23:反省会
討伐作戦が失敗に終わったベヒーモスが死体となって見つかった。その報せは瞬く間に街に広がった。街の人達はこの報せを聞いてようやく平穏が戻ると安堵した。ベヒーモスに手こずっていた冒険者達も歓喜の声を上げた。これで全て元通りになる。そう思っていた。
だが一つ妙な点があった。それは誰がベヒーモスを討伐したのか?という点であった。
ベヒーモスには切り傷があり、強力な魔法を浴びた痕跡も残ってた。この時点でベヒーモスを倒した者は腕利きの剣士と魔法使いである事が分かる。
だが誰も名乗り出ないのだ。ベヒーモスを倒した事は何よりの功績だというのに、それを主張する者が一人も居なかった。
「何者かがベヒーモスを倒した……でも誰も名乗り出ない……一体どうして?」
ギルドのカウンターの椅子に腰かけながらナターシャはそう疑問を口にする。
今ギルドの中はベヒーモスが討伐されたという事で冒険者達が賑わっていた。ようやく悩みの種から解消されたと喜んでいるのだ。だが中にはナターシャのようにベヒーモスが討伐された事に疑問を思っている者も居る。ナターシャは小さくため息を吐き、カウンターに肘を付いた。
「おいおいナターシャ、せっかく悩みの種がなくなったってのに何お堅い顔してやがんだ?」
「……はぁ、貴方達は気楽で良いわね」
いつもの仲間の男が酒を持ちながらナターシャに絡んでくる。そんな酔ってる男をナターシャはため息交じりに見る。問題が解決したからそれで終わりと考える彼らの単純な思考に彼女は苦笑いした。
「あのベヒーモスを何者かが倒したのよ?それも痕跡からして少人数で。にも関わらず誰も名乗りをあげない。これっておかしいと思わない?」
「そりゃぁ確かに変だけどよぉ……ひょっとしたら通りすがりの冒険者が倒したとかそんなんだろ?気にしたって仕方ねぇよ」
ナターシャの問いかけに対して男は大して気にした様子も見せず、酒の入ったグラスを揺らしながらそう答えた。彼らからすれば厄介だった魔物を倒してくれたなら誰でも良く、喜びの方を優先したいのだ。
だがナターシャはそんな単純には考えられなかった。少人数とは言えベヒーモスを討伐出来る程の実力を持つ者はそうそう居ない。
(ベヒーモスを倒せる程の実力となると冒険者の中でも上級者……魔術師でも大魔術師レベル……そんな人間があの辺境の土地に?)
ベヒーモスの死体が発見されたのは辺境の土地に連なる平原だった。辺りに戦闘を行った形跡がないのが少し妙ではあるが、あの地域で戦闘が行われたのは間違いない。となるとあんな辺境の土地にベヒーモスを倒せる程の実力者が居たという事になるのだが、そこがどうしてもナターシャは納得出来なかった。
「どうせあれじゃねぇのか?また大魔術師のあの女が道草途中にベヒーモスを倒したとかなんじゃねぇの?」
ふと男が酒を飲みながらそう答えた。
大魔術師とは魔術師協会に所属している人間が大きな功績を残す事によって与えられる地位で、この王都にも大魔術師の称号を持つ者は数人しか居ない。男はその大魔術師の一人、ある女性がベヒーモスを討伐したのではないかと口にした。
「それだったら傷跡に切り傷があるのがおかしい……もしかしたら誰かと協力して倒すって事もあるかも知れないけど……ベヒーモスの皮膚に残っていた魔法の痕跡は彼女の物じゃなかったわ」
男の自信ありげな発言をナターシャは冷たく一蹴する。
ベヒーモスの傷跡には切り傷があった。あれは明らかに剣で切り裂いた傷だ。例外もあるが魔術師は基本剣は使わない。協力して戦った可能性もあるが、男が言うあの大魔術師は誰かとパーティーを組むような事はしない。
(そう言えば、あの人も教え子だったわね)
ふとナターシャは口元に指を当てながら思い出したようにそう心の中で呟く。
アレンの教え子は多い。八年前にギルドに所属していた若い冒険者は殆どがアレンの教え子だ。その中の最後のアレンの教え子の一人。今では大魔術師の称号を授かる程に成長した彼女の事をナターシャは思い出す。
(まだ探し続けてるのかな……アレンさんの事)
かの大魔術師も自身に魔法を教えてくれたアレンの事を尊敬していた。そしてアレンが冒険者を辞めた真実を知った時、いち早くアレンを連れ戻そうと街を飛び出したのだ。そして彼女は今も師であるアレンの事を探し続けている。
ナターシャはそこまでの根性がない自分の事を恥ずかしく思いながら、大きくため息を吐きカウンターに顔を伏せた。
◇
「ぬぁ~~……暇ぁ~~」
「もうリーシャ……床でゴロゴロしないで」
外は天気が良く、窓からは眩い日差しが差し込んでいる。絶好の散歩日和。だがそんな日にも関わらず普段活発なリーシャは家の中に居た。
リビングでルナは椅子に座りながら本を読んでおり、その隣ではリーシャが床をゴロゴロと転がっている。そして不満を訴えるように脚を動かしていた。
「父さんお願いー、外で遊ばせて~」
「駄目だ。リーシャは剣も壊したし黙って森にも入った。しばらくは家の中で反省しなさい」
「ぬぐぐ……」
顔を上げてリーシャは父であるアレンにそう懇願する。すると椅子に座って新聞を読んでいたアレンはリーシャの方を見て厳しい口調でそう言った。リーシャはうめき声を上げてまた脚をバタバタと動かす。
現在リーシャとルナはお仕置きとして外出禁止の身だった。
結局あの後リーシャとルナは黙って森の中に入った事がバレ、更にリーシャが剣を折ってしまった事からそれが間違いのないものとなった。
その罰として二人はしばらく外出してはならないとアレンに言われていたのだ。
元々外遊びではなく家の中で本を読んだり魔法の勉強をしたりするのが好きなルナには大した影響はなかったが、反対にリーシャには効果てきめんだった。ほんの一日外に出なかっただけでもう飽き始め、こうして床で転がりながら不満を訴えるようになったのだ。
「うう~~……外で遊びたい外で遊びたいー!」
「……リーシャ」
何を訴えても救いのない事に絶望し、リーシャは手足をバタバタを動かしながらそう声を上げた。その様子は実に子供らしいとも言えよう。ルナはこれが勇者の姿かと少し寂しそうな表情を浮かべた。
「はぁ……全く。剣を折るなんて一体どういう使い方をしたんだか……」
不満を垂れているリーシャを無視してアレンは新聞の方に視線を戻す。その際、彼はリーシャがどうやって剣を折ったのか考えてみた。
リーシャに与えた剣はあくまで護身用のそこまで上等ではない剣だ。だがそれでも長持ちするのが売りとして商人から買い取った物である。その剣があんなポッキリと折れるのはおかしい。
リーシャは素振りをしている時に岩に当てて折ってしまったと言っていたが、二人が森に入っていた事から恐らく魔物との戦闘で損傷してしまったのだろう。そこまで考えてアレンはふと新聞に書かれているある文に目を通す。
(街を騒がせていた魔物ベヒーモス……何者かによって倒される。致命傷は大きな切り傷か……まさかな)
村長達が不安に思っていた魔物ベヒーモスが討伐された。それはアレンからしても嬉しい報せではあろう。だがアレンの表情はすぐに喜びには包まれなかった。
最初アレンはベヒーモスを討伐したのは冒険者達だと思っていた。ギルドが立案した討伐作戦が成功したと思ったのだ。だがどうやらそうではないらしく、討伐作戦は失敗に終わり、ベヒーモスは別の誰かによって討伐されたらしい。しかも現場の痕跡からして少人数で。
アレンはチラリと横に居るルナと床に転がっているリーシャの事を見る。
リーシャが剣を折った次の日にベヒーモスの話は広がり始めた。偶然にしては随分とタイミングが良い。だがだからと言って彼はその次の予測は出来なかった。
確かにリーシャとルナも特別な力を持っているが、アレンは二人を子供として見ているのだ。勇者と魔王ではなく、あくまでもちょっと特別な力を持った子供として見ている。故にアレンはもしかしたら二人がベヒーモスを倒したのかも知れないという可能性に辿り着けなかった。
アレンはそこで思考を止め、新聞を畳むとコホンと咳払いをした。
「リーシャ、ちゃんと反省したら新しい剣を買ってやるから。もう床でゴロゴロするのはやめなさい」
「えっ! 本当?父さん!!」
「ああ、本当だ。ちゃんと反省したらな」
アレンが新しい剣を買って上げるというと途端にリーシャは元気になり、床から飛び起きるとアレンに近づきながらそう尋ねて来た。アレンが頷くとリーシャは飛び跳ねながら喜ぶ。その姿にアレンは叱らなくてはならないのに思わず笑みを零してしまった。
「やったー! やったー!」
「本当に剣が好きだな……リーシャは」
剣を買うと言っただけでこの喜びよう。リーシャは本当に剣が好きなのだ。女の子にしては少し変わった趣味のような気もするが、本人は幸せそうなのでまぁ良いだろう。アレンはそんな気持ちになりながらリーシャの事を見つめていた。そしてふとルナの方に視線を移す。
「ルナにも何か買ってあげるからな。新しい魔法書とか」
「有難う……お父さん」
リーシャとは対照的に家の中でずっと大人しく本を読んでいるルナにアレンはそう声を掛ける。
リーシャにばかり何か買い与えるのもあれなので、ルナにもそう声を掛けておいたのだ。ただし今はお仕置き中のはずなのに、何故か新しい物を買ってあげる話となっている。アレンはすっかり親馬鹿となっていた。
そんなやり取りをしているとアレンはふと昔もこんな事をした気がした。ルナのような才能のある子に魔法書を買ってあげ、その成長を見守っていた記憶。それを思い出して急にアレンは懐かしく思い、背もたれに寄り掛かりながら思い出し始めた。
(そう言えば……昔もあの子にこんな風に魔法書を買ってあげる約束をしたりしたっけか)
随分と昔の事だった為すっかり忘れていた。いつも白いローブを羽織っていたあの女の子。アレンが見て来た魔術師の中でもルナの次に才能のある子であった。結局アレンは冒険者を辞める事になってしまった為、教えも中途半端に終わってしまったのだが。
(今頃あの子は何をしてるんだろうな……)
自分の髭を弄りながらアレンは年寄り臭くそう考える。
才能も実力も十分にある子であった。きっと今頃立派な魔術師となっているだろう。アレンは自分が冒険者を辞めてから八年も経っている事を改めて感じながら新聞を手に取り直した。
「父さん父さん! 次の旅商人はいつ来るの?!」
すると剣を買ってもらえる事に喜んでいたリーシャがいつの間にかアレンの横まで移動しており、椅子のひじ掛けを揺らしながらアレンにそう尋ねて来た。
「うーん、どうだろうな。この山を登る商人はそんな多くないし、早くて次の月くらいに来るんじゃないか?」
「え~、そんな先なの~?!」
やれやれと首を振りながらアレンは新聞を下げ、頬を掻きながらそう答える。するとリーシャはそんな先なのかと目をぱちくりとさせ残念そうにそう言った。
だが仕方がない事だ。魔物が住み着いている森を誰が好き込んで入ろうとするだろうか?そんな商人は大抵気ままに旅をしている変わり者か、何らかの理由でこの山を介して移動しなければいけない人間だ。だからこの村にはあまり人が訪れない。
「仕方ないよリーシャ。我慢しよ?」
「う~……分かった……それまでこの木剣で我慢する」
ルナにそう諭されてリーシャは不満そうに頬を膨らませていたが、やがて空気が抜けたようにそう諦めるといつの間に用意していたのか特訓用の木剣を用意しており、それを振り回して遊び始めた。
(結局素振りになるのか……これじゃあまり外出禁止にしてる意味がない気が……)
その様子を見ながらアレンは複雑そうな表情を浮かべる。
リーシャ達に出している外出禁止命令はあくまでも二人を反省させる為のものである。ルナは大人しくそれに従っているから良いが、剣を折ったリーシャは反省するどころか木剣を用意して素振りをする程であった。
(まぁ森で魔物と戦うよりはマシかな)
微妙な顔をしていたアレンだが前向きにそう考え、やれやれと小さくため息を吐きながらまた新聞を読み始めた。ルナも椅子に座りながら読書に励み、横ではリーシャが木剣で素振りをしていた。
今日も平和に時間が過ぎていく。アレンはいつまでもこんな日常が続いてくれれば良いなと思った。




