27:棘
ルナが今立たされている状況は正に人生の瀬戸際であった。
今までずっと隠してきた魔王という素性を見抜かれ、自身が使用していた魔法もあっさりと見破られる。更にそれが魔術師協会の大魔術師であり、力づくで解決する事すら難しい。頼りになるリーシャも傍には居なく、ルナは緊張で唾を飲み込んだ。
「…………ッ」
どうするべきかとルナは一歩後ろに下がりながら考える。
木の陰ではクロが隠れて待機してくれているが、クロの力を借りたとしてもこの状況を乗り切る事は難しいだろう。
大魔術師であるシェルの実力は以前ルナ達が苦労して倒したベヒーモスを簡単に始末する事が出来る程である。少なくとも最低はその力がなければ大魔術師にはなれない。もちろん力だけが全てではないが、それだけの技術と魔力を持っていなければ大魔術師にはなれないのだ。故にルナは心して掛からなければならない。それこそ命を懸けてこの状況に向き合わなければ、今まで通りの平和な人生を送る事は出来ないのだ。
(バレた……魔王である事が。何で?……いや、考えれば分かる……この人の方が私よりも魔法の技術が何倍も上だからだ……っ)
ルナは困惑し、何故自分が魔王である事が見抜かれたのかを考える。そしてその答えはすぐに出て来た。
ルナが使用した自分の溢れんばかりの魔力を隠す為の魔法の数々。そのような魔法を見破る方法はその魔法の構造について理解し、大量の魔力を持っていればすぐに違和感に気付ける。そして意識してしまえば簡単に解除出来るのだ。
つまりシェルはルナの感覚操作魔法と結界魔法にすぐに気付けるだけの大量の魔力を持ち、それらを解除出来るだけの魔法の知識を有しているという事である。後は魔術師協会の人間が得意とする解析魔法なり魔力を探るなりすればすぐにルナが魔王だと気付けるだろう。少なくとも彼女は初対面の時点ではルナが人間でなく魔族だという事にも気づいていた。
この時点でルナは今の自分の実力ではシェルには敵わないと痛感させられた。最悪の事態を想定し、ルナは重苦しい表情を浮かべながらシェルと対峙する。そんな彼女に対してシェルは困ったように口を開いた。
「ちょっと失礼」
「あっ……」
不意にシェルは軽く指を振るう。するとルナの手の甲に巻いてある包帯が勝手に解け始めた。それを見てルナは慌てて幻覚魔法を使い、手の甲にある紋章を隠す。しかし再びルナが指を振るうとその幻覚魔法は打ち破られ、手の甲にある魔王の紋章が露わとなってしまった。
「その紋章……やっぱりそうなんだ」
「…………ッ!」
魔王の紋章を見てシェルはルナの正体を確信する。一方でルナも慌てて手の甲をもう片方の手で隠し、唇を噛みしめながらシェルから距離を取った。
正体がバレてしまった以上このまま帰す訳にはいかない。ルナは覚悟を決めてどう対処するかを考えた。
「あ~……そんなに警戒しないで?別にルナちゃんが魔王だからってどうこうするつもりはないから」
「……え?」
敵意はないよと証明するように両手を上げながらシェルはそう言う。そんな意外過ぎる言葉を聞いてルナは思わずぽかんと口を開いた。
人間側からすれば魔族は敵である。それは一般常識であり、覆す事の出来ない常識なのだ。ましてやルナは魔王。敵意の対象として見るには十分過ぎる程危険な存在である。
それを知っていながらもシェルはどうこうするつもりはないと言い切った。両手を上げて一切の警戒心を持たず、その姿は子供のルナでも魔法で拘束出来るくらい無警戒だった。だがルナも簡単にその言葉を信用する事は出来ない。未だに警戒心を高めながらシェルと一定の距離を保っていた。
「ルナちゃんを見てれば分かるよ、優しい子だって。村の人達も大人しくて良い子だって言ってたし、人間に危害を加えるつもりはないんでしょ?だったら私だって何もしない」
シェルは既に村人達とも会話してリーシャとルナの様子を知っていた。本来勇者と魔王である二人が仲良さげな姉妹として暮らしている。そう聞かされて二人の状況を察したのだ。故に彼女はルナが魔王だとしても普通の態度で接した。
「そんなの……信用できません」
「まぁそうだよね。でも本当だよ。ルナちゃん達が先生に愛されてるって事はさっきの話で十分分かったから」
ルナは警戒しながら自然と胸の前で手を組んだ。それを察してかシェルもそれ以上歩み寄ろうとはせず、手を下ろしながら話しを続けた。そして頬を緩め、ルナにニコリと優しく微笑み掛ける。
「だから私はルナちゃん達に危害は加えない。先生が傷つくような事は絶対にしたくないから」
笑顔でシェルはそう言い切って見せる。ルナはそれを嘘と断定するか信用に値するかまだ決断する事は出来なかった。だが彼女の言葉に強い意思が込められている事だけは分かり、組んでいた手を解いて少しだけ警戒を解いた。
「……リーシャが勇者だって事も気づいてるんですか?」
「ああ、やっぱりそうなんだ。やけに周りの小精霊達が多いからもしかしてって思ったんだけど。あっちは私の専門分野じゃないから確信が持てなかったんだ」
一瞬要らない事を言ってしまっただろうかと唇を噛みしめるルナだが、どうせ彼女なら遅かれ早かれリーシャの正体にも気づくだろうと考え、思考を切り替えた。当のシェルは意外そうに手をぽんと叩きながら顔を頷かせていた。
「でも凄い状況だね。勇者と魔王が一緒に家族として暮らしてるなんて。国王とかが聞いたら腰を抜かしちゃいそうだよ」
「…………」
ルナとリーシャの関係性を知るとシェルは笑みを零しながらそう言った。
確かに今の状況にはルナも面白がった事はあったが、恐らく国王に知られればシェルが言うようには簡単にはいかないだろう。そう思いながらルナは乾いた笑みを零した。そして真剣な表情に戻り、シェルに疑問を投げ掛けた。
「何が目的なんです……?」
「別に何も企んでないよ。私がここに来たのは本当に調査が目的。先日何者かに討伐されたベヒーモスの調査をね」
魔術師協会の人間だから何らかの調査が目的なのはルナも予測出来ていた。そしてそれは案の定ルナも関わっていた事件の調査だった。
シェルはふと横にあった切り株に座り込んだ。相変わらず無警戒である。ルナも先程よりは警戒心を解きながらシェルの話の続きを聞いた。
「傷跡と魔力の痕跡でベヒーモスを倒したのは剣士と闇魔法を扱う魔術師の二人だって事は分かった。私の勘だけどそれってリーシャちゃんとルナちゃんじゃないかな?」
「…………」
シェルは試すように含みのある声でルナにそう尋ねた。ルナはただ黙って顔を俯かせた。
簡単な推理である。辺境の土地で普通の冒険者では決して倒す事の出来ないベヒーモスが死体で見つかった。その近くに勇者と魔王の紋章を持つ少女達が居た。この時点で疑われて当然だ。
ルナはシェルの質問に否定する事も肯定する事も出来ず、別の切り口を探した。
「だから何です?確かにベヒーモスを倒したのは私とリーシャです……それを協会に報告すれば良いじゃないですか」
「うん、まぁそれもそうなんだけど……」
ベヒーモスの調査を任されているのならば倒したのがルナとリーシャだと分かった時点でそれを報告すれば良いだけである。シェルは勇者と魔王を発見した人物として称えられ、協会もしくは王国の兵士がリーシャ迎えに来て、魔王のルナは始末されるであろう。それが本来の取るべき行動である。ルナは半ば自虐的にそう言ったが、シェルは首を横に振った。
「協会が気にしてるのはもっと別の事。どうやって暗黒大陸に生息してるベヒーモスが人間の大陸に侵入して来たのか……ってとこなの」
指を一本立ててそれを振りながらシェルは真剣な表情でそう言った。それを聞いてルナも先程までの焦っていた態度を抑え、急に冷静になる。
言われてみれば確かにそこはルナも疑問に思っていた部分であった。普通暗黒大陸に住んでいる魔物が人間の大陸に侵入して来る事はない。あったとしてもこんな辺境の土地ではなく、暗黒大陸に近い土地で目撃情報が上がるはずである。だが今回のベヒーモスは中心都市である王都やその周りの街で突然被害情報が上がっていた。
ルナもアカメを通じてその情報が知っていた為、その事に首を傾げていたのだ。結局倒せたから問題は去ったと思ったが、よくよく考えればこれは不味い問題かも知れない。そして一つの可能性に思い至り、ルナは口を開いた。
「ベヒーモスを、意図的に人間の大陸に侵入させた者が居るかも知れないって事ですか……?」
「そういう事」
ルナがそう呟くとシェルはビシリと指を突き付けた。どうやらシェルもそう考えていたらしい。
その仮説が一番現実的だ。中心都市までベヒーモスを目撃されないように運び、王都やその周辺の街で暴れさせる。その目的が何なのかは分からないが、何かしらの目的があって行動したというのは予測出来る。そしてルナはここでも思い至る事があった。
「まさか……私かリーシャを狙って……」
「かも知れないね。私もそれが一番可能性があると思ってる」
ルナが呟くとシェルも顔を頷かせて同意する。
普通に考えれば勇者と魔王を探している存在が居てもおかしくはない。現に一度は勇者教団という組織がリーシャを攫うまでに至った。それがその役目を全うしてもらう為に探しているのか、それとも敵対している者として始末するつもりで探しているのかは分からないが、いずれにせよ平穏を願っているルナからすれば厄介な存在に変わりない。ルナは自然と拳を握り絞めた。
「私の予測では多分この件には魔族が関わってると思う。どの程度の勢力なのか、何人敵が居るのかとは分からないけど、それを調査する為に私はここに来たの」
ここでようやくシェルは自分の本当の調査対象を伝えた。
問題なのはベヒーモスではなく、そのベヒーモスがどうやって人間の大陸に侵入して来たのか?そして関係があるかも知れない魔族の正体を探るという事。彼女は今回そのような使命を背負ってこの山にやって来たのだ。
「私は先生の事を尊敬している。そして先生の幸せを守りたいと思ってる。それが恩を返す事になると思ってるから……そして私が今回この事件を調査すれば、ルナちゃん達の平穏を守る事に繋がると思うの……」
切り株から身体を起こし、ルナの前に寄って膝を付き、シェルはルナと同じ目線になる。その話し方はどこか切実で、水色の瞳は揺らめいていた。強い意思を感じながらルナも警戒する事を忘れ、その言葉をしっかりと聞いていた。
「だからお願い。私を少しだけこの村に居させて」
元々少し幼い顔立ちをしているからか、シェルのそのお願いの仕方は子供のようだった。だがきっと本人がそのつもりでルナにお願いしているのだろう。同じ目線として、大人と子供関係なく平等に接する意味でそう尋ねて来たのだ。ルナはそんなシェルの顔を見てようやく少しは信用出来るようになった。シェルが本当にアレンの事を好いていると分かったからだ。
「……分かりました」
ルナはコクンと顔を頷かせて了承した。
まだ完璧に信用した訳ではないが、少なくともシェルが本当にアレンの事を尊敬している事が分かった。それにわざわざ魔王だと分かった上でルナにこんな話を持ち掛けたのだ。協会に報告するだけならわざわざこんなコンタクトは取らないはずである。そう判断した上でルナはシェルの事を敵ではなく味方として見る事にした。ただし、条件もあるが。
「その代わり……私に魔法を教えてください。大魔術師が扱う魔法には興味があるので」
「……! もちろん。それくらいなら全然構わないよ」
その代わりと言われて一瞬強張った表情をしたシェルだが、ルナの条件を聞くと優しい笑みを浮かべ、お互いに手を取り合った。シェルの手は少し冷たかったが大人の大きな手であり、どこか安心出来るような気がした。ルナは何となく気持ちが和み、そっと笑みを零す。
こうして魔王と大魔術師は一つの約束をし、協力し合っていく事になった。
その後、シェルは先に村へと戻り、村に滞在する許可を貰う為にアレンと共に村長の家へと向かった。リーシャと合流したルナは先に家に戻り、早速ルナはこれまでの経緯を伝えた。
「えー!? あの女の人に魔王だって事バレちゃったの?」
「うん……リーシャが勇者だって事も」
「ええー!!?」
ベッドの上でゴロゴロ転がっているリーシャにルナはシェルに正体が見抜かれてしまった事を伝える。するとリーシャは顔だけ起こして驚愕した表情を浮かべながらそう悲鳴を上げた。そして急に不安そうな顔色に膝立ち状態でルナの方に近づいて来た。
「だ、大丈夫なの?外の人なんでしょ。すぐに広められちゃうんじゃないの?」
「大丈夫だと思う……私達の現状も分かってくれてるみたいだし……それに、お父さんの弟子だから」
「えー?……あー、うーん。まぁ、それもそうかな……?」
心配そうにそう言うリーシャを落ち着かせながらルナはそう説明した。その言い分にちょっと疑問に思って首を傾げながらもリーシャはなんだかんだ半分は納得した。
「ベヒーモスの事で調査しなきゃいけない事があるんだって。それでしばらく村に滞在するって」
「あー、あの魔物の事か……」
シェルの目的も伝え、ベヒーモスの事だと知るとリーシャはベッドに座り直して口元に手を当てながら真剣な表情になった。
やはりリーシャもベヒーモスの事に関しては気になる所があったらしい。彼女の黄金の瞳は普段の明るい雰囲気とは違って重苦しい色に染まっていた。
魔族が関わっているかも知れないとシェルの見解も伝えるとリーシャは益々目を細め、少し面倒くさそうに髪を掻いた。
「はぁ……なんかまた忙しくなりそうだね」
「仕方ないよ……私達は魔王と勇者なんだから」
ため息を零しながらリーシャはそう言ってルナも同じく顔を頷かせ、天井を見上げた。
自分達の関係を改めて考えるとおかし過ぎて、笑えて来る。片方は勇者、もう片方は魔王。本来なら戦い合うしかないはずの二人がこうして家族として暮らしている。
(シェルさんは……本当にお父さんの事を信頼しているんだ……)
今回シェルはこの関係性を分かってくれたが、あの時よく分かってくれたなとルナは今更驚いていた。こんな事言ったって誰も信じてくれなさそうなのに、シェルだけは分かってくれたのだ。それはきっと、本当にアレンの事を尊敬しているからなのだろう。アレンの事を心から信じているからこそ、自分達の事も信じてくれたのだ。それを嬉しく思いながらもルナは何故かシェルとアレンが楽し気に話している光景を思い出し、胸がチクリと痛くなった。
(……?)
ふと胸に手を当て、何故そんな痛みが走ったのか疑問に思う。首を傾げて自分の胸を見下ろすが、その痛みは外面的な物ではなかった。ひょっとしたら大好きな父を取られると思って子供心ながら嫉妬してしまったのかも知れない。そこまでなら子供のよくある嫉妬だ。だがルナが抱いた不安のイメージは、アレンが魔族の自分を見捨ててどこか行ってしまうかも知れないという恐怖だった。
そんな不安を無意識に抱きながら、ルナはこれからどうするべきかをリーシャと話し合う事にした。




