28:新しい日常
シェルが村に滞在するようになって数日、今日もまたアレンは畑仕事をしていた。額から垂れる汗を拭いながら野菜達の様子を確認し、順調に育っている事を知ると満足げに頷いた。そしてふと顔を上げると、家の庭の方ではいつもと少し違った光景があった。
いつもリーシャと剣の稽古をするその庭では、ルナとシェルが魔法の勉強をしているのだ。
「じゃぁつまり魔法の詠唱には必要ない部分があるって事ですか?」
「詠唱はあくまで正確性を上げる為のものだからね。ルナちゃんみたいな膨大な魔力を持ってる子なら詠唱がなくても十分な威力の魔法を使えるんだよ」
ルナがそう質問し、シェルが一つ一つ丁寧に説明する。その様子は正しく魔術師の師弟のようだとアレンは感じた。実際ルナがシェルに魔法を習いたいとお願いしたので、それは間違いではないだろう。しかしかつては自分の教え子だった子が今度は自分の子供を教えている先生になるとは何とも感慨深いとアレンは思った。
「珍しいねー。ルナがあんなに熱心に人から物を教わるなんて」
「ああ、そうだな」
ふと畑の隅で座っていたリーシャがアレンにそう声を掛けた。
いつもならこの時間はリーシャはルナと遊んだりしているのだが、今はルナがシェルから魔法を習っている為、要するに彼女は暇であった。その為アレンの畑仕事を眺めたり手伝ったりしていたのだ。
(確かに魔術師協会の人間とは言え、ルナが外の人間とあんなに積極的に話すのは珍しいな……)
珍しい以前にそもそもそんな姿は見た事もない。アレンは自身の髭を弄りながら少し思考を巡らせた。
そもそもリーシャとルナは外の世界に出る事を遠慮していた。単純に興味がないだけなのかは分からないが、活発なリーシャですら山の外には出ようとしない。そしてルナに至っては元から大人しい性格もあってから村の人達ともリーシャ程交流がある訳ではなかった。リーシャはしょっちゅう村中を歩き回って村人とお喋りしたりしているが、ルナは家で本を読んだり、クロと遊んだりしている程度だ。つまりルナは他人との交流をあまり積極的に行わないのである。だからアレンはルナが人付き合いが苦手なのだと思っていたが、今のルナとシェルの様子を見る限りそれは少し違うように思えた。
「そもそも何であの人がウチに住む事になったのー?父さん」
「それはまぁ成り行きと言うか。村長も俺の所の方が昔教え子だったんだからシェルも安心出来るって……」
「むー、父さんは優し過ぎるんだよー」
実はシェルは今アレンの家で一緒に暮らしている。村長の計らいで昔付き合いがあったのならその方がお互い色々昔話を出来るだろうという事でそう取り決められたのだ。
ルナも案外シェルに懐いている。アレンもシェルから外の話を聞けるので色々助かっているのだが、一方でリーシャはあまりシェルを好いている様子ではなかった。これはアレンにとっても意外な事で、リーシャだったらシェルのような外の人間は大歓迎だと思っていた。そもそもリーシャのような明るい性格なら誰とでも打ち解けると思っていたのだが、いかんせん彼女はシェルの事を警戒している様子はある。露骨に態度には出さないが、いつものように積極的に話しかけるような事はせず、今もこうしてアレン傍の芝生の上に座ってルナ達の様子を伺っているのだ。
「リーシャはシェルの事があまり好きじゃないのか?」
「そういう訳じゃないけどー……」
試しにアレンは手を止めてリーシャにそう尋ねてみる。
リーシャがシェルと一緒に暮らす事をそこまで思い詰めているのならば少し考えなければならない。シェルも大事な教え子だが、リーシャも大切な娘なのだ。優劣を付ける訳ではないが、どちらにとっても良い影響を与えないのならばシェルにも距離を取ってもらった方がお互いの為になるだろう。そう思ってアレンが尋ねると、リーシャは膝を抱えて身体を丸めながら言葉を零した。
「確かにシェルさんは優しいし美人だし家の掃除とかもしてくれるけど……そういう問題じゃないの~!」
「そ、そうなのか」
不満そうに手をバタバタと振りながらリーシャはそう訴える。その可愛らしい反抗にアレンは間抜けな返事をする事しか出来なかった。
リーシャが何故シェルの事を好いていないのかは分からない。年頃の女の子だしデリケートな問題なのだろう。こういう時男親というものは難しいものだと感じながらアレンはあまり追求しない事にした。
「大体シェルさんってどういう人だったの?随分と父さんの事尊敬してるみたいだけど」
ふとリーシャ膝を抱えたまま身体を揺らしながらそう尋ねて来た。そう言われてアレンもふむと声を漏らし、どう言ったものかと悩んだ。
リーシャ達には既にシェルが昔冒険者をやっていた時の後輩だという事は伝えてある。シェルはアレンの事を律儀に先生と呼んでいるが、アレンからすればあくまでも同じ冒険者の後輩であり、昔少し面倒を見ていたに過ぎない。故に尊敬していると言われてもアレンからすればそれはシェルの優しさに過ぎないと思っていた。
「何というか、ルナに似ていたかな……今は大人になって大分社交的になったが、昔はもっと大人しくて、どっちかと言うと無口な子だった」
顎に手を置きながらアレンは思い出すようにそう言う。
シェルは元々大人しい子だった。パーティーの中でも積極的に前に出ようとはせず、遠慮して誰かに譲るような性格だった。それでも礼儀正しく人とは少し距離を置いているだけという印象を受けた。正しく今のルナのような感じだ。
そう思ってアレンはもう一度ルナとシェルの事を見た。こうして見ると二人はちょっと歳の離れた姉妹のようにも見える。
「パーティーで依頼を受けてた時も分け前は少なくて良いとか言ってたよ。自分はあまり貢献してないので……って、そう言ってもシェルの援護魔法のおかげで助かった場面が幾つもあったんだがな」
「ふ~ん……」
シェルはその性格からパーティー内でも控え目だった。あまつさえ報酬の分け前も一番少なくて良いと言い出し、周りともあまり関係は持とうとしなかったのだ。アレンは世話係という事でシェルとよく居る事が多かったが、それでも彼女は必要最低限の事しか話さなかった。
今のシェルを見るときっと色々あったんだろうとアレンは感慨深く思った。
「父さんは……シェルさんの事好き?」
「うん?……まぁそうだな、頼りになるし家事も出来るし、嫌いな部分はないよ」
「……そういう意味じゃないんだけど」
少し聞き辛そうな顔をしながらリーシャはそう尋ねたが、アレンはリーシャの言った意味とは違う感覚で答えた。リーシャはそれを聞いて小さくため息を吐いた。
「まぁとにかく、シェルも悪い奴じゃないから仲良くやってくれ。リーシャも話せばきっと打ち解けられるから」
「んー、は~い」
ひとまずシェルが悪い人ではないとアレンは教え、リーシャに仲良くしてくれるように頼んだ。リーシャまだ不満そうに頬を膨らませていたが、最終的に頷いて了承した。
それからアレンも畑仕事をひと段落終え、ルナ達も勉強を一時切り上げた。リーシャも自分なりにシェル歩み寄ろうという事で幾つか質問しに行ったりしており、シェルも笑顔でそれに答えていた。
そして夜、夕食を食べ終えアレンは皆の食器を洗っていた。リーシャとルナは先に寝る支度を始め、シェルが食器を運ぶのを手伝ってくれている。
「ご馳走様でした。先生の料理が久しぶりに食べれて嬉しいです。相変わらず上手ですね」
「そうか?そう言ってもらえるとこっちも作った甲斐があるよ」
今のシェルは魔術師協会が着用する白い制服を着ている。黒の縦線と魔術師協会の紋章が入っており、この姿を見ると改めてシェルが昔とは違う事をアレンは感じた。そしてアレンの料理を八年振りに食べたシェルは嬉しそうに頬を緩ませながらそう言った。アレンもそれを聞いて少し恥ずかしそうに頬を掻きながらも満足そうに顔を頷かせる。
「ここは良い村ですね。皆優しいですし、亜種族の方も何人か見掛けました。おおらかな村なんですね」
アレンの隣に立ち、食器洗いを手伝いながらシェルはそう言う。シェルが袖を捲ると白い肌が見えた。アレンの武骨な腕とは違って女性らしい細い腕だった。
「昔流れ込んで来た亜種族の子孫なんだ。何分辺境の土地だからな。静かに暮らしたいと望んでる亜種族にはうってつけの場所なんだよ」
拭き終わった皿を置きながらアレンは軽く村の事を説明した。
辺境の土地の為この村では外界との接触が少ない。差別や過激な制度もない為、居場所を求める亜種族には安息の地なのだ。尤もこれは大昔〈大陸戦争〉が起っていた時の話であり、今は亜種族に対しての偏見も少ない。この村はその時の名残りと言えるだろう。
「先生もこの村出身なんですか?故郷なんですよね」
ふと洗っていた皿の手を止めて首を傾げながらシェルはそう尋ねて来た。その水色の瞳は綺麗に輝いており、純粋に疑問に思ってそう尋ねたのだろう。アレンも皿洗いの手を止め、少し顔を俯かせた。僅かに間を置きながら口を開いてシェルの疑問に答える。
「ああ……そうだ。この村で育った。ずっとな」
少し間があったがアレンの答えにシェルは大して疑問に思わず、そうなんですかと言って皿洗いを再開した。アレンも誤魔化すように笑みを浮かべながら皿洗いを再開する。
「ルナの調子はどうだ?魔法の勉強を教えてるみたいだが」
「はい、やっぱり先生の教えが良いんですかね。とても飲み込みが早くて成長が早いですよ」
「あの子は元々魔法の才能があるからな」
アレンは昼間気になっていたルナの事をシェルに尋ねた。するとシェルも待っていましたと言わんばかり嬉しそうに報告した。魔術師協会の人間だからか、シェルもルナの才能の凄さは理解しているらしく、教える事を楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「嬉しいです。先生のお子さんを私が教えられるなんて、光栄です」
あらかたお皿が吹き終わるとシェルは胸に手を当てながら暖かい声色でそう言った。その表情は本気でそう思っているらしく、シェルの言葉には重みがあった。それを聞いてアレンは思わず肩を竦める。
「言い過ぎだって。あまり気張らず教えてやってくれ。俺もそろそろ教えてやれる事がなくなってきた所だからな。魔術師協会に務めてるシェルなら心強いよ」
「先生のご期待に応えられるよう、頑張ります」
アレンも丁度ルナに魔法の事を教えてあげるのには限界が来ており、最近は魔法書に頼ってばかりだった。そこに魔術師協会に所属しているシェルという教師が現れてくれたのは幸運だ。シェルなら様々な魔法を研究して知っている。彼女の知識ならきっとルナにも良い影響を与えるだろう。そう予測してアレンはシェルに宜しく頼むと言うが、かつて教え子だったからかシェルは重く取り過ぎてしまい、アレンは乾いた笑みを零した。
「ところで調査の方はどうなんだ?俺としてはいつまでもシェルが家に居てくれて構わないんだが、目途とかは立ってるのか?」
「ああ、はい。ぼちぼちと言った所ですね。時々本部と連絡を取ったりするので、もう少し厄介になるかも知れません」
「全然構わないよ。その方がルナも喜ぶだろうし」
皿洗いを終えた二人はリビングの方に戻り、椅子に座ってお茶を飲みながら話をした。内容はシェルの調査の事で、アレンも調査の内容は一応聞いている。この近くで死体で見つかったベヒーモスの調査。シェルの推測ではベヒーモスは何者かが人間の大陸に放ったのだと考えているらしく、アレンも少しだけその事が気になっていた。
「先生はどう思いますか?ベヒーモスが人間の大陸に居るのは、やっぱり変だと思いませんか?」
「うん……そうだな」
お茶を飲みながらシェルはカップに両手を当てながらそう尋ねる。シェルも色々考えているらしく、アレンに助言を求めていた。また昔みたいにアドバイスを賜りたいと思っていたのだ。そのやり取りを懐かしく思いながらアレンも顎に手を置き、悩み考える。
(確かにベヒーモスが理由もなく人間の大陸に入り込むのは妙だし……そもそもベヒーモスが何故死体で見つかったのかも引っ掛かる)
ベヒーモスが現れた事はこの村まで報せが来たし、その対策も用意しておいた。だが蓋を開けてみれば冒険者を無双していたベヒーモスは死体で見つかり、討伐者も誰も名乗りを上げずにその事件は謎のまま終わった。この事にアレンは違和感を覚えていた。
(まぁ……思い当たる節がない訳ではないが)
目を細め、アレンも幾つか思い当たる事を浮かべて答えを導き出そうとする。しかし結局彼は目を瞑り、その考えを振り払うと何事もなかったように目を開いた。
「ひょっとしたら地形変動とかがあったとか、そういうのなんじゃないか?そもそもベヒーモスを操れるような奴がいるとは考え辛いし」
「それもそうですが……」
とりあえずアレンは一番あり得そうな答えを出しておいた。
特定の地域にしか生息していない魔物でも地形変動や大きな環境変化によって縄張りを変える事もある。ならば暗黒大陸で何かがあってベヒーモスが人間の大陸に流れ込んで来たと考えるのが自然だろう。それでも何故ベヒーモス程の魔物がわざわざ遠い人間の大陸にやって来たのかという違和感は残るが。
「まぁシェルもあまり根詰めすぎるなよ。もうすぐ村祭りもあるから、面白いのが見れるぞ」
「村祭り、ですか。それは楽しそうですね」
難しい顔ばかりしているシェルにアレンはそう声を掛ける。
この村で年に一度行われる祭り。小さい頃はアレンもよくその祭りを楽しんでいた。今はリーシャやルナの楽しんでいる姿を見るのが一番嬉しいが、それでもこの時期が来ると心躍るものがある。
シェルは村祭りと聞いておおと声を漏らしながら興味ありそうな表情を浮かべた。シェルもこの村の祭りは少し気になるらしい。
「ああ、きっと楽しいさ」
アレンも笑みを浮かべながら自信ありげにそう答える。だがその言葉はまるでそう望んでいるかのようで、少し弱々しいものだった。
アレンは今の平穏を望んでいる。ただ力だけを望んでいた昔とは違い、今の彼には家庭がある。そして今回はシェルも加わった。今年の村祭りも上手く行くようにと彼は心の中で願った。




