170:黒炎と氷雪
無事スライムの渦から逃れたアレンとリーシャはようやく英雄の廃城へと辿り付き、近くの城壁で馬を下りた。ここからは馬では近づけない。敵に動向を悟られないようにする為にも、慎重に動かなければならないだろう。
「シェルさんとレウィアさん、大丈夫かな?」
「あの二人ならどんな敵だろうと負けないさ。心配するな」
ふとリーシャが少し気になったような表情を浮かべるが、アレンは優しい口調で答え、彼女を安心させた。
何せ大魔術士と魔王候補が共闘しているのだ。いくら相手が分裂して数を増やせようと、圧倒的な力で葬ってくれるだろう。そうアレンは信じ、リーシャの頭を撫でた。すると彼女の表情も明るくなり、力強く頷いた。
「俺達は今出来ることをしよう」
「うん……そうだね」
必ずルナを助ける為に、アレンは気を引き締めなおす。リーシャも腰から聖剣を引き抜くと、いつでも動けるように柄を強く握り締め、意識を集中させた。
それから二人は崩壊している城壁の陰に隠れながら進んでいく。城の中は意外と入り組んだ造りになっており、螺旋階段になっている部分や、巨大なシャンデリアなどの残骸が残っていた。
「〈英雄の廃城〉……話には聞いてたけど、ホントにボロボロな所なんだね」
リーシャは階段を上りながら廃城の様子に視線を向ける。
英雄という名が付くくらいなので当然この場所は有名なのだが、実際足を運ぶ者は少ない。精々遠くから眺めるくらいで、殆ど放置状態であった。
「何せ百年前に建てられた城だからな。劣化は凄いだろう。ただここまで崩壊した理由は今でも分かっていないらしい」
「えー、何それ。こわーい」
アレンは音を立てないように慎重に歩きながら答える。
どこに敵が潜んでいるか分からない為、ひとまず泉がある方向に進みながら魔力を探る。だが泉に充満している魔素のせいで上手く読み取ることが出来ず、ぼんやりと気配を感じ取れるだけであった。
「噂では謎の剣使いが斬り裂いた、なんて話もある。ほら、あそこを見てみろ」
「ん……わっ」
ふとアレンがある方向を指差す。それはぱっくりと半分に斬られた城門であった。他の場所は崩れたり穴が開いたりして劣化しているのに、城門だけが綺麗に切断されていたのだ。
「普通どんな兵器を使ったとしてもあんな綺麗に城門を切断出来たりはしない。もしもその剣使いがやったって言うなら、相当でかい剣を持っているんだろうな」
「グランさんの巨神の剣みたいな?」
「そうだな。多分聖剣か魔剣の力を使ったんだろう」
英雄の廃城が何故廃城になったのかは詳しく伝えられていない。そもそも今の人々には勇者や英雄と言った存在自体がおとぎ話扱いになっており、信じていない者も少なくないのだ。ひょっとしたらこの英雄の廃城ですら本当は英雄の為に建てられた城ではないかもしれない。それくらい過去の伝説は風化してしまっていた。
「……っと。どうやらこの方向で当たりだったみたいだ」
「この気配……竜?」
アレンは歩みを止め、壁の向こう側から感じられる魔力に気がつく。リーシャも強い気配を肌で感じ取り、息を潜めた。
「ああ。気をつけろ。エレンケルみたいな温厚な竜だと思うな」
「大丈夫、分かってるよ」
アレンが忠告すると、リーシャは真剣な目つきで頷いた。
相手は伝説の生き物であり、更には凶暴な黒竜。正直アレンは最初の戦闘以来、勝利する算段が全く立っていなかった。だが今はルナを救う為にも、挑まなければならない。
「よし、慎重に進もう……」
彼は覚悟を決めて前へと進む。リーシャもその後に続き、二人はこの先に待つ強大な邪悪へと向かっていった。
◇
「「「ギルギルギルィィアルアァアアア!!!」」」
「……そっち行ったよ! お姉さん」
「ッ……〈氷雪の宴〉!」
草原の上でまるで津波のようにスライムの大群が押し寄せる。時には分断し、幾つもの波となって至る方向からレウィアとシェルを飲み込もうとした。だがレウィアは炎でそれを跳ね返し、シェルは氷魔法で防ぐ。どちらもかなりの実力を有している為、このような状況でも冷静に対処していた。しかし流石に攻撃し続けても全く数が減らないスライムにシェルは疲弊しており、額からは汗が流れていた。
「いくら何でも数が多すぎませんか……!?」
「リーゼは突然変異のスライムで、これまで他の魔物を捕食し続けることで巨大になっていったからね……本来の姿は山くらいあるよ」
「な……ッ!?」
衝撃的な事実にシェルは思わず目を見開く。
ただでさえ視界を埋め尽くす程大量のスライムが沸いているというのに、本体は山のように巨大なスライムという情報。軽く絶望感を抱いてしまうが、レウィアは至って冷静なままだった。
「でも、こいつは分裂体を散らしすぎた。ルナを見つける為に、身体を分け過ぎたんだ」
刃に煉獄の炎を纏わせ、レウィアは跳躍する。そして押し寄せてきていたスライムの波に一気に斬撃を放った。
「「「ギギギギィィアアァァアァア!!?」」」
「だから私に勝てないんだよ。リーゼ」
その場に巨大な火柱が巻き起こり、大量のスライムがその真っ黒な炎に飲み込まれる。その風圧は凄まじく、まるで竜の炎のような威力であった。
「「「ギギギガッ……グギィィィィィイイイイ!!!」」」
残りのスライム達はその強力な攻撃に本能的に恐怖を覚えたのか、一度身を引くと夜の闇の中に姿を消し、スライム達が蠢く音だけを立てながら移動した。
するとレウィアはその場に残って動けなくなっていたスライムの一体に炎を纏わせた剣を突き刺し、動けなくして足で踏みつける。
「逃がさないよ。最後の一体になるまで、燃やし尽くしてやる」
「ギ、ギギィィ……ッ!!」
スライムは逃げようと身体を動かすが、刃の炎に飲み込まれてしまう。そして甲高い奇声を上げながら溶けていった。
「……流石ですね。あれだけの大群に全く怯まず攻撃するなんて」
「お褒めに預かり光栄だね。ほら、第二波が来るよ」
「----!」
暗闇の中からスライムの大群が押し寄せてくる。今度は少数だが、無視する訳にはいかず、シェルは杖を振るうと氷の壁を作り出して突撃を防ぐ。
すると別方向からまたスライムの大群が現れる。どうやら全員で攻め込むのをやめ、分断し同時攻撃を仕掛けることにしたらしい。だがレウィアはその安易な考えを鼻で笑い、魔剣を振るうと炎の円陣を放ち、スライムの大群を吹き飛ばした。
「お姉さんだって中々やるじゃん。前戦った時よりも腕を上げたね」
「はぁっ! くっ、それは……どうも!」
二人は舞うようにスライムの大群と戦いながらそう言葉を交わす。レウィアは大分余裕があるようだが、シェルの方はレウィアの動きに付いて行くのに必死だった。
「ねぇ、おじさんとはいつ結婚するの?」
「ぶっ!! ……何で今そんなこと聞くんですか!?」
突然レウィアから飛び出してきた質問にシェルは吹きだしてしまい、杖を落としそうになる。だが慌てて握りなおすと前方に氷の山を作り出し、大量のスライム達を氷の中に閉じ込めた。
「そう言えばお姉さんとあまり喋ったことないからさ、単純に気になって」
「……だ、だからってタイミングってものがあるでしょう」
あまりにも予想外過ぎた質問にシェルは動揺してしまうが、レウィアはあくまでも純粋な瞳をしており、真剣に質問しているようだった。
「だってほら、おじさんのお嫁さんになるってことは、ルナの母親になるってことでしょ? だったら姉として気になるじゃん」
「ッ……それは、そうかも知れませんけど……」
前方から押し寄せて来るスライムの波を炎で吹き飛ばし、更に真横から飛び出してきたスライムの渦を影で封じながらレウィアは話を続ける。シェルも地面に杖を付けると周囲に氷を張り巡らし、スライム達の動きを止めてみせた。
「おじさんは優しいよね。ルナの正体を知っても怖がらないし、誰にでも平等に接する。それって普通かも知れないけど、自然体で出来る人って案外居ないんだよ?」
レウィアにとってもアレンは不思議な存在であった。
魔王であるルナのことを本当の子供のように育て、分け隔てなく愛する。最初それを見た時は何故そんなことが出来るのか、と疑問に思った程だった。だがやがてそれが彼の自然体なのだと知り、とても優しい人物なのだと悟った。
その優しさはレウィアにも浸透する程で、アレンの傍に居ると彼女も自身が魔王候補であることを忘れることが出来た。
「セレーネ母さんが好きになった理由も分かった。小さい頃よく人族の友達について聞かされたからね……私も、あんなお父さんが欲しかったな……」
「……!」
きっとルナの母親、セレーネもその優しさに触れてアレンの傍に居たいと思うようになったのだろう。レウィアもつい本音を呟き、急に恥ずかしそうに視線を背けてしまった。
「だからさ、お姉さんも早めに行動した方が良いよ? こんな状況だからこそね」
前方の暗闇から一際大きなスライム達の波が押し寄せて来る。その方向を向くとレウィアは魔剣を構え、力を解放した。
「「「ギギギイギルゥゥァアァアァアア!!!」」」」
「〈煉獄の剣・ニ奏・浄化の棺〉」
魔剣から大量の鎖が出現し、スライム達へと巻きつく。そのまま押し寄せていたスライムの波は全て魔剣の中へと吸い込み、レウィアは魔剣を振り払って短く息を吐き出した。
「残り半分くらい、かな……」
「ッ……大分感じられる魔力も減ってきましたね」
「そうだね……リーゼの奴もそろそろ焦ってくるはずだ」
かなりのスライム達を倒した為、段々と攻撃頻度も少なくなって来た。元々はただのスライムであり、所詮は最低の称号を持つ魔王候補の為、レウィアとシェルが協力すれば勝てない敵ではないのだ。だが油断は出来ない。リーゼはスライムだが、その最底辺の魔物でありながら魔王候補になった魔物。どんな手を使ってくるか分からないのだ。
レウィアとシェルは互いに背中を合わせ、どこからでも対応出来るように武器を構えて警戒する。するとそれを知ってか、二人の前に数匹のスライムが集合した少し大きめのスライムが現れた。
「ギギ……ナゼ、ジャマヲスル……! ナゼマオウサマヲ、トリカエソウトスル? レウィアァ……!」
リーゼは苛立ちを含んだ更に奇怪な声色でそう疑問を投げ掛ける。
全ては魔族、魔物の為に魔王を取り返そうとしているのに、レウィアはそれを邪魔し続ける。それが理解出来ず、リーゼは不愉快そうに液状の身体を揺らした。
「決まってるでしょ。ルナがそれを望んでいないからだよ」
「ナゼダ……!? マオウノモンショウヲ、モツノナラ、オウトナルノガシュクメイ、ダロウ!? ナゼソレヲウケイレヨウトシナイ!!?」
レウィアの答えを聞いてもリーゼは受け入れない。
そもそも考え方が違うのだ。レウィアはルナの事を考えているが、リーゼは自分達が住んでいる暗黒大陸の事しか考えていない。見ている景色が違うのだから、分かり合えるはずもなかった。
「貴方は……ルナちゃんの事を全く見ていないんですね」
「……アァ?」
するとシェルは悲しそうな表情を浮かべながらそう告げる。それに対してリーゼは不快そうに声を漏らし、目はないが彼女の事を睨みつけるようにユラリと身体を動かした。
「彼女は争いを好みません。人を傷つけることを嫌い、平和を望んでいる優しい子です。そんなルナちゃんが、貴方達のような自分勝手な魔物の言う事など聞くはずがないでしょう」
「……ギッ!!!」
シェルはルナの事をよく知っている。リーシャが怪我をした時、ルナは付きっ切りで看病していた。アレンが魔物と戦っている時も、いつも心配そうな表情を浮かべていた。彼女は誰よりも傷付くことを嫌い、平穏な世界を望んでいるのだ。
だがリーゼにそれは伝わらない。魔物の本能として魔王を求めており、自らの欲望の為に王を君臨させようとしているリーゼにとって、ルナという少女のことなどどうでも良いのだ。故にリーゼはレウィアとシェルの言葉を拒絶する。
「ギィィィァアアアアアアアアアアアアッ!!!」
リーゼが咆哮を上げると、突如レウィア達が立っていた場所から大量のスライム達が地面を突き破って現れる。二人はその予想外な場所からの出現に驚き、僅かに動作が遅れてしまう。
「……!!」
「じ、地面から……!?」
レウィア達に攻撃している間、リーゼは分裂体のスライム達を地面の中へと潜り込ませていたのだ。魔力で感知されないように出来るだけ小さく、弱いスライム達を多く作り出し、少しずつ二人をその場所へと誘い込んでいたのである。
「キエロキエロキエロォォォオオオ!! マオウサマノタメニ、ジャマスルモノハスベテキエテシマエェ!!!」
分裂体のスライム達は一斉に二人へと襲い掛かり、巨大な手の形となって握り潰そうとする。すぐにレウィアとシェルも対応しようと武器を構えるが、その直後、暗闇の中から黒い影が無数に現れ、スライム達を一斉に拘束した。
「……ガッ!!?」
リーゼも突如暗闇から伸びてきた影に掴まれてしまい、影が侵食して動けなくなる。まるで自分の身体の主導権を奪われるように自由が利かなくなり、リーゼは苦しそうに呻き声を漏らす。
「ナ、ナンダコレハ……!?」
「この影って、闇魔法の……まさかレウィアが?」
「……ううん、私じゃない」
シェルは伸びてきた影が闇魔法で生成される影だと気がつき、レウィアの方を向く。だがどうやらこの影を操っているのは彼女ではないらしい。すると、レウィアは薄っすらと笑みを浮かべ、拘束されているリーゼのことを見下ろした。
「どうやら、私の妹を怒らせちゃったみたいだね。リーゼ」
「グ、ギ……ィ……ッ!」
草原は闇に埋め尽くされている。リーゼは気がつく事が出来なかった。この僅かな光しかない夜の闇の中こそ、自分達が崇める魔王が最も力を振るえる時だと。