21:魔物の来訪
冒険者ギルドの施設はざわついていた。しかしその騒ぎようは普段の賑やかな感じとは違い、どこか焦りを感じているようだった。不安の声を上げながら先程上がった報告について話し合い、皆が暗い表情を浮かべる。
「おい、討伐作戦が失敗に終わったって本当か?」
「らしいぜ。ベテランの冒険者十人で掛かっても倒せなかった魔物なんだろ?こりゃかなり不味い事態になるぜ」
冒険者達が不安に話している事、それは先日行われた討伐作戦の失敗であった。
ギルドは最近街を襲撃した魔物を討伐する為、包囲網を張った大きな作戦を実行する事にした。大勢のベテラン冒険者を導入して一気に魔物の掃討に掛かったのだ。だが結果は失敗。その報告を聞いたギルドに居た冒険者達は皆驚愕の表情を浮かべた。
「……面倒な事になったわね」
このままでは魔物が野放しとなり、また街が襲撃されてしまう。そんな不安に襲われている冒険者達をよそに、隅の椅子に座っている女冒険者ナターシャは自身の真っ赤な髪を掻きながら静かにそう呟いた。その横には仲間の男冒険者も立っており、腕を組みながら冒険者達が騒いでいる様子を眺めていた。
「ギルドマスターもまさかこんな事になるとは思わなかっただろうな。たかが魔物一匹にここまで追い込まれるとは……」
「そうね……でも仕方ないわ」
男は首を左右に振りながらそう言い、ナターシャもため息を吐きながらそれに同意した。気怠そうに肩を落とし、騒いでいる冒険者達の事を見ながら言葉を続ける。
「相手があの〈ベヒーモス〉だなんて……誰も思わないでしょ」
ナターシャも暗い表情を浮かべ、額に手を当てながらそう呟いた。男も目を瞑って小さくため息を吐き、肩を落とす。
ベヒーモス。本来なら暗黒大陸に生息している凶悪な上級魔物。二本の長い角を生やした四足歩行型の魔物で、その筋肉は黒々と膨張し、まるで全てを破壊しつくすように暴れ回る。
そんな凶悪な魔物がまさかの人間の大陸にやって来てしまったのだ。
「何で暗黒大陸に生息してるはずの魔物が人間の大陸なんかに居るんだ?」
「それは考えたって分からないわ。今はとにかく、ベヒーモスの討伐を第一優先に考えないと……」
「って言ったってどうやって対処するつもりだ?冒険者が十人掛かりで倒せなかった化け物だぞ。俺達じゃどうする事も出来ねぇよ」
ナターシャはベヒーモスを何とかしなければと訴えるが、男は手を上げて降参のポーズを取りながらそう諭した。
それでもナターシャは何か反論しようとしたが、彼の言っている事にも一理ある為、そのまま押し黙ってしまった。彼女は悔しそうに顔を俯かせ、テーブルの上に爪を立てる。
(こんな時、アレンさんが居てくれれば……)
暗い表情を浮かべながらナターシャはついついそんな事を思ってしまった。
万能の冒険者アレン・ホルダー。彼の能力があれば今回の魔物相手でも上手く作戦を立案してくれただろう。豊富な経験と様々な戦略でベヒーモス相手でも討伐する手段を見出し、必ず冒険者達を勝利に導いてくれたはずだ。だが、そんな頼りになるアレンは今は居ない。ナターシャは唇を噛みしめ、顔を上げた。すると丁度男と目が合った。
「ベヒーモスは竜と肩を並べる程の化け物だ。今のギルドの戦力じゃ敵わん」
「そうね……このままじゃこの地域の全部の街が襲撃されるでしょうね」
男の言葉にナターシャも顔を頷かせ、最悪の未来を想像した。
このままベヒーモスの進行を止める事が出来なければ、奴は全ての街を襲撃するだろう。暴れ回る魔物を誰も止める事は出来ないのだ。
ふいにナターシャは天井を見上げ、弱々しい表情をしながら言葉を零した。
「誰かが……奴を止めないと……」
その誰かとは誰なのか?ナターシャが出した問いに答えてくれる人など居らず、男も困ったように頭を掻いた。
ギルドは未だにざわついている。不安と戸惑いが広がり続けた。
◇
「父さん見て見て! 綺麗なお花ー!」
「そうだなリーシャ。でもあまり走るとまた転ぶぞ」
天気の良いある日、アレンはリーシャとルナの三人で家の周りを散歩していた。
いつもなら森の中に入って色々な場所を回ったりするのだが、今はよそ者の魔物がこの地域に居るらしいので、念の為という事で村の外に出る事は禁止されていた。故にリーシャはいささか不満そうだが、相も変わらず楽しそうに笑みを浮かべながら走り回っていた。
後ろではルナがクロと一緒に並んで歩いている。時折クロはどこか遠くを見るように顔を動かしていたが、その度にルナがクロの首を撫でていた。
「お父さん。服に埃が付いてるよ」
「ん?ああ、有難うルナ」
ふとルナがそう言ってアレンの服に付いていた埃を払う。アレンはお礼を言ってルナの頭を撫でてやった。すると彼女は少し照れたように頬を赤くしながら微笑んだ。
外では魔物が出たとかで大騒ぎしているが、この村はいつもと変わらず平和が続いている。魔物除けも魔物用の柵を十分に設置した為、村に魔物が迷い込んでくる事も殆どなくなった。それでもアレンは一応腰に剣を携えながら散歩をしていた。こればかりは冒険者の頃の癖で警戒してしまう。
(このまま平和が続いてくれると良いんだがな……)
走り回っているリーシャと隣に居るルナの事を見ながらアレンはついそんな事を考えてしまう。
リーシャとルナは自分にはもったいないくらい出来た子供だ。だからこそ二人には幸せになって欲しい。彼女達はこの村の生活だけで満足しているが、いずれ外の世界を知ればもっと羽ばたきたいと思うはずだ。その時は背中を押してやれるよう頑張らなければ。とアレンは先の事を考えた。親馬鹿な考えかも知れないがアレンはそれくらい二人の才能を認めているのだ。
「おーい、アレン」
そんな事を思っているとアレンを呼ぶ声が後ろから聞こえて来た。振り返ると遠くの方で手を振っているダン姿があった。アレンは何だ何だと思いながら向きをダンの方に帰る。
「村長がお呼びだってよー」
「またか……魔物対策の事ならこの前話したばかりだってのに」
ダンの言葉を聞いて頭を掻きながらやれやれとアレンはそう呟く。
最近村長のお呼び出しは増えており、その度に魔物対策の事で相談されているのだ。村長も村の事が心配なのは分かるが、毎日呼び出しが続けば流石にアレンも疲れてくる。だが村長の気持ちも分る為、アレンはその呼び出しにも毎回応じていた。
「悪いがリーシャ、ルナ。俺は村長の所に行って来る」
「えー、父さんまた村長の所行っちゃうのー?」
「仕方ないよリーシャ……我慢しよ」
二人に悪いと謝りながらアレンはそう言う。
ルナは物分かりが良い為快くそれを応じてくれたが、リーシャはもっとアレンと散歩がしたかったと頬を膨らませながら不満を述べた。アレンはそんなリーシャの頭を撫でた後、ダンの方へと歩き出す。
「それとリーシャ。森の方には絶対に入っちゃ駄目だからな」
「はーい。分かってるってー」
去り際にアレンはそう注意し、リーシャも手を振りながら元気良く答えた。
あまりにも綺麗な返事なのでアレンは思わず本当に分かっているのかと勘繰ってしまう。何故なら彼女の腰には護身用の剣がぶら下がっているからだ。ただの散歩なのに何故剣なんか持ち歩く必要があるのか?
アレンは苦笑いしながらダンと共に村長の所へ向かう事にした。
「…………」
「……入っちゃ駄目だからね?リーシャ」
「分かってるよ。何でルナも父さんも私の事ばかり注意するの?」
アレンが去った後、残されたリーシャとルナはしばらく黙っていたがふいにルナがそうは注意した。何で自分ばかり注意されるのかと不満そうにリーシャは目を細め、そう反論した。
「だって……リーシャいっつもお父さんに黙って森の中に入るじゃん」
「あ、あれは……そのー……武者修行みたいな?」
「それが駄目なんだって」
理由になっていない反論にルナが小さくため息を吐いた。
リーシャはしょっちゅう一人で森の中に入って行く。その度にアレンは注意しているのだが、リーシャはちっとも反省せず森の中に入って魔物と戦っているのだ。もちろん勇者であるリーシャは森の魔物に遅れを取るなんて事はあり得ないのだが、それでも家族として心配なのがルナの本音だった。
「お願いだから無理だけはしないでね」
「大丈夫だって。ルナ達を心配させるような危ない事はしないから」
だったら一人で森の中に入るのもやめて欲しいのだが、と心の中で呟きながらルナはそっかと困ったような笑みを零した。リーシャの明るい雰囲気の傍に居るとついつい甘やかしてしまう。怒る事の出来ない自分をルナは反省した。
それから二人はクロと共にその周辺を散歩していた。と言っても村の中なので大した広さがある訳でもなく、いつも見慣れている景色の為そこまで楽しい訳ではない。リーシャは暇そうに欠伸をした。
「はぁ~。早く噂の魔物居なくなってくれないかな~。そうすればまた父さんと森の中で散歩出来るのに……」
「私も……皆とお話ししたいな」
リーシャの呟いた言葉にルナもクロの事を撫でながら同意した。
ルナの言う皆とは友達の魔物の事だ。村の周りが厳重に防御壁なので囲まれている為、ルナは友達の魔物と会うのにも難しい状況になっている。その為ここ最近は友達と話し合う回数が減って来ており、いつも近くに居るクロくらいしか話せる相手が居ないのだ。その事にルナは寂しそうな表情を浮かべていた。
「ワフワフ!」
すると突然クロが柵の向こう側に吠え始めた。鬱蒼と生えている木々の先は森へと繋がっている。何故その方向に向かってクロが吠えているのかルナが疑問に思っていると、突然クロが駆け出し、柵を飛び越えて木々の隙間を通り抜けて行った。
「クロ……?! どこ行くの?!」
「あっ……ちょ! ルナ!」
森の中に入ってはいけないと言ったばかりにも関わらずルナはクロを追い掛ける為に柵を飛び越え、木々隙間の中へと入って行った。リーシャも慌ててその跡を追う。
厳重に設置されている魔物用の柵を小柄な子供の体格を活かしてすり抜け、どんどん奥へと進んで行く。森の中は静かで、動物や魔物の気配も全くしなかった。その事にリーシャは違和感を覚える。
「私には駄目って言ったくせに、ルナだって森の中入ってるじゃん」
「こ、これは……クロが悪いんだよ。突然走り出すから……」
リーシャに注意していたのにも関わらずルナは森の中に入った。その事を指摘されてルナは複雑そうな表情を浮かべる。そして問題のクロの姿を探していると、開けた場所でクロが吠えているのを見つけた。するとそこには大型の虎型の魔物が寝転がっているのにルナは気が付いた。
「トラっ?!」
それはルナの友達の魔物であるトラだった。
どうやら怪我をしているようで背中に大きな傷が出来ていた。クロはトラの気配に気が付いてここまでやって来たのだ。ルナは慌ててトラの元に駆け寄り、治癒魔法を唱えた。
「どうしたのその怪我?一体何が……」
「グルル……」
淡い光に包まれ、トラの怪我は少しずつ治って行く。だが大分深い傷だ。すぐに動く事は無理だろう。
トラは森の中でもかなりの戦闘力を誇る魔物であり、滅多に怪我を負う事はない。そのトラがこれ程の怪我を負うのだから、相当な実力の高い敵と出会ったのだろう。それもこの傷跡から見て同じ魔物と。ルナはそう推測し、何か嫌な予感を感じ取った。
「この傷跡……魔物の仕業だね」
「……って言う事はまさか……」
「ワンワン!」
リーシャとルナが喋っていると突然クロが大きく吠え始めた。ハッとなって二人は後ろを振り返る。するとそこにはトラと同じ四足歩行型の魔物、しかしその大きさはトラの倍はあり、黒々とした筋肉で覆われ、長く鋭い二本の角を生やした怪物が木々を押し倒しながら現れた。
「グルゥゥゥウウウウ……!」
低く重々しい唸り声を上げながらその魔物はリーシャ達の事を睨みつける。瞳は赤く。血で染まっているかのように真っ赤だった。そんな怪物を見てもクロは勇敢に吠えており、トラも怪我をしていながらも威嚇の吠え声を上げた。
リーシャは感じ取る。今まで自分が戦って来た魔物達とは違う圧倒的なプレッシャーを。山の中で戦って来た魔物とは段違いのその魔物の実力に初めて恐れを感じた。
ルナも同様。その魔物の姿を見て硬直した。本で読んだ事がある。暗黒大陸にしか生息しない凶悪な魔物。ワイバーンと肩を並べる程の実力を持つ怪物。
「ベヒーモス……まさか、こいつが噂の魔物?」
その怪物は本来見かけたら逃げ出すべき存在のはずだった。いくら勇者のリーシャと魔王のルナでも、子供の二人なら初めて見たその怪物に恐れて逃げ出すはずである。だが、今回のルナは違った。ベヒーモスの牙を見て、自分の友達であるアカメとトラを傷つけたのはこの怪物なのだと理解すると、おもむろに立ち上がって自身の黒髪を揺らした。
「よくも……アカメとトラを……」
「ルナ……?」
ルナは自分でも驚くくらい低い声でそう呟いた。瞳は真っ黒に染まり、表情が消えた事から人形のような容姿がただでさえ不気味に映る。そのいつもと違う様子にリーシャは思わず声を掛けたが、ルナは返事をせずフラリと手を上げた。
「ちょ……待ってルナ! 落ち着いて!!」
何かやばい気がする。勇者としての本能でリーシャはそう感じ取り、ルナにそう制止の声を上げた。ルナの肩を掴み、必死に呼びかける。しかしルナの瞳は真っ黒に染まったままだった。
「許さないッ!!」
ルナがそう呟いた瞬間。ルナの手の先から大量の影が放出された。視界を真っ黒に染める程の大量の影。リーシャも思わず後ろによろける程の勢い。気づいた時にはリーシャの視界には石ころのように吹き飛ぶベヒーモスの姿があった。




