197:平和への道
勇者と魔王の戦いは終わり、世界は平和になった……と言うにはあまりにも状況は複雑で、軽易なものではなかった。
まず新たな魔王が誕生したことで国中が混乱した。魔王の紋章に関係なく、全ての魔王候補を退けて魔王の座を掴み取ったレウィア・ウル・ルーラー。その存在に最も強い魔王が生まれてしまったと人々は恐怖したが、予想外にも彼女は争いを望んでいなかった。
混乱と、ひょっとしたら平和が訪れるかも、と淡い希望を抱き始めている落ち着かない王都。それを見下ろす城の中では、国王が浮き足立つ民衆を窓越しに眺めていた。
「これが……我等の進むべき未来なのか。預言者ファルシアよ」
彼は背後に居る最も信頼する女性へと語りかける。昔から預言によって国を守ってきてくれた女性、魔術師協会との掛け橋となり、国に貢献してくれた最も偉大な大魔術師。
後ろで控えていたファルシアは膝を付き、静かに頭を下げる。
「はい、陛下。この道が必ずや平和へと繋がるでしょう」
「……だが容易いことではない。人族と魔族が手を取り合うことなど、誰も想像しなかっただろう」
国王も混乱していた。自分達の国を滅ぼす魔王候補が現れたと思ったら、それがいつの間にか倒されていたのだ。それも全て。そして恐れていた魔王が誕生したと思えば、その者は和平を申し出てきた。あまりにも話が出来すぎていると怪しんで当然だ。だがどうやら、この申し出には自分が最も信頼する部下が関わっているらしい。
「だからこそです。未知なる世界へ踏み出さなければ、我々は変われない」
ファルシアは顔を上げ、国王に進言する。今まで国王の言葉に従ってきた彼女らしからぬくらい強い言葉で、確かな決意を込めながら。
「勇者という希望を人族は盲信し、魔王という力に魔族は惑わされた。今はもう存在しない英雄にそれぞれの種族は振り回されました」
人族は自衛の為に勇者を探し求め、魔族は力に溺れて魔王候補まで誕生してしまった。姿なき英雄は百年もの間二つの種族に影を落とした。
「けれどもう私達に特別な称号を持つ者は必要ない。今必要なのは民の協力と、平和を望む心です」
胸に手を当てながらファルシアはそう告げる。国王も窓から視線を外すと振り返り、ファルシアの青い瞳を見つめた。
受け入れるしかない。時代は変わった。否、既に変わっていた。百年前に勇者と魔王が消えた時から、この世界は英雄を必要としない世界となっていたのだ。ならば自分達も踏み出すしかない。未知なる新世界へと。
「……ふ、お主らしからぬ言葉じゃな。ファルシア。それは預言か?」
「いえ……ただ信頼しているだけです」
国王が僅かに表情を和らげながら尋ねると、ファルシアも笑みを零しながら首を横に振った。
「大切な家族の為に戦う、お人好しな人達を」
妹の為に魔王になった魔族の女性、家族の為に戦う勇者と魔王、更にはそんな娘二人を守る者達。皆誰かの為に戦っている。その思いはきっと簡単には断ち切れない。
◇
「いや〜、ほんとびっくりびっくり。アレン君はおじさんになってるし、レウィアもおっきくなってるし、新しい勇者と魔王は仲良しだって……時代は変わるもんだね〜」
アレンの家。ソファに座ってまるで自分の家のようにくつろいで居るのは、ルナの母親であり、かつてアレンと共に戦った仲間、セレネことセレーネであった。
彼女の膝の上にはルナが。何度も抱きつかれたせいで髪はくしゃくしゃになり、困った顔を浮かべている。
「お前は……封印されていた割には相変わらずって感じだな。セレ……セレーネ?」
「ふふ、好きな方で呼んでくれて良いよ。アレン君」
久方ぶりに会うセレーネにアレンは戸惑うものの、彼女の変わらない気さくな態度ですぐに緊張は解れ、会話も弾んでいく。
「それにしてもルナちゃん可愛いね〜。まるで天使みたい。ほんとグレアの奴に似ないでくれて良かったよ〜」
「お、お母さん。苦しいよぉ」
「え〜、もっとギュッとさせてー。ようやく我が子に会えたんだから」
まぁ私からすれば封印は一瞬のことだったけれど、とセレーネは付け加えながらアレンに向けてウィンクする。掴み所のない無邪気な性格は大人になっても相変わらずのようだ。その懐かしい感覚にアレンは安堵し、思わず頬が緩む。
「それで、これからセレーネはどうするつもりなんだ?」
アレンはお茶のお代わりをカップに淹れながらふと尋ねる。
セレーネの立場は複雑だ。長年封印されていた上に娘のルナは魔王でしかも人族の大陸に住んでいる。これからどこに腰を落ち着かせるかなど、意外と話し合わなければならないものが多い。のだが、当の本人はアレンが淹れてくれたお茶を美味しそうに飲みながら呑気にルナの頭を撫でていた。
「ん〜、とりあえず暗黒大陸には戻ろっかな。一応あそこが家だし。レウィアのことも心配だしね」
良い思い出がたくさんある訳ではないが、それでも暗黒大陸はセレーネにとって故郷。アルティ家もまだ存在し、帰る家があるならば帰ろう。それに自分は宰相グレアの妻であり、アルティ家の権威もまだ残っている。それを駆使して魔王のレウィアをサポートする事も出来るだろう。
相変わらずさっぱりした性格のセレーネはそう切り替えていた。
「私も、落ち着いたらお姉ちゃんに会いたい」
「うんうん。良いね。レウィアもきっと喜ぶよ。今度は皆で集まろうね。まぁ色々忙しいだろうから、少し先になるだろうけど」
ルナは少し不安そうな顔をしながら母親であるセレーネのことを見上げた。二人の黒い瞳が重なり合う。
やはりルナはまだ離れることに不安は残っているようだ。ようやく会えたのにまたしばらく会えないのは確かに怖い。そんな彼女の気持ちを汲み取るように、セレーネはルナの黒髪を指でそっと流し、優しく言葉を掛ける。
「大丈夫だよルナちゃん。またすぐに会えるから」
「うん、私も待ってる。お母さん」
セレーネが手を差し出すと、ルナも母親の言葉を信じてその手を握りしめる。温かい感触が指先から伝わり、胸の奥にジンワリと広がる。ルナはその温もりを忘れないようにしっかりと手で感じ取り、心に刻んだ。
「あ、ところでリーシャちゃんの方は?」
ふとセレーネは顔を上げ、アレンの方を見ながらそう尋ねた。
セレーネは今一時的に保護される形でアレンの家に住んでいるが、今日はまだリーシャの姿を見ていない。
するとアレンは少し気まずそうな表情を浮かべながら視線を窓の方へと向けた。
「ああ。今あの子も会ってるよ……本当の母親と」
◇
村の外れにある木々が生い茂っている中、ポツンと忘れ去れたように建っている屋敷。かつてアレンが幼少期に過ごした、レドの屋敷であった。
その屋敷の一室では、用意されたベッドの上でシャーリーが眠っている。その横では椅子に座ったリーシャが神妙な顔つきでシャーリーの姿を見守っていた。
「……ぅ」
ピクリとシャーリーの身体が揺れる。それにリーシャも反応し、思わず身構えるように手を前に出してしまう。だが慌ててその手を引っ込め、折っていた脚を伸ばすと、静かに深呼吸をした。
すると丁度シャーリーが目を覚まし、身体を起こす。二人の視線が交差し、どちらも息を呑んだ。
「っ……おはよう。シャーリーさん」
「……リーシャ、ちゃん」
先に口を開いたのはリーシャだった。まだ緊張しているのか、その声は震えている。シャーリーは特に動揺しているようで、戸惑うように瞳を揺らしていた。
「どうして、私はまだ生きて……もう力は……」
シャーリーは自分の身体を確認する。だが傷らしきものは一つも残っていない。あれだけ身体が崩壊していたのにも関わらず、まるで何事もなかったかのようだ。
そんな混乱しているシャーリーに、リーシャは椅子から下りると一歩近づいて説明を始める。
「グレア……魔族の宰相の協力で治療したの。もう身体に異常はないよ。再生者の力も勇者の力も、残ってない」
〈戒めの黒剣〉によって負わされていた傷はただの傷ではなかったが、グレア達の尽力によって全て回復した。もうシャーリーの身体が崩壊することはない。そして呪いでもあった再生者の力と勇者の力も消えた。つまりシャーリーはただの人間となったのだ。百年前世界を救った伝説の勇者でも、魔王の血によって呪われた怪物でもない、ただの人間に。
「どうして? 私は、生きてる意味なんて……あんな酷いことをしたのに……ッ」
だがシャーリーは何故そんなことをしたのかが分からない。影が行ったこととは言え自分の本性の片鱗を見せてしまったのだ。それはほんの一部だとしてもあまりにもドス黒く、酷く醜いものであった。いっそのこと死にたいくらい。実際死のうとしていた。
シャーリーは正直言ってリーシャの前に居るのが恥ずかしいくらいであった。だがリーシャは、そんな彼女のことを優しく見守り、言葉を掛ける。
「私も酷いことをした。家族を信じられなくて、妹と戦った。大切な家族なのに刃を向けたの……誰にだって、間違いはあるよ」
リーシャはシャーリーのことを責めるようなことはせず、自らの過ちを告白した。辛そうに胸の前に拳を握りしめ、唇を噛み締める。
「その間違いを間違いのまま終わらせたくない。私は妹と仲直り出来た。私はシャーリーさんと……母さんと、ちゃんとお話がしたい」
「……ッ!!」
声を震わせながらリーシャは自分の思いを伝える。シャーリーはその言葉を聞き、あれ程のことをしておきながら自分が母と呼ばれるとは思わず、目を見開いた。
「今更親子になりたいだなんて言わないよ。私にはもう心から愛してる家族が居るから……でもどんな事があってもシャーリーさんが私の本当の母さんだって事実は変わらない」
一歩近づく。リーシャは母親との距離を縮める。その接近にシャーリーも気が付き、僅かに恐怖するようにベッドの上で脚を動かし、後ろに逃げようとした。だがリーシャは逃さない。
「なら生きて欲しい。今度は勇者なんてものに縛られないで、本当の自分を見つけて欲しい。それだけで良いの。その為なら、私も協力するから」
シャーリーの目の前まで来ると、目線を合わせながらリーシャは手を差し伸べる。その小さな手とリーシャの顔を交互に見ながら、シャーリーは困ったように弱々しい表情を浮かべた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「……私は、リーシャちゃんに母親らしいことなんて何も出来ない。ずっと自分から逃げてきた臆病者だよ……それでも私を母さんって呼んでくれるの?」
嗚咽を漏らしながら、まるで子供のように泣きじゃくる姿を見せながらシャーリは恐る恐る問う。するとリーシャはいつもの明るい笑みを浮かべ、力強く頷いた。
「うん。私のもう一人の母さん。私を産んでくれた、大切な人」
その温かな言葉を聞き、シャーリーはゆっくりと手を伸ばしてリーシャの手を取った。
この日シャーリーはようやく出会えた。自分を肯定してくれる存在に。
答えはずっと、自分の近くにあった。
◇
人族の国と同じく、暗黒大陸に住む魔族達もまた混乱していた。同族でも恐怖の対象であった魔王候補が居なくなったと思ったら、長年不在だった魔王が誕生したのだ。更にその魔王は人族に和平を申し込んだ。多くの力なき魔族はそれを喜んだが、魔族の血が濃い者達はそれを生温いと称した。一部は暴動に発展し、魔王に成り代わろうと決闘を申し込む者も居た。もっともそんな魔族達はレウィアによって返り討ちにされたが。
そんな新生魔王ことレウィアは現在、城の中で改装された魔王の間で事務仕事に追われていた。人族との和平条約の詳細を決めねばならず、更にこれまで他国に対して魔王候補が行った精算も行わなければならない。はっきり言って大仕事であった。
「魔王様、獣人族からの使者が来ております。エルフ族からも接触が。それと最善の魔王候補の部下だった者が何やら怪しい動きを……」
「はぁ、全く……報告が多すぎるぞ」
部下からの報告を聞きながら、椅子に座り疲れ切った表情を浮かべているレウィアは大きくため息を吐いた。
残念ながら魔族は力で物事を解決する傾向がある為、こういった外交の知識は全くと言っても良い程ない。グレアのような優秀な宰相も少なく、レウィアが直接処理するしかなかった。
「申し訳ありません。しかしこれが暗黒大陸の現状です」
「分かっている。だから私は魔王になる道を選んだんだ」
レウィアは額に手を当てながらあまりの仕事量の多さに頭を悩ませる。
甘いものが食べたい。ルナに会いたい。セレーネ母さんに会いたい。いっそのことアレンの家に住みたい。そう思ってしまう程今のレウィアは疲れていた。
すると、扉をノックする音が聞こえて来る。レウィアが入れと言うと、扉をゆっくりと開けながら元宰相秘書のシーラが入ってきた。
「失礼致します。魔王様」
「ん、来たか」
シーラの表情は暗い。普段は優秀な秘書として凛とした態度を取っている彼女だが、今はレウィアと顔を合わせるのが気まずいのか視線も定まらず、落ち込んでいる様子だった。
「お前は下がっていろ。後は指示した通りに頼む」
「御意に」
レウィアは部下を下がらせ、シーラと二人きりになる。だがどちらもすぐに口を開かず、重い沈黙が続いた。
やがてレウィアが椅子から立ち上がると、机の前を歩きながらようやく口を開いた。
「……紅茶でも飲む?」
「恐れ多いです」
「いつも通りで良いよ。シーラ」
「……レウィア」
レウィアが普段の口調になったのを聞いて、シーラも僅かにだが緊張を解いた。
正直シーラは絶交される覚悟をしていたが、それでも不器用で優しい幼馴染はまだ自分のことを親友だと思ってくれているらしい。シーラはそれを嬉しく思いつつも、同時に強い罪悪感を抱いた。
彼女は唇を噛み、頭を下げる。
「許してなんて言わない……ただ、謝らせて。ごめんなさい。私は貴女を裏切った……」
突然謝罪されたことにレウィアは目を丸くする。そしてシーラの前に立ち止まると、小さく首を傾げた。
「私は裏切られたつもりはないよ?」
「……! で、でも、私はセレーネ様を隠してた。レウィアは一番あの人のことを慕ってたのに、ずっと探していたのに、私は嘘をつき続けてたのよ!」
シーラはらしからぬ大声で告白する。普段の冷静な彼女からは想像出来ないような焦った様子で、その言葉には余裕がなかった。
「それだけじゃない。私は昔からレウィアに嫉妬してたの。グレア様の娘で、魔王の紋章はなくても貴女は目を掛けられていた。特別な貴女が羨ましかった……!」
苦しむように胸を押さえ、シーラは自分の本音を明かす。それは今までずっと彼女が心の奥に閉まって鍵を掛けておいた感情。自分自身すら気づかないようにしていた、本当のシーラであった。
「私はレウィアみたいに……グレア様の、本当の娘になりたかった」
シーラは涙を流す。今までの自分は全て嘘だったと。親友としてふさわしくない最低の女だったと、謝罪する。
「だから私は、罰せられるべきなの。こんな醜い私は……」
「……ごめんね。シーラ」
「え?」
だが謝ったのはレウィアの方であった。シーラは意味が分からず、涙を流している顔を上げてレウィアのことを見つめる。彼女は優しい表情を浮かべていた。
「気づいてあげられなくて。そうだよね。あんなクソ親父でも、シーラにとっては命の恩人だもんね……ずっと慕ってたんだね」
レウィアはグレアに対して良い感情はない。父親ではあるが、父親らしいことをされた記憶などなく、あくまでも道具として扱われてきた。薄々と彼の目的にも勘付いていた為、長らく敵として認識していたのだ。だがついこの前、アレンとの対話によってグレアの本性の一端を知ることが出来た。
彼はただ子供達への接し方が分からなかったのだろう。子供のような夢を思い描く彼はまだ親になる勇気がなかったのだ。シーラはそんな彼に拾われ、ある意味では親子のように長い時を共に生きてきた。自然と情が移っても仕方がない。
「でもそれでも、シーラは私の幼馴染でいつも私を支えてくれた。魔王候補のことも助けてくれたでしょ? だから私は裏切られてなんかいないよ」
「……レウィアッ」
レウィアはシーラの傍に寄り、肩に手を置いて安心させるように優しい口調で語りかける。
彼女の中ではまだシーラは親友のままであった。それくらい二人の絆は強く、例え片方が絶望していたとしても解けない程固かった。
そしてレウィアはシーラの涙を指で拭い、改めて視線を合わせる。普段の無表情な彼女とは違ってその表情は優しい。
「シーラ、私はこれから魔王の仕事で色々忙しいの。正直一人じゃ手一杯。優秀な秘書が欲しいんだ。だからさ、昔みたいに手伝ってくれないかな? 幼馴染として」
その申し出にシーラは最初戸惑ったように瞳を揺らした。だがレウィアの優しい表情を見て自身も覚悟を決め、精一杯の笑顔を作ってその思いに応えようとする。
「……はい、レウィアがそれを望むなら、喜んで」
自分は幼馴染に見捨てられていなかった。あれだけ嘘を吐き、裏切ったというのに、それでも彼女は親友で居てくれた。ならば自分も同じ分だけ返そう。この身を捧げて、彼女を支えよう。
こうして新たな魔王は最も信頼出来る仲間を手に入れた。




