22:姉妹の絆
辺りの木々をなぎ倒しながらベヒーモスが転がって行く。
本来その重量からベヒーモスが宙を舞い、これ程までに吹き飛ばされる事など誰も想像しないだろう。だが現に今それが起っている。それを行ったのがまだ幼い黒髪の少女ルナだという事が、最も恐ろしい点だ。
「はぁ……はぁ……」
「ルナ、落ち着いて……!」
「……! ……リーシャ」
飛んで行ったベヒーモスを見ながらルナは額から汗を一筋の汗を垂らす。
最大出力の攻撃魔法をいきなり行ったのだ。まだ身体の出来上がっていないルナからすればその衝撃と疲労感は凄まじいものである。そのおかげでか、ようやくリーシャの声が耳に届き、ルナはパチリと目を見開いてリーシャの事を見た。
「グルル……ルゥァアアアアアアア!!」
一方でようやく衝撃が止み、地面から起き上がったベヒーモスは怒りの頂点に達していた。醜い顔を更に歪めながら咆哮を上げ、リーシャ達の方に視線を向けている。
リーシャとルナは警戒する。背後ではトラとクロが後ろの方に避難していた。
そして次の瞬間、ベヒーモスが雄たけびを上げると二人に向かって突進して来た。あれだけの巨体がぶつかってくればひとたまりもない。リーシャは跳躍して避け、ルナは横に転がりながらそれを回避した。
「ルゥゥァアアアアッ!!」
ベヒーモスの突進は近くの岩へと直撃した。二本の角が突き刺さり、一瞬ベヒーモスの動きが止まる。しかし雄たけびを上げたまま脚を突き出し、そのまま岩を粉々に粉砕すると後ろの木々までなぎ倒した。そこでようやくベヒーモスの脚が止まる。ベヒーモスがブルルと鼻を鳴らしながら頭を揺らした。
「ッ……凄い破壊力」
「あれに当たったら即死だね……」
「ルナの魔法を喰らってもピンピンしてるし、相当手強いね……」
ベヒーモスの反対側に回りながらリーシャとルナはそう言って警戒する。リーシャも腰から剣を引き抜き、構えを取った。果たしてこの護身用の剣であの硬そうな皮膚を切る事が出来るか?リーシャは表情を曇らせた。
ルナの攻撃魔法を喰らっても勢いが止まるどころか突進して来る闘争心。魔王であるルナに対しても全く容赦のない事から忠誠心のない魔物なのであろう。そうリーシャは判断し、どう攻略すべきかを考えた。
「どうする?あれが噂の魔物っぽいけど」
「あいつはアカメとトラを傷つけた……許せない」
「じゃぁやる事は決まってるね」
このベヒーモスこそが今噂されている凶悪な魔物で間違いない。アカメを襲った傷とトラの傷も一致する。
目的が何なのかは分からないが、幾つもの街を襲い、大勢の冒険者が相手でも倒せなかった程の魔物。いくら勇者のリーシャと魔王のルナでも、子供の二人では敵わないかも知れない。だが二人は一切恐れる素振りを見せず、一歩前に踏み出した。
「「一緒に倒そう!」」
二人がそう言うと共にリーシャは駆け出し、ルナは魔法の詠唱を始めた。
一方でベヒーモスの方も雄たけびを上げ、向かって来るリーシャの事を睨みつける。そして大きく顔を上げると、その長い角をリーシャに勢いよく振り下ろして来た。
「----ふっ!」
「グルァァァァアアアッ!!」
振り下ろされた角を素早く回避し、リーシャはベヒーモスの顔を横切って腕を斬り払う。しかし手応えは鈍い。手に重い衝撃が伝わってくるだけで、ベヒーモスの筋肉質な腕には少しの切り傷も付かなかった。
(くっ……こいつの筋肉硬すぎ。今の一撃だけで刃こぼれしたし……)
反撃される前にすぐにその場から離脱し、近くにあった岩場に飛び乗りながらリーシャは剣を確認する。たった一撃入れただけで目に見える程の刃こぼれが出来てしまった。それだけベヒーモスの筋肉が強靭という事である。リーシャは忌々しそうに舌打ちした。
「影よ、闇よ、魔よ、贄を喰らいつくせ……!」
ルナも魔法の詠唱を終え、手の先から巨大な影を出現させる。その影は蛇のようにうねりながらベヒーモスを飲み込んだが、ベヒーモスは雄たけびを上げてその影を打ち払った。
「グルァァァアアッ!!」
(強力な魔法耐性が付いている……おまけに相当タフみたい)
二度もルナの闇魔法を受けながらもベヒーモスは全く怯んだ様子を見せない。それを見てルナはベヒーモスに魔法耐性がある事を見抜いた。恐らく暗黒大陸で何度も魔法を使える魔物と戦って来たのだろう。それで耐性が出来たのだ。それもルナの強力な闇魔法に耐えれるくらいの頑丈な耐性を。
ルナはそう予測を立て、額から垂れた汗を拭った。
「グォォァアアアアアアッ!!」
突如ベヒーモスが雄たけびを上げた。地響きが起る程のとてつもない咆哮。リーシャとルナも思わず動きを止める。次の瞬間、ベヒーモスは角を地面に打ち付け、地面を抉るとその巨大な破片を二人に向かって吹き飛ばした。
「……ッ!」
「……あっぶな!」
飛んでくる地面の破片をリーシャとルナは慌てて回避する。地面に巨大な抉れが出る程のベヒーモスの乱暴過ぎる攻撃。その地面の破片は辺りの木々にぶつかり、容赦なく森を破壊して行った。
このままではここら一帯が破壊しつくされる。そう推測したリーシャはベヒーモスにこれ以上好き勝手にやらせない為にも作戦を立てる事にした。
「よし! ルナ、あれやろう! 協力して戦おうって言ってたやつ!」
「ええ?! あれやるの?! まだ練習もした事ないのに……」
「良いから行くよ! 何事もぶっつけ本番!」
「えぇぇ……」
ルナの肩を叩きながらリーシャはそう言うと剣を握り絞めて駆けだした。ルナは困ったような表情を浮かべるが、やるしかないと割り切り、手の平に魔力を手中させた。
リーシャが言った作戦。それは以前リーシャとルナが一緒に協力して戦おうと相談し合い、話の中だけで作られた戦い方であった。
当然また実践で試した事がない為、それが本当に上手くいくは分からない。ましてや勇者と魔王が協力して戦う。そんな事が本当に可能なのか本人達ですら分かっていなかった。
だが、リーシャの黄金の瞳には迷いはなかった。彼女は隼のごとく駆け抜け、ベヒーモスの眼前へと迫る。ベヒーモスも迎え撃とうとするが、そこをルナの闇魔法の影が飛び出し、ベヒーモスの四肢を拘束した。
「グルル……ッ!?」
「ナイス! ルナ!」
跳躍しながらルナにウィンクし、リーシャはベヒーモスの顔に剣を振り下ろす。しかし鈍い音と共に剣は折れ、剣先が地面へと突き刺さった。
「げっ……やっぱこいつの皮膚硬すぎ……!」
折れた剣を見てリーシャは表情を青くする。そしてベヒーモスも雄たけびを上げて腕を振るうと影の拘束解き、目の前に居るリーシャを睨みつけると腕を大きく振り上げた。
「ルナ! 付加魔法!!」
「ッ……付加魔法、闇属性!!」
すぐさまリーシャは剣を後ろに向けるとルナのそう指示を出す。ルナも言われる前に既に詠唱を終えており、リーシャの折れた剣が影に覆われた。尾を引くように折れた部分から影の剣が出来上がり、リーシャをそれをベヒーモスへと叩きつける。
「はああああああああああああああッ!!」
「グゴッ……ゴガァァァアアアアアアッ!!??」
闇の粒子と共に影がベヒーモスの身体に突き刺さる。ベヒーモスは振り上げていた腕を止め、悲鳴のような咆哮を上げながら身体を小刻みに震わせた。そのままリーシャは影の剣を奥深くへと突き刺し、ベヒーモスの咆哮が鳴り止むとゆっくりと剣を引き抜いた。
付加魔法で掛けていた影が消え、ベヒーモスもその場に崩れ落ちた。それを見てリーシャは大きく息を吐き出し、疲れたようにその場に膝を付いた。剣を杖代わりにし、体重を掛けながら肩を落とす。
「……ふぅ……」
「リーシャ……」
「キツ過ぎ……ていうかこいつ強過ぎ……」
歩み寄ってくるルナに心配させないように笑みを浮かべながらリーシャはそう答える。
沈黙しているベヒーモスを見て、何とか倒す事が出来たがとてつもない疲労感に襲われながら呼吸を整えた。ルナの方も魔力消費の多い闇魔法を何度も使った為、額からは汗が垂れていた。
「何とか倒す事ができたね……」
「そうだね……今まで戦って来た中で一番強かったよこいつ」
ルナも疲労感のある声でそう呟く。リーシャも顔を頷かせ、今までで一番手強い相手だったと語った。その感覚は間違っていない。何故なら二人が今しがた戦ったベヒーモスはとてつもない凶悪な魔物なのだから。
(本来なら暗黒大陸に生息しているはずのベヒーモス……何でこの子は人間の大陸に?それもこんな辺境の地域まで……?)
ベヒーモスの死体を見ながらルナは何故ベヒーモスがこの山までやって来たのかを考察した。
暗黒大陸に生息している魔物は滅多な事がない限り人間の大陸にはやってこない。そもそも生態系が全く違う場所によそ者が入り込もうとする事すら珍しい事だ。このベヒーモスには何か目的があったのでは?とルナは思わずそう勘繰ってしまう。
「いやー、それにしてもあれだね。ルナって怒らすと怖いんだね」
「え……?」
「だって、アカメとトラが傷つけられたって怒って、ベヒーモスの事を魔法で吹き飛ばしたじゃん。あんな怖い顔したルナは初めてだよ」
「あれは……その……」
リーシャに最初の時の事を指摘され、ルナは困ったような表情を浮かべる。
あの時は怒りで頭が真っ白になり、ただ目の前に居る敵を排除する事だけを考えた。あの時の自分はまるで、本当に魔王のようだった……ルナはそう感じて胸のどこかに痛みが走るのを感じた。自分が自分ではなくなる、そんな感覚をあの時感じたのだ。
そんな不安に思っているルナの肩をぽんと叩き、リーシャは優しい笑みを浮かべた。
「かっこよかったよ。ルナ。流石私の妹だね」
「……! ありがと、リーシャ……」
お互いの関係が分かっていながらもリーシャはルナの事を妹として褒め、頭を撫でた。その撫で方は何だかアレンと似ており、ルナは照れるように顔を俯かせてお礼を言った。
リーシャと一緒に居るとほっとする。勇者のリーシャと一緒に居ると、自分が魔王である事を忘れる事が出来るのだ。ルナは包帯で巻かれている手の甲をそっと撫でながらそう心の中で思った。
「にしてもやばいなー。剣ぽっきり折れちゃったよ……これ絶対父さんに怒られるね」
「そうだね……まぁ仕方ないよ」
「うぅ……父さんに怒られるのはちょっと嫌だな」
リーシャは折れた剣を見下ろしながらそう呟く。その表情はとても暗く、まるでこれで世界の滅亡だとでも言わんばかりの形相だった。ルナは苦笑しながら同意し、仕方がないと諦めるように諭した。リーシャはため息を吐いて肩を落とす。
「一応ベヒーモスの死体はトラ達に山の下まで運んでもらおう」
「ん、そうだね。私達の事がバレたら面倒だしね」
ルナの提案にリーシャも賛成し、折れた剣を鞘に戻す。
今世間で騒がれている魔物がこんな辺境の山で死体として見つかれば、傷跡などで何者かが討伐したのだと思われるだろう。ならばせめて場所を移動し、特定されないようにするしかない。
「この事はお父さんに言う?」
「んー……心配させたくないし秘密にしとこ。それに剣も壊しちゃったのに、これ以上こっそり森の中に入ってたってバレて怒られたくない」
「あはは、それもそうだね」
隠れているトラとクロの所に移動しながらルナはふとそう尋ねる。
世間で騒がれている魔物を討伐したのだから、一応アレンにも報告した方が良いのではないかと考えたルナだが、リーシャはこれ以上怒られるのが怖いらしく、口元に人差し指を当てながらそう答えた。
それからルナはトラ達にベヒーモスの死体を山のふもとまで運んでもらうようお願いし、トラ達も問題児だったよそ者が消えた事で喜びながらそれを承諾すると話を切り上げた。
「さてと、それじゃ村に戻ろっか」
「うん。お父さんが帰ってくる前に家に戻ろ」
リーシャがそう言うとルナもコクリと頷いて答え、二人は並んで歩きながら村に戻った。幸いアレンはまだ村長の家に居るようで、二人はそれを知ると悪戯が成功した子供のようにニコリと微笑み合った。




