173:見えない
翌日、アレンは聖騎士のルギスに何があったのか報告していた。もちろんリーシャとルナの事は隠し、魔王候補達が襲ってきた為、シェルと共に応戦したという事にしている。ルギスは道を歩きながらそれを静かに聞き、あらかたの事情を聞き終わるとコクンと頷いた。
「そうでしたか……申し訳ありません。アレン殿。我々聖騎士団が至らないばかりに」
「何言ってるんだ。ルギス達は村を守ってくれただろ。助かったよ」
ルギスは頭を下げて謝るが、アレンは手を振ってそれを否定する。
山の付近に魔王候補達が現れた時、村に被害が出ないように守ってくれたのは聖騎士達だ。危険な魔物が居ると聞かされ、不安になっていた村人達を支えてくれたのは聖騎士達だ。それを至らないなどと、アレンは言うつもりはなかった。
「いえ、結局自分はまたアレン殿を頼ることになってしまいました。精進あるのみです」
「ルギスは相変わらず真面目だなぁ」
だが昔から変わらず真面目なルギスは反省し、拳を握り締めて気持ちを引き締めなおした。そんな彼の姿にアレンは懐かしさを覚えながら、二人はまた道を歩いていく。
「実は、このような事件が着実に増えて来ているのです。村が消されたり、街が半壊したりなど……」
「まさかそれって……魔王候補が?」
「はい、恐らくは」
青の大魔術士ファルシアが最悪の魔王候補アラクネと衝突し、魔王候補という存在が明るみになってからと言うものの、人族の大陸では不可思議な事件が多発していた。その内容はアラクネが周囲の人々を呪いで蜘蛛に変えていたのと同じように、明らかに異常なものであり、僅かな目撃情報からも魔王候補の仕業と考えられているのだ。
「奴ら魔王候補は少しずつ我らの大陸に侵略しています。だが人族を滅ぼすつもりでもない……破壊を愉しみ、各々の欲を満たしているようです」
ルギスは悔しそうに歯を噛み締め、瞳を揺らす。
魔王候補達は全員で攻め込むようなことはしない。それぞれが勝手に動き、自分のしたい事を
しているだけなのだ。そしてなまじ強力な力を持っている為、それに対応する事が出来ない。そんな現状にルギスは歯痒さを覚えた。
「アレは異常過ぎます……国王は選定勇者なるものを作ろうとしていますが、上手くはいかないでしょう」
そう言うとルギスは一度歩みを止め、アレンの方に顔を向ける。するとアレンも立ち止まり、ルギスの事を見つめ返した。
「……出来ることなら、貴方に戻ってきてもらいたいです。アレン殿」
「……ルギス」
此度の戦いで、魔王候補の中には伝説の竜が居る事も分かった。今どれだけの魔王候補が人族の大陸に潜んでいるのかは分からないが、圧倒的に人族側が不利。このままでは毟り取られ続け、やがては枯れてしまうだろう。それを防ぐ為にも、ルギスはアレンの助力を求めた。
「多くの冒険者、魔法使い、戦士達が、貴方を慕っている。貴方の知識、戦略が、我々を強くしてくれるのです。アレン殿が王都に戻ってきていただければ、心強いのですがね」
ルギスは手を広げ、アレンの方に手の平を向けながらそう言う。その言葉は決してお世辞ではなく、事実。現にルギスはアレンの事を頼りにしており、彼の指示を全面的に信頼していた。これから起こる戦いには、大局を見極め、強力な力を持たない者でも戦い、生き残れる戦略が必要なのだ。それを可能にするのはアレンだとルギスは信じていた。
ルギスの思いを聞いたアレンは一度息を吐き出した後、困ったように頭を掻いた。そして少し悩んだ後、彼はおもむろに口を開く。
「……そう言ってくれるのは有難いが、悪いな。ルギス」
アレンの口から出た言葉はルギスの望んだものではなかった。だがルギスもそれは分かっていたようで、残念そうな表情はせず、ただ静かにアレンの言葉を聞いていた。
「俺には今、二人の子供が居るんだ。あの子達の面倒を見るので、精一杯なんだよ。だから、ここを離れる訳にはいかない」
アレンも一瞬はかつての冒険者時代の事を思い出した。輝かしい才能を持つ多くの若い冒険者達。素直で優しい剣士や、責任感の強い魔法使い、頑固な格闘家達が、皆自分を慕ってくれていた。頼ってくれていた。そんな彼らと、また同じ時間を共に出来たらさぞ楽しいだろう。
だがアレンの中に真っ先に思い浮かんだのは、リーシャとルナであった。彼女達を放っておく訳にはいかない。あの子達を表舞台に立たせる訳にはいかない。二人が健やかに成長してもらう為にも、村に留まり続けなければならない。その思いから、アレンはルギスの頼みを断った。
「フ……確かリーシャちゃんと、ルナちゃんでしたか?」
「ああ。自慢の娘達さ」
「そうですね……子供は大切だ」
ルギスも少しだけ顔合わせをしたリーシャとルナの事を思い浮かべ、アレンの気持ちを尊重する。
子供は宝であり、未来だ。それを守ろうとする親の行為を否定する程、ルギスも薄情ではない。時代が変わり、あの時とは違うのだということを理解する。
それから二人はまた道を歩き始め、話題は別のものへと移り変わる。
「時にアレン殿、ガーディアンとのお付き合いは如何ほどに?」
「お付き合いって……別にそんな関係じゃないぞ」
ルギスからの思わぬ質問にアレンは思わず噴き出してしまい、慌てて訂正した。
彼にはシェルとは昔の好で今は子供達の面倒を見てもらっている、と説明しておいたのだ。だがどうやら、ルギス本人はそれだけの関係とは思っていないらしい。
「ですがガーディアンはアレン殿を慕っております。もちろん、これは師だからという感情だけではありません」
「…………」
ルギスからの鋭い指摘に、アレンは視線を逸らそうとしてしまう。だが彼があまりにも真面目な顔で見つめてくる為、逆に視線を背けることが出来なかった。
「実は自分にも心に決めた人が居るのです。冒険者時代にお世話になった、受付嬢です」
「えっ、それって……エイダのことか? あの気の強い。でもあいつってお前より大分年上……」
「ええ、ですが昔から想い続けておりました」
ふとルギスからの意外な告白にアレンは驚く。
エイダはアレンも冒険者だった頃に交流があった受付嬢で、明るい女性という事でギルド内でも有名だった。当時まだ幼かったルギスは弟のように扱われていたが、そんな二人が恋仲になるという事にアレンは意外過ぎて言葉を失ってしまう。
「この気持ちは今も変わりません。ならば本当に愛しているということなのでしょう。その事を伝えたら、向こうも交際を了承してくださいました」
「え……ええ~。あいつが……」
「まぁ向こうはまだ私を弟扱いですが……いずれ男として認めさせてみせます」
まさかルギスがここまで進んでいるとは思わず、アレンは面食らってしまう。実際冒険者だった頃のルギスは真面目で顔も良く、性格も問題ないという事から多くの女性冒険者から人気だった。だが彼はその気持ちには応えられないと言って、一度もお付き合いをする事はなかった。つまり、その時からずっとエイダの事を意識していたという事だ。
「ですのでアレン殿、恋愛に年齢は関係ない……と、ある程度思っていますが、いつまでも中途半端な関係を続け、双方ご老体になってしまうのは頂けません。そろそろ答えを出して良いのでは?」
ルギスはそう言って立ち止まり、アレンに無視出来ない言葉を残す。
かつては自分が見下ろす側で、幼かった少年はここまで成長してしまった。いずれはそのエイダとも結婚し、子供をもうけ、幸せな家庭を築くのだろう。
「では、失礼致します。我が師よ」
ルギスはそう言ってその場から立ち去り、騎士団の元へと戻っていく。アレンは呆然と立ったままそれを見送り、ルギスが見えなくなると深いため息を吐いて頭を掻いた。
「……まさか、あの硬派なルギスに先を越されるとはなぁ……いや、俺が年を取りすぎただけか」
自分の細くなった腕を見つめ、アレンは少し悲しそうな表情を浮かべる。
時代は変わり、世界も変わる。いつまでも子供だと思っていれば、すぐに成長してしまい、その子は大人となる。リーシャとルナもいつまでも子供という訳ではない。特に立派な大人になっているシェルはなおさらだ。
アレンは自身の頬を軽く叩き、気持ちを切り替える。そろそろ、決断の時だ。
「お、居た居た。おーい、アレン!」
「ん、どうした? ダン」
振り返るとそこには手を振ってこちらに向かってくるダンの姿があった。あの様子ではいつものように呼び出しだろう。だが他にも何かあるのだ、ダンは少しだけ困ったような表情を浮かべていた。
「村長がお呼びだぞ。あとシェーファの奴も。何かあいつ、カンカンに怒ってた」
「ええ、何でだよ……?」
「さぁ? 勝手に騎士団が来たから怒ってんだろ。あいつよそ者嫌いだから」
「やれやれ、だからって何で俺が……」
アレンはせっかく気持ちを引き締めなおしたのにまた面倒な気分になり、小さくため息を吐く。だが逃げる訳にも行かない為、渋々ダンと共に村長の家へと向かった。
◇
「レウィアさん、本当にもう行っちゃうの?」
「……うん、そうだよ」
アレンの家では、丁度荷造りを終えたレウィアが旅立とうとしているところであった。ルナはそんなレウィアの後姿を廊下から寂しそうに見つめており、その漆黒の瞳がせわしなく揺れ動いていた。。
「マギラがまだ生きているからね……大分傷を負ったみたいだから、しばらくは暗黒大陸に戻らずどこかで眠りに付くと思うけど、油断は出来ない」
アレンから聞いた話では最大の魔王候補マギラはリーシャによってかなり傷を負わさせられたらしい。そうなるとマギラは治癒の為にどこか休める場所を探すだろう。危険な暗黒大陸ではなく、どこか遠くの山や、湖の中など。そうなると捜索は難しいが、逆を言えば対処する時間があるということ。ならばすぐに動く必要がある。
「それに今回の騒動で魔王候補の間にかなりの欠員が出た。そろそろ、あの人が動くと思うから……」
レウィアは深刻そうな表情を浮かべ、自然と拳を握り締める。
既に魔王候補の内四人が封印、死亡している。負傷しているマギラを抜いて残り三人の魔王候補、そして暗黒大陸を実質的に支配している宰相も動き出す事だろう。
「だから私は一度暗黒大陸に戻る。大丈夫だよ。またすぐに会える」
レウィアは玄関の前まで来ると振り返り、ルナの方に顔を向けながらそう答えた。すると彼女も少しだけ表情を明るくする。
「本当?」
「もちろん。私は隠し事は多いけれど、ルナに嘘はつかないから」
レウィアはルナの肩に手を置きながら優しくそう言う。
まだ言えていない事はたくさんある。本当はルナの母親であるセレーネの事も色々と伝えたい。だが暗黒大陸がまだ危険な場所であり、ルナが魔王という立場から狙われている以上、極力魔族との関わりは絶った方が良い。故に、いつ他の魔王候補達に悟られるか分からない以上、レウィアもすぐにここを立ち去らなければならないのだ。
「だから信じて待ってくれる?」
レウィアは少し不安そうな表情を浮かべながらそう問いかける。するとルナはその真っ直ぐな瞳でレウィアの事をを見つめ、力強く頷いた。
「うん……もちろん。お姉ちゃん」
ルナの笑顔は眩しく、レウィアは思わず目頭が熱くなる。そして彼女も、普段は無機質な感情だけを浮かべるその表情を和らげ、微笑んだ。
「有難う……ルナ」
最強の魔王候補は誓う。必ず他の魔王候補達を倒し、暗黒大陸に平和を齎す、と。そしていつか本当の姉妹として、まだ幼い魔王と笑い合えるよう未来を作る、と。
◇
森の中をリーシャは一人で歩いていた。その手には聖剣が握られており、既に鞘から抜かれている。だがその姿は普段と変わらない至って普通の佇まいで、まるで散歩でもしているかのように周囲の様子を伺っていた。
「……う~ん」
木に空いている穴を覗いてみたり、大きな石を裏返しにしてみたりと、リーシャは普段見ないような場所を念入りに確認する。そして思ったような成果が得られなかったのか、微妙そうな表情を浮かべてクルリと聖剣を回した。
するとリーシャの視界の端に、木陰からこちらの様子を伺う小動物達の姿が映る。だがリーシャがそれに気がつくと、小動物たちはサッとその場から消えてしまった。
「……気のせいだったか」
意識を集中させても他に気配を感じ取る事は出来ない。という事はもうここには敵は居ないという事だ。そう結論を出し、リーシャは短くため息を吐くと聖剣を鞘に収めた。すると、彼女の頭の中にあの声が聞こえてくる。
ーーーーあまり動き回らない方が良い。今の其方の身体は陶器のように脆い。
「……私、そんな繊細な身体つきしてたっけ?」
鞘に収めた聖剣王殺しが淡く輝き、リーシャを心配するような声を掛ける。だが当の本人は気にした様子を見せず、グルグルと腕を振って見せた。
ーーーー中身の話だ。今の其方の力はとても不安定になっている。無理をし過ぎた。
リーシャは最速の魔王候補クロガラスを倒す為に、新たな力〈王殺し・燐〉を発動させた。だがその力はまだ彼女には早く、言わば前貸しのような物だったのだ。当然代償はある。今の彼女の身体は非常に不安定な状態になっており、力を上手く扱えなくなっている。更には手足の動きも普段とは勝手が違い、気がつけば指先が震えている程異変が起きていた。だがリーシャは、それを何ら気にせず、受け入れている。
ーーーー其方は自身の傷に鈍い。もう少し労わるべきだぞ。
王殺しは心配そうに語りかける。
リーシャはいつも無茶をする。それは勇気から起こされる行動で、他者はそれを勇敢と称する。そして不可能と思われた事を成し遂げれば、それは奇跡と褒め称えられる。だがそれは同時に、彼女を酷使しているのと同義。
本来ならまだ子供で、野原を駆け回り、同年代の子と楽しく遊ぶ年頃の少女。その細身な身体は勇者としての訓練を受けておらず、神々からの試練も与えられていない。リーシャはまだ、〈勇者〉としての準備を何も成し遂げていない。
それでもなお、彼女は手に入れてしまった。禁忌の技を。それが今後、リーシャにどのような影響を与えるか分からない。それを王殺しは心配していた。だがリーシャは、首を横に振って王殺しの助言を否定する。
「こんなの、なんて事ないよ。私は全然大丈夫」
リーシャはニコリと笑い、拳を握ってみせる。だがその腕は僅かに震えており、彼女の笑顔も普段より明るくない。その微妙な違いに王殺しは不安を覚えるが、そんな無理をしている姿を見ればこれ以上何も言う事は出来なかった。
聖剣の輝きが消え、リーシャは空は見上げる。段々と夕暮れが近くなり、朱色に染まった空には鳥が飛んでいた。
「もっと強くならないと……どんな手を使ったとしても」
勇者は願う。更なる力を。
禁忌の扉を開けてなお、満足出来ぬ底なしの欲望は、リーシャの眠っていた闘争心を呼び起こす。
今までは、本気の戦いに身を投じる事は少なかった。命のやり取りから距離を置いた生活を過ごしていた。だがクロガラスと戦った時は死の間際まで追い詰められていた。今後もそのような戦いが続く可能性が高い。ならばリーシャは、新たな自分へとならなければならない。
夕焼け空を見つめ続け、リーシャは目の疲労を感じ取る。熱くなった目頭を瞼で塞ぎ、深呼吸した後、彼女は少しだけ蒼く染まった世界を見つめ直し、改めて自分の行く道を確認する。
するとそんな彼女の背後から足音が聞こえて来た。
「リーシャちゃん。ここに居たの」
「……! シェルさん」
振り返って見ると、そこにはシェルの姿が。
シェルはリーシャの事を見つけると優しい笑みを浮かべる。それを見て、リーシャは先程まで考えていた事を忘れ、急に気持ちが軽くなるような感覚を覚えた。
「もうすぐご飯の時間だよ。帰ろう?」
「……うん、分かった。すぐ戻るよ」
リーシャは地面を軽く蹴ってシェルの元まで戻り、二人で並んで村へと帰る。その道中、リーシャはある事に気がついた。
「なんかシェルさん、顔がニヤけてるよ。良いことでもあった?」
「えっ……あっ、そのね……えっと、実は先生にね……」