189:四人の大魔術師
王都から離れた北東の港町。そこは他国と交易が行われている唯一の場所であり、亜種属との交流の場でもある。だが同時に魔族が住む暗黒大陸にも近い場所であり、時には魔族との小競り合いによって海上で戦闘が行われることもある。良くも悪くも他国との接触が多い場所なのだ。だからこそこの港町は防壁も構築されており、他国から侵略があった時の為に様々な仕掛けが施され、住民もすぐに避難出来るように避難経路が用意されているのだ。
そんな港町は現在人気がなく、町は殆ど無人と化していた。港にある船は全て倉庫へ入れられており、防護壁が張られている。海からは時折荒々しい波が押し寄せており、どうにも不穏な空気が流れていた。
すると町の中央広場を歩いている人影が居た。青いローブを身に纏った美しい女性。〈青の大魔術師〉のファルシアであった。
「はぁ……なんか嫌な風吹いてきたわね。ほんと気分が滅入るわ」
自身の美しい金色の髪を払いながら彼女は疲れたように息を吐き出し、広大な海が広がっている港の方へと視線を向ける。その声色は気怠げで、普段の強気な態度は見当たらなかった。それだけこれから始まる戦いに不安を覚えているのだ。
すると、そんなファルシアの元にパタパタと足音を響かせながら駆け寄ってくるシェルの姿があった。
「先輩! 住民の避難、全部終わりました」
「そ。ご苦労様」
白いローブを靡かせながらシェルは報告する。それを聞いてファルシアは港から視線を外し、シェルの方へと歩み寄った。ふと見ると彼女も不安げな瞳で港の方を見ており、強く杖を握りしめていた。そしておもむろに口を開く。
「ほんとに来るんですかね? ……魔王候補達」
「偉いおじー様達からの指示だからね。まぁ来るんでしょうよ。ちゃんと覚悟は出来てるの?」
「も、もちろんです」
ファルシアが試すように尋ねてみると、若干遅れながらもシェルは返事をし、力強く頷いてみせた。
彼女も大魔術師。戦いの覚悟は出来ている。むしろ元冒険者の為、戦いに関してならファルシアよりも心得はあった。だがそうだとしても今回は今までとは訳が違う。何せ相手は魔王候補。既に二人ともその片鱗は味わっており、自分達の実力とどれだけ差があるか分かっていた。だからこそ、覚悟が出来ていても恐怖は残ってしまう。
そんな不安を紛らわす為か、ファルシアは遠慮気味にシェルへと話し掛ける。
「ちゃんと旦那さん……アレンさんにも説明した?」
「そ、それは……時間がなくて。何せ急に招集命令からの指示でしたから」
「それもそうか」
村でシェルが魔術師教会から連絡を貰った時は緊急招集の内容だけだった。そのくらい魔術師教会側も急いでおり、余裕のない状態だったということなのだろう。シェルもアレンに心配を掛けたくないということで招集が掛かったことだけを伝えて出てきてしまった。今思えばもう少し話しておくべきだったと後悔する。
「まぁ安心なさい。せっかく所帯を持った後輩くらい、私が守ってあげるわよ」
「……珍しいですね。先輩がそんな優しくしてくれるなんて」
「気を遣ってやってるのよ。言わせないで」
少し恥ずかしそうな表情をし、ファルシアは顔を背けてしまう。
彼女なりの優しさなのだろう。もしくは先輩としての意地か。どちらにせよ頼もしいことなので、シェルは心の中で感謝した。
そんな二人の元にまた一人ローブを羽織った人物が現れる。緑の大魔術師、メルフィスだ。
「何だい? 二人とも随分仲が良いじゃないか。シェルリアの称号授与式典の時はあんなに険悪だったのに」
「メルフィスさん……!」
「昔のことでしょ。思い出させないでよ」
ニコニコと優しい笑みを浮かべてメルフィスは二人のことを見る。するとファルシアは目つきを鋭くし、不機嫌な猫のように彼のことを睨みつけた。そして一度コホンと咳払いをすると、話題を切り替える。
「そっちの方は設置魔法の準備終わったの?」
「うん。全部の区画に仕掛け終わったよ。まぁ効くかどうか分からないけどねー」
「メルフィスさんの魔法が効かなかったら私達はおしまいよ」
「あ、あはは……」
戦闘に備えてメルフィスは幾つか設置魔法を仕掛けていた。何分これからやって来る魔王候補達がどんな戦い方をして来るか分からない為、十二分な準備をしておかなければならないのだ。
もしもアラクネのように呪いで人を蜘蛛に変えるようなら初見殺しも良いところだ。そうならないように対抗策を色々と仕掛けておいたのである。だがそれでも完璧とは言いた難い。魔王候補相手ではどれだけの準備をしても安心することなど出来ないだろう。
するとファルシアは額に手を当てながらふと気になったような周りに視線を送った。
「それで、〈赤〉の奴はどうしてるの?」
「ああそれなら、あそこに居るよ」
彼女の質問にメルフィスが答え、目配せで探している人物の方向へと誘導する。そこは建物の屋根の上。その場所に赤いローブを羽織った男が座っていた。
紅色の髪を伸ばし、右目を隠した謎の髪型。左目には謎の切り傷があり、凛々しい顔つきに鋭い目つきをしているが服装はヘンテコで、装飾の多い黒の衣装に謎のチェーンが絡み付いている。まるで囚人のようにも見えた。
そんな彼は赤いローブを靡かせながら海の方に視線を向け、口を開く。
「不穏な風……運び来るは魑魅魍魎の主か、はたまた王を偽る痴れ者か……フッ、どちらにせよ此度の戦いは死を覚悟しなければならぬかもな」
謎の言葉。かろうじて聞こえていたファルシアも冷めた目でその男のことを見上げていた。
そして呆れたようにため息を吐いた後、頭を掻きながら大声を上げる。
「ちょっとー、赤! いつまで屋根の上でぼーっとしてるの! そろそろ配置に付きなさい!」
「呆けてなどいない……いや、確かに我を忘れていたかもしれないな。これから始まる戦いに心躍って……」
「あー、うざ」
ファルシアの指示に対してもその男は目を瞑り、どこか気取ったような態度で応える。どこか会話が噛み合っていないような、妙な空気が流れていた。そんな彼に対してファルシアは不機嫌そうに地面を蹴る。隣に居たシェルも苦笑いを浮かべていた。
「相変わらずですね……ザソードさん」
「頭がお花畑なのよ。もしくはガキ。私の嫌いなタイプのね」
「まぁあれが彼らしさだからね。むしろ調子良さそうだから頼りになるんじゃない? 実力は本物だし」
赤いローブの男の名はザソード・キーパー。大魔術師の一人、〈赤の大魔術師〉である。
四人の大魔術師の中では最年少だがその実力は本物で、単身で竜を討伐したことがある程。魔法に関しての研究欲も強く、古代魔法の解析などにも力を入れている恐ろしい程多才な魔術師なのだ。
だがそんな彼には一つだけ、ちょっとした問題点というか、他者と合わない部分がある。それはザソードが時折発する謎の言葉。
わざわざ遠回しな言葉を使ったり、意味ありげな謎の発言をしたりと、他者を困惑させるようなことばかりを言うのである。どうやら本人はそれが無自覚らしく、自分の中で完結してしまっている為直そうとする様子もない。それだけが彼の難点であった。
「はー、あんなのと私達だけで戦わなくちゃならないなんて……最悪だわ。せめてギルドも黄金級の冒険者くらい用意しなさいよ」
「しょうがないよ。冒険者達は街や王都の防衛に回されちゃってるし、選定勇者君が出れなくなっちゃったからね」
そもそも魔王候補がこの港町に向かっているという情報が手に入ったのも、調査班として派遣されている冒険者達のおかげ。正確には暗黒大陸の調査をしようと海上に出ていた冒険者達が偶然魔王候補達と遭遇した為、命がけで情報だけが届けられたのだ。
つまり今はどこも手一杯の状態。敵は魔王候補だけではないし、活性化している魔物達の対処もしなければならない。むしろ大魔術師を四人揃えられただけでも奇跡的と言えるだろう。
「ああ、それ。結局選定勇者を襲った犯人は分かったの? メルフィスさん」
「あー、うん。一応会えたは会えたんだけどねー。負けちゃったから逃げたんだ」
「はぁ!? メルフィスさんが負けたの!?」
あっけらかんと衝撃的なことを明かすメルフィスにファルシアは思わずあんぐりと口を開けてしまう。せっかくの美人さんが台無しであった。すると彼女は慌てて口を閉じ、慌てた様子でメルフィスに詰め寄る。
「メルフィスさんが負けるってどんな奴よ!? 魔王候補よりそっちを野放しにしておく方が不味いんじゃないの!?」
「んー、多分大丈夫じゃない?」
「な、何でそんな言い切れるのよ?」
最強の大魔術師とすら呼ばれているメルフィスでも勝てない相手。そんな存在を放っておく訳にはいかないのに、何故かメルフィスは何も問題視していないような態度を取る。そんな彼を理解出来ないようにファルシアは眉間にしわを寄せた。
するとメルフィスは視線を西の空の方へと向けて答える。
「多分今頃アレン君が頑張ってくれてると思うからさ。彼ならきっと解決してくれるよ」
「何でそこでアレンさんが出てくるのよ……?」
急にアレンの名前が出てきたファルシアは疑問そうな表情を浮かべる。隣のシェルもどういうことなのかと聞こうと思ったその時、トンとザソードが地面に着地して彼らの前に現れる。
「同志よ。語らいはそこまでだ。招かれざる客達が来たぞ」
彼は鎌のように歪曲した漆黒の木の杖を握りしめ、前方へと視線を向ける。シェル達もその方向を見ると、丁度空から二人の魔族が舞い降りてきた。彼らは宙に浮いたまま、大魔術師達のことを見下ろす。
「あら〜、何よ? たったの四人で私達を相手しようっての? 人族ってのは案外楽観的な頭をしてるのね。ねぇ? 兄さん」
「……奴らはただの人族ではない。強力な魔力を秘めている。舐めて掛かればやられるのはお前の方だぞ。レシーナ」
一人は赤黒い髪を腰まで伸ばした美しい女性。年齢は二十代後半くらいか、長いまつ毛が特徴的で美しいが、その目は沼のように淀んでいる。肌は死人のように白く、真っ黒なドレスの上から更に漆黒の羽織りを肩に下げ、口にはベールを付けている。
もう一人は赤黒い髪を耳辺りまで伸ばし、気怠げな瞳をした高身長の男。年齢は三十程か、こちらも黒い衣装の上から漆黒羽織りを肩に下げており、右腕にはゴツゴツとしたガントレットが装備されている。体格も良く、衣装も合わさってかなり存在感が大きい。そして腰には柄に黄金の装飾が施された剣が鞘に納められており、そこから凄まじい圧が感じられた。
大魔術師達はそんな彼らを見た瞬間、杖を構えて戦闘態勢へと入る。
「あれが魔王候補かー。強そうだね」
「二人……か。フッ、俺が両方相手しても構わんぞ?」
「馬鹿言わないで。せっかく人数が有利なのに活かさないでどうするのよ」
「アラクネよりも強そうですね……」
それぞれ感想を零し、同時に身を引き締める。一名はかなり余裕な態度を取っているが。それでも目の前の魔王候補達から放たれている凄まじいプレッシャーは嫌でも伝わっていた。
すると魔王候補の女性の方がいきなり襲い掛かってくる訳でもなく、つまらなそうにため息を吐いて宙に浮きながら一回転した。
「ったくさ〜、レウィアの奴が〈最硬〉と〈最多〉の奴を倒さなければもっと楽に攻めれたのにねー。ってかあの子、この数年間で候補倒し過ぎじゃない? 魔王になる気満々よねぇ」
「奴もルーラーの名を授かる者ということだ……いずれ兄のこの首を取る時も来るかもしれん……だからこそ同族争いで戦力が減る前に、目障りな人族を消す」
魔王候補の男性の方は自身の首を撫で、感情を思わせない顔つきで女性の言葉に返事をする。その会話が聞こえていたシェルは思わずぴくりと反応を示す。
「……レウィア」
彼女がこの四年間で他の魔王候補達と戦っているのは聞いて知っていた。ならば今はどこに居るのだろうか? いつも人族の大陸で魔王候補の事件がある時は彼女が来てくれるのだが、今回は何をしているのだろうか? 出来ることならば手を貸してもらいたい。そうシェルは思ってしまった。
だが現実に今最強の魔王候補であるレウィアは居ない。勇者のリーシャも魔王のルナも居ない。居るのは自分達大魔術師だけ。今回初めて人族は勇者でも特別な存在でも何でもない、人の純粋な力だけで巨悪に立ち向かわなければならない。
「さーてと、それじゃせっかくだし名乗っとこうかしらぁ、まぁ死んだら覚えてられないと思うけれど」
魔王候補の女性はそう言ってパチンと指を鳴らす。すると彼女の周りに炎の球、氷の球、雷の球が出現した。別属性の魔法の同時発動。複雑な魔法を指だけで発動した女性に大魔術師達は動揺する。
そして隣に浮いている男性の方も腰にある黄金の剣を引き抜く。その刃は淡い紫色に輝いており、鞘から抜けきった瞬間、紫色の炎を発した。
「〈最善の魔王候補〉レシーナ・エィル・ルーラーよ。精々綺麗に死んで頂戴」
「〈最優の魔王候補〉レギオン・オル・ルーラー……言葉は要らない。死ね」
魔王候補達が名乗ると同時に炎、氷、雷の魔法攻撃が同時に行われ、紫色の炎が竜巻のように巻き起こり、大魔術師達の方へと向かって行く。四人はすぐさまバラバラに散り、各々杖を振るうと魔法を発動した。
今ここに、大魔術師と魔王候補による壮絶な戦いが始まった。