42:アレンの過去
レド・ホルダー。その姿は見た目は幼い少女にしか見えず、黄金の長い髪を伸ばし、血のように紅い瞳をしたどこか幻想的な雰囲気を醸し出す魔族の女性である。本人は真っ赤なドレスを好んで着、子供の姿ながらも華麗に着こなす。実年齢は既に百を超えているとの事だが、吸血鬼である事から見た目の変化は見られない。
現在の村長が就任する前から彼女は村の端で住んでおり、木々に密集された光の届かない場所で一人生活している。元々獣人やエルフの多種類な亜種族が多く、種族が違おうとも寛容な村だが流石に魔族となると事情は変わり、村人達もあまり進んでレドと交流しようはしなかった。最もレド自身も村人達との過剰な接触は避けており、滅多な事がない限り出てくる事はないが。
そんな互いに不干渉な事もあって村ではレドの存在は〈禁忌〉とされ、名前を口にしてはならないと言われていた。レドが滅多に姿を現さない事もあって子供達の間では一種の怪談話にもなっており、彼女はより不気味な存在として認識されるようになった。
そんな吸血鬼の魔族であるレド・ホルダーが赤子を引き取った。その噂はたちまち広まり、村人達は何故レドがそんな事をしたのかとそれぞれ憶測を立て合った。一人は眷属として育てるのではないかと村長と同じ予測をし、一人は血を摂取する為に飼い慣らすのではと予測した。いずれも引き取られた赤子がろくな目に遭わない未来であり、村人達は想像して恐怖した。しかし誰も子供を救いに行こうとする者は居なかった。
そうしている内に年月が経ち、時折村長が様子を見に着たりしながらレドが拾った赤子はすくすくと成長していった。今では庭を走り回れるくらい元気が有り余っており、その赤子は立派な少年へとなっていた。そして今日もまた、深い森の中で剣がぶつかり合う金属音が響き渡る。
「てぁ! このっ! だぁぁーー!!」
「ほい、ほいっと。そいっ」
開けた森の中でとある戦いが行われていた。一人は戦いの最中でも真っ赤なドレスを着こみ、にも関わらず衣服を一切乱さず華麗に舞うレド・ホルダー。もう一方は茶色の髪にこげ茶色の瞳を持つ少年。やや目つきが悪く、不機嫌そうな顔をしているせいで悪人面に見える。そんな少女と少年は本物の剣で斬り合っていた。お互い剣を振るう事に一切の躊躇いもなく、現に先程から少年は頬や膝に僅かに切り傷を受けていた。
「ぐっ……くそ!」
「ほらほら、どうした坊や?隙だらけだぞ」
「うるさい! これから本気出すんだ……!」
勢いのまま獣のごとく剣を振るう少年の猛攻をレドは軽く捌く。どの攻撃も早くはあるが彼女の白い皮膚に届く事はなく、剣で軽く受け流されてカウンターを決められる。その度に少年の身体には痛々しい生傷が増えて行った。
「言っただろう?攻めきれなければ工夫しろ。手数が必要なら剣を増やせ。リーチが足りなければ槍を持て。そらっ」
「え、わっ……!?」
レドはそう言うと地面のあちこちに転がっている武器の中から剣を蹴り上げ、少年の眼前へと放った。少年は一瞬呆気に取られながらもすぐにその剣を空いている手で掴み、二本の剣を使ってレドへと挑み掛かる。先程と違って剣に掛かる重みは減ったが、その分手数は増え、勢いは更に増した。だがそれでも、少年の剣はレドへと届かない。
「うぉぉぉおお!!」
「うむ……まぁ、こんな所かな」
最後にレドは何かを見定めるように目を細めながらそう呟くと、一瞬で少年の背後へと回り、その頬に剣を突きつけた。冷たい感触を味わいながら少年は硬直し、汗を流しながら降参の意味で手を上げる。そしてゆっくりと剣から手を放した。ガシャンと重たい音が地面に振動して伝わり、同時に少年は大きくため息を吐いて肩を落とす。するとようやくレドも少年から剣を放し、満足そうに頷いた。
「ッ……また負けた」
「ククク。いやいや、良い線行っていたぞ?ちゃんと妾が教えた通りの事が出来てるじゃないか」
「そりゃまぁ……毎日これだけやり合えば嫌でも覚えるさ」
少年が悔しそうにそう呟くとレドは笑いながらそう少年の事を褒めた。それを聞いて少年は力なさげに笑い返す。
確かに少年は子供とは思えない程の実力を持っている。それは才能や遺伝とか言ったものではなく、日々レドとの訓練を行っているからだ。吸血鬼である彼女は長い事生きている為、様々な技術を身に着けている。それらをいっぺんに全て教えてくれているのだ。当然その指導は厳しく、現に少年はまだ子供だと言うのに村人の大人達よりも多くの傷を持っていた。
そんな事を知っているのか興味がないのか、ボロボロになっている少年を見てもレドは悪戯っぽく笑うだけでちっとも心配している様子を見せなかった。現に今も欠伸をして魔法を使いながら武器の片付けをしている。
「さてと……それじゃそろそろ頃合いだし、朝ごはんとするか」
レドは木々の隙間から差し込んでくる朝日を見てうっとおしそうに目を細めながらそう呟く。
現在は早朝。実はレドと少年は日が出る前からこの特訓をしており、今の今までずっと剣で斬り合っていたのだ。そしてこれはまだ準備運動に過ぎない。朝食を食べてからが本番なのである。
転がしていた全ての武器を魔法で回収し終えると、レドはクルリと少年の方に振り返り、相変わらずな不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「帰るぞ。アレン。妾達の家に」
「はいよ……婆さん」
レドにそう呼ばれた茶髪の少年アレンは不機嫌そうな顔をしながらも言われた通りに言う事を聞き、レドと共にその森を後にする。
ちなみにここは村の外にある森であり、魔物除けも撒いていない為当然魔物達が徘徊している。現に草むらや岩陰には鋭い牙や爪を持つ獰猛な魔物達が潜んでいた。だがそのいずれもが二人に襲い掛かろうとはしない。魔物は本能で自分達の種族に近い危険な魔族を察知する事が出来る。レドは近づくと離れていく魔物達を見て小さく笑った。
アレン・ホルダーにとってレド・ホルダーは忌み子だった自分を引き取ってくれた恩人であり、育ての親であり、生きる術を教えてくれる師匠であった。本人は魔族な事もあってか少し常識と外れた行動をしてくる事もあるが、それでもアレンは自分を育ててくれている事に感謝していた。例え村人達がどんな噂をしようとも。
「…………ふぅ」
朝食を終えてもう一度剣の斬り合いをした後、少しの休憩という事でアレンは庭の切り株に座り、小さくため息を吐いていた。別段疲れた訳ではないのだが、流石に朝からずっと特訓ばかりでは息も詰まってしまう。ましてやレドの特訓は中々に厳しい為、神経を研ぎ澄まして挑まなければならないのだ。故に多少の気持ちの切り替えは必要である。
「……ん?」
ふと顔を上げると木々の隙間からリスが顔を出していた。森の中に居る小動物達だ。この辺りはレドの縄張りの為、村の端に家がある事もあって森の一部には魔物達が近寄らない。それを知って小動物達も時折この場所に寄ってくる事があるのだ。
リスは警戒心がないのか素早い動きでアレンの足元まで近寄り、何かをねだるように見つめて来た。そんなリスの頭をアレンは優しく撫でた。
「よしよし」
触れてみてもリスは逃げるような事はしない。何故ならこういった小動物達はよくレドの庭に訪れており、その度にアレンも餌を上げたり怪我をしている動物が居れば治療したりしてあげているからだ。そうしている内に小動物達もアレンに慣れ、今では向こうからアレンの方に近づいて来るようになっていた。
すると後ろの方から足音が聞こえて来た。同時にリスは逃げ出し、あっという間に木を登って枝を伝い、見えなくなってしまう。アレンはそんなリスを見送った後、ゆっくりと顔だけ後ろに向けた。
「お前もいつもあれくらい優しい顔が出来れば良いんだがな……少しは笑ってみたらどうだ?ほらこんな風に」
「……余計なお世話だ」
クスクスと笑って見せながらレドはそんなアドバイスをアレンに送る。するとアレンは面倒臭そうに髪を掻きながら余計なお世話だと一蹴。普段とは少し違う態度を見られてしまったせいで複雑で、アレンはまたいつもの不機嫌な顔へと戻ってしまった。
「坊やは実に子供らしくないな。まぁ妾の育て方のせいかも知れんが……偶には村の子供達と遊んだらどうだ?ダンやシェーファが居るだろう?」
相変わらずなアレンの態度にレドは呆れたように笑みを零しながらそう言う。
ダンとシェーファは村に住んでいるアレンと同年代の子供達だ。アレンくらいの年齢ならまだまだ友達と一緒に遊びたい年頃のはずなのだが、いかんせんアレンは特訓ばかりに身を費やしてこの庭からもあまり出ようとはしないのだ。アレンは切り株から立ち上がり、横に立てかけてあった剣を手に取りながら口を開く。
「あいつ等が勝手に俺に寄ってくるだけだ。別に友達じゃない」
「ククク、刺々しいなぁ。いっそ女々しいくらいだ」
「何でだよっ……!」
アレンの発言を聞いてレドは何やら哀れみのような目線を送ってくる。その反応にアレンは不満を述べ、拳を握り絞めた。
アレンはいつも庭で特訓をしている。するとダンやシェーファがここまで押しかけてくる事があるのだ。本来この場所は村では禁忌とされ、子供達の間では幽霊が出る場所として恐れられている。そんな場所に二人は何の躊躇いもなくやって来るのである。魔族のレドを怖がる事もなく。確かに少しは一緒に遊んだりする事もあるが、卑屈なアレンはそれを表立って認めるような発言はしなかった。その様子がレドは面白おかしかったのだ。
アレンは剣を持ち直し、素振りを始める。せっかくの休憩時間でも彼はその時間を特訓へと費やした。少しでもレドに追い付けるよう、彼は不器用ながらも真っすぐ鋭く剣を何度も振るった。その姿をレドは切り株に座りながら見届け、ふと目を細めた。
「アレン、お前は何故そんなに力を求める?」
「……何だよ?……急に」
突然の問いかけにアレンは思わず剣の素振りを止め、額の汗を拭いながらレドの方を振り返る。するといつもの不敵な笑みを浮かべているレドの姿ではなく、何かを見抜くような鋭い瞳をしているせいでアレンは思わずドキリとした。一瞬深紅の瞳が光っているように見えたのだ。
「妾はお前が一人でも生きられるように技術を教えているが……お前は昔それ以上に敵と戦える力を教えて欲しいと妾に言ったな?何故、そう望んだ?」
「…………」
レドは頬に手を当てながらそう尋ねる。その疑問に対してアレンはすぐに答える事が出来ず、しばらく剣を下げたまま黙っていた。
この特訓の日々はレドが課したものではなく、アレンが望んで行っている事だ。元々レドはアレンが一人でも最低限生きていけるよう、剣の技術だけを教えていた。しかしある日アレンが他の事をもっと教えて欲しいと言い出し、レドはそれを仕方なく受け入れた。そうして今のような壮絶な特訓の日々が続いているのだ。
アレンは言い辛そうに頬を掻いた後、諦めたように肩を落としながら口を開いた。
「俺は……忌み子だ。災いを呼ぶ魔に取り憑かれた子……だろ?」
「…………」
「村の人だって俺の事を怖がってる……いつ災いを呼ぶんだろうって恐れてるんだ」
アレンは自身の腹部を服の上からそっと触りながらそう言った。
既にもう消えているが、かつてアレンの身体には忌み子である事を証明する紋章が描かれていた。それがあったからこそ赤子のアレンを見つけた時村長は引き取る事を躊躇し、村人達もアレンの事を恐れた。アレンは自身が忌み子である事にやり場のない怒りを感じていたのだ。
「だがそれはあくまで風習だ。大方どっかの村が双子が災いを呼ぶとかで忌み子だと勝手に判断したんだろう……もう少し時間が経てば村の皆もお前がただの人間だと分かるさ」
「だとしてもだっ……俺が忌み子であった事実は消えない。だから俺は捨てられたんだ!」
レドはあくまでも忌み子だったのは紋章で描かれていた事実だけであり、本当に災いを呼ぶ存在ではないと弁護した。だがアレンにとってそれは関係なかった。自分が本当に邪悪な存在であろうとなかろうと、アレンにとってはもう自身は忌み子だったという経歴が残っているのだ。それはどこまでもアレンの後ろを付き纏い、重い枷となる厄介な物だった。
アレンは小刻みに腕を震わせていた。ふとレドは気が付く。アレンの拳から血が流れている事に。それくらいの想いが彼にはあるのだとレドは感じた。
「だから……だから俺は、力が欲しい。俺が要らない子だったなんて事実を掻き消せれるくらい、圧倒的な力が」
アレンは声を震わせながら怒気を帯びさせそう答える。普段目つきの悪いその瞳には確かな炎が灯っており、レドはほぅと声を漏らした。
アレンにとって力とは証明なのだ。自身の存在を確立する為に必要な物。子供らしく単純なように思えるが、それに対してどれだけ本気なのかは彼の目を見れば分かった。
「なるほどな……だから王都に行って冒険者になりたいのか?」
「ッ……何でそれを?」
「ダンと喋ってるのを聞いたからな。知ってたか?吸血鬼は耳が良いんだ」
急に自身の夢を言い当てられアレンは動揺する。レドは悪戯っぽく笑って見せた。
アレンの将来の目標は村を出て王都に向かい、そこで冒険者となる事だ。冒険者は様々な依頼を受けて報酬を受け取れるという簡単な仕組みの仕事だが、その分当人の実力が最も重要視される。アレンの力を証明するのにこれ程打って付けなものではない。その事を以前ダンと話し合い、将来冒険者になるという発言をしたのだった。どうやらレドはその時の事をしっかりと聞いていたらしい。
そして別にそれを否定しようとはせず、むしろアレンの本音を聞けて満足そうに顔を頷かせながら腰に手を当てた。
「良いじゃないか。坊やは才能もないし特別な能力もないが、師には恵まれている。喜べ、お前を王都一の冒険者になれるよう鍛えてやるさ」
「……怒らないのか?」
「ん?何がだ?」
アレンの問いかけに対してレドは何の事か見当が付かず、ポカンとした表情で首を傾げる。
別段怒るような事をアレンはしていないはずだ。なのに目の前の少年はどこか申し訳なさそうな表情をしている。レドは益々訳が分からなかった。
「だって……俺はいつかこの村を出るつもりなんだ。婆さんからしたら困るんじゃないか?」
「ククク、何だ?ひょっとして村人達の噂を鵜呑みにしてたのか?妾がお前を眷属にしたり、血を飲む為の奴隷にするとでも思ったか?」
アレンは先程よりも小声になりながらそう告白する。するとレドは愉快そうに笑い、腹を抱えた。その様子は幼い子供がケタケタと純粋に笑っているようだったが、アレンからしたらこんな風に心から笑っているレドを見るのは初めてだった為、驚いたように目を見開いていた。
やがてレドは笑い疲れると目に涙を浮かべながらクスクスと笑いを零し、切り株から立ち上がってアレンの方を見る。アレンは思わず警戒心を高めてしまった。だが、レドの表情は柔らかいものだった。
「フフ……心配するな坊や。お前はお前で居て良いんだ。妾の事なんか気にせず、好きなように生きろ」
指で涙を拭きながらレドはそう答える。その言葉は何故かアレンの肩を軽くし、妙に心が落ち着くものであった。アレンは不思議と胸に手を当てる。どこかスッキリとした気分であった。ずっと抱えていた重りが言葉一つで吹き飛んでしまったような感覚だった。
「さてと、少し休憩が長引いてしまったかな……訓練を再開するぞ。アレン」
「ああ、そうだな。今度は負けないぞ……! 婆さん」
「クク、言ってろ坊や。妾に勝とうなど百年早いわ」
レドはそう言うと魔法で剣を出現させ、手に持ってアレンに突き付ける。アレンもすぐさま持っていた剣を構え、レドと対峙した。
そうして二人はお昼の訓練を再開する。その時のアレンの動きは早朝の時とは違い、勢いが増すものとなっていた。




