195:新しい魔王
「……戦わないさ。俺達は」
長い沈黙を破ったのは、アレンの言葉だった。思わずリーシャとルナはアレンの方に顔を向け、見上げる。グレアも返事を聞き、意外そうに口をポカンと開けた。
「リーシャとルナの正体は明かさない。この子達がわざわざ外の世界へ行く必要もない。今まで通り自由に生きてくれれば、俺はそれで良い」
二人の肩に手を置きながら、アレンは堂々とそう言い切る。自らの願いをはっきりと言葉にして、グレアに宣言した。
「だから俺はシェルの帰りを信じて待つ。それだけだ」
「……ッ」
グレアは僅かに動揺し、唇を噛む。
想定外、という訳ではないが、予想通りには進んでいない現状に彼は困惑していた。このままでは自身が望んだ劇が見届けられないかもしれない。どうにかしなければ。グレアは思案する。
そして何かを探るようにリーシャ達の方へ視線を向けると、その瞳に迷いを抱きながら口を開いた。
「子供達はそれで良いのか? 義理のお母さんが大変な目に遭ってるかもしれないんだぜ?」
改めて聞かされて二人は表情を歪ませる。特にリーシャは動揺が大きかった。だがすぐに真っ直ぐな瞳でグレアのことを見据えると、二人は答えた。
「大丈夫だよ。シェルさんなら」
「ん……私も、信じることにした」
リーシャは決断するのにまだ少し怖がっているようだったが、それでもルナの言葉に同意し、力強く頷く。
もう彼女の中に迷いはない。そもそも迷う余地などないのだ。自分以上の覚悟を持つルナと戦い、その思いを感じ取った。ならば後はもう、そのルナを信じるしかない。
今度こそグレアは頭を撃ち抜かれたような衝撃を覚え、慌てて後退りをした。頭が酷く痛み、帽子を落として髪を強く握りしめる。額からは冷たい汗が流れた。
「くっ……はっはっはっ。おいおいおい、本気かよ」
かろうじて笑っている。だがグレア自身は本当に笑えているか分からなかった。そもそも何故今笑いが溢れたのかも分からない。ただとにかく、何かをしなければ落ち着かない程余裕がなくなっているのは確かだった。
「おかしいな? 俺の思っていたのと違うぞ。何故うまくいかないんだ? 何を間違った?」
頭を抑えながらグレアは考え続ける。だがその思考が答えにたどり着くことはない。ただただ彼は弱り続けていった。その様子を見てずっと後ろ控えていたシーラが動き出し、心配そうに彼に歩み寄った。
「……グレア様」
「黙ってろ。シーラ」
「……」
だが返ってきた言葉は冷たく、主人からの絶対命令。秘書に過ぎないシーラはその命令を聞かされた以上、もう何もすることが出来ない。彼女はあくまでも宰相の手足であり、人形なのだ。命令に反することは出来ない。
やがてグレアは思考を一旦打ち切り、最後の足掻きと言わんばかりにアレン達へ詰め寄った。
「……それで世界がどうなるか分かっているのか? 今回の事件で人族と魔族の間には大きな亀裂が出来た。これは決して無視することは出来ない……戦争だ。本物の戦争が始まるんだよ!」
グレアが言っていることは嘘ではない。むしろそれはアレンも想定しており、受け入れ難くも必ず起こってしまう現実であった。ルナとリーシャは表情を暗くし、拳を強く握りしめる。彼女達の瞳が波紋のように揺れた。そんな三人にグレアは手を広げ、更に言葉を続ける。
「それを兄弟達は無視出来るって言うのか? 未だ魔王が現れず、混乱の渦に飲み込まれている魔族達を……希望の星である勇者が現れず、泣き叫ぶ人族達を……見ないことは出来るのか?」
「…………」
アレンは再び沈黙する。重たい現実をその肌で確かに感じ取り、どれだけの犠牲、悲しみが生まれるかを心で受け止める。だがそれでも、彼の思いは曲がらなかった。その瞳は逸らされることなく、グレアを見抜く。
「それでも、この子達が戦う必要はないはずだ。子供達を犠牲にして得られる平和なんて俺は望まない」
アレンはリーシャとルナを守るように二人の前に立ち、グレアと対峙してそう答えた。
「少なくともそう考えてくれる仲間達が、俺の周りには居る」
「……!」
優しい表情を浮かべるアレンに、グレアは今度こそ理解する。もう全てが手遅れなのだと。この家族は完全に覚悟を決めてしまった。その絆は自らが仕掛けた戦いによって、より強靭に、より固く結ばれている。自分が仕掛ける薄っぺらい刃では断ち切れないのだ。そう痛感して、グレアはよろめきながら空を見上げた。
「……なるほど、これが打ち止めってやつか」
彼は悲しそうな表情を浮かべるが、それでも崩れ落ちることはなく、むしろある種の喜びのようなものを感じ取っていた。全てが思い通りにいかずとも、物語は必ず終わりを迎える。それも自分の思わぬ所で、思わぬ者達の力によって。それもまた、面白い。
「まぁ……悪くはなかったか。三流以下の俺にしては、上等過ぎるくらいの劇だった……」
ブランと腕の力を抜き、視線も地面へ向けるとグレアは自身の敗北を受け入れた。
計画は失敗。これ以上自分が出る幕はなく、何をしたところで無駄。ならば後はもう全てを受け入れるしかない。自分と同じだと思っていた選ばれなかった者の、信頼というやつを。
「強いんだな……兄弟は」
「いいや、俺は弱いさ。英雄には程遠く、特別な力もなく、地位も権力もない、ただのおっさんだ」
グレアの言葉にアレンは首を振って否定する。そしてリーシャとルナのことを交互に見ながら言葉を続けた。
「でもそれでも、俺の周りには信頼してくれる家族が、仲間が居る。だから俺は強くあろうとするんだ。ただの見栄だけどな」
その言葉はグレアが到底思い付かないような考えだった。
アレンと同じく特別な力もない、ひ弱な魔族に過ぎなかったグレアにとって、他人などただ利用する道具に等しく、己の力では叶えられない理想を叶える為の手段に過ぎなかった。その時点で違っていたのだ。
「あんたのそばにも、そんな子が居るんじゃないか?」
「……」
ふとアレンの言葉を聞いてその視線の先を追う、そこには自分の後ろで控えているシーラの姿があった。
寡黙で優秀な魔族の女性シーラ。彼女は今も変わらず、グレアの命令に従って待機している。どのような状況にも動じずに。それが果たして忠誠心なのかどうなのかは、分からない。
グレアはしばらくその様子を見ていたが、やがて力なく笑った。
「ははっ、柄じゃねぇよ」
手を振ってその思考を打ち切り、グレアは視線を前に戻す。自分に仲間なんて存在は必要はない。それを持つ資格もない。そう彼は吐き捨てた。
「さて、これから大変だ……魔王が居ない以上、相変わらず魔王候補達の戦いは続く。宰相の仕事は休み知らずさ」
グレアはアレン達の前を歩き、これからのことを考えた。
先程も言った通り、世界は混沌へと姿を変える。その時宰相である彼は嫌でも動かざるをえなくなる。何より魔王候補達が大手を奮って暴れ回るだろう。その後始末は想像することすら恐ろしい。
「その必要はないよ。クソ親父」
「ーーーー!」
声が聞こえ、グレアは思わず振り返る。するとそこには黒髪の女性が立っていた。それはこの場の皆がよく知る人物、レウィアであった。
「レウィア……!? 何故お前がここに……ッ」
思わぬ来訪者にその場の全員が驚き、グレアも目に見えて焦り出す。
彼女は別働隊によって足止めを受けていたはず。つまりここに現れて良い訳がないのだ。
「レウィア……!」
「レウィアお姉ちゃん!!」
「ごめん、遅くなっちゃったね。ルナ」
アレン達はレウィアの出現を喜び、レウィアも妹であるルナに優しい笑みを向ける。そして真剣な表情に戻ると、冷たい視線をグレアへ送った。
グレアは額の汗を拭い、何とか平静を装いながらもう一人の娘と対峙する。
「そうか……港町に設置しておいた〈目〉を潰したのはお前か。だが、何故こんなに早くここに?」
「答えは簡単だよ。あれ」
そう言うとレウィアは空を指差す。すると凄まじい突風が巻き起こり、グレア達は巨大な影に覆われた。上空を見るとそこには、翼を羽ばたかせて浮遊する漆黒の竜の姿があった。
「マギラ……! レウィアの味方に付いたのか……」
「正確には魔王のルナにだけどね。まぁとにかく、仲間ってこと」
〈最大の魔王候補〉マギラ。一度はルナを攫おうと敵対した魔王候補だが、今はルナの意思を尊重し、レウィアと協力関係を築いていた。そして竜である彼はその力を駆使し、レウィアをここまで送り届けたのだ。そしてもう一人。
「先生! リーシャちゃん、ルナちゃん!」
「シェル!」
マギラの背からシェルが現れ、飛び降りる。そしてアレン達の近くに着地すると、彼女は家族の元へと駆け寄った。
「無事だったか……! 良かった」
「はい……! レウィアが助けてくれて……先生の方こそ、良かった」
アレンはシェルのことを抱きしめ、愛する者が無事だったことを喜ぶ。シェルも子供のように表情をくしゃくしゃにし、涙を流した。
「シェルさん、無事で良かったぁぁ」
「リーシャちゃん、ごめんね。心配かけちゃって」
リーシャもシェルのお腹に抱きつき、珍しく涙を流しながら喜びの声を上げる。そんな彼女の頭を撫でてあげながらシェルも喜んだ。
それからレウィアは一度シーラと視線を合わす。シーラはグレアから命令を受けていない為、動くことは出来ない。ただ黙ってレウィアのことを見つめ返していた。
「レウィア……」
「……シーラ」
シーラは何か言いたげな表情を浮かべていたが、やがてレウィアから目を背けてしまう。
「シーラはやっぱり、クソ親父に付いたんだね」
「……私は、宰相秘書だから」
「……そうだね。そういう性格だった」
恐れと罪悪感がシーラの中で渦巻く。レウィアのことを親友だと思っているのは本当だ。だが彼女はグレアに従うことを優先した。それは幼馴染に対しての裏切りとも取れる。断罪されても仕方がないとシーラは目を伏せた。
「でもまだ、私は親友のつもりだから」
「……!」
ポツリとレウィアの口から零れた言葉にシーラは目を見開く。その言葉の意味を聞きたかったが、既にレウィアは視線をグレアの方へと向けていた。
「……愛しの娘よ。どういうつもりだい? 何故ここに来た?」
「思ってもないことを言わないでくれるかな。クソ親父。今日から私はあんたの主になるんだよ」
「なに?」
グレアに鋭い視線を向けたまま、レウィアはおもむろに魔剣煉獄の剣を引き抜き、地面へと突き刺した。黒い炎が火花のように散る。
「〈最大〉は私の軍門に下った。〈最低〉も消息不明。〈最速〉も死亡。そして残りの〈最悪〉〈最愛〉〈最多〉〈最硬〉〈最善〉〈最優〉は私が倒した」
レウィアは力強い口調で言葉を続ける。
魔王を決める為に設けられた魔王候補制度。この制度は本来、功績を立てて競い合い、無駄な血を流さずに魔王を決める為の平和的なものであった。だがもう一つ魔王を決める方法がある。それはとても原始的で、誰もが一度は考えた分かり易いもの。
魔王候補を一人にしてしまえば良いのだ。
「私が〈最後〉の魔王候補だ。決着は付いた。グレア・ディメイド・ルーラー宰相、魔の掟臨時二十六項に則り、レウィア・ウル・ルーラーを〈魔王〉として認めろ」
「ーーーーなっ……」
かくして〈最強〉の魔王候補であったレウィアは最後まで生き残った。他の魔王候補達を倒し、自らの力を示した。魔族達が最も信頼する純粋な力によって、正当法で道を切り開いたのだ。
グレアは絶句し、ルナも驚いたように口を開ける。この未来は誰も予想していなかった。新しい幕が開く。
「今日から私が、新しい魔王だ」
レウィアが魔剣を払うと、彼女の長い黒髪が揺れた。漆黒の瞳が強く輝く。
この日、新たな魔王が誕生した。紋章で選ばれた者ではない、力と強い思いによって勝ち取った、どこまでも妹思いな魔王が。




