193:幕が閉じるその時まで
樹木が吹き飛ぶ、大地が泣き叫ぶ、突風が巻き起こり、地形を変える。およそ少女達が繰り広げる戦いとは思えない激戦が、その場では起こっている。
リーシャは駆けていた。砕け散った大地の上を蹴り、舞い踊るかのように宙を飛んで移動している。その後ろから、雪崩のように大勢の魔物達が追っていた。
母の剣を握り締め、リーシャは目を細める。追いつかれないよう、囲まれないよう、適度な速度を保ちながら戦略を練る。
(多数との戦闘はいかにして多対一の状況を作らないか。結局は一対一の状況に持ち込めば、大した影響はない)
父親に教えてもらった事を思い返し、リーシャは突如方向を切り替えて魔物達の群れへと突っ込む。魔物達は追いかけていた獲物が突如自分達に迫ってきた為、対処が間に合わない。
まずリーシャは先頭に居た大型の魔物トラを斬撃波で吹き飛ばす。更に横に居たケンタウロスも斬り飛ばした。だが致命傷にはなっていない。全員ルナの魔法である影に覆われているからだ。
(ルナの魔法で強化されている……やっぱり魔物達をいちいち相手にしていたら、こっちが潰されるな)
魔物達は全員魔王の力の恩恵を受けている。本気で斬れば倒す事も出来るが、この数に一々全力を出していれば先にこちらが消耗してしまうだろう。リーシャは冷静にそう分析し、敢えて力を温存させた戦い方を選択する。
一方でルナもリーシャからは少し離れた岩場の上に立ち、魔物達の指揮を取りながら闇魔法で影を飛ばしてリーシャを追い詰めていた。
(強力な一個人の敵との戦いは、いかにして自分達の被害を少なくし、敵の手数を潰せていけるか。私の目的はリーシャの無力化だから、無理に攻め込む必要はない)
ルナもまた父親から教わった事を思い返し、リーシャを制圧する算段を確立させていく。魔物達に指示を飛ばしてリーシャを好きに動けないように陣形を取り、最小限の被害で彼女に敢えて技を使わせていく。既にリーシャはレオシャーリーンとの戦闘でかなり体力を消費しているのだ。いくら勇者の力があるとは言え、まだまだ未成熟な身体。先に体力に限界が来る。
(やっぱり、父さんに教わった戦い方で攻めて来るよね)
(当然。お互いに同じ事を教わって来たんだから)
遠くから二人の視線が一瞬交差する。だがすぐにリーシャは魔物達の群れの相手を、ルナは魔法を発動して影を放つ。
((でもだからこそ、向こうがどう動くか分かる……!))
巨大な影がリーシャを包み込もうとするが、すかさず彼女は飛び上がり、別の岩場へと着地して魔の手から逃れる。だがその先には新たな敵が待ち構えていた。
「グルゥァアアアア!!」
「……そんな吠えないでよ。クロ」
漆黒の尾を剣のように鋭くさせながら、ダークルウルフのクロが咆哮を上げてリーシャへと飛び掛かった。四足歩行の魔物による高速移動。獣の瞬発力はリーシャですら一瞬反応が遅れ、その腕にクロは噛み付く。鋭利な牙が肉へと食い込み、彼女は剣を振るえない状況となる。
「ッ……!」
今までのじゃれ合いとは違う、本気で自分を無力化しようとして来る攻撃。剣を振るわせない為ならば腕すらへし折ろうとする勢い。だがリーシャは怯まず、腕を噛まれたまま耐える。
「……うん、大体理解出来た」
「グル……ッ!?」
「クロ、離れて!!」
リーシャが手にしている聖剣が薄らと輝く。母が使っていた神殺し。その力は王殺しさえ上回り、邪神をも屠る。
ルナの指示を聞いてすかさずクロは噛み付いていたリーシャの腕を放し、その場から離れようとする。だが次の瞬間、辺りは眩い光に包まれた。
「〈神狂いの颶風〉」
放たれたのは巨大な竜巻。まるで大量の刃でも舞っているかのように鋭く、辺りの樹木すら切り刻んていく。クロはそれに直撃してしまい吹き飛ばされ、離れていたはずの魔物達すらもその風の餌食となった。
ルナはその光景を見て受け入れられなそうに瞳を揺らし、唇を噛み締める。
「……!!」
「これが神殺しの力か……よく馴染むね」
腕を負傷しているのにも関わらずリーシャはまるで痛みを感じていないかのように腕を振るい、何事も無かったかのような態度を取る。
(今の短時間で聖剣の技を習得された……まずい!)
聖剣の技や奥義はその聖剣自身から使い方を教わり、習得するもの。王殺しの時はまだリーシャが聖剣の理解が浅かった為、習得には時間を要した。だが今の彼女は違う。勇者としての覚悟が決まっているリーシャは今の短時間で神殺しから技を聞き出し、習得したのだ。
「ルナ、歯食いしばって」
「くっ……!」
気が付けばリーシャは一瞬でルナの前へと移動し、聖剣を躊躇いなく振り上げる。すぐさまルナは魔法を放ち、足元の影を伸ばして自分の前に巨大な盾を作り出した。
「〈神紛いの振るい〉」
視界が白に覆われる。放たれた黄金の斬撃は一瞬で影の盾を粉砕し、その衝撃波に巻き込まれてルナははるか後方へと吹き飛ばされた。
「うあぁぁああああ……!!」
樹木に激突し、その場にズルズルと崩れ落ちるルナ。かなりのダメージを負ったらしく、四肢は小刻みに震えていた。
「かふっ……う、ぐ……」
「結構身体が残ったほうだね。本気で潰す気で放ったんだけど」
倒れているルナの方に歩み寄りながらリーシャは意外そうな表情を浮かべる。
今放った技は神をも屠る究極の一撃。神殺しの由縁たる奥義。ルナが魔王だったからこそ五体満足でいられたのだ。もしも普通の人間が直撃を受ければ粉微塵であっただろう。
「ねぇ、ルナは心配じゃないの? シェルさんのことが。今だって魔王候補達と戦ってるかもしれないのに」
リーシャはふとそう問いかける。ルナは身体を震わせながらゆっくりと起き上がり、力強い瞳でリーシャと視線を合わせた。
「父さんだって、シャーリーさんだって本当に無事かは分からない。あの男に何か策があるのかも知れない……だから、私達が助けないと。そう心配にならないの?」
「……私だって、心配だよ」
「なら……!」
リーシャが不安に思う気持ちは正しい。間違ってはいない。だがルナはその考え方に同意しようとはしなかった。
「でも私は、それ以上にシェルさんの事を信じてる。お父さんの事を信じてる。シェルさんだって覚悟がなくて大魔術師になった訳じゃない。危険は承知のはずだよ」
彼女の強い視線がリーシャの心に突き刺さる。息が詰まり、理解が追いつかなくなる。今まで半身とも思っていた相手の言葉が耳を通り抜けて行ってしまう。
「お父さんも元冒険者、何より私達に戦い方を教えてくれた……ねぇリーシャ、いつから私達がお父さんや、シェルさんを守らないといけないって考えるようになったの?」
「……!」
ルナの姿を見てリーシャは一瞬恐怖を感じた。何故か。昨日まで可愛らしい妹だと思っていたその姿は、今は異形の怪物のように見えてしまう。彼女の心が靄に覆われる。
「シェルさんとお父さんは私達が守らないといけないくらい弱いの? 目を離したら心配になるの? 違うよ。逆でしょ。子供の私達が心配される側なんだよ」
動揺しているリーシャに対してルナは一歩前へと踏み出し、追い込むように言葉を続ける。リーシャは怯むように後へと下がった。握り締めていた聖剣を落としそうになり、慌てて柄を握り直す。
「強くなったから大人になったつもり? 勇者の力を使えるようになったから守る側になったつもり? 違うね。リーシャはまだまだ子供……世間を知らず、他人を信じられない、臆病者だ……!」
「……ッ!!」
ーーーー分からない。何を言っているのか分からない。頭に入らない。理解する事が出来ない。
リーシャは顔を横に振り、自身が理解出来てない謎の恐怖から目を逸らす。そして思考を停止し、無理やり考えを変えてやろうと剣を振り上げる。だがそれよりも前にルナは動いていた。
「〈魔王の勅令〉ーーーー駆けよ」
「なっ……!」
腕を交差させ、ルナは魔力を解放する。次の瞬間、彼女の背後から魔物達が現れた。影に覆われ、目を赤く光らせ、先程よりも素早くリーシャへと襲い掛かる。
「グルァアアア!!」
「ちっ、〈神殺し・燐〉!」
リーシャも瞬時に反応し、赤黒いオーラを纏って対応しようとする。だがそれを見るとルナは交差させていた両腕を素早く払い、再び魔法を発動する。
「〈魔王の勅令〉ーーーー醒めよ」
「うっ……!?」
冷たい風が吹いたかと思ったら、いつの間にかリーシャを覆っていた赤黒いオーラが消えていた。何が起こったのか分からないリーシャは目を見開き、額から汗を垂らす。
「燐が、掻き消された……!?」
「魔王の命令は絶対なんだよ」
これはルナの新たな魔法。もしくは魔王本来の力。王として自覚し、臣下を持った者の言葉には特別な力が宿る。それは他者を強くし、または弱くし、全てを支配する力。ルナはクロ達を眷属にしてから密かにこの魔法を習得していた。以来、強力な敵との戦闘に備えて訓練していたのだ。その初めての相手が勇者のリーシャというのは何とも運命的であるが。
「く……!」
力を思うように振るう事が出来ない。予想しなかった事態にリーシャは混乱しながらも、向かってくる魔物達に剣を振るう。先程のように距離を取る事が出来ない。魔物達の方が素早く、攻撃に対応するのに手一杯だった。
「うぐぁ……!!」
魔物の牙が、爪がリーシャの身体を傷つける。衣服が破れ、頬に赤い線が出来上がる。呼吸も段々と乱れ始め、身体に重さを感じ取る。こんなことは初めてだ。リーシャは焦り、困惑した。
「逃がさないからね。リーシャ」
ルナは腕を上げ、手の平をリーシャの方へと向ける。そこから影が現れ、まるで大きな翼のように広がっていく。小さな魔王が笑う。彼女はもう子供ではない。戦う覚悟を決めた王だ。一方でリーシャの瞳は、淡く薄れてゆく。まるで道に迷った子供のように。
◇
崩壊した町の中で四人の魔術師達が地面に膝を付いていた。各々傷を負い、ローブは破れ、中には杖が折れてしまっている者も居る。かなり追い込まれているようであった。
「はぁ……はぁ……きっつ」
「……先輩」
「いやぁ、まさかここまでとはね……」
「ふ……笑止」
大魔術師達は空を見上げ、自分達をここまで負傷させた相手を視認する。赤黒い髪をした魔族の兄妹。二人の魔王候補。その実力はやはりと言うべきか、人族側では最高戦力と呼べる大魔術師四人でも一歩及ばぬ程強大であった。
「存外しぶといものだな。人族というものも……」
「ね〜、まさかここまでやるとは思わなかったわ。まぁ、それもこれでお終いだけど」
魔王候補のレシーナとレギオンには負傷した様子はない。精々髪が乱れていたり、衣服が汚れている程度であった。それくらいしか大魔術師達が本気を出しても攻め込めない。圧倒的すぎる。
思わずファルシアはため息を零し、仲間の大魔術師達へと視線を向ける。
「で、どうするの? かなり追い込まれちゃったけど、誰か手はないの?」
「私も……もう手札なしです」
「残念ながら僕もかな〜。逃げるくらいなら出来ると思うけど」
「はぁ、大魔術師が四人も居てこの様なんて……情けない」
皆魔力は出し惜しみせず使ってしまった。後残っているのは起死回生の逆転となる可能性がある大魔術の為の魔力だけだ。これを使い切れば、四人は本当に絶体絶命となる。
(大魔術の発動準備は出来たのよ。後は奴らを拘束さえ出来れば……)
ファルシアは己の中で練られた魔力をしっかりと感じ取りながら思考する。
この大魔術を発動すれば確実にダメージは与えられるはず。だが問題はそれを外さず当てる事だ。向こうは未だ傷らしい傷を負っていない魔王候補二人。四人がそれぞれ大魔術を発動した所で倒せる確証はない。ならば尚更、絶対に外す訳にはいかなかった。何か機会が必要なのだ。魔王候補達の動きがピタリと止まるような有り得ぬ状況が。
「さぁ、これで終わりよ。人族の皆さん。最後に何か言い残したいことでもある?」
レシーナの方が宙をクルクルと回りながらそう問い出す。明らかに余裕の態度。四人のことなど全く警戒せず、まるで今日の天気のことでも尋ねているかのような態度であった。
大魔術師達はこれからどうすべきか考えるので一杯で、当然その質問に応えようとはしない。だが四人の中から一人だけ、立ち上がって応える者が居た。
「かつて、我が友は言った……勝敗を決するものは何か? と」
「……ザソード?」
脈略のないザソードの言葉。魔王候補達はもちろん、仲間である大魔術師達も首を傾げる。それでもザソードは周りの反応などお構いなしに堂々と言葉を続ける。
「我はもちろん力だと答えた。より強大な力を持つ者が勝利する。それが自然の理である、と。だが友は違うと言った」
「あら、そうなの?」
「…………」
レシーナは意外そうな顔をし、横に居る兄のレギオンへと視線を向ける。しかし彼は両腕を組んで黙ったままで、反応らしい反応を見せなかった。
「勝負を決するものは、どこまで先を読む事が出来るか、だ。一手、二手、三手、その読みを制すれば、どれだけ格上の相手でも勝負が始まる前から勝つ事が出来る」
わざわざ指を一本ずつ立てていきながらザソードは言葉を述べる。
これは単なる時間稼ぎなのか? それとも何か狙いがあって言っているのか。仲間ですら読み取れない彼の奇行に大魔術師達は困惑する。するとザソードは鋭い視線で魔王候補達の事を見つめ、ビシリと指を突き付けた。
「魔の者達よ。確かにお前達の魔力は大魔術師の我よりも上だ。その質も、術も、強力と認めねばなるまい。だがだからこそ、お前達は小さな事を見落とす」
ザソードは自惚れが強い。彼は自身が特別だと本気で思い込んでいる。そんな彼が魔王候補達の方が格上である事を認めた事に大魔術師達は驚いた。
そして彼は、鎌のように歪な形をした杖を掲げ、魔力を解放する。
「我が魔法、〈火蓮〉は一式から終式までで一つの魔術となる術式魔法。今ここで、我が戦術は完成した!」
「は?」
「……! レシーナ、下がれ!」
ズダン、と地面に杖を突き刺す。その瞬間、崩壊している町の建物に小さな光が灯る。それは一つではなく、そこら中から。更には魔王候補の二人の身体にも無数の光の球が灯っていた。
「〈火蓮・終式・紅蓮ノ唄〉!!」
扉の鍵を開けるかのように杖を回し、ザソードは魔法を発動した。すると光が爆発したように大きな音を立て、そこから炎が発生する。炎は魔王候補達の周囲を覆い、まるで龍のように一本の筋となって展開した。更には魔王候補達の身体からも炎が発生し、二人は突然の出来事に声を荒げる。
「な、にこれ……!? 身体から炎が……何で、突然!?」
「ぐ、ぬ……!」
レシーナはすぐさま氷魔法を使って炎を消そうとした。だが絶えず身体から炎が発生し、収まる気配がない。レギオンも魔剣を使って魔法を喰らうが、終わらない炎の余波を食らって傷を負ってしまう。
「我は最初から魔法を放つ度に小さな火種を撒いていたのだ。その火種は魔法陣の役割をなし、時が来たら自動的に発動するようになる。お前達を襲うのは、無限の炎だ」
ザソードの魔法は特殊である。彼が自ら編み出し、独自の技術を用いて一つの巨大な術式へと変化させた魔法。一式、二式、三式、終式、と大袈裟な名前を付けているが、これらは全て一つの魔法を完成させる為の手順に過ぎず、術式が完成すると全ての魔法を自動的に発動し続けるという恐ろしい仕組みになっている。これこそ彼が一人で竜を倒す為に構築した魔法。強大な敵を制する為の唯一の手段。
「さぁ、奴らの動きは止めた。同胞達よ、行くぞ!」
「もう! 秘策があるなら先に言っておきなさいよ!」
「先輩、それは後で! 行きますよ!」
当然これだけで魔王候補達を倒せる訳ではない。魔法〈火蓮〉はザソードの必殺技とも言える強大な魔法だが、それでも無限に続く炎だけでは彼らの動きを止めるので精一杯である。だがその僅かな時間こそが大魔術師達には喉から手が出る程必要だった。
四人はそれぞれ杖を手に取り、残されていた最後の魔力を解放する。
「〈大魔術・第十二頁・魔導幻夜〉!」
「〈大魔術・第九頁・星落とし〉……!」
「〈大魔術・第十六頁・死狩り〉!!!」
「〈大魔術・第二十頁・光王烈砲〉!!」
空間を支配し、辺りが夜に包まれる。山のように巨大な魔力の塊が空中に出来上がり、落下する。黒く、醜い力が死神の刃となり、咎人の命を狩る。まるで太陽の輝きのような眩い光が、一筋の線となって目の前の物体を全て破壊する。
一つでも町を落とせる程の十分な力を誇る大魔術が四つ、躊躇いなく放たれた。それは町から音を消し、色を消し、一瞬全てが静止する程の衝撃であった。
数秒後、大魔術師達の目の前に広がっていたのは町が跡形もなく消えているという恐ろしい光景であった。人族の大陸を守る為に戦っていたというのに、自分達の魔法で町を消してしまうというのは何とも恥ずかしい話である。だがそうでもしなければ勝てない相手であった。
「はぁ……はぁ……あんた達、何で頁二桁の魔法使ってるのよ……私だけ一桁で恥ずかしいじゃない……!」
「え、ぁ、ごめんなさい先輩。でも私が使える大魔術はアレしかなくて……」
「仕方あるまい。青のは戦闘力で言えば我ら四大魔術師の中でも最弱。人には得意、不得意がある」
「まぁまぁ、一桁でも大魔術なのには変わりないんだから。良いじゃないか」
「……そう言って一人だけ二十頁使ってたくせに。おじさんなのにどれだけ魔力多いのよ……」
ようやく危機が去った事でファルシアはその場に倒れ込み、シェルも膝を付いて大きく息を吐き出す。実力者であるメルフィスとザソードも膝を折り、かなり疲労困憊と言った様子であった。
「とにかく危ないところだった……少し休憩して、魔力が戻ったら報告に戻ろう」
「そうね……もうヘトヘトで一歩も動けな……」
「ーーーー!」
何とか目標であった魔王候補達の対処を済まし、今後の事を決めようとメルフィス達は話す。だがその時、ザソードだけはある違和感に気が付き、すぐさま体勢を戻して大声を上げた。
「下がれ、同胞達よ!」
仲間に指示を出すと同時に背後へ振り返り、杖を振って巨大な魔法の壁を構築する。だがそれは飛んで来た斬撃波によって一瞬で切断され、更にその余波でザソードの杖が真っ二つに斬れ、更に肩から血が噴き出した。彼はそのまま倒れ込んでしまう。
「がっ……!?」
「ザソード!!?」
ザソードが倒れた所でようやく他の大魔術師達も異変に気が付き、後を振り向く。そこには、絶望が立っていた。
「危ない……ところだった。少しだけ肝を冷やしたぞ」
「あ……ぅ……兄、さん……」
焼け焦げた衣服に、全身には無数の傷が出来ているレシーナ、の首を掴んで立っているレギオン。レシーナよりも明らかに負傷が少なく、その様子から大魔術師達は彼がどうやって大魔術から逃れたのか容易に理解出来た。
「たかが属性魔法を複数使えるだけしか取り柄のない悪趣味な妹だと思っていたが、存外盾として優秀だったな。よくやったぞ。レシーナよ」
「くっ……そ、が」
「あいつ……自分の妹を盾に……!」
大魔術が発動した時、冥竜王では防ぎきれないと悟ったレギオンはすぐさまレシーナを拘束し、自分の前に立たせると強制的に魔法を発動させた。そしてレシーナが必死に大魔術を防ごうと魔法を使用している間に、魔力の隙間を縫って脱出したのだ。当然、一人で四つの大魔術を防ごうとしたレシーナがただで済むはずがない。
彼女は血だらけになりながらも、その鋭い瞳でレギオンのことを睨みつける。彼はその視線に気が付きながらも、謝罪することなくレシーナを粗雑に放り捨てた。そして黄金の剣を持ち上げ、構えを取る。
「俺に剣を使わせたことを後悔しろ。人族共よ」
レギオンは剣を振り上げる。その瞬間大地が揺れ、亀裂が起こり、紫色の炎と共に巨大な斬撃波が放たれた。メルフィスはすぐさま倒れているザソードを抱え、斬撃波から離れる。シェルとファルシアも体に鞭打って何とか横へと逃れ、斬撃波を回避した。だが通過した場所から紫色の炎が発生し、四人は熱風に吹き飛ばされる。
「うぐうぅぅ……ッ!」
「あ、ぐっ……ま、不味いわよ。ザソードはやられたし、こっちは魔力切れで一歩も動けない……」
「ほ、本当の絶体絶命ってやつですね……」
ザソードは戦闘不能。残りの三人の大魔術師もろくに魔力が残っておらず、まともに戦闘出来る状態ではない。全員絶望していた。シェルもその場に膝を付き、呆然と空を見上げることしか出来ない。
「これで終局だ。貴様らを始末し、俺が真の魔王となる」
レギオンは黄金の剣を構え直し、一歩大魔術師達へと近づく。完璧なとどめを刺す為に。己が完全なる魔王となる為に、彼は全てを終わらせようとする。
「……先生」
シェルはこんな時でもアレンのことを思い出していた。彼は今頃何をしているだろうか。家でのんびりと子供達と過ごしているだろうか。それともまた何かに巻き込まれ、大事件に関わっているのだろうか。何でも良い、今はとにかく、会いたい。
シェルは最後までアレンを想い続けた。
◇
「良いね、良いね。どっちもクライマックスって感じじゃん」
「…………」
空間に映し出されている光景を見ながらグレアは楽しそうに笑っていた。まるで演劇でも見ているかのように、その壮絶な戦いを見て喜んでいる。一方でアレンは立ったまま、その光景を黙って見つめている。
「兄弟もハラハラするだろ? 子供と奥さんがピンチなのに、自分は見てるだけってのは」
「……ああ。そうだな」
「ありゃりゃ、中々根性あるな。兄弟は」
嘘だ。アレンの手は僅かに震えていた。血が滲むほど強く握りしめて必死に動揺を抑え込んでいる。本当なら今すぐにでも駆けつけたい気持ちで一杯だった。だがそれは不可能。ここでどれだけ慌てたところで、それはグレアを喜ばせるだけ。何をしても無駄だと分かっているのだから、今は見届けるしかない。
「ん?」
ふとグレアは不可解そうな顔をし、空間に映し出されている複数の光景を確認する。すると隅に映し出されていた光景の一つにヒビが入り、真っ黒になって見えなくなっていた。更にその隣に映し出されていた光景にもヒビが入り、黒く染まっていく。丁度それは大魔術師達と魔王候補達が戦っている港町の光景だった。
「あれ、なんだ? どったの? シーラちゃん」
「……申し訳ありません。〈目〉の方にどうやら不具合が」
「……不具合?」
状況を確認しようと思ってグレアが尋ねてみても、秘書のシーラから返って来るのは不具合という曖昧な答えだけ。グレアは疑問に思い、顎に手を当てながら考え込む。
(港町の方の〈目〉だけ不具合? 戦いの余波で潰されたのか? でもこの順番、町の入り口から段々戦っている所へと向かっている……)
この光景は特殊な魔具を用いてシーラの魔法と連結し、別の場所の光景を映し出している。不具合があったという事は、魔具を仕掛けておいた港町で異変が起きたという事だ。それがもしも偶然ではなく意図的だとすれば。グレアは少し嫌な予感がし、目を細めた。
「どうした? 何か気になることでもあったのか? グレア」
「……!」
ふと前方に立っているアレンに声を掛けられる。グレアは突然の質問に驚いたように目を開け、何かを言い掛けそうになった。だが言葉は出ず、そのまま困ったような笑みを浮かべた。
「別に何も心配することはないだろ? 俺たちはただ、見ているだけなんだから」
「……おいおい、本当に根性あるな。兄弟」
何か仕込んだな? などと無粋な質問はしない。自分達は選ばれなかった者。舞台の観客であり、仕掛け人でもある、裏方。舞台の上で何が起こっていようと、自分達はただそれを見届けなくてはならない。幕が閉じるその時まで。




