18:ルナの意気込み
「お父さん、私も剣学びたい」
「えっ」
ある日の事、珍しくルナが強気な姿勢で両手をぐっと握り締めながらそうアレンにお願いして来た。新聞を読んでいる途中だったアレンはそのいつものルナとは全然違う雰囲気に思わず戸惑い、飲もうとしていたお茶の吹き出しそうになった。
「剣を学びたい?ルナが?」
「うん……リーシャみたいに上手くは出来ないかも知れないけど、私も強くなりたいの」
アレンが確認を込めてそう尋ねてみると、ルナは力強く頷いた。その黒い瞳は強く輝いている。どうやら本気らしい。アレンはカップを机の上に戻し、コホンと一度咳払いをした。
「まぁ別に教えるくらい全然構わないんだが……とりあえず一回やってみるか」
「うん!」
頬を掻きながらアレンはそう言う。
教えるくらいなら全然構わない。ルナは魔法は得意だが、身体能力はそこまで良いという訳ではない。だがだからと言ってそれが剣を学ばない理由にはならない。かくいうアレンだって特別な才能がある訳ではないが、長年剣術を鍛え続けようやく形になったのだ。
努力すれば人間は成長する。大切なのは挑戦する心を忘れない事だ。そう思いながらアレンはルナの申し出を受け入れた。
そしてひとまずいつもリーシャとやっているように庭で剣術の特訓をする事になり、ルナには小振りの木剣が手渡された。素振りや剣の振り方を見ればその人間の特徴が大体でるものなので、アレンはしばらくの間ルナに好きなように振るわせた。そして数分後。
「もう……限界……」
肩で息を切らしながら青い顔をしてルナはそう訴えた。腕は小刻みに震え、木剣を持っている事すら相当疲れている様子だった。
やはりと言うべきか予想通り過ぎたその結末にアレンも思わず苦笑し、ルナにタオルを手渡した。
「ははは、結構頑張った方だぞルナ。だが急にリーシャみたいな振り方をしても身体は付いて来れないさ」
「うぅ……まさかリーシャがこんな大変な事をしてたなんて」
ルナは木剣を下ろしながら悔しそうにそう言った。
ルナは毎日リーシャの剣を振っている姿を見ている。その為頭の中ではそのやり方などは理解出来ていた。それを真似て振ってみたのだが、いかんせん上手くはいかない。頭で考えてみる事と実際にやってみるのでは全然違ったのだ。
「一体急にどうしたんだ?突然剣を学びたいなんてルナらしくないな」
「…………」
アレンは木剣を肩に置きながらそう尋ねる。するとルナはペタンと地面に座り込みながら言いにくそうに指をもじもじと動かした。ああいう仕草をするという事は何かしら理由があるという事だ。アレンも地面に座り、胡坐をかきながらルナの返事を待った。
「その……私もお父さんみたいに剣も魔法も使えるようになりたくって」
恥ずかしそうに顔を赤らめながらルナはそう告白する。
ルナは単純に強くなりたかった。リーシャやアレンを守れるくらいの力が欲しかったのだ。もしかしたら最近噂されている魔物がこの村にやって来るかも知れない。その時は撃退出来るよう強くなろうと考えたのだ。その結果、剣術も習得すればより強くなれるのではと子供らしい考えに行きついたのだ。
「はは、俺みたいにか……それは嬉しいな」
「だって、お父さんは本当に凄いもん。色んな魔法を使えるだけじゃなくてたくさんの武器を使いこなす事も出来る……そんな事が出来る人なんてそうそう居ないよ」
身体を前のめりにしながらルナはそう訴える。その言葉を聞いてアレンは照れくささを感じながらも、心の中では素直に喜べなかった。
アレンは確かに凄い事をしている。剣だけでなく斧や槍を使いこなし、様々な属性の魔法も習得している。そのような人間はルナの言う通り中々居ない。だが逆を言えば居なくても問題ない存在なのだ。
アレンはため息を吐き、頭を掻きながら口を開いた。
「前にも言っただろ。俺の技術は中途半端な物ばかりなんだ。どれも極めてないからルナみたいな強力な闇魔法の攻撃を行えない。その程度の技術なんだよ」
手を振りながらアレンは自虐的にそう答える。
控え目と思われるかも知れないがアレンが言っている事は事実だ。アレンが覚えている様々な魔法はあくまでも一般人でも覚えられる限界の範囲。幾つかは特別な魔法も覚えているが、魔法の極致であるルナの闇魔法のような強力な攻撃は出来ない。要するに切り札になり得るような手段を持たないのだ。
「例えばの話。もしも俺が竜と対峙したら、奴の火炎を防ぐ手立てがない。得意の水魔法の盾を張ったところで、奴の火力の方が上回って掻き消される」
指を一本立てながらアレンはそう例え話を始めた。
ルナ達は竜を見た事はないが本などを読んで知っている。通常の魔物よりも何倍も大きく、トカゲ種の魔物とは比べ物にならない程の大きさと強さを持った恐ろしい怪物。それが竜。街一つ滅ぼす程の力を持った悪魔。それと対峙した時の事を想像してルナは少し怖がるように顔を顰めた。
「だが水魔法を極めておけば強力な水の盾で防ぐ事が出来る。実際の所一番良いのは一つに特化する事なんだよ」
「……でも、父さんは色んな魔法を使えるからこそ勇者教団を倒せたってリーシャが言ってた」
自分を卑下するアレンの事が嫌なのかルナはそう弁護した。それを聞いてアレンは腕を組んで悩み込む。
ルナ達が自分を褒めてくれるのはあくまで父親という眼差しで見ているからだ。自分のような人間は王都に出ればたくさん居る。それ所か更に強い冒険者など山のように居る。二人共才能があるからこそ、その事実を知っておいて欲しい。アレンはそう願い、何とかルナ達が納得出来る説得をしようとした。
「あれはまだ人間の範疇で収まってたからさ。一定のラインを越えたら俺の技は通用しない。俺よりも強い奴なんて山ほど居るんだ」
勇者教団の光の騎士はまだアレンでもどうにか出来る相手だった。ダンジョンなどで出会う魔物のボスくらいのレベルだったからだ。だがアレンが対応出来るのはそこまでのラインである。それを超えた敵は最早どの技も通用しなくなり、アレンは白旗を振るしかない。
「まぁ何にせよ、ルナは強力な闇魔法を使えるんだ。それを極めるのが一番強くなる近道だよ」
「……うん」
結局のところ強くなるならルナの得意な闇魔法を極めるのが一番効率が良い。魔力消費の多い闇魔法だが威力は通常の魔法とけた違いであり、加えてルナは大量の魔力を持っている。相性が良いのならそれを伸ばさない手はない。アレンはそうルナに伝えた。すると彼女はまだ納得のいかなそうに顔を俯けながらも小さく頷いた。
ルナも自分が一番得意なのは闇魔法という事も理解している。それを伸ばせば自分はより強くなれる事も分かっていた。だがそれを認めてしまうと、自分がアレンやリーシャとは違う魔族である事を改めて認識させられ、少しだけ寂しさを感じてしまうのだ。
すると、その寂しい様子に気づいたようにアレンがぽんとルナの頭を撫でた。思わずルナは顔を上げる。目の前ではアレンが優しい笑みを浮かべていた。
「心配するな。ルナは才能だってあるし一番頑張り屋さんだろ。将来凄い魔術師になれるさ」
「……! うん! えへへ」
励ますつもりでアレンがそう言うとルナは嬉しそうに笑みを零した。
リーシャの笑いかたと違って照れたようなその笑みを可愛らしい。アレンも思わず幸せな気持ちになり、ルナの頭を優しく撫でた。
「ただいまー。あれ?父さんとルナ何してるの?」
すると丁度よくリーシャが帰って来た。散歩すると言ってしばらく出かけていたが、どこか服装が乱れ、激しく動いた痕跡がある。アレンはルナから手を離し、リーシャの事をじとりと見た。
「リーシャ……お前さてはまた森に一人で入っただろう?」
「えっ……な、何で分かったの?」
「俺を騙せると思うなよ。何度も言っただろう?一人じゃ危ないから森に入るなって」
「え、えへへ~……ごめんなさい」
アレンが指摘するとリーシャは誤魔化せないと悟り、頭を掻きながらしゅんとして謝った。
実はリーシャは時折一人で森に入る事があり、魔物と戦っている事があった。アレンはしっかりとそれを見抜いており、度々注意をしているのだがリーシャは中々言う事を聞いてくれなかった。
きっと自分の実力をもっと高めたいのだろう。リーシャの気持ちも分る。だが親としてアレンも出来るだけ厳しくしないといけないと分かっている。しかし彼にはどうしても強く言えない理由があった。
(まぁ俺もガキの頃よく森に入って武者修行みたいな事してたしなぁ……リーシャの気持ちも分らんではないが)
アレンは頬を掻きながら懐かしむようにその時の事を思い出す。
小さい頃は己の限界を感じなかった為、どんな無茶も出来た。自分の身の丈より何倍も大きい魔物を相手にしても何の恐怖も感じなかった。故にどこまで行けるのかが試したくなり、森に入って魔物を倒し続けたのだ。
リーシャもきっと自分の力を試したいのだろう。子供の時ならアレンもその思いに同調出来た。だが今では親という立場の為、素直にリーシャの思いを尊重する事は出来なかった。もしもの事を考え、リーシャの身を案じてしまう。
そしてその日の夜、いつものようにご飯をたらふく食べて寝る準備をし、寝室のベッドに座っていたリーシャは隣のベッドで座りながら本を読んでいるルナの事を見た。手には紋章を隠す包帯とは別に絆創膏が張られている。昼間剣の素振りをしていた時に出来た傷だ。普段あまり手を激しく使うような行為はしない為、慣れない動きにルナの手は耐えられなかったらしい。それを見つめながらリーシャはふと口を開いた。
「ルナ、昼間父さんと剣の稽古したんだって?」
「えっ……う、うん」
突然話し掛けられてルナはビクリと肩を震わせ、読み途中だった本の手を止めてリーシャの方を見た。リーシャはその綺麗な黄金の瞳で静かにルナの瞳を見据えていた。その瞳はまるで心の中を見透かしているようでルナはドキリとした。
「何で急にそんな事を?」
「そ、その……私もリーシャみたいに剣を使えれば、お父さんのように強くなれるかな……って思って」
ルナは少しビクつきながらそう答えた。何となくアレンから剣を教えてもらったらリーシャにそれは自分の分野だと言って怒られるような気がしたからだ。
ルナは顔を俯かせながらチラリとリーシャの事を見る。するとリーシャはいつもと変わらない明るい表情で笑みを浮かべていた。
「なるほどね~。ルナは頑張り屋さんだね。確かに父さんみたいに剣も魔法も使えたら最強だよね」
「うん……でも、やっぱ私には向いてなかった」
そう言ってルナは自分の絆創膏だらけの手を見せた。
あれからルナも何度か剣の素振りをしてみたが、全部駄目だった。恐らく時間を掛けて続けてもそこまで上達はしないだろう。やはりルナは根っからの魔術師タイプの魔族なのだ。その事に少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。
「ははは、私も魔法の方はさっぱりだからね。正反対だね、私とルナって」
「まぁ……勇者と魔王だからね」
リーシャとルナは姉妹である。だが本当の姉妹ではない。リーシャは勇者であり、ルナは魔王。二人は全く正反対の存在なのだ。
その事を改めて思い出し、ルナは何だか妙な気持ちになる。今目の前で寝間着姿で呑気にベッドの上に座っているのは、本来自分を殺しに来る勇者のはずなのだ。だと言うのにこんなにも大好きで、大切な姉として認識している。本当に不思議な気持ちだ。
「あ、でもさ、私は剣が得意で、ルナは魔法が得意だったら二人で協力すれば父さんを守れるくらい強くなれるんじゃないかな?」
「……あ~」
ふとリーシャは名案を思い付いたかのようにぽんと手を叩いてそう提案した。
そのまるで簡単な足し算のような言い分にルナは微妙な顔をするが、確かにそう考えれば実現性は高いのではないかとも考える。
「まぁ言われてみれば……そうかも知れないね」
「でしょでしょ! じゃぁ今度から一緒に戦おう! ルナ!」
「え~……でもリーシャってすぐ魔物に突っ込むじゃん。私の魔法の巻き添えになっちゃうよ?」
「そこは上手く避けるからさ! 連携でこう……」
ルナがそれに同意するとリーシャは調子に乗り、戦う時はこうしようとああしようと色々と提案をし始めた。するとルナもその気になり、その作戦に対して的確な指摘をする。そうやって話し合っている内に時刻は進んで行き、勇者と魔王の戯れはいつの間にか襲って来た眠気によって幕を閉じた。
それぞれのベッドの上でリーシャとルナはすぅすぅと寝息をたてながら眠っている。その日の夜はとても静かだった。