40:あの頃の万能
席に座っているアレンは何も言わない。グランもただ静かに笑いながらお酒を口に含んでいる。部屋ではグラスの中に入った氷が揺れるカランカランという音だけが響いていた。無言が続き、かと言って気まずい雰囲気という訳でもなく、グランはまるでその静けさを楽しんでいるようにお酒を飲む。
「…………」
「おいおいどうした?忘れちまった訳じゃぁないだろう?儂ぁ結構好きだったがな……ギラギラした瞳をした坊主が」
一度グラスをテーブルの上に置き、髭を弄りながらグランはそう言った。その間もアレンは黙ったままだった。
「それも……昔の話だ」
しばらく経ってからようやくアレンは口を開き、まるで拒絶するようにそう答える。それを聞いてグランは急に最初の時のような豪快な笑い方をし、膝をバシバシと叩いた。
「ああそうさ、昔の話だ。ガーディアンの奴も知らない。まだお前が〈万能の冒険者〉なんぞと呼ばれる前の頃の話だ」
グランの言葉に今度はアレンは顔を顰める。
アレンは熟練の冒険者であったが、当然そんな彼にも新米の頃の時代がある。その時の事をシェル達のようなアレンから師事を受けていた冒険者達は知らない。グランのようなアレンと同年代かそれ以上の古参の冒険者達しか知らないのだ。
「あの頃のお前は何かを求めるように毎日必死に依頼を受けていた。それこそ報酬などどうでも良いかの様に、ただ己の力を示す為だけに依頼を受け続けていた……」
グランはまたお酒を口に含みながらそう話す。アレンの過去を、リーシャ達やシェルすらも知らないアレンの昔の事を語り始める。
「知っていたか?お前に二つ名が付く前、周りは坊主をその狂ったような様子から〈死に狂い〉と呼んでいたんだぞ?」
「ああ……何となく聞いてたよ。そう言われてもおかしくない事をしてた」
「そうだったなぁ。毎日ダンジョンに潜り、魔物を倒し、ある時は他の冒険者達と衝突し……お前はその全てと戦って来た」
ふとグランはアレンがまだ二つ名で呼ばれる前の頃、ある呼び名があった事を明かした。アレンもその事については薄々と気付いていたらしく、バツの悪そうな表情をしながら頷いた。
本来なら依頼はそう毎日受ける物ではない。情報収集や準備を整えなければならない為、依頼を受ける前には十分な時間が必要なのだ。だが当時のアレンはそんな時間など必要とせず、依頼が終わればすぐに次の依頼を受け、装備や道具もそのままの状態で向かっていた。そのまるで死にに行くかのような様子から周りはアレンが死にたがっているのではと思い、死に狂いなどというあだ名を付けたのだ。
「だがそれでも、坊主は納得した瞳をしていなかった……まだその〈何か〉を求めていた」
空になったグラスを見つめ、氷を揺らしながらグランはそう語る。アレンもその時の事を覚えているらしく、どこか懐かしそうに、そして悲しそうに瞳を揺らしていた。
「ある時儂は聞いたな。坊主は何故そんなに戦い続けるのかと」
「ああ、その時の事は俺も覚えてる」
「そしてまだ小さかった坊主はこう答えた……鋭い目つきをしながら……」
グランはそう言って一呼吸置く。彼の瞳はしっかりとアレンの事を見据えていた。まるで何かを探るように、表面のアレンではなく内側にあるアレンを見ているかのように。
「〈最強〉を求めている……実にシンプルで、実に子供らしい答えだ。周りの冒険者達が聞けばさぞ嘲笑っただろうて」
最強。それは言ってしまえば一番強いという至極単純なもの。少年ならば一度は考え、目指すであろうもの。しかし大人になるに連れ、いかにそれが不明瞭でなるのが不可能に近いものかを知り、やがて子供の戯言だと言って忘れ去る。それをかつてアレンは目指していた。大人の冒険者達からどれだけ馬鹿にされるか自覚されつつも。
「だが何故かな……儂ぁ坊主の鋭い瞳を見て笑い飛ばす事が出来なかった」
グランは背中を丸め、テーブルの上を見つめながらそう呟いた。
グランも当時の事はよく覚えているらしく、思い出して楽しむように笑みを浮かべていた。
「本来、そんな夢を語る子供の瞳はキラキラと綺麗に輝くもんだ……だがお前の目は暗くくすんでいた。現実をこれでもかと理解している大人の目だった……」
最強に憧れる冒険者は多い。特に新米の冒険者は皆目指している。そういう者達の目には必ず希望の光が灯っている。自分が最強になれると信じ夢見ているからだ。だがグランが見たアレンの目にそんな優しい光は灯っていなかった。むしろ光など一切なく、ただ現実という闇だけが広がっていたのだ。その時グランは思った。この少年は本気で最強を目指していると。子供の夢物語ではなく、現実と向き合って最強を目指しているのだと。
「そんな事はない。俺もまだまだガキだったってだけだ。現にこうして冒険者を辞め、田舎暮らしをしている」
「ああそうだな……お前は冒険者を辞めた。これを聞いた時儂はどれだけ驚いたか……だが坊主。風の噂じゃぁ辞めた理由には職員側に問題があったと聞いたが?」
「ああ、まぁな……色々あってな。だが元々行き詰まりは感じてた。良い頃合いだと思ったし、今はこうして故郷の村で落ち着いている」
どうやらグランもアレンが冒険者をやめていた事は知っていたらしい。最もこの村で暮らしているアレン見ればすぐに分かるだろうが、それ以前から情報として知ってはいたようだ。そして限られた人間しか知らない真実も知っていた。その言い方からしてアレンもグランが何を言いたいのかを悟った。
「ふん、落ち着いているか……確かに坊主は変わった。いつの間にかあの頃の鋭い剣のような荒々しさはなくなり、優しくなっていた」
アレンの言葉に対してグランはつまらなそうに鼻を鳴らし、手を払いながらそう言った。まるでその変化が不満そうな、そんな態度であった。そしてアレンの事を見ながら何かを訴えたいように口を開いた。
「儂はな、これでも坊主の事を買っているんだ。お前の戦い方は面白いし……何より目が気に入っていた」
アレンは決して強い訳ではない。かと言って弱い訳でもないが、それでも歴史に名を残す程の実力者という訳でもない。だから彼は戦い方を工夫し、戦術の幅を広げる事によって少しでも可能性を多くしたのだ。
「また冒険者をやらないか?坊主。一緒に楽しくやろうじゃないか」
「…………」
アレンの予想通り、グランはまた冒険者に戻らないかと誘って来た。彼の性格からして気に入った奴とまた仕事がしたいという程度の気持ちなのだろう。その申し出はアレンも素直に嬉しいと思った。アレンからすれば彼は師匠のような存在であり、まだ新米の冒険者だった頃は色々と世話になった。そんな存在からまた一緒に仕事をやろうと言われれば嬉しいのは当然だ。だが、アレンがすぐに顔を縦に頷かせる事はなかった。
シェルにも言った事ではあるが、アレンは今の生活に満足している。確かにかつては最強という存在に憧れ、それを本気で目指していた。だが彼はある理由からそれを目指す事をやめた。諦めた訳ではなく、その行為をやめたのだ。最もその理由を他人に喋った事など一度もないが。
「あんたにそう言ってもらえるのは嬉しいよ。グラン……」
アレンは僅かに拳を握り絞める。自分の意思が変わらないよう。確かな自信を持って言えるよう、自然とそんな行為をしていた。
「確かにあんたとまた仕事が出来たなら楽しいだろうさ。行ってみたい所もあるし、懐かしい奴とも会えるかも知れない……」
アレンは肯定の意見も一応は出す。別に冒険者に戻る事は悪い事ばかりではない。王都にもそれなりに思いはあり、時間だけで言えばアレンは王都に居た頃の方が村に住んでた時よりも長いのだ。ある程度愛着もある。だがそれを承知した上で彼は話を続けた。
「だけど、俺はもう、今の生活で満足しているんだ。リーシャとルナも居るし、二人の成長を見ているのが何よりの幸せ……だから今更、戦いの日々に戻ろうとは思わない」
アレンはシェルに説明した時と同じようにグランにも説明した。
確かに戻りたいという気持ちは多少なりともあるかも知れない。そこは完全に否定出来る訳ではない。アレンも男だ。夢をまた追い続けたくなるかも知れない。だがそれよりもリーシャとルナの方が大切であり、彼にとって今一番愛している存在なのだ。それらを放ってまでまた冒険者に戻るつもりはない。アレンはそう考えていた。
「ちぇっ……そうかい。本当にお前は変わっちまったな。ただの優しい親父さん、って感じだ」
「そいつは何より。それが今の俺の目標だからな」
つまらなそうにグランは身体を傾けて両手を後頭部に合わせ、そう不満を零す。しかしアレンはグランの言った言葉にニヤリと笑い、嬉しそうな態度を取った。それが癪だったのか、グランは益々つまらなそうな顔をする。
「ふん、まぁ良いさ。嫌がってる奴を無理やり引き戻したりしたところでつまらんだけだからな……やれやれ、また坊主と仕事が出来ると思ったんだがなぁ」
グランはそう言うとグラスにお酒を注ぎ、不満を解消するかのように一気に煽った。
どうやらアレンとまた仕事が出来るのは本当に楽しみにしていたようだ。それだけに断られたのは色々とショックが大きかったらしい。だがアレンからすれば何故自分のような普通の冒険者にそこまで執着するのかと疑問に思っていた。
「ふわぁぁ、じゃぁ儂はもう寝させてもらうわ。この歳だと夜更かしはきつくてな」
「さっきまで酒をがぶ飲みしてたおっさんがよく言うよ……」
腕を伸ばして大きく欠伸をしながらグランはそう言う。年寄臭い事を言っているが、昼間あれだけ大きな声で話し続け、今の今までお酒を飲み続けていたおじいさんでは説得力がない。アレンは呆れたように笑った。
片付けは自分がやっておくとアレンは良い、グランは悪いなと言いながらグラスをテーブルの上に残して席を立ち、自分の寝床へと向かった。その途中彼は壁に手を掛けてふと立ち止まり、顔だけアレンの方に向けた。
「そう言えば、嬢ちゃん達が坊主の昔の話について聞きたがってたぜ。あの様子じゃ、〈死に狂い〉の頃の坊主の事も教えてないだろ?」
「ああ……二人にはまだ何も言っていない」
グランは思い出したように昼間あった事をアレンに伝えた。アレンも二人が自分の過去について聞き回っている事は知っていた為、軽く頷いて答えた。
「へっ、いずれ儂にも教えてくれや……何故坊主は最強を求めていたのか……そしてどうして今の性格に変わったのかもな」
手を振りながらグランは最後にそう言い、部屋から出て行った。残されたアレンは虚空を見つめ、小さくため息を吐いた後、空になったグラスとボトルを手に取る。彼の瞳は何を考えているのかよく分からない暗い瞳をしていた。過去の事を色々と思い出し、改めて自分がどのような人生を歩んで来たのかを再確認する。思えば自分ももう四十代。村で暮らしていた子供だった頃はもうなく、立派なおじさんなのだ。全く時間というものは残酷だなと思いながらアレンは自身の無精ひげを弄り、もう一度ため息を漏らした。
翌日、グランは約束通り一日だけ厄介になり、もう村を出ていくと言った。アレンは彼の事だから急に気が変わって後一か月くらい居ると言い出すのではないかとドキドキしていたが、それは杞憂だったようだ。ふと隣を見ると安堵したシェルの顔があり、どうやら彼女も同じ気持ちだったらしい。
「そいじゃ世話になったな、坊主。ガーディアンも。久々に話せて楽しかったよ」
「ああ、俺もだよ。グラン」
「今度はゆっくりお話ししましょう」
いつものボロボロのマントを羽織り、荷物袋を手に持ちながら彼は家の前でそう言う。アレンもシェルも実際グランに会えたのは嬉しかった為、笑みを浮かべながら答える。
「嬢ちゃん達には悪かったな。気になってた事が教えられなくて。まぁ運がなかったと思って諦めてくれ! ガッハッハ!」
「うぅ……結局おじさんに聞く暇なかった……」
「残念だったね……リーシャ」
どうやらリーシャとルナはあれから結局グランからアレンの昔の事を聞き出す事が出来ず、こうしてお見送りの時間まで何も収穫を得られなかったらしい。二人は見るからにしょんぼりとしており、実に残念そうな表情を浮かべていた。
「そいじゃ諸君! また縁が会ったら会おうぜぃ! じゃぁな!!」
最後にグランは手を振りながらそう大声で良い、マントを翻して歩き出した。相変わらず歳の癖に元気な事である。アレンとシェルも手を振り、去っていくグランの事を見送った。リーシャとルナも最後にはちょっとだけ元気になり、また来てねと言いながらグランの事を見送った。
グランが完全に見えなくなった後、シェルは小さく息を吐いてから少し言い辛そうな顔をしながら口を開いた。
「失礼かも知れませんが……グランさんが去って少しだけホッとしてます」
「ハハハ、今回は別に仕事先がこの村って訳じゃなかったからな。確かにいつものグランなら家の一つや二つ壊してもおかしくなかった」
グランは良くも悪くも豪快で派手な人物である。今回はただ村に泊まるだけだったので何も起きなかったが、もしもここが仕事先で賊の討伐やダンジョンの攻略が目的だったとしたら、建築物が幾つか壊れても何らおかしくない。彼はそういう人物なのだ。剣鬼グランとは。
「う~……グランさん行っちゃった」
「どうしようね?……あの件」
グランが去った後もリーシャとルナは何やら悩むように話し合っていた。アレンは大方自分の昔の事についてどうやって調べるか悩んでいるのだろうと思った。もう分かっているアレンはそんな二人の姿が何となく微笑ましく見え、小さく笑った。
「ほらリーシャ、ルナ。家の中に戻るぞ」
「あ、はーい。父さん」
「はい、お父さん……」
いつまでも悩んでいる二人を呼び、アレン達は家の中へと戻る。
彼は自分の過去についていずれ話して上げた方が良い事は理解している。だがあの時の事を語るのは少々乗り気ではなかった。何より自分の主観だけでは伝えきれない事がある。やはり村長辺りを頼るか、と考えながら彼はいつもの日常へと戻った。
◇
村を出た後グランは森の中を歩いていた。もう地面は歩きやすい土に戻っており、その足取りも軽い。だが彼は肩を落とし、大きくため息を吐きながら残念がっていた。
「は~……振られちまったなぁ。坊主とまた戦えると思って楽しみにしてたんだが……ありゃ完璧に駄目だな。戻る気は殆どゼロだわ」
グランは未だにアレンの断りに落ち込んでいたのだ。それだけ彼に期待していたという事であり、アレンの性格をよく知っているグランは彼が本気で冒険者に戻るつもりがないという事を理解していた。少なくともあの子供達が居る間は本人もその気にはならないだろう。
そんな感じでグランは先程からフラフラとおぼつかない足取りで歩き、木の根っこに引っ掛かって転んでしまうのではと不安を覚えるような歩き方をしていた。完全に無防備で魔物がうろつく森の中での行動の仕方ではなかった。
「ウゴゴゴ……」
「……ん?」
ふとグランに巨大な影が掛かった。見上げて見ると目の前にストーンゴーレムが現れた。昨日リーシャが倒したあのゴーレムだ。肩も抉れている為、同個体で間違いない。どうやらあの後吹き飛ばされたストーンゴーレムはまた戻って来たらしく、リーシャに吹き飛ばされた事を覚えているのかどこか怒っているようだった。
「何だ……昨日の嬢ちゃんに吹き飛ばされたゴーレムか。また性懲りもなく戻って来たのか?」
「グォォォォオオオオオオオオオッ!!」
自分よりも何倍も図体が大きいストーンゴーレムを見上げながらもグランは何ら焦った様子も見せず、頬を掻きながら呑気にそう尋ねた。言葉が通じる訳ではないのだが人間の姿を見つけたストーンゴーレムは雄たけびを上げ、威嚇体勢と取った。ズンと両腕を地面に叩きつけ、辺りに地響きを起こす。それでもまたグランは余裕の表情を崩さなかった。それどころかまだ眠いのか、欠伸をする始末であった。
「……ったく」
グランは面倒くさそうにそう呟き、ようやく腰にある剣を手に取った。ゴーレムもその瞬間グランに襲い掛かり、巨大な岩の拳を振り下ろす。そしてグランが剣を引き抜いた瞬間、その剣は巨大な剣へと変化し、グランはそれを振り抜いてゴーレムをバラバラに吹き飛ばした。ゴーレム自身は何をされたのか分からず、自身の砕け散った岩の身体を呆然と見ながら地面に崩れ落ちた。
「ゴッ……ガ、ァ……ッ!!?」
「ふわぁぁ……ああちくしょう、やっぱり坊主とまた一緒に仕事がしたかったなぁ」
グランがズンと重々しく巨大な剣を肩に乗せると、またその剣は通常サイズの剣へと形を戻し、鞘へと納めた。そしてバラバラになったゴーレムの岩を蹴飛ばしながらグランは何事もなかったように道を歩き、森の出口を目指して行った。




