194:始まらない物語
突如、レギオンと大魔術師達の間に漆黒の炎が降り注いだ。その炎は意思を持つかのようにレギオンだけに向かっていく。
「なに……!?」
現れた炎に驚きながらレギオンは黄金の剣を振るって紫炎で漆黒の炎に応戦する。炎同士が衝突し、凄まじい熱風を発生させながら空へと散り散りに消えていった。
ふとレギオンは目の前に大魔術師達ではない何者かが立っていることに気がつく。漆黒の炎が吹き荒れている間に乱入して来たようだ。そして彼は、その人物を見て驚愕した。
「随分と楽しそうなことをしてるね……クソ兄上殿」
「レウィア……! 貴様……ッ!」
漆黒の髪を靡かせながら、最強の魔王候補レウィアが兄であるレギオンの事を睨む。その鋭い瞳には強い怒りが込められており、彼は思わず後退りをしてしまう。
死を覚悟していたシェルもレウィアの姿を見て驚き、目をぱちくりとさせる。予想外の援軍。嬉しさよりも困惑が上回った。
「レウィア、何で貴女がここに……!?」
「ごめん、遅くなったね。お姉さん……ちょっと色々あって」
レウィアは一度視線をシェル達の方へと向けると、すぐに前方へと戻す。そして握りしめている黒剣を構えた。
「でももう大丈夫。私がさっさとこいつを倒すから……終わったらはやくおじさんの所に行こう」
まるでこの後の予定が全て決まっているかのように、当たり前のように言う。だが不思議とその言葉には説得力があった。
「ちょっ……何であの子が居るのよ。シェルリア!」
「そ、それは分かりません……でも、もう安心して良さそうです」
レウィアは歩き出し、レギオンへと向かっていく。彼もレウィアを明確な敵と認識し、黄金の剣を構えて迎え討とうとする。そして忌々しそうに彼女のことを睨みつけ、おもむろに口を開いた。
「レウィア……いくら俺が幾分か消耗しているとは言え、本気で俺に勝てると思ってーーーー」
レギオンの言葉は最後まで続かなかった。風を切る音と共にレウィアが一瞬で彼の目の前まで移動し、剣を突き立てようとする。反射的に動けたレギオンは構えていた剣を前に突き出し、切先をズラしたが、剣は肩へと突き刺さった。
「がっ……ぁあ!?」
「悪いけどさ、私急いでるんだ。本当は兄上殿の相手をしている暇なんてないくらいに」
ギチギチと剣を震わせ、腕に力を入れながらレウィアは冷たく言い放つ。
「だから最初から、本気でいくからね」
レギオンは得体の知れない恐怖を覚え、咆哮を上げると共にレウィアの剣を手で無理やり引き抜く。そして黄金の剣で断頭しようとするが、レウィアは素早く懐から抜け出した。そして煉獄の剣を横に掲げ、刃をそっと撫でる。
「〈煉獄の剣・第三奏・黄泉の幽鬼〉」
撫でた刃から漆黒の炎が二つ吹き出す。その炎は地面に落ちると、段々と大きくなっていき、形を変えていった。
「なっ……!」
レギオンは信じられないものでも見るかのように声を震わせる。
彼の目の前に現れたのはただの炎ではなかった。それは人の形をした化け物。腐り落ちた肉に、剥き出しな骨、顔半分は形を成しておらず、炎に包まれながら動く異形の者。そんな怪物達は、久方ぶりに吸う新鮮な空気に歓喜し、雄叫びを上げていた。
「あはははははは!! ひっさびさに外に出れたと思ったら何だこれ? 懐かしい顔がいっぱい居るな!」
「やだわぁ、この姿。醜くて私にふさわしくない……あら、レシーナちゃん随分とボロボロね。良い様だわぁ」
最悪の魔王候補アラクネ。最愛の魔王候補フレシアラ。同じく魔王候補の称号を持つ者達。そしてどちらもレウィアの煉獄の剣によって封印されていた者達。そんな彼女達が、突如現れた。
「ア、アラクネ……それにフレシアラも……!」
彼女達と戦ったことのあるシェルはその時の恐怖が蘇る。だが何か様子がおかしい。出会った時の彼女達の狂気を感じない。まるで何かに抑え込まれているかのようだ。
「この力……! どういうことだ? 煉獄の剣にこんな力があるなど聞いていない……!!」
「教えてるはずがないでしょう。奥義ってのは知られていないからこそ意味があるんだから」
レギオンは叫ぶ。
煉獄の剣は暗黒大陸でも有名な魔剣だ。ウル家に代々受け継がれ、かつては魔王も使っていたと言われる伝説の剣。当然その力がどのようなものかは知られていた。故に、封印以上の力を見せられて彼は不覚にも動揺してしまった。
「おいレウィア! 呼ばれたって事は暴れて良いんだよな! あいつぶっ壊して良いよね!?」
「はぁ、あの中は本当に最悪だったわぁ。ずっとアラクネのうるさい声を聞いてないといけなかったんだから。少しは羽を伸ばして良いわよねぇ?」
アラクネはレギオンを指差しながら問いかけ、フレシアラもボロボロになっている髪を弄りながら、どこか力を行使したそうに落ち着かない様子を見せる。
二人とも浄化の棺によって長い間封印されていた為、力を発散させたくてたまらないのだ。
「ああ、構わない。レギオンを倒せ。手段は問わない」
そんな彼女達の願いをレウィアは了承する。するとアラクネとフレシアラは笑みを零し、膝を付いてレウィアに頭を垂れた。
「「仰せのままに、王よ」」
◇
崩壊した川、斬り倒された木々、変貌した大地。辺りには倒れて気絶している魔物達。その中心ではリーシャとルナが息を切らし、かろうじて立っている状態で対峙していた。
「はぁ……はぁ……」
「ふぅ……ふぅ……くっ……」
片腕を抑えながらボロボロになっているリーシャは剣を杖代わりにし、倒れないように何とか体を支えている。
眷属を全て倒されたルナも衣服は破け、その白い肌には幾つもの生々しい切り傷が出来ていた。魔力もかなり消費し、残り少ない。そんな危険な状態でも、彼女はリーシャを止めたいという強い意思によって立っていた。
(どうして……なんで勝てないの……? 何度も大技を叩き込んでるのに……)
リーシャは剣を握る自分の手が震えていることに気がつく。
魔力とは違い自身の体力を消費して放つ奥義の仕組みは神殺しも王殺しと同じ。その力を既に何十回も使用している。並の魔物なら塵すら残らない程の力なのに、目の前のルナはボロボロになりながらも立ち上がる。それがリーシャには理解出来ない。理解出来なくて、恐怖する。
(もうルナは立っていられない程魔力も体力もないはず……なのに……ッ)
勝てない。攻めきれない。最後の最後でルナは立ち上がってくる。むしろこちらの方が疲弊しているくらいだ。その弱気な気持ちが漏れてしまったのか、ルナはクスリと笑う。
「どうしたの? リーシャ……もう終わり?」
「……ッ!」
挑発する訳でもなく、ただ何となく口から出た質問のように、ルナはそうリーシャに問いかけた。
「私はまだ戦えるよ? それともひょっとして、降参とか?」
まだ余裕だということを証明する為か、トントンと足踏みをするルナ。本当は身体中が痛く、魔力不足で頭もクラクラしているのに、無理をして自身を奮い立たせる。その様子を見てリーシャは瞳を揺らしながら、唇を強く噛みしめる。
「なんで……なんでルナはそこまで、戦えるの?」
「…………」
声を震わせながら、まるで縋るような弱々しい声色でリーシャはそう尋ねた。
純粋な疑問。ルナが戦っている理由は分かっている。このまま自分がシェル達の所へ向かえば、今度は間違いなく正体を世間に知られてしまう。そうなれば今の平穏は砕かれ、人族と魔族の戦いは益々混乱の渦へと飲み込まれるだろう。ルナはそれを阻止したいのだ。だがリーシャが知りたいのはそれ以上にもっと根本的な理由。何故そこまで傷つきながらも戦えるのかという精神的な理由を問うていた。
するとルナは一瞬キョトンとした表情を浮かべ、数回瞬きをする。そして何かを察したように笑みを零し、口を開いた。
「簡単だよ。リーシャのことが大好きだから、止めようとしている。ただそれだけのことだよ」
それはリーシャが想定していたよりも大分簡単な理由だった。だが思った以上にそれは彼女の胸にストンと落ち、妙に納得させた。
「そう……そっか…………私と、同じだね」
「うん……」
簡単なことであった。同じ理由だ。守りたいから戦う。その為ならばどんな障害があったとしても立ち向かう。リーシャだってそう思っていた。
リーシャは一度深呼吸し、姿勢を立て直すと聖剣を構えた。先程よりもその剣は手に馴染み、しっかりと握ることが出来る。
「でも、だったら私も……負けられない。私に力があるなら、その力で皆を守りたいの」
ルナはきっと正しい。影響を考えれば迂闊に村の外へ出るのは危険な行為だ。被害も出る。でもそれでもリーシャはシェル達を信じ切ることが出来なかった。彼女が勇者だからか、それとも生まれ持っての性なのか、誰かを助けようとする心が叫び続けているのだ。戦え、と。
「だから勝つのは私だよ。ルナ」
「それは、分からないよ。リーシャ」
リーシャは片手で聖剣を構え、足を一歩前に出す。ルナも手を振るい、残り少ない魔力を込める。そしてほぼ同時に、動き出した。
「〈神紛いの振るい〉!」
「〈魔王の勅令〉ーーーー闇よ!」
初手からリーシャはいきなり奥義を放ち、黄金の斬撃波がルナを飲み込もうとする。素早くルナは腕を振るい、周囲の影を自分の元へと集約させた。するとそこから巨大な影の腕が生え、黄金の斬撃波を受け止め、相殺する。
だがリーシャの攻撃はそれだけでは終わらず、ルナの背後へ回って剣を振り下ろした。すかさずルナは背後に闇を放ち、リーシャを宙へと打ち上げた。
「〈抉れ〉」
「くっ……!」
更に魔法によって闇を操作し、大きな口のような形にしてリーシャを飲み込もうとする。変化自在の攻撃に苦戦しながらも、リーシャは冷静に対処し、闇の口を蹴り飛ばして更に上へと跳んだ。そして彼女の聖剣が光り輝く。
「〈神狂いの颶風〉!!」
「……〈砕け〉!」
光の竜巻が上空から降り注ぐ。ルナは指を振るい、闇の口を棘状にして迎え撃った。バキバキと破壊音を立てながら闇と竜巻がぶつかり合い、散っていく。
(もっと力を寄越せ……神殺し!)
リーシャは更なる力を所望する。限界を超えたその先にある力を。一撃で全てを屠れるくらい強力な力を、その刃に込める。
(これで終わりにする……!)
ルナも走り出し、リーシャを止めようとする。決着を着ける為に、ついに魔王は自ら勇者を地に伏せようと闇を纏う。
リーシャはいち早くルナの背後へと回り、その光の刃で斬り裂いた。目にも止まらぬ程の一瞬。魔法を唱える暇もなく、分断されたルナの身体は宙を舞いながら地面へと崩れ落ちる。
だがそれはルナではなかった。闇によって形成された分身。ルナの形を成していたものはバラバラに砕けちり、闇となって鎖の形状へ変化するとリーシャの四肢へと纏わりついた。
「……なっ!?」
「きっといつかは、また勇者と魔王が戦い合う……新しい勇者と魔王の物語が、始まるんだろうね……」
気が付けばルナはリーシャの目の前に現れ、影を揺らめかせる。リーシャは必死に鎖を引き千切ろうとするが、力が足りずに間に合わない。
「でも私とリーシャの物語は、始まらなくて良い」
「ッ……ルナァ!!」
ルナが手を伸ばすと、影から闇の手が伸びる。その腕はリーシャが握っている聖剣神殺しを掴み、強く握りしめた。ミシリと、音が鳴る。
「〈壊せ〉」
ルナが開いた手を閉じると同時に、闇の手が神殺しを握り潰した。あまりにも呆気なく、刃はバラバラに砕け、破片が宙に飛び散る。
同時にリーシャは急に力が抜けてしまい、残された剣の柄を持っていることすら出来ずにその場に落としてしまった。ストンと地面に膝をつき、彼女は飛び散った聖剣の破片を呆然と見つめる。
「私の勝ち、だね? リーシャ」
「…………うん、そうだね……私の、負けだよ」
リーシャは大分間を開けた後、絞り出したような掠れた声で自身の敗北を肯定した。
体力は大幅に消費し、武器である聖剣も失った。まだ戦うこと自体は出来るが、こんな状態でルナに勝利したところでシェルを助けにいくことは出来ない。戦闘に時間を掛け過ぎた時点でルナの思惑通りだったのだ。
リーシャははぁと短くため息を零し、己の未熟さを笑った。不思議とお腹が空いてきた。
「やれると思ったんだけどなぁ……上手いことルナを抑え込んで、その後はシェルさんとこまで急いで行って、誰にも見られないように魔王候補達を倒すって……」
「リーシャなら出来ちゃったかもしれないね……でも、私はそんな無理して欲しくないな」
「…………」
もしもリーシャがルナとの戦闘を避けたり、戦法を変えてルナを制してからシェル達の所へ向かっていれば、グレアの思惑通りにいっていたかもしれない。でも結局はもしもの話。
何よりルナはそれを望んでいない。リーシャはその思いを感じ、目頭が熱くなった。
「強くなったね。ルナ」
「もちろん。リーシャの妹だから」
リーシャはルナの成長を認め、彼女もそれを誇らしそうに胸を張った。先程まで戦っていた二人の間に柔らかな空気が流れる。そこに、ユラリと空間が揺れてグレアが現れた。その後ろにはシーラとアレンも居る。
「いやぁ、実に良い戦いだった! 爺様と先代勇者の戦いを思い出したよ。空を裂き、大地を砕く超越者同士の戦い! 感動したねぇ」
パチパチと拍手をしながらグレアは感動したように声を震わせる。だが二人はそんな彼の存在よりも、アレンの方へと意識が向いていた。
「父さん……!」
「リーシャ、ルナ!」
アレンはリーシャとルナの元へと駆け寄る。グレアはそれを止めようとはせず、ただ興味深そうに眺めていた。
「すまない。側に居てやれなくて……ッ!」
「……! 私も、ごめんなさい……姉妹で喧嘩しちゃって……」
アレンは二人のことを抱き寄せ、悔しそうに言葉を吐き出した。己の未熟さ、不甲斐なさ、どれだけ分かっていてもやはり自分が直接子供を守れないのは親として辛い。
リーシャも最愛の妹と戦ってしまったことを悔い、悲しそうな表情をしながら謝罪した。するとアレンは優しく笑いかけながら彼女の頭を撫でる。
「気にするな。家族なんだから、喧嘩しても仲直りすれば良いんだ」
「うん……」
絆は本当の意味で切れることはない。特にリーシャとルナならばすぐに結び直すことが出来るだろう。だから何も心配いらない。
すると様子を伺っていたグレアが一歩踏み出す。その音に気が付き、アレンは後ろへと振り返った。そこではグレアが心底楽しそうな表情を浮かべながら手を広げていた。
「さぁ兄弟、これからの話をしようぜ。俺の予想通りにはならなかったが、今もまだ魔王候補達はこの大陸で暴れている」
現状は何も変わっていない。脅威は絶えず押し寄せ、アレン達にこれ以上なす術はない。
「兄弟達はこれから、どうする?」
家族は今一度答えを導き出さなければならない。戦う術を失った自分達がどの道を進むのか、冷静に、慎重に。




