3:勇者と魔王の内緒話
「よっこいせっと……うん、いい出来だ」
収穫の時期。畑の中で土だらけになりながらアレンは今年の収穫を確認する。引き抜いた野菜達を見つめ、しっかりと育っている事を確認して彼は喜んだ。
この分なら今年も大丈夫そうだ。リーシャとルナにも美味しい料理を食べさせてあげられる。まぁ二人の方が上手に料理出来るんだが。とアレンは思いながら笑って頬を掻いた。
「よぅ、アレン。今年の収穫はどうだい?」
「ああ、良い調子だよ。ダン」
ふと声を掛けられる。振り向くとそこには村人の一人であるダンが居た。アレンと同年代で昔はよく一緒にやんちゃをしたものだ。今はすっかり自分と同じくおっさんになっている。ただ一つ違う点があるとしたら彼の下半身からは獣のような尻尾が生えているという事だろうか。
「匂いも新鮮で良い。今年はアタリかね?」
「相変わらず良い鼻してるな。そうだな、お前にも少しは分けてやるよ」
「がははは、そりゃ助かる」
獣人。一般的に彼らはそう呼ばれる。ダンは狼型の獣人だ。この村では人間以外に亜種族の者も何人か住んでいる。山の中にある村で外界との交流も少ない為、身を隠す為にはうってつけの場所なのだ。その為、昔流れ込んで来た亜種族の者がそのまま住みつき、ダンのようなその子孫が今もこの村では暮らしている。小さい頃は全然疑問に思っていなかったが、改めてこう考えると中々凄い村だな、ここはとアレンは改めて自分の出身地の事を考える。
「早いもんだな。お前が村に帰って来てからもう八年か……二人もガキを連れて帰って来た時は村中の奴が驚いてたな」
「ははは、そうだな……」
ポケットに手を突っ込みながらダンは懐かしむようにそう呟いた。
確かにあの時はかなりの騒ぎになったとアレンは懐かしむ。突然昔村を飛び出した青年が、おっさんになってしかも赤ん坊を二人も連れて戻って来たのだ。それは驚くに決まっている。本当は帰りの途中で拾っただけというのが真実なのだが。
「リーシャちゃんもルナちゃんもホントおっきくなったな。しかも二人共美人ときた。お前にゃもったいないくらいの子達だよ」
「その通りだよ。二人共本当に良い子だ」
からかう様にアレンの肩を叩きながらダンはそう言って来た。アレンもそれに笑いながら同意する。
二人は本当にアレンにはもったいないくいらよく出来た子供達だ。リーシャは剣術の才能を秘め、ルナは魔法の才能を秘めている。恐らくどちらも達人クラスになる才能を持っている。本当に将来が楽しみだ。元冒険者だったからこそその期待は大きい。
「ところでよぅ……答え辛いなら良いんだが、二人の母親は誰なんだ?」
「……うん?」
ふと、いつものダンらしからぬ控え目な口調でそう尋ねて来た。
確かに母親が誰なのかは皆気になるだろう。皆気を遣って質問してこないが、ダンはもう大分時間が経ったから大丈夫だろうと判断して尋ねて来たのか。実際の所はアレンだって母親が誰なのかは知らないのだが。何故ならば拾った子供だから。だが今更それを説明するのも面倒だし、どうしたもんと悩み、アレンは無造作に髭を弄る。
「んー……」
「いや、本当に答え辛いんなら良いんだぜ?お前ってそういう事昔は全然だったし、きっと王都で色々あったんだろ?」
アレンが答えに悩んでいるとダンの方が気を遣ってそう言って来た。
ダンに気を遣わせてしまうとは……自分ももう少しマシな理由を考えておくべきだったかな。アレンは申し訳なさそうに頬を掻く。皆が気を遣ってくれるからついそれに甘えてしまった。
村でのアレンの印象はかなりの変わり者らしい。王都で冒険者として過ごしていただけでも十分彼らからしたら普通ではないのだ。それにアレンは幼い頃から一人で暮らしていた。剣の事や冒険者の事ばかり考えていた為、ちょっとだけ浮いた存在として見られていたのだ。単純に王都に行く事に憧れていただけなのだが……その結果アレンは王都で冒険者として過ごしている間に、件の女性と色々あったんだと周りからは思い込まれた。説明するよりそういう村人の勝手な妄想の方が都合が良いと思ってアレンはそれに合わせていたが、いつまでもそれに甘える訳にはいかない。事実を言う訳にはいかないが、それとなく信憑性がありそうな事は言っておこうとアレンは考えた。
「まぁ、訳アリでな……俺は一緒に暮らす事は出来なかったんだ。だから二人を連れて村に戻って来た」
「そ、そうか……」
結局無難にこう答えておいた。だってそもそも母親なんて誰か知らないし、赤ん坊が入った籠が置かれていただけだし、暮らそうと思っても暮らせないんだよとアレンは本音を心の中で呟く。だから嘘では無いはず……真実も言っていないが。とりあえずダンはそれで納得してくれているみたいだし、そういう事にしておいた。
「さてと、それじゃ俺はそろそろ収穫した野菜を持って家に帰るよ」
「おう、じゃぁまたな。アレン」
用意していたザルに野菜を乗せ、アレンはそう言って畑から立ち去る。ダンも手を振って自分の家へと戻っていた。さぁ早くリーシャとルナ達に美味しい料理を振舞ってあげよう。新鮮な野菜だ。さぞかし栄養も豊富で健康に良いぞ。ご機嫌な様子でアレンは道中鼻歌を歌いながら家に戻った。
◇
世の中は秘密で満ちている。嘘、隠し事、内緒話、数えだしたらキリがない。だが秘密という物はいずれ明かされてしまうものだ……例え、どんな残酷なものだったとしても。
自分の部屋で本を読んでいたルナはふと自身の手に目がいった。包帯で巻かれた手の甲。その部分をそっと撫で、そしておもむろに包帯を解き始める。透き通るような白い肌、包帯が取れた事で彼女の綺麗な肌が露出され、そして手の甲に絵が描かれている妙な形をしたアザが現れる。
「…………」
否、アザではない。シミでもなければタトゥーでもない。これは生来より刻まれた伝説の紋章、〈魔王の紋章〉である。暗黒大陸の王である魔王を象徴する漆黒の翼、それがこの紋章が本物である事のなによりの証拠。ルナはその紋章を見つめながら忌々しそうに指で強く撫でた。
「魔王の、紋章……私が魔王……そしてリーシャが、勇者……」
ルナも最初はこんなものただのアザだと思っていた。現に気になって父であるアレンに聞いた時、彼は何食わぬ顔でただのアザだろうと言っていた。だから気にしなかった。気にしてはいけなかった。
なのに彼女は思い知ってしまったのだ。自身の才能を。あまりにも膨大過ぎる自身の魔力に。自分は他の人とは違う。感覚も、考え方も、感じ方も、人間とは違う。獣人ともエルフも違う……自分は魔族なのだと、ルナは幼い時に知った。同時にそれはアレンが自分の〈本当の父親〉ではないことを意味していた。
その時ルナは大き過ぎる絶望と激しい混乱に襲われた。ずっと信じて一緒にいた人物が、本当の父親ではなかった。そのショックは幼い子供が負うにはあまりにも大き過ぎた。
彼は人間だ。アレンはまぎれもなく人間である。自分と同じ魔族ではない。魔族にも様々な種類あるが、人間と魔族の簡単な見分け方は魔力量だ。魔族は人間よりも何倍もの魔力を持っている。まだ幼いルナの魔力は、長年冒険者として戦って来たアレンの魔力を何百倍も上回っていた。
そしてルナは歴史の本を見てこれが間違いなく魔王の紋章である事を知り、自身が魔王に選ばれた子供だという事を理解した。自分が何をしなくてはならなくて、どのような宿命を背負っているかを知り、それ以来彼女は悩んでいた。何故人間のアレンに育てられているのか。そしてどうして宿敵であるはずの勇者が、自身の姉として一緒に暮らしているのか。それが最大の不明点であった。
「ん、何してんの?ルナ」
「ッ……リーシャ」
ふと背後から姉であるリーシャに声を掛けられる。ぼーっとして気付けなかった。ルナは慌てて手の甲を隠そうとした。だが、それは止めた。一緒にお風呂だって入った事があるのだ。この包帯はもしも誰かに見られて勘違いされたら困るから、という事でアレンから日頃巻くように言われていた。村人達にはお守りと言う事で通してあり、リーシャも同じく。お互い、自分達の手の甲に明らかにアザとは思えない紋章があるのは知っているのだ。だからルナは無駄な抵抗は止め、椅子に座ったまま体勢を変えてリーシャの方に視線を向けた。
「別に……何も」
「ふーん……あのさぁ、ルナ昆虫の本持ってたよね?貸してくれない?さっき庭で珍しい虫がいてさー、なんて種類か知りたいんだ」
ルナが答えるとリーシャは別に気にした素振りは見せず、ずかずかと部屋に入り込んでルナの本棚から昆虫図鑑の本を探し始めた。ルナはその様子をただ黙って見つめる。その違和感に気づいたのか、リーシャも本を探す手を止めてルナの方を振り返る。
「……ルナ?」
「……本当は、リーシャも気づいてるんでしょ?私達の手の紋章について……」
ルナは恐る恐るそう質問する。額から嫌な汗が一筋垂れたが、彼女は気にしなかった。いい加減聞かなければならない。自分達の正体について、何故魔王と勇者である自分達が同じ子供として育てられているのかを、知らなければならないのだ。
そう覚悟を決めてルナが聞き終えると、リーシャは僅かに目を細くし、何か考えるように髪を弄るとおもむろに自身の手の甲にある包帯を解き始めた。当然、そこから勇者の紋章が現れる。伝説の聖剣を象った紋章。紛れもなく本物の勇者の紋章だ。
「これねー。勇者の紋章らしいけどこの剣かっこいいよねー。私もいつかこんな剣欲しいなー。あ、でもルナの翼みたいな紋章もかっこいいよね。本当にそんな鳥居るのか……」
「ふざけないで!」
思わずルナは柄にもなく大声を上げてしまう。
本当はこんな苦しい質問はしたくない。アレンの事は例え本当の父親じゃなかったとして、ルナにとっては本当の父親のように大切な存在である。その想いは事実である。そして姉妹として一緒に暮らして来たリーシャも、大好きな姉なのだ。だから、知らなくてはならないのだ。真実を。
ルナはプルプルと肩を震わせ、強く拳を握り絞めた。
「……私は魔王、リーシャは勇者……私は魔族で、お父さんとリーシャは人間……二人が本当の親子かは分からないけど、私がお父さんの娘じゃない事は確実……」
熱い思いが込み上げてくる。喋る度に喉が潰れそうだった。それでも彼女は喋り続けた。真実を。自身の存在を、明かした。自分がアレンの娘ではないと言うだけで胸が張り裂けそうだった。涙も流しそうになった。だがルナは目を真っ赤にしながら言い終えた。それを見てリーシャはふむと呟いて首を捻る。
「いやー……私も父さんの娘じゃないでしょ。だって全然似てないじゃん。お父さん茶髪だし」
「……えっ……へ?」
「まぁ本当の家族じゃないけど?父さんの事は大好きだし、ルナの事も大好き。勇者と魔王だけど、別に良いじゃん。そんな事」
何を言っているのか、とルナは一瞬理解出来ずに口をぽかんと開ける。それくらい簡単にリーシャは自分が抱いている悩みに対して答えを提示して見せたのだ。そのあまりの潔さにルナは面喰い、声を失ってしまう。
「私達が今幸せなら、それで良いんじゃないの?それともルナはお父さんの事が嫌い?私の事が嫌い?」
綺麗な金色の瞳で、何の疑う素振りも無くリーシャは首を傾げてそう尋ねてくる。その姿はルナにはあまりにも眩し過ぎた。思わず目を瞑ってしまいそうになったが、かろうじて目を開けたままでおく。そして自身の胸に手を当て、答えを考えた。その答えはすぐに出て来た。
「……ううん」
「なら良いじゃん。私も何で勇者の自分がこんな平和な生活してるのか分からないけど……きっと神様がこうしておいて欲しいって願ってるんだよ」
「え……?」
リーシャの分からない理論にルナは首を傾げる。
何故神様がそんな事を願うのだろうか?勇者だったら当然国の為に魔物を倒したり、悪者から国を守ったりするはずだ。それをしないで欲しいというのが、神様の願いだというのだろうか?ルナはそう疑問に思った。
「だって今の世界って平和じゃん。それでもし勇者の私と魔王のルナがこの村から出て世間に出たら、どうなると思う?」
「……魔王である私は魔族達が迎えに来て、魔王として暗黒大陸を支配する事になる。そうなったら今度は人々が魔族を怖がって、勇者であるリーシャに助けを求める……そしたら……」
「戦争が始まるね」
魔王であるルナは魔族側からすれば希望だ。強大な力を持つ王が再び現れたとなり、彼らは世界を支配する為にルナを完全な王とならせるだろう。同時に魔王の危険を感じ取った人間側は、救世主であるリーシャに縋ろうとする。勇者として国を守ってくれと懇願するだろう。そして二つの国は言わずもがな戦争を始める。魔王が居るならば滅ぼさなければ、勇者が居るならば滅ぼさなければ、その思想によって多くの血を流そうとする。
「もちろん、戦争は今もどこかで起こってる……けど、かつて一つの大陸を消し去ったと言われる程の人間と魔族による〈大陸戦争〉がもう一度起これば……父さんだって死んじゃうかも知れない」
リーシャはあっけらかんとそう言い切った。自分達がどれ程危険な存在であるか、もしも外の世界に出ればどれだけの影響を与えるかを分かっていたのだ。ルナは自分の家庭環境の事しか考えていなかった。パニックでそれどころではなかったのだ。だからルナは尊敬した。先の事まで考えつくしているリーシャの事を。
「私達は言わば鍵よ。物事は小さな切っ掛けで起こる。私達は、極力世間に出ちゃいけないの」
「……ッ」
「ね。でも私達は今の生活で十分幸せ。だからこのままで良いの」
リーシャは既に答えを出していた。全てを分かった後にどのように生きれば良いのかを理解していたのだ。だから父であるアレンに無駄な質問はしないのだ。そんな事したところで自分の想いは変わらないのだから。
「もしかして……お父さんもその事を分かってて私達を……?」
「さぁ。正直父さんが何者なのかよく分からないし。何で勇者の私と魔王のルナを一緒に育てる事が出来たのかが一番謎だし……いずれにせよ今この形が最善だから、わざわざ聞き出す必要もないでしょ」
全ての答えは出た。だがここで最大の疑問点が浮かぶ。今まで提示した問題と比べれば危険がある物では無いが、一番重要な疑問だ。自分達の父親であるアレンが、どうやって勇者と魔王である自分達を一緒に育てられたのか?
そもそもただの村人が勇者を育てるだけでもおかしいのに、魔王まで育てているというのは明らかに異質である。王都の重要人物に任せられているのか、それとも誰かに託されたのか?それを考えているとやはりアレンが何者なのかと言う事に二人の疑問は行きつく。聞いてみても昔は冒険者だったとしか答えない。その実力は勇者と魔王である自分達でも凄いと分かるもので、洗練された剣術、多種多様な魔法。それを両立させているのが彼の実力者としての力を現している。やはりただ者でない事は確かなのだ。
「お父さんって……凄い人なんだね」
「なに、今更気付いたの?ルナ」
昔から凄い人だという事は分かっていたが、改めて理解し、ルナは零すようにそう呟いた。するとリーシャはからかうようにニヤリと笑って見せた。ルナもそれを見ると釣られて思わず笑みを零した。
「おーい、二人共帰ったぞー。今日は新鮮な野菜がいっぱいとれたぞー」
すると丁度タイミング良くアレンが帰って来た。玄関の方から二人の大好きな父親の声が聞こえてくる。二人は先程まで話し合っていた重要な内容の事など忘れ、早く大好きな父親に会いたいという思いから部屋を飛び出した。
「はーい父さん! 今日のご飯なにー?」
「お父さん、私も手伝う」
リーシャとルナは玄関に向かい、アレンに抱き着きながらそう言い合った。老いても体格の良いアレンは見事二人を受け止めて見せる。そして幸せそうに満面の笑みを浮かべた。