176:連れて来られた者
「あれ? 先生、メルフィスさん帰っちゃったんですか?」
「ああ、ついさっきな」
昼頃、用事で外に出ていたシェルが家へと戻って来た。
四年の月日が経った事で彼女の顔もより大人びたものとなり、美しさに磨きが掛かっている。肩に掛かっていた髪も少し伸ばし、より女性らしさが増していた。
「えー、せっかく久しぶりに会えたからもっとお話ししたかったのに」
「まぁあいつも調査で色々忙しいからな。シェルによろしくって言ってたよ」
シェルは残念そうな顔をしながら手にしていた杖を壁に立て掛ける。
彼女も最近は魔術師教会の依頼である研究をしている為、その疲れが少し溜まっていた。そんなシェルの為にアレンはお茶を淹れ、二人で椅子に座って一息つく事にした。
「それにしても先生がメルフィスさんと旧知の仲だとは驚きでした。先生、大魔術師と知り合い多すぎません?」
「ははは、まぁ……長く生きてる方だからな。知り合いも増えるさ」
教え子であったシェル。仕事で知り合ったファルシア。そして若い頃パーティを組んでいたメルフィス。いずれもが歴史に名を残す大魔術師。他人が聞けばさぞ羨ましがる事だろう。もっとも、アレンからすれば関わっていた人間が皆大魔術師となるので、内心一番驚いているのだが。
「ところでシェル、未だにその先生って言うの、続けるのか?」
「むぅ……」
ふとお茶を飲んでいたアレンが気になった事を尋ねると、シェルは困ったような表情を浮かべた。そして手に持っていたカップに指を当てたり離したりを繰り返し、少し恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「私にとって、先生は先生ですから……これはまだ、変えたくないです」
「そうか。まぁその方が馴染み深いしな。俺も安心出来るよ」
とうとう二人は夫婦になったが、それでも互いに呼び方は変えていない。元々家族のような生活を送っていた為、そこまで環境が変わる事もなく、自然と呼び方もそのままになったのだ。アレンもその方が今は気楽な為、賛同した。
「ところでリーシャちゃんとルナちゃんは?」
「森に散歩しに行ったよ。そろそろ帰ってくる頃だと思うが……」
飲み終えたカップを台所に戻し、アレンは小窓から外の様子を伺う。するとリーシャ達と思わしき人影が見えた。
「ただいまー」
「お、丁度帰ってきたみたいだな」
玄関から娘の元気な声が聞こえる。そしてパタパタと足音を立てながらまずルナがリビングへとやって来た。
「お父さん、お母さん、ただいま」
「うっ」
「ふふ、シェルさんまだこれ慣れないの?」
「だ、だって……言われ慣れてないから」
ルナはシェルの反応を見て面白がり、クスクスと笑う。シェルはまだ心臓が緊張しているのか、胸に手を当てながらゆっくり息を吐いた。
一応呼び方は変えないという事でリーシャとルナもまだシェルの事はシェルさん呼びなのだが、時々面白がってお母さんと呼んだりする。その度にシェルは恥ずかしがってしまうのだ。
ふと、アレンはリーシャが中々リビングにやって来ない事に気が付いた。何をしているのだろうと思って玄関を覗いてみると、そこでは見知らぬ女性を背負っているリーシャの姿があった。
「……リーシャ、その背負ってる人は誰だ?」
「なんか森で倒れてた。怪我はないんだけど、眠ってるみたい」
まさか犬か猫でも拾って来たのかと思ったが、よりにもよって人間。当然アレンは驚く。そして状態を確認しようと近寄った時、アレンはその女性の容姿を見て思わず驚愕し、身体が硬直した。
「とりあえず連れて来たんだけど……不味かったかな?」
「いや……問題はないんだが……」
アレンの反応を見てリーシャはやはり無断で連れて来たのは怒られるかと思ったが、アレンは首を横に振り、それを否定する。そしてリーシャが背負っている女性を何度も凝視し、信じられなさそうに目を見開いた。
「この、人は……」
「父さん……?」
「先生、どうかしましたか?」
それは、かつてアレンが出会った女性とあまりにもそっくりだった。
まだ彼が冒険者だった頃、新米の冒険者の面倒を見ていた時代。それこそまだ新米冒険者だったシェルとパーティを組んでいた時、彼はある依頼で竜と遭遇してしまい、絶体絶命の状況だった。そんな時、黄金の斬撃と共に一人の女性が現れた。それが彼女、〈黄金の剣使い〉。彼女の剣によって竜は撃ち倒され、アレンは助けられた。つまりアレンにとって彼女は命の恩人。そんな女性と、今リーシャが背負っている女性は全く同じ容姿をしていた。つまりあの時の〈黄金の剣使い〉なのかも知れない。だがその場合、大きな疑問が残る。
「なんで、歳を取っていないんだ……?」
その姿はあの時出会った姿と全く変わらない、二十くらいの年齢のまま。あれから何十年も経っているはずなのに、その女性は全く歳を取った様子がなかった。
◇
その後、黄金の剣使いの女性は目が覚めるまで空き部屋のベッドで寝かせる事にし、アレンが連れて行った。リビングに残っていたリーシャとルナは向かい合ってソファに座り、話し合いを始める。
「一体どういう事なの?」
「なんか……あの人は〈黄金の剣使い〉って呼ばれてる人で、お父さんとシェルさんが冒険者だった頃に噂されてた人なんだって」
大雑把にだがアレンから説明された内容を整理し、二人は今の状況をただしく認識しようとする。とりあえず、自分達が連れて来た女性は、父親の知り合いの可能性が高いらしい。
「それで、お父さんは昔あの人に助けられたらしいんだけど……その時と容姿が変わっていないらしくて……」
「え、つまり歳を取ってないってこと?」
「かも、知れない……本当に同一人物なら」
何とも奇妙な情報にリーシャとルナは首を傾ける。
確かに数年経っても容姿が全く変わらない種族は存在するし、現にこの村に居るエルフ達は容姿が変わりにくい。魔族も同様に魔力が多いと肉体が老化しない傾向がある。だが見た限りあの女性は人間であった。特殊な魔法を使っている訳でもないのに、何故老いないのだろうか?
「シェルさんは会ったことないの?」
「私は先生から話を聞いていただけだから……黄金の剣使いの容姿を見た事あるのは先生だけなの」
「そっかぁ」
ふと台所で片付けをしていたシェルに尋ねてみるが、他に有力な情報は手に入らなかった。そもそも〈黄金の剣使い〉という存在も噂話で昔流行っていただけで、実在するかどうかも眉唾ものだったらしい。唯一遭遇してまともな会話が出来たのはアレンくらいで、それ以降は中々目撃されなかったようだ。
彼女が何者なのか気になるリーシャは腕を組み、考え込む。すると、ソファの横に立てかけておいた聖剣の王殺しから声が聞こえて来た。気になったリーシャは身体を傾け、王殺しの様子を伺う。
「……どうしたの? 王殺し」
ーーーー……そんなはずは……いや、何でもない。其方は気にするな。
「ええー、王殺しまで気になること言うー」
何やら気になる事でもあるのか、鞘に収まっている王殺しは曖昧な返事をする。そんな事を言われれば逆に気になってしまう為、リーシャは再度問いただすが、王殺しは誤魔化すだけだった。
「何にせよ、あの人が起きるのを待つしかないよ。そうすれば詳しい事が分かるはずだから」
「んー、まぁそうだけど」
結局の所今のリーシャ達に出来る事は待つだけだ。彼女には特に怪我をした様子もなかった為、恐らくただ眠っているだけなのだろう。ならば単純に目が覚めるのを待つしかない。そう結論を出し、ひとまずリーシャとルナはこの話題を切り上げる事にした。
「アレンおじ様ー、こんにちはー」
「あら、お客さん」
ふと家の外から聞き覚えのある声が聞こえて来る。シェルは早足で玄関に向かい、扉を開けた。するとそこにはシファとダイの姿があった。遅れてリーシャとルナも玄関に向かい、友人達と顔を合わせる。
「シファ、ダイ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ。あんた達が見知らぬ女性を連れて来たって言うから、様子見に来たの」
相変わらず強気な態度を取るシファは自身の銀色の髪を払いながらそう言う。
四年が経った事で彼女の容姿も大分母親のシェーファに似て美しさに磨きが掛かっており、着ている服装もエルフ達が好む自然の物を取り入れた衣服となっていた。順調に大人のエルフへと成長しているといった雰囲気だ。
「シファは二人が心配なんだよ」
「ダイ、余計な事言わないで!」
「あてっ、ごめん」
小突かれたダイは相変わらずシファには頭が上がらず、素直に謝る。だがそんな彼もかなり身長が伸び、剣の稽古は今でも続けている為、身体も引き締まっていた。大人しい性格だが、しっかりと頼れる男へと成長していた。
「大丈夫だよ。怪しい人って感じじゃなかったし、ひょっとしたら父さんとも知り合いかもしれないから」
「へぇ、アレンおじ様の知人なの」
「うん、まだ分からないけど」
「……?」
それからリーシャ達は子供達だけで外に出る事にした。もう昔のような子供の遊びはしないものの、それでも皆で一緒に居るだけで楽しい為、自然と散歩気分で村の中を歩く。
「確かにリーシャ達の家にはアレンおじ様も居るし、大魔術師のシェルさんが居るから大丈夫かも知れないけど、それでも用心はしときなさいよ。今の世の中物騒なんだから」
皆の前を歩きながらシファはお姉さんのように注意を促す。口調は強いが、それが彼女なりの優しさだという事を知っている為、リーシャとルナはうんうんと頷きながら聞いていた。
「分かってるよ。有難う、シファ」
「ふん」
リーシャがお礼を言うと、シファは腕を組んで前を向いてしまう。言いたい事を言って満足したのだろう。彼女もそれ以上注意をしようとはしなかった。
「それで、どんな人なの? その連れて来た人って」
「んーと、大人だと思うけど若くも見えるし、私達より少し歳上みたいな感じかな? それとすごい華奢だったよ」
ルナは女性を観察していた時の記憶を思い起こし、彼女の雰囲気をシファとダイに伝える。そして何より自分の中で印象に残っていた事を口にした。
「あと何となくリーシャに似てたかな」
「へぇ、そうなんだ。それは気になるわね。ダイ」
「ええっ、何でそんな事聞くのさ?」
ニヤリと笑みを浮かべてシファがダイの方を向く。すると彼は困ったように手をブンブンと振っていた。その光景を眺めていたリーシャは何故ダイが慌てているのか分からず、キョトンとした表情で首を傾げる。
「まぁ目を覚ましたら教えなさいよ。私も外の事とか気になるから」
「うん、そうするよ」
シファもダイも外の世界には興味がある。ならば外の人間と思わしき女性が連れてこられれば気になって当然だった。
何にせよ今は彼女が目を覚ますのを待ち続けるしかない。子供達は今だけ平和でのんびりとした時間を過ごす事とした。
◇
「……やはり、あの時の彼女だ」
ベッドで眠っている黄金の剣使いを観察しながら、アレンは再度記憶の中にある大昔の彼女と照らし合わせた。やはりどこからどこまでも容姿が一致している。自分の記憶違いでなければ、間違いなく彼女はあの時の黄金の剣使いだろう。だが同時にそれは混乱を招く答えでもある。
彼女は普通の人間のはずだ。エルフのように耳も尖っていないし、魔族特有の魔力も感じない。吸血鬼であるはずもないし、どこからどう見ても普通の人間であった。ならば何故あれから容姿が変化していないのか? どうして出会ったあの時から歳を取っていないのか? 謎ばかりが出て来る。ひょっとしたら彼女が持っている聖剣らしき武器が関係しているのかも知れない。アレンは椅子に座りながら、深くため息を吐いた。
「君は一体……何者なんだ?」
眠っている彼女に対して思わず語りかける。だが眠っている彼女が答える訳もなく、アレンはもう一度小さくため息を吐いた後、一旦部屋を去ろうとした。だがその時、彼女の指先がピクリと動いた。
「ぅ……」
「ーーー!」
ゆっくりと瞼が動き、彼女の黄金の瞳が開かれる。こうして見ると確かにルナの言っていた通り、リーシャと似ているかもしれない。ただし彼女の場合はかなり細身で肌も白い為、病弱な印象を受けるが。
「ん……ぁ……ここ、は?」
「め、目が覚めたか……!」
すぐさまアレンは駆け寄り、彼女の状態を確認する。すると彼女は少し驚いたように身体を起こし、アレンの事を見上げた。
「体調は平気か? 怪我はないみたいだが、どこか痛むところとかはないか?」
「え、ぁ……」
「ああ、すまない。俺の事覚えてるか? アレン・ホルダーって言うんだ。昔会った事があるんだが……何で君は姿が変わって……」
「だれ? あんた」
彼女は首を傾げてそう言う。すると急に目を見開き、辺りを見渡し始めた。そして何か疑問を感じたのか、口元に手を当て、不安げに視線を泳がせる。
「というか、ここはどこ……? 私は……あれ? 私、は……」
ピシリ、と何か嫌な音が聞こえたような気がした。貴重で繊細なガラス細工に、ヒビが入るような感覚。そしてその感覚は間違いではなかった。
「私は、誰……?」
女性は悲しそうにそう呟き、ベッドの上に力なさげに腕を落とした。そんな今にも糸が切れてしまいそうな彼女を見て、アレンはどう声を掛けるべきか分からず、口を閉じてしまった。