183:宰相
村の原っぱでリーシャとシャーリーは一緒に居た。シャーリーは日陰になっている場所に座って涼んでおり、リーシャは原っぱの真ん中で聖剣を振って修行をしている。その様子は仲良さげな姉妹が散歩をしているようにも見えた。
しばらくするとリーシャは一度手を止め。額に浮かぶ汗を拭いながら息を吐いた。そしてどこかつまらなそうな表情を浮かべ、口を開く。
「は〜ぁ、シェルさん、魔術師教会の指令とかでどっか行っちゃったな〜。どんな指令だったんだろう? 内容くらい教えてくれても良いのに」
先日、シェルは魔術師教会から何らかの指令を受け、急遽村を出る事となった。彼女は大魔術師の為、仕事ならしょうがないのだが、リーシャからすればいきなりの事だったので少し不満だったのだ。
そんなリーシャを見てシャーリーは気持ちを落ち着かせるよう、優しい口調でゆっくりと話す。
「仕方ないよ。リーシャちゃん。重要な任務だったら秘密にしないと」
「む〜、それはそうだけどさぁ」
「大丈夫。シェルさんも言ってたでしょ? すぐに終わらせて戻って来るって」
「うん……そうだね」
シャーリーの言葉にリーシャは渋々と言った様子で従う。だがそれ以上不満を言う素振りは見せず、再び鍛錬の素振りを再開した。
リーシャは不思議に思う。何故自分はシャーリーに対して警戒心が薄いのかと。
普通なら外の人間は警戒すべきだ。自分の正体を知られないよう、なるべく距離を縮めるような行為は避けなくてはならない。だがどういう訳か、シャーリーが相手だと自然と気が緩んでしまう。彼女が記憶喪失で、色々と不器用な点が関係しているのかもしれない。
(なるべく心を開きすぎないようにしないと……でも、シャーリーさんと一緒に居るとなんか気持ちが落ち着くんだよね)
リーシャは素振りをしたままチラリとシャーリーの方に視線を向ける。眩しいのを好まない彼女は日陰で静かに過ごしている。こうして見ると彼女はとても美人だ。不健康に見える程の細い手足で気付かなかったが、シャーリーはとても整った容姿をしている。ひょっとしたら彼女の出自は貴族や王族なのかもしれない。もっとも、その美貌もあまりの不器用振りで半分くらい損しているが。
そんな事を考えながらリーシャは素振りを止め、ゆっくりと深呼吸をした。すると、シャーリーがある事に気が付いたように顔を上げる。
「あ、リーシャちゃん」
「ん?」
ひょいひょいと手招きしながらシャーリーがリーシャの事を呼ぶ。リーシャは特に疑問に思う事もなく、シャーリーの側へと歩み寄った。
「はい。頭に葉っぱ付いてたよ」
「あ、ありがとう」
リーシャの頭に手を伸ばし、付いていた葉っぱを取ってシェーリーは微笑む。その姿にリーシャは何故か戸惑ってしまい、恥ずかしがるように頭を下げながらお礼を言った。
(やっぱり、ちょっと調子が狂う……)
シャーリー自身の戦闘能力が全くない為、つい気を抜いてしまうのだろう。リーシャはそんな自身の甘さを叱咤しながらも、この丁度良い距離感に居心地の良さを感じてしまっていた。
「シャーリーさんもやってみる? 鍛えておけば不器用なのも治るかもよ」
「ええ〜、私は良いよ。絶対怪我しちゃうもん」
試しに剣を見せながらリーシャが尋ねると、シャーリーは勢いよく首を横に振りながら遠慮した。困ったように笑っている姿を見て、リーシャも自然と頬が緩んでしまう。こんなのは自分らしくないな、と何となく思ってしまった。
◇
アレンは畑で野菜の調子を見ていた。額に浮かんだ汗を手拭いで拭き、一つ一つ丁寧に観察していく。今年も実りは良く、収穫も問題なさそうである。一通り畑を回った後、アレンは満足そうに頷いた。すると、彼の元に訪問者が現れた。
「おぉ、アレン」
「村長」
それは村長であった。どうやら様子を見に来たらしい。だがその後ろには見知らぬ男性と女性が立っており、アレンは村では見ない顔の為、不思議そうな表情を浮かべた。
「シャーリーの調子はどうかの?」
「まだ記憶は戻らないけど、少し元気になったかな。子供達とよく遊んでるよ」
「そうか。それなら良かった」
とりあえず村長と話をしながらアレンは後ろの人達にも意識を向けておく。パッと見た感じ男性の方が親で、女性の方が子供の旅人のようにも見える。だが格好が少し変わっており、どこか雰囲気も人族らしくない。アレンは自然と警戒心を高めた。
「それで、何か用事か?」
「うむ。実はお主に客が来とるのじゃよ」
「客?」
村長は後ろに居た男性と女性に視線を向けた。すると男性が一歩前に出ると、警戒しているアレンに対して朗らかな笑顔を見せた。
「どうもどうも。アレン・ホルダーさん」
暗い赤髪に漆黒の瞳をした四十代くらいの男性。もっと若くも見えるが無精髭を生やしており、顔つきもそれなりの経験を積んできた者がする顔つきをしている。白いシャツに黒のズボンを着用し、その上に冴えない黒色のコートを着ており、頭には黒の羽根つき帽子を被っている。
「いやはや嬉しいな! ようやく会えたよ。ここまで来るの大変だったんだぜ。あ、こっちは俺の秘書。シーラって言うんだ」
「初めまして、アレン様」
「……!」
男がそう言うと隣に控えていた女性がペコリと丁寧にお辞儀をする。
明るいベージュ色のサラサラの髪に、真珠のように綺麗な瞳をした女性。端正な顔つきをしており、あまりにもパーツが整っている事から無機質な人形のような印象も受ける。黒のリボンの付いたヘアバンドをしており、真っ黒なメイド服に、手袋をしている。どこか暗殺者のような雰囲気がするのは気のせいだろうか。
「……あんた、は……?」
「ああ! 悪い。先に俺が名乗るべきだったな。舞い上がっちゃってうっかりしてたぜ」
アレンは何か嫌な気配を感じ取り、警戒する。それとは反対に目の前の男はまるで旧友にでも会えたかのように喜び、大袈裟なアピールをしながら自身の名を明かした。
「俺はグレア・ディメイド・ルーラー。よろしく、兄弟」
帽子を脱ぎながらグレアと名乗る男は舞台挨拶のように華麗にお辞儀をする。その仕草はまるで旅芸人のようだ。だが今のアレンはそんな事を気にしている余裕はなかった。
この男は今、何と言った? 聞き間違えでなければ、ルーラー。その名が偽りでないとしたら、それが意味する事は? この男の正体は? アレンはそこまで考えて、今手元にはない武器の事を思い浮かべる。横には村長が居る状態。下手な行動は出来ない。
「………ッ」
「心配するなって。あくまでも俺は客としてこの村に来ただけさ。と言うか、戦う力なんて俺にはないからな」
警戒心を高めるアレンを見てグレアは敵意はない事を示すように小声でそう言った。もちろんアレンがそれで警戒心を緩める訳もなく、額には嫌な汗が浮かんだ。
「それよりも話したい事があるんだよ。これが結構困った事態でね……今、家には誰も居ないかな?」
「……ああ」
「なーら丁度良い! 大事な話なんだ。中で話そうぜ」
「……分かった」
グレアの提案で場所を変える事にする。その方が村長とも別れる為、アレンはそれを受け入れる事にした。どっちにしろ、この状況で拒絶する事など出来ないのだから。
家の中に入った後、アレンは一応は二人を客人としてもてなす事にした。向こうも敵意は見せて来ない為、それならば話し合いの路線に持っていく方が良い。そう判断して彼らをリビングのソファに座らせた後、客人用のお茶を振る舞う。
グレアは慣れているのか優雅な動作でそのカップを手に取り、香りを楽しんだ後にお茶を一口味わった。
「うーん、美味い。シーラちゃんが淹れるのより美味いな」
「申し訳ありません」
「ああ、シーラちゃんのが不味いって訳じゃないんだよ? ただこっちの国の茶葉は味わい深いな〜って」
「…………」
冗談なのかただのお世辞なのか、アレンはグレアのフランク過ぎる態度に困惑する。シーラもソファに座らずグレアの後ろに立っており、その姿はまるで従者のよう。実際宰相秘書の為、そうなのだろう。お茶にも口を付けず、ただ静かに控えている。
「……あんたは、魔族だよな?」
「そうだよ。こう見えて宰相をやってるんだ。まぁ魔族の政治なんてグダグダだから、便利屋みたいなもんだけどね」
アレンも向かい側のソファに座った後、まずは確認を取る。グレアもそれを隠すような素振りは見せず、つまらなそうに自身の役職を明かした。
ならばとアレンは更に次の話へと切り込む事にする。本当はあまり触れたくない内容だが。
「ルーラー……って言うのは」
「お、やっぱ気付く? まぁレウィアちゃんからルーラーの事は聞いてるか。そう、俺はルーラー家の当主。つまりレウィアちゃんやルナちゃんの父親ってこと」
「……!!」
重要な事であるはずの話をグレアはお茶を飲みながら簡単に打ち明ける。それは長年ルナが疑問に思っていた事だろうし、アレンが探し求めた物のはずだった。それをあまりにも唐突に告げられてしまった為、アレンは動揺し、手に持っていたカップを震わせた。
「そーんな深刻そうな顔するなって、兄弟。ま……そう簡単には信用してもらえないか」
「……気付いていたのか? あの子達の事を……」
「薄々だけどねー。こっちには優秀な部下が居るから、情報収集は得意なんだよ」
「お褒めに預かり光栄です」
そう言ってグレアはチラリとシーラの方に視線を向ける。
どうやら彼女の方はかなりの実力を秘めているらしい。実際アレンも彼女から強い魔力を感じ取っていた。抑えていてもこれだけの反応があるのだから、やはり宰相秘書を務めるだけあって相当な力なのだろう。
「……何が目的なんだ? ルナ達を狙って来たのか?」
「はっはっは。それだったらわざわざ兄弟に会いに来る必要はないだろう? 今更親ぶるつもりなんてなさいさ。勇者ちゃんのことも特に狙ってない。俺は平和主義者なんだ」
これまでの魔王候補は殆どが破壊と支配を目的とし、リーシャとルナの正体が分かればそれを利用しようとして来た。だがグレア自身はそうでないと主張する。
「兄弟も気付いてるだろ? 俺の魔力の少なさに。俺は魔族でもひ弱な部類で、魔王の血を引くルーラー家の中でも落ちこぼれな存在なんだよ」
自虐的な笑みを浮かべ、自分自身を指差しながらグレアはそう言う。
確かに、シーラからは強い魔力を感じ取れるのに対して、目の前に居るグレアからは魔力を殆ど感じ取れない。隠している様子もなく、本当に微弱な魔力の反応しかないのだ。これは魔力を持った子供以下の魔力量である。
「俺自身が魔王になるーだとか、勇者を殺すーみたいな野心は一切ない。だから宰相って言う中間管理職に就いてる。なぁ? シーラちゃん」
「はい。グレア様は身体能力も高くなく、魔力量も驚く程少ないです。実力はゴブリンと同等ですので、魔王にはなれないでしょう」
「えー、そこまで言う? ……てか俺、ゴブリンくらいの力しかないの?」
シーラの言葉にグレアはショックを受けたようで、胸に手を当てて悲しそうな表情を浮かべていた。
どうやら本当に彼には力がないらしい。宰相という立場の為力は必要ないのかも知れないが、魔族にも関わらず魔力が貧弱というのはかなり稀だ。だとすれば何故彼の元からルナは離れ、そして今まで会いに来なかったのかとアレンは気になり始める。するとグレアはそんなアレンの視線に気が付き、表情を戻して口を開いた。
「ルナちゃんの事は色々と事情があったんだ。知ってるだろ? 魔族の国は弱肉強食。幼い魔王には危険過ぎる。俺もルーラー家の立場上、大っぴらに動けなかったんだ」
「…………」
魔族の国の事はよく分からないが、幼い魔王という存在がどれだけ混乱を招くかはアレンも容易に想像する事が出来た。実際今ルナは人族の国、アレンの住んでいる村に居る事によって大分平和な生活を送る事が出来ている。グレアもルナの平穏を願っていたというのならば、今まで動かなかったというのも一応は納得出来る。まだ不明瞭な点も多々残っているが。
「だったら、何の用で俺に会いに来たんだ?」
「そこだよ。ようやく本題に入れるな。俺は基本平和主義だが、周りの魔王候補達はそうじゃない……シーラちゃん」
パチンと指を鳴らし、グレアは言葉の続きを後ろに控えている秘書へと任せる。シーラは一礼した後前に進み、その小さくつぼんだ唇を開いた。
「三日程前から、複数の魔王候補様達が暗黒大陸を立ちました」
躊躇いなく告げられる恐ろしい言葉。アレンは四年前に起こった複数の魔王候補が現れるという、あの日の事件を思い出してしまった。
「目的は人族の国の破壊。彼らは現在、この国に向かって侵攻を開始しております」
「なっ……!?」
最悪な出来事は止まらず、人族であるアレンにとっては恐怖でしかないその内容をシーラは淡々と話す。
もちろんこれが虚偽の言葉である可能性もある。彼らに何らかの思惑があって、魔王候補の話をチラつかせる事で動揺を誘っているのかも知れない。そんな事をして何が得られるのかという話だが、そう思いたい程アレンにとって魔王候補達の話は受け入れられないものだった。
(なら、魔術師教会はそれに気付いてシェルを……)
アレンは指令と言って出掛けたシェルの事を思い出す。あの内容が今回の魔王候補と関係しているのだとすれば、シェルは魔王候補達の対抗手段として呼び出された可能性が高い。シェル自身にその事が伝えられたのかは分からないが、大魔術師は戦力として貴重だ。他の大魔術師も招集されているのかもしれない。
アレンは震えている手を何とか落ち着かせ、カップをテーブルに戻す。そして深呼吸して気持ちを落ち着かせた後、話を進める事にした。
「……何故それを俺に教える? あんた達に何の得があるんだ?」
「言ったろうー? 俺は争いが嫌いなんだ。戦争なんて勘弁。なーのにあの魔王候補達はどいつもこいつも血の気が多くて、破壊だ侵略だーって……」
アレンが問うと、グレンはカップの中に入っているお茶を揺らしながら面倒臭そうに答える。だがその表情は緩んでおり、宰相という立場でありながら魔王候補達を嘲笑しているようにも見えた。
「お互い無駄に被害を出すのは嫌だろう? 協力しようぜ。兄弟。同じ女を惚れた仲じゃねぇか」
「…………」
ニコリと愛想の良い笑みを浮かべながらグレアはそう提案して来る。それはアレンの事を全て知っているぞ、という目であった。セレーネと共に冒険者時代を過ごし、冒険者を辞めた後はリーシャとルナを拾って生活して来た事を。
(やっぱり、この男はルナの父親……そして全てを知っている)
色々と複雑な気持ちがアレンの中で渦巻く。これが怒りなのか恐怖なのか、はたまた別の感情なのかは分からない。ただとにかく、今はその感情に突き動かされている場合ではないという事は分かった。
(本気でルナとリーシャを狙うつもりはないのか? 分からない……この男が何を考えているのか……)
戦いを止めたいという思いは本当なのかもしれない。そうでなければわざわざ自分に会いに来ない。本当にただの変わり者なだけなのだろうか? そうアレンは考える。試しにグレアの方に視線を向けると、彼はニコニコと微笑んでいるだけだった。感情が読み取れない。
「だとしても……俺達に何を望んでる?」
「簡単な事さ。今まで魔王候補達を倒して来たのと同じように、彼らを止めて欲しい。混乱を防ぐには、勇者と魔王の力が必要なんだよ」
「…………」
グレアからの懇願にアレンは押し黙ってしまう。
何故なら今回の場合、事情が違うからだ。今までは魔王候補が向こうから現れ、必要に駆られて戦闘という手段を取らざるを得なかった。だが今回の状況だと、リーシャとルナが自分から魔王候補達の所へ向かわなければならなくなる。それは彼女達の立場からしたらとても難しい事であった。
「まぁすぐに答えを出せって言うのは酷だよな。時間はないが、信用もされていないし、兄弟も色々聞きたい事があるだろう……だけどもう一つ問題があるんだ。先にそっちを対処しないと」
「問題?」
アレンが悩んでいる様子を見てグレアは一度話を切り替える事にした。そしてカップに残っていたお茶を全て飲み干すと、大きく息を吐く。
「ここに記憶喪失の女性が来ただろう? 彼女は放っておくと大変な事になる」
「シャーリーの事か? まさか、あの子の事を何か知っているのか?」
「知ってるも何も、ガキンチョだった頃に一度会った事がある」
まさかシャーリーの事まで知られているとは思わず、更には会った事まであるとグレアは言い出した。だがアレンは再び疑問を抱く。魔族であるグレアが子供だった頃、それは果たして何年前の事なのか? 魔族は長寿な種族。魔力の少ないグレアでも多少は長生きのはず。だとすれば、その時会ったというシャーリーは何者なのか?
その答えはグレアの口からすぐに発せられた。
「彼女の名はレオシャーリーン・サン・フィアレスハート。百年以上前、先代魔王だったウチのじーさまを倒した伝説の勇者様さ」