180:惑わしの魔物
「ジェシカ!!」
大声と共に草むらからシャーリーが飛び出す。動けなくなっているジェシカを抱え、魔物達から救った。そのまま地面をゴロゴロと転がり、土だらけになりながら魔物達から距離を取る。
「だ、大丈夫? ジェシカ」
「シャ、シャーリーさん……!」
ジェシカの状態を確認し、怪我がない事が分かるとシャーリーは安堵の表情を浮かべる。そしてすぐに魔物達の方に視線を向け、これからどうするべきかを考える。
「グルルルゥ……」
「……くっ」
魔物達の幾つもの目玉がシャーリーへと向けられる。明らかにこちらに敵意を向けており、今にも飛びかかって来そうな気迫であった。だがそれを実行しないのは、突如現れたシャーリーを少しだけ警戒しているからであろう。
(この魔物は……知ってる。幻覚で獲物を引き寄せて、群れで襲うイビルアイ)
シャーリーは自分の記憶の魔物達の事が知識として知っている事に気がつく。昔遭遇した事があるのか、それとも本などで知っていたのかは分からないが、とにかくシャーリーはこの魔物の詳しい生態を理解していた。だからこそ疑問が浮かび上がる。
(でもこいつらの生息地は沼地のはず……何でこんな場所に?)
イビルアイは普段沼の中に隠れ、獲物を待ち伏せている。一日の殆どを沼の中で過ごす魔物のはずだ。それなのに何故こんな森の中に居るのか。シャーリーはそこに違和感を覚えるが、今はそんな事を考えている暇はなかった。
「グルァァアアア!!」
「うぐ……!」
一匹のイビルアイがいつまでも攻撃して来ないシャーリーを見て脅威はないと判断し、雄叫びを上げながら飛び掛かる。すぐにシャーリーはジェシカを引っ張りながら後ろへと避けようとするが、鋭い爪が脚に僅かに触れ、それだけに大きな傷を作り上げた。
「シャーリーさん!」
「だ、大丈夫……それよりも走れる?」
「う、うん……」
ジェシカが心配そうな表情を浮かべ、シャーリーの服の袖を握り締めた。不安と恐怖がその震える手からは伝わって来る。だがシャーリーは彼女を立たせると、村がある方向を指差した。
「なら走って逃げて。振り返らずに。良い?」
「で、でも……」
「早く!」
ジェシカは躊躇するが、その時間すら惜しい。悩んでいる暇などはない。シャーリーは今出来る最善の行動はこれだと判断し、ジェシカの身体を突き飛ばすようにして走らせた。
「グォオオオオオオ!!」
「させ、ない!」
イビルアイはせっかくおびき寄せた獲物を逃すのが嫌なのか、一匹がシャーリーを横切って追いかけようとした。だがそれを見るなりすぐさまシャーリーは足元に落ちていた太い枝を手に取り、それを剣代わりにしてイビルアイの顔に叩きつける。
「ガゥゥウウウ!!」
「うっ……く」
見事直撃するが、シャーリーの細い腕では大した威力にならない。イビルアイは首にある口で枝を噛み付き、バキバキと音を立てながら砕いてしまった。だがその間にジェシカは遠くまで走り、もう見えなくなりかけていた。
これならもう大丈夫だろう。そう安堵しながらも、シャーリーは獲物が一匹減ったイビルアイ達がつぎに何を集中的に狙うか分かっている為、引き攣った笑みを浮かべる。
(剣が欲しい……あの剣を持って来てたら……ーーーー)
戦える武器さえあれば、イビルアイ達を倒せるというのに。シャーリーはそう心の中で呟く。すると、自分が今思った事に違和感を覚えた。
(私……今、戦おうと思った? この私が?)
壊滅的に不器用で、子供達に笑われる程身体能力の低い自分が、剣を欲した。あの持ち上げる事すら難しそうな剣を。それさえあれば目の前の魔物達など、簡単に倒せると思い込んだ。何故そんな事を一瞬でも思ったのだろうか?
シャーリーはそんな理解出来ない自分の思考回路に困惑する。
「グルゥァアアアア!!」
「あっ……ーーーー」
そんな一瞬の動揺を魔物達は見逃さず、一匹のイビルアイが飛び出して来る。凶暴な魔物に情などなく、その歪な牙を光らせてシャーリーの細い腕へと噛み付く。
「ぅ、あ……ぁぁぁああああッ!?」
「ルルルゥゥァアア!!」
「グルァァアアア!!」
肉に牙が突き刺さる尋常ではない痛みと熱が広がる。そのまま肉は噛みちぎられ、シャーリーは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。それを見て他のイビルアイ達も雄叫びを上げ、逃げられないようにシャーリを囲む。
「あぁ……くっ、ぅ」
あまりの痛みで思考が纏まらず、嗚咽を漏らしながらシャーリーは腕を抑えてその場から逃げようとする。だが足に力が入らず、立ち上がる事すら出来ない。そんな彼女に、イビルアイ達は一斉に襲い掛かった。
だが突如、辺りの草を揺らして何者かが現れる。それは聖剣を手にしたリーシャであった。
「ーーーーーしっ!!」
「ッ……! リーシャ、ちゃん」
純白の剣を一度振るっただけで周りに居たイビルアイ達は斬り裂かれ、その場に崩れ落ちて沈黙する。だが何匹かは刃から逃れており、仲間が倒されたのを見てすぐさまその場から逃げ出した。
「……大丈夫!? シャーリーさん!」
「あ、ぅ……うん」
脅威が居なくなったのを確認してリーシャは振り返り、シャーリーの元へと駆け寄る。
「怪我は!?」
「え、と……あれ?」
リーシャに言われ、シャーリーは怪我をしていた腕を見せようとする。だがその腕を見た瞬間、彼女は我が目を疑った。
先程まで肉を抉られ、歪な牙が食い込んだ跡が残っていたはずのその腕は、どういう訳か元通りになっていた。怪我など一切なく、相変わらず頼りなさげな細い腕がぶら下がっている。
(腕の傷が……私、確かに噛みつかれたはずなのに……)
理解が追い付けず、シャーリーは目を回しそうになる。
あまりの激痛で頭がどうかしてしまったのか、それともあのイビルアイの攻撃も幻覚だったのか。とにかく外傷はないらしい。
「だ、大丈夫。怪我してないよ」
「良かったぁ」
ひとまず無事だと伝えると、リーシャは心底安心したように表情を和らげた。その姿は先程一瞬で魔物達を斬り捨てた少女とは思えない程優しげであった。
すると背後の草むらが揺れ動き、そこからルナが現れた。
「リーシャ、ジェシカは無事村に戻ったよ」
「ありがと、ルナ。シャーリーさんのこと見ててあげて。私は念の為魔物を追う」
「分かった。気を付けてよ」
リーシャはそう言うと聖剣を握り直して走り出した。ルナもそれを見送るとシャーリーの元へ駆け寄り、肩に触れて状態を確認する。
「シャーリーさん、立てますか?」
「うん……平気」
ルナの手を借りながらシャーリーは立ち上がる。まだ恐怖が残っているのか上手く足に力が入らず、情けなく指先は震えていた。
「…………」
ふとシャーリーはもう一度噛まれたはずの腕を見てみた。やはり怪我をした跡はなく、何事もなかったかのように元に戻っている。それが不気味で、何故か無性に怖くなった。だからシャーリーは、その現象をルナ達に伝えようとはしなかった。
「リーシャちゃんは、一人で行かせて大丈夫なの?」
「うん、リーシャは強いから。心配ないよ」
シャーリーは魔物を追って行ったリーシャのことを心配するが、妹であるはずのルナはそのことを全く問題視する様子がなかった。
確かに一瞬でイビルアイ達を斬り捨てたし、剣の稽古もしていると言っていた為、十分な実力があるのだろう。そうシャーリーは納得し、ルナと共に村へ戻ることにする。
村へ着くと、そこには既にジェシカがおり、周りには子供達が集まっていた。そしてアレンの姿も。
「シャーリー、森へ入ったのか? 怪我は?」
「だ、大丈夫……」
「そうか、良かった。ルナ、リーシャは?」
「魔物を追って森の奥に行っちゃった」
「またあいつは一人で……」
アレンは心配そうな表情を浮かべながら森の方を見つめる。一応シェルも森に向かった為、もしものことは起こらないと思うが、それでも不安なものは不安であった。
「シャーリーさん、ごめんなさい。私……私……」
「気にしないで。ジェシカが無事で良かった」
シャーリーの元に寄ったジェシカは今にも泣き出しそうな顔をしながら謝る。不安で溜まらなかったのだろう。握り締めている服はしわくちゃになっており、目には大きな涙の粒が浮かんでいた。
「あ、リーシャお姉ちゃんとシェルさんだ」
子供の一人が森の方を指差してそう声を上げる。皆もその方向を見ると、怪我一つなく落ち着いた態度で歩くリーシャとシェルの姿があった。
「シェル、どうだった?」
「魔物はイビルアイでした。私が駆けつけた時にはリーシャちゃんが全て倒していて……もう生き残りも居ないと思います」
シェルから報告を聞き、脅威は去ったと知る。まだどこかに魔物が潜んでいる可能性もあるが、シェルの魔力探知に掛からないのならば生き残っていたとしてもかなり遠くに居るだろう。ならばひとまずは心配ない。そうアレンは判断し、今度はリーシャの方へと顔を向ける。
「リーシャ、あまり一人で突っ走り過ぎるなよ」
「はーい、ごめん。父さん」
「はぁ、全く」
いくら強くても親は子を心配するもの。アレンはリーシャの頭はワシャワシャと撫でた。リーシャもアレンの言いたいことは分かっている為、特に反論することはなかった。
「それにしても、何でイビルアイなんかが?」
「縄張り争いか何かで生息地を離れたのでしょうか?」
「うーむ……」
アレンは生息地の違うイビルアイが何故村の近くにやって来たのかと疑問を抱く。可能性は色々と考えられるが、この冬眠の時期にわざわざ魔物達が移動していたという点も引っ掛かるのだ。だがひとまず、今は誰も怪我をせず無事だったことに感謝し、子供達を家へと送り届けることにした。
「あ、ごめんルナ。遊び場に毛糸の玉忘れて来ちゃった。取って来る」
「え、良いよあれくらい。今度取りに行けば……って、行っちゃった」
リーシャはそう言うなり走り出し、風のように駆けていく。ルナの声も届くはずもなく、あっという間に見えなくなってしまったリーシャにため息を吐いた。そしてすぐ戻って来るだろうと思い、ルナも振り返ってアレン達の後を追い掛ける。
◇
アレン達が住んでいる村からはかなり離れた森の中、そこは木々が密集し辺りが岩で覆われている為、一種の隠れ家となる場所だった。そこでは焦げ茶色のローブを纏い、顔に幾つものツギハギがある盗賊達が集まっており、その内の一人が何やら水晶のような物を持ち、不可解そうな表情を浮かべていた。
「……おいおい、どう言うこった? イビルアイ共が全員やられちまいやがった」
「はぁ? なんだそりゃ。何が起こったんだよ」
「分かんねぇ。どのイビルアイからも反応がねぇんだよ」
水晶を持っている盗賊は意味が分からないと地面を蹴り、周りの盗賊達もせっかくの作戦が完全なる失敗に終わったことに不満の声を漏らした。
「やっぱあの武器商人、不良品を寄越しやがったんじゃないか?」
「でもちゃんと試したはずだろ。くそ……これさえあれば楽に村を襲えるはずだったのに……」
盗賊達が持っている水晶。それは魔法の水晶であり、何と特定の魔物を操る効力がある。今回の場合はイビルアイ。既に彼らの体内には同じ魔法水晶が埋め込まれており、魔力を込めることである程度の指示を与えることが出来るのだ。
元々これは闇の武器商人から買い取った物であり、最近盗賊家業が上手くいっていなかった彼らはこれで一発逆転を図っていたのだ。だがいざ水晶を使ってみれば、送り込んだ魔物は全滅。全員でかき集めたお金も水の泡となってしまった。
「最近はただでさえ魔王候補とかいう奴らのせいで襲う村がなくなってるっつーのに、……ちっ、ついてねぇ!」
「この前も俺らが襲う予定だった村も消えたばかりだしな……仕方ない、こうなったら俺らだけで……」
盗賊達は自分達の不運に嘆き、怒りを募らせる。そして当初の予定とは違うが、自分達だけで村を襲おうと考えた。少々村人の数が多いが、それでも人質を取れば何とかなる。そう楽観的に考えた。だがその時、盗賊達の周りに静かな風が吹いた。
「ふーん、なるほど。この水晶で魔物を操ってたんだ」
気が付けば、盗賊達の背後には一人の少女が立っていた。白いブラウスとスカートを纏い、綺麗な金色の髪をした可愛らしい少女。そんな彼女の手には、先程まで盗賊が持っていたはずの水晶が握られていた。
「え?」
「なっ……なんだこのガキ?」
盗賊達は突如現れたリーシャに驚き、そして何が起こったのか分からず固まっていた。そんな彼らを横目に、リーシャは手にしていた水晶をコロコロと手の平で転がし、つまらなそうな表情を浮かべた。
「盗賊さん達、こんなの買うお金があるなら普通に働きなよ。ほら」
そして次の瞬間、彼女は腰にある聖剣を引き抜くと、躊躇いもなく水晶を叩き割った。辺りに欠片が舞い散り、キラキラと儚く輝く。
「て、てめぇ!!」
「それ高かったんだぞ!!」
盗賊達は自分達が必死にかき集めて手に入れた水晶を壊され、怒り狂う。そして一人がリーシャに掴み掛かろうと腕を伸ばした瞬間、鮮血が飛び散った。
「知ったことじゃないよ」
純白の刃が線を描き、リーシャは聖剣を振り抜く。それを見た瞬間盗賊達はリーシャが敵だとようやく理解し、慌てて武器を手に取った。だがその前にリーシャは既に盗賊達の懐に入り込んでおり、再び刃を振るう。
「がっーーーー」
「あ……ぐぁ……ッ」
斬り捨てられた盗賊達はその場に崩れ落ち、何の抵抗も出来ぬまま敗北した。そんな彼らを見下ろし、リーシャは聖剣を振るって刃に付いた血を飛ばす。
「弱いね。本当に……冬眠の時期じゃなかったら森の魔物に食べられてたよ」
いくらリーシャが勇者で強かろうと、この盗賊達はあまりにも弱過ぎた。魔物を使って村を襲おうと考えていたくらいの為、あまり腕っぷしには自信がなかったのだろう。
そんな風にリーシャが考えていると、彼女の元にピクシー達が現れた。
「キキキキ」
ピクシー達は集まるとリーシャの前で膝を折り、忠誠を誓うように頭を下げた。それを見てもリーシャは特に気にせず、軽く手を振った。
「森の外に捨てておいて。あと、いつも通りここでの記憶は消しておいてね」
「キキー」
リーシャがそう指示を出すとピクシー達は律儀に敬礼をし、倒れている盗賊達を皆で協力して運び始めた。
「はぁ……シャーリーさんを不安な目に遭わせちゃった。ちょっと気が緩んでたかなぁ」
リーシャは背を向け、自分の警戒心が足りなかったことを後悔する。もっと早くジェシカが居なくなったことに気が付き、魔物の存在にも気付ければ迅速に対処出来たのに。そう、リーシャは思ってしまった。
「……ならなくちゃ。皆を守れる、英雄に」
強く拳を握り締め、リーシャは更なる誓いを立てる。
慢心などはしない。自分達の平和を乱す相手ならばどんな些細な存在でも容赦なく消す。例えそれが、アレンの望んでいないことだとしても。