにはならないようで、現にアレンが握り絞めている棒には僅かに亀裂が入っていた。恐らく後数回打ち付けただけで折れてしまうだろう。せめてちゃんとした武器があればとアレンは思わずにはいられなかった。
(思わず飛び出しちまったけど……こんな状態で俺コイツをどうにか出来るか?)
今更ながらアレンは自分が飛び出してしまった事に後悔する。普通ならこんな魔物が現れたら一目散に逃げるのが当たり前だ。転んでしまった子供が居たとはいえ、一歩間違えればアレン自身が喰われてしまう状況だった。アレンは手から汗をにじみ出し、棒を強く握り直した。
「グルゥアッ!」
「……くっ!」
バーサクウルフが雄たけびを上げて口を大きく開き、アレンへと飛び掛かる。今度のは棒を振っている暇はない。アレンは姿勢を低くしてそれを避け、後ろに回ってバーサクウルフの方へとすぐ振り返る。するとそこにはすでに次の飛び掛かる準備をしているバーサクウルフの姿があり、それを見た瞬間反射的にアレンは棒を前に横にして突き出した。次の瞬間、ガンと音を立てて棒とバーサクウルフがぶつかる。その衝撃でアレンは芝生の上に尻もちを付き、バーサクウルフは棒を噛み砕こうと暴れ回っていた。
「グォォォォオオアアア!!」
「おっ……ぁ、く……ッ!」
バキバキと音を立てて棒が破壊されていく。このままでは不味い。アレンがそう思った時に突如横から突風が巻き起こった。風の塊がバーサクウルフに直撃し、そのままバーサクウルフを横へと吹き飛ばした。
「ッ……無理してんじゃないわよアレン! そんな棒切れで戦える訳ないでしょ!」
「シェーファ……!」
見ると近くでシェーファが立っており、手の平をバーサクウルフに向けた状態でアレンにそう声を掛けていた。気丈に振舞っているように見えるが腕は小刻みに震えており、無理して逃げなかった事が分かる。アレンは半分折れ掛けている棒切れを持ちながらシェーファの方へと移動した。
「悪い、助かった……」
「い、良いから逃げるわよ。私達があんな魔物に勝てる訳ないんだから」
「そうしたいとこなんだが、どうやら相手はそうはさせてくれないみたいだぜ……」
シェーファの提案にアレンは自虐的に笑いながら前に視線を戻す。するとそこでは既にバーサクウルフが起き上がっており、二度も邪魔された事が腹立たしかったのか緑色の一つ目を大きく見開きながら唸り声を上げていた。
「グルゥァァアアッ……!」
「や、やるしかないの……?」
「みたいだな……俺が時間稼ぐから逃げても良いぞ?」
「冗談! さっき死に掛けてたあんたを置いていける訳ないでしょ!」
こんな時でもシェーファは怯えながらも上から目線な態度を取っており、今だけはアレンもそれが頼もしく思えた。
シェーファは風魔法が使える。まだまだ覚えたてではあるが少なくとも何の適性もないアレンよりは上手く使える為、遠距離からの支援は期待出来るだろう。アレンは折れている棒をへし折り、短くなった二本の棒を両手に持つと走り出した。バーサクウルフも同時に走り出し、アレン目掛けて飛び上がる。
「うらッ……!」
「グゴァッ!?」
一本目の棒でバーサクウルフの頭を叩き、二本目の棒で腹を叩いて地面へと叩き落す。こんな短い棒では斬る事など当然出来る訳がない為、全ての攻撃が打撃となる。ならば逆に手数を増やして少しでも相手に動きを制限すれば良い。アレンはレドから教わった事を必死に思い出しながら自分が今やれる事を計算していた。
「このっ……荒れ狂う風よ、敵を斬り裂け!」
後ろでシェーファも必死に詠唱をして風魔法を発動する。ヒュンヒュンと音を立てながらその風はバーサクウルフへと襲い掛かるが、軽い切り傷を与えるだけで致命傷にはなり得なかった。
やはり今の二人の力だけではバーサクウルフを退ける程の傷を負わす事は出来ない。アレンは解決の糸口はないかと頭を回転させながら棒を振るった。
(確か、バーサクウルフは耳や鼻がなくて、殆どの情報をあの一つ目で得ているとか婆さんが言ってたよな)
バーサクウルフはその凶暴性からか複雑な進化をしており、耳と鼻は退化し、殆ど機能しなくなっている。その代わり大きなあの緑色の一つ目だけは進化し、人間よりも何千倍も視力が良く、広い視界を確保する事が出来ると言われている。アレンはレドから魔物の知識を教えられる時確かそんな情報があったはずだという事を思い出し、棒を握り直す。一旦バーサクウルフから距離を置き、彼は作戦を考えた。
(ならあの目さえ潰せばどうにか出来るか……!?)
そう考えたアレンは持っていた棒の片方を投げ捨てると地面の土を抉って握り、バーサクウルフに向かって飛び掛かる。バーサクウルフも口を開けてアレンを迎え撃つが、その口を棒で挟み、すれ違い様にバーサクウルフの目に土をぶつけた。
「ゴグガァ!!?」
上手く直撃したおかげでバーサクウルフは悲鳴に似た声を上げ、突然視界が真っ暗になった事に混乱しその場で暴れ回る。何とか目の土を払おうとしているが中々落ちなく、苦しんでいるようだった。
「な、何とか上手く行ったか……」
アレンは作戦が成功した事を知ると安堵の息を吐く。しかし暴れている魔物程危ない物はない為、すぐにその場から離れた。残りの棒ももう半分折れ掛けている為、これ以上の戦闘は流石に不味い。
「何?や、やったの……?」
「目を潰しただけだ。離れとけシェ―……」
その場で暴れ回るだけで襲ってこないバーサクウルフを見てシェーファは何とかなったのかと様子を見るようにバーサクウルフに一歩近づく。アレンはまだ危険が去っていないと伝えてシェーファに下がるように言おうとしたが、次の瞬間暴れ回っていたバーサクウルフがシェーファに向かって飛び掛かった。ほぼ偶然だろう。せめてもの抵抗としてバーサクウルフは周りに闇雲に襲い掛かろうとしたのだ。それが最悪にもシェーファと重なってしまった。鋭く伸びて曲がった牙が彼女の眼前で光る。アレンはそれを見た瞬間地面を蹴り、シェーファの元に手を伸ばしながら向かった。
「シェーファッ!!」
彼女の名前を叫びながらアレンは身体を前に突き出し、何とか手でシェーファを押し飛ばす。しかしその代わり今度は自分がバーサクウルフの飛び掛かろうとしている軌道に入ってしまい、ギリギリの所で避けるが腹部に牙が引っ掛かり、衣服を切り裂きながら肉を抉った。
「ぐがッ……!」
「アレンッ!?」
「ッ……ぁ……これは、きっつ……」
「ちょ、ちょっと! しっかりしなさいよ!!」
アレンは腹部から伝わる痛みに一気に汗を流し、横っ腹を抑えながら芝生の上に倒れ込んだ。たった一撃、牙が引っ掛かっただけ。だがそんな攻撃でも子供のアレンには致命傷で、最早立ち上がる事すら出来ない程身体から力が抜けていた。
バーサクウルフは今の手応えを覚えたのか、再びアレンが倒れている方向に狙いを定めて牙を光らせている。シェーファもアレンがやられた事に焦り困惑している為、魔法を唱えてる余裕がなかった。
アレンの視界が段々と暗くなっていく。
「坊やッ!!」
ふと、アレンの耳に聞き覚えがある声が聞こえて来た。それはとても安心出来る声色で、アレンはおもむろに顔を傾け、声がした方向に視線を向ける。
そこで瞳に映ったのは、真っ赤なドレスを纏った黄金の少女が一瞬でバーサクウルフを真っ二つにする光景だった。アレンの意識は、そこで途切れた。




