178:シャーリーのお手伝い
「キサマ……ナニモノダッ!? ナンダソノチカラハァ!?」
声が聞こえる。暗闇から、魔物の悲痛な叫びが。恐怖と混乱が入り混じり、訴えてくる。その声の主に対して、少女は容赦なく刃を振るう。
「その身体……化物め! 悪魔か!? お前は!?」
また誰かが声を発する。鎧を纏った騎士。槍を向け、罵ってくる。そんな騎士に対して、少女はまた無情に刃を振るう。
「何故貴方が……! 貴方はあの時……ッ」
誰かが喋る。また静かに刃を振るう。
こちらに対して怯え、蔑む視線を向けてくる者達全てに刃を振るう。そうしなければ、自分は自分のままでいられない。少女は己の心を保つ為に、刃を振るい続ける。
「俺はアレン・ホルダー。王都のギルドに所属してるただの冒険者だよ」
誰かの声が聞こえてくる。今度のは優しい声。こちらを疑いもせず、怯えもせず、自然体のまま話しかけてくる。その態度に少しばかり安心しながらも、少女はいつものように心を乱さず、ただ離れる。
もう誰も信用しない。分かってもらうつもりはない。周りが受け入れてくれぬのなら、最初から心を許すような事はしない。少女はそう逃げ続けると、もう決めてしまったのだ。
「……ッ!」
目を覚ます。先程までの真っ暗で影のような何かが蠢く世界は消え、窓から明るい光が差し込んでくる部屋の光景が視界に映る。
それを見てシャーリーは先程までのが夢だったのだと理解し、ふぅと安堵の息を吐いた。ふと気付けば自分の額からは汗が一筋垂れており、服の下にも汗を掻いた感触があった。気味の悪い感覚。後で身体を拭かなければ。
「……今のは……ただの夢? それとも……」
額を手で抑えながら、シャーリーは先程見た夢に疑問を抱く。
身に覚えのない光景や声。記憶がないのだから当然だが、随分と恐ろしい夢であった。もしもあれが自分の失った記憶に関係するものだとすれば、やはり自分の正体を知る事に恐怖を覚える。
「うぅ……頭がモヤモヤする」
ベッドから起き上がり、まだ微睡の中にいる頭をはっきりさせようとシャーリーは床に足を付け、立ち上げる。するとその時、部屋の隅に立てかけてあった剣が目に付いた。自分が所持していた剣。女性が護身用に持つには随分と重く、物騒な見た目をしている。
「…………」
シャーリーはその剣から視線を背けると、逃げるように部屋を後にした。
そして廊下を出て洗面所に向かい、顔を洗って身だしなみを整える。それからとりあえずリビングに行こうと思った時、廊下の角からピョコンとリーシャが姿を現した。
「あっ、シャーリーさん。おはよう! 早起きだね」
「……お、おはよう」
まだ少し肌寒い早朝だというのに、リーシャは太陽のように眩しい笑顔を見せながらブンブン手を振るう。よく見るとその手や服は僅かに汚れており、土が付いていた。どうやら外に居たようだ。
「随分、元気だね……もう起きてたの?」
「うん! 朝は父さんに稽古してもらう事になってるんだ。今終わったところ」
いくら子供とは言え随分体力がある、とシャーリーは感心する。しかも稽古とは真面目なことだ。確か剣術を習っていると言っていた為、その稽古をしてもらっていたのだろう。子供ならもっと遊びに熱中したり、特に女の子ならお人形遊びなどの方が関心があると思うが、この子の場合心を惹かれたのは別のものらしい。
「リーシャ、ちゃんは……冒険者とかになりたいの? 稽古凄い頑張ってるみたいだけど」
ふとシャーリーはどうしても気になった為、尋ねてみる事にした。自分の情報が一切ないからか、妙に好奇心が刺激されたのだ。
するとリーシャは一瞬キョトンとした表情を浮かべ、考えるように視線を下に向けた。だがすぐに視線をシャーリーに戻し、その真っ直ぐな瞳で答えを口にする。
「ううん。興味はあるけど、別に今は何かを目指してる訳じゃないんだ。ただ皆を守れるくらい強くなりたいの」
それは本当に嘘偽りのない、純粋な言葉だった。子供だからこそなのか、濁りのない宝石のような瞳で、リーシャはそう言い切ってみせる。それを聞いた時、シャーリーは一瞬自分の胸がズキンと痛んだ。だが何故そんな風になったのか分からず、胸を押さえて眉を潜める。
「なんか……勇者みたいだね。そういうの」
「えっ……そ、そう? アハハハ」
まるでおとぎ話に出てくる勇者のような志にシャーリーは思った事を口にする。するとリーシャは一瞬自分の正体を見抜かれたのかと焦り、ぎこちない態度を取ってしまった。だが自分の胸の痛みに意識がいっていたシャーリーはその事に気が付かない。
「あ、私朝の準備があるんだった。もう行くねー」
「うん……」
リーシャはそう言ってスタスタと歩いて行ってしまう。シャーリーはそれを見送り、胸の痛みが落ち着くまでしばらくその場に立っていた。
「優しい子なんだな……あの子は」
どこか寂しそうな表情をしながらシャーリーはそう呟き、胸から手を離す。痛みはもうなくなり、気持ちも大分落ち着いていた。
今はとにかく一歩一歩進んでいくしかない。幸い周りは優しい人ばかりの為、今は彼らに甘えるとしよう。シャーリーはそう決断し、今自分に出来る事を少しでも見つける為に歩き出した。
「お、シャーリー、起きたのか。おはよう」
「あ……おはよう、アレンさん」
リビングに向かうと、アレンと遭遇した。少し服が汚れていた為、先程リーシャが言っていた通り剣の稽古をしていたのだろう。
「これから朝ご飯作るから、ちょっと待っててくれ」
「あ、その……えっと」
「ん、どうかしたのか?」
アレンが朝食の準備をしようとした時、シャーリーが呼び止める。そして少し恥ずかしがるように視線を泳がした後、おずおずと口を開いた。
「私、も……何か手伝えることがあるなら、手伝いたいの」
記憶がないからと言って、何も出来ない訳ではない。アレンの世話になっている以上、シャーリーも自分に出来る何かを見つけたかった。少しでも存在意義を作りたいと願ったのだ。
「おお、そりゃ助かるよ。でも無理はしなくて良いからな」
「うん……有難う」
アレンはその好意を有り難く受け取った。本人が手伝いたいと言うのならそれを拒否する理由はない。それに何かの切っ掛けが記憶が戻る事に繋がるかもしれない為、シャーリーが前向きな考えになるのは大いに賛成であった。
そうと決まったらやる気がある内に色々行動した方が良い。アレンはまずシェルに頼み、シャーリーに料理の手伝いをさせる事にした。
「それじゃシャーリーさん、この野菜を細かく切ってください」
「分かった」
まず台所に立ち、シェルは朝食用のサラダ作りを任せる事にした。幾つかの野菜を食べやすいように切って盛り付けるだけの為、包丁は使うが簡単だろうと考えたのだ。シャーリーも包丁の使い方は覚えがあると言っていた為、問題ないと判断した。そしていざ、シャーリーは野菜が置かれたまな板の前へと立つ。
「…………」
右手に包丁を持ち、シャーリーは神妙な顔つきで野菜に手を添える。そして優しく、手を振り下ろした。
「あれ? シャーリーさん、野菜はどちらに……?」
「これ……」
「……え、えっと……粉みたいになってますけど」
「……ごめん」
しばらくした後、まな板の上には緑の粉のような何かが散らばっていた。シャーリーが言うにはこれが先程まで切っていた野菜らしい。それを聞いてシェルは目を疑うが、彼女が嘘を言っているようにも見えない。複雑そうな表情を浮かべ、優しく笑いかけるしかなかった。
その後、とりあえず朝食を取ってから別の手伝いを頼んでみる事にする。
「じゃぁ今度はこの洗濯物を畳んでください。畳むだけで良いですから」
「分かった」
外へと移動し、シャーリーは洗濯物を畳む。今度は包丁などは使わず、衣類を畳むだけなので力加減を間違える事はないはず。そうシェルは画作した。だが結果は、そう上手くはいかなかった。
「シャーリーさん……服がしわくちゃの塊になっちゃってますけど……」
「ご、ごめん……」
シャーリーが畳み終わった洗濯物は、どういう訳か原型を留めない程ぐしゃぐしゃになっていた。まるで子供が頑張って畳んだ洗濯物の上を、犬や猫が踏みつけたような、見るに耐えない形と化していた。
シェルは困った表情を浮かべながらシャーリーの事を見る。彼女がふざけている様子はない。むしろ最初様子を見ていた時は一生懸命丁寧に畳もうとしていたはずだ。なのに何故こんな結果になるのか。
いずれにせよ人には得意不得意がある。シェルは前向きに考え、シャーリーが得意そうな事を探して手伝いを続けてもらった。そして一通りの出来そうな事をし終わった後、シェルはアレンの前で崩れ落ちた。
「あの、先生……非常に言いにくいんですが、シャーリーさんは……かなりの不器用です」
「お、おぉ……」
「…………」
精神的に疲れたのか、シェルは肩を落としながらもアレンにそう報告する。その隣ではシャーリーが申し訳なさそうな表情をしながら暗い雰囲気を纏っていた。どうやらかなり落ち込んでいるらしい。
「不器用って……そんなに酷いのか?」
「はい、それはもう得意不得意の話ではなく……致命的です」
普段は相手を気遣うシェルがここまで直接的に言うのだから、かなり酷いのだろう。シャーリーも訂正するような事はせず、悲しそうに俯いてしまった。
「ごめんなさい、アレンさん。私、お手伝いしたかったのに、迷惑掛けて……」
「いやいや、良いんだよ。気にしないでくれ」
元々シャーリーから手伝いたいと言ってきた為、その意思だけで十分有難い。むしろこれでシャーリーが不器用という事が分かった為、一つ情報が増えたと前向きに考える事が出来る。
「やっぱり私は、〈黄金の剣使い〉なんて人じゃないんだ……包丁だってまともに扱えないし、あんな重い剣、持てるはずがない……」
シャーリーは少し不安そうに胸元に手を置きながらそう告白する。
今回の事で自分の能力が一人で生きていけるとは到底思えないという事が分かった。そもそも才能がないのだ。日常的な生活の中ですらここまで致命的なのだから、間違っても剣術が上手いなんて事があるはずない。ならば必然的に、竜を倒したという黄金の剣使いが自分のはずがない、とシャーリーは思った。
「すまない、シャーリー。俺が確証もないのにあんな事を言ったから」
「ううん。アレンさんは悪くないよ……悪いのは、何も覚えていない私……」
今回の事で自信をなくしてしまったのか、シャーリーは暗い表情を浮かべる。それを見てせっかくやる気になっていた彼女を何とか励ましたいとアレンは考える。
「……そうだ。シャーリーに一つ頼みたい事があるんだった」
「……え?」
一つ案が浮かび、アレンの言葉を聞いてシャーリーも顔を上げる。
技術も才能も要らない手伝える事が、たった一つだけあった。これなら上手くいくかも知れないと、アレンは希望を持つ。
「村の子供達と遊んでほしいんだ。皆シャーリーに会いたがっているし、無理じゃなければどうかな?」
村の子供達もシャーリーの事が気になっている。子供達と触れ合えば彼女の気も紛れるかも知れないし、何かの記憶を取り戻す切っ掛けになるかも知れない。少なくとも落ち込んでいる気分は振り払えるはずだ。
するとシャーリーは少し悩むように視線を左右に動かした後、意を決したように力強く頷いた。
「……うん、分かった。やってみる」