169:取り返したいもの
夜空の上は肌寒く、風が突きつける音ばかりが聞こえてくる。周りの景色は一応星明りで見えるが、今はそれを楽しむ余裕はない。マギラの前足に掴まれ、拘束されているルナは、そんな今の自分の状況に思わずため息を吐いてしまった。
「……寒い」
「オユルシヲ。ワレラガオウヨ。モウスコシノシンボウデス」
ポツリとルナが呟くと、マギラの身体に張り付いていたリーゼの分裂体が声を掛けてくる。だがルナはそれを無視し、下の景色の方へと顔を向けてしまった。
(……くっ)
「ドウシタ? マギラ。コウドガサガッテイルゾ」
飛んでいるマギラがふと傾き、段々と地上に近づいていることにリーゼは気がつく。このままでは落下してしまうと考え、リーゼは分裂達の一部をマギラの首元まで移動させ、注意を促した。
(限界だ……これ以上飛び続ければ、我の翼は二度と空を舞うことは出来なくなる……一度降りるぞ)
「チッ……シカタナイカ」
どうやらレウィアとの戦闘で負った傷が酷いらしく、これ以上の飛行が難しいようであった。リーゼもマギラが翼を失ってしまえば都合が悪い為、少しずつ高度を下げて適当な所に降りることにした。
「レウィアメ。サスガハ、サイキョウノショウゴウヲ、アタエラレルダケハアル……サクセンヲネリナオサナケレバ」
リーゼは苛立つように液状の身体を震わせる。
二体掛かりで戦ったというのに、あの最強の魔王候補レウィアは全く怯むことがなかった。それどころかマギラに致命的な傷を負わせ、こちらの作戦に支障を与えて来た。様々な策略を巡らせるリーゼにとってそれは最も腹立たしいことであった。
「アンコクタイリクニモドルニハ、マギラニノッテトンデイクノガ、イチバンハヤイ……ナントカキズヲ、サイセイサセタイガ」
もちろん暗黒大陸に移動する方法は他にもたくさんあるが、もっとも確実で早く移動出来るのはやはりマギラの飛行なのだ。竜というポテンシャルなら空の障害は殆どないと言っても良い。多少時間が必要になろうとも、マギラの傷を再生させるのが一番であった。
その為にもリーゼは思考を続け、一つの可能性を思いつく。そしてそれを実行出来るか確認する為に、ルナに話しかけた。
「オウヨ。コノアタリニ、マソガミチテイルバショハアリマセンカ?」
「……!」
魔素が多く集まっている場所があればそこでマギラの再生力を高めることが出来る。リーゼはその場所を求め、人族の大陸で育ったルナならばこの辺りの地形に詳しいであろうルナに問いかけた。すると彼女は僅かに悩むように視線を動かした後、静かに口を開いた。
「もう少し先に、〈英雄の廃城〉って場所がある……確かそこに、魔素が充満している泉があったはず」
「ナルホド。ゴキョウジュ、カンシャシマス」
ルナの言葉を疑いもせず、リーゼはその状況提供に感謝する。
例え嘘だったとしてももう一度問い詰めれれば良いし、この状況で嘘を言えばどうなるかは本人もよく分かっているはず。リーゼはルナが抵抗する可能性など一切考えず、作戦を練り直した。
「マギラ、キイテイタダロウ? コノサキニハイジョウガアルハズダ。ソコニオリロ」
(フン、我に命令するな。分かっている)
マギラはリーゼの言葉遣いを不快に思いながらも素直にその場所を目指す。
彼らが今協力しているのは魔王を連れ戻すという目的が一致しているだけであり、所詮は同じ魔王候補という立場。その関係はいつ破綻してもおかしくない程脆く薄い。現にリーゼとマギラはクロガラスが死んだことに全く悲しんでおらず、むしろ勇者を始末し損ねたことに不満を抱いているくらいであった。
(む、ここか)
やがてマギラはルナから教えてもらった廃城を見つける。
その名の通り城と呼べるような見た目は殆ど残っておらず、至る所が吹き抜けになっている廃城。小さなお城と呼べるくらいの広さで、中庭と思わしき場所には戦士四人の銅像が建てられていた。だがその像もかなり破損しており、どのような戦士なのかは分からない。そしてその近くには、不思議な色に輝く大きな泉があった。マギラはそこに降り立ち、翼を畳んでルナとリーゼのことを降ろす。
(おぉ、素晴らしい。ここまで魔素が溢れているとは……これならかなり早く再生出来そうだ)
「ナントカ、ヒノデマデニハ、サイセイシロ。アカルクナレバ、メンドウニナル」
(分かっている。命令するな)
マギラはその巨体をゆっくりと動かし、泉の中に漬かる。そして体内の魔力を集中させ、再生能力に力を入れた。するとマギラの身体がほのかに光り輝き、翼の付け根に負っていた傷が少しずつ治り始めた。その様子をルナは近くの瓦礫が集まっている場所で静かに眺めていた。
(それより……貴様もさっさと分裂体を集合させろ。今の貴様では大した戦力にはならんぞ)
ふとマギラはその長い首を曲げ、リーゼの方に顔を向けながらそう注意した。
今のリーゼは本体だが、その身体はかなり小さい。一般的なスライムと大差ないだろう。村中に分裂体を放ってしまい、更にはかなりの量を潰されてしまった為、もう残りが少なくなってしまったのだ。
「ヤッテイル。イマムラノホウカラ、ヒキアゲサセテイルンダ。スベテノカラダヲ、モドスニハ、ジカンガカカル」
「…………」
リーゼが苛立ちながらそう答えている様子を、ルナはしっかりと聞いていた。だがその表情は何を考えているのか分からない程何の感情も込められておらず、彼女はただ静かにマギラとリーゼの様子を伺っていた。
(急げよ……我らの動きが他の魔王候補に悟られれば魔王様が狙われる。十分な戦力を持ってしてお連れしなければ)
「アア、ソウダナ」
リーゼとマギラの敵は何もアレン達だけではない。レウィアとも敵対しているように、思想が合わない魔王候補が居れば例え同胞であろうともそれも敵となってしまうのだ。故に彼らが無事暗黒大陸に戻れたとしても、そこが安全という訳ではない。アラクネのように凶暴な魔王候補は他にも居る為、間違いなく本物の魔王であるルナの存在を消そうと動くはずである。そう言った存在からルナを守る為にも、リーゼとマギラは十分な戦力を確保しておく必要があったのだ。だからこそ、最速の魔王候補であるクロガラスを失ったのは痛く、リーゼの計画にも大分支障が出来てしまった。
(----!)
突如、マギラは遠方からの魔力を感じ取り、その方向に視線を向ける。ルナもその事に気がつき、その魔力の正体に気がつくと嬉しそうに口元を緩めた。
(……リーゼ、お客のようだ)
「ナニ? バカナ……ナゼコノバショガワカッタンダ!?」
リーゼもマギラに言われてその魔力に気がつき、こちらに向かっている事に衝撃を受ける。
追跡されている気配はなかったし、こちらも痕跡は残していないはず。なのに何故ここまでピンポイントに向かってきているのかと、疑問を抱く。だが今はそれを考えている暇はなく、対処が第一優先であった。
(我は動けん。貴様が始末して来い)
「……チッ、ワカッタ。ソノカワリ、オマエハマオウサマヲタノムゾ」
(無論、言われずともな)
当然マギラは再生に専念しなければならない。動けるリーゼが対処するのが自然であった。リーゼ自身もそれは分かっている為、気は乗らないが作戦を円滑に進める為に自ら動くことにした。そして彼は大人しくしているルナの方を向き、頭を垂れるように身体を動かした。
「オウヨ。イマシバラクオマチヲ」
「……言う通りにすれば、手は出さないんじゃなかったの?」
ふとルナは冷たい表情のままそう疑問を投げ掛ける。
村人を人質にされていたからこそ、ルナはここまで大人しく付いて来たのだ。その約束が反故されるのならば、彼女も黙っている訳にはいかなかった。
「モチロン、ムラノモノニハ、キガイヲクワエマセン。スデニブンレツタイモ、ヒキアゲマシタ……デスガ、オイカケテクルモノガイルナラバ、ハナシハベツデス」
「…………」
実際リーゼは村人には一切危害を加えていない。ただ自分の作戦を邪魔して来た者を対処しただけで、約束は守っているつもりであった。ルナはその主張を聞いて目を細めると、リーゼにある事場を伝えた。
「……貴方じゃ勝てないよ。私の家族には」
「……ソレハ、ドウデショウナ」
敵には最強の魔王候補レウィアが居る。マギラと二人掛かりでも倒せず、更にはクロガラスを倒した勇者が居るのだから、その勝率は格段に下がるだろう。だがリーゼに逃げ出す気は無かった。
最低の魔王候補の名を持つリーゼはただのスライムだった時から格上の魔物と戦ってきたのだ。不意打ち、裏切り、卑劣な作戦はリーゼの得意なこと。そのおかげで今では伝説の生き物である黒竜マギラとも肩を並べられるようになったのだ。
最低の魔王候補は動き出す。自分達の王を取り戻す為に、底辺に居た魔物は隠し続けていた牙を剥く。
◇
星明りで微かに明るい草原の上を、アレン達は馬に乗って走っている。西の村で無理を言って貸してもらったのだ。そのおかげで大分速度が出ており、予定よりもかなり早く英雄の廃城に着きそうであった。
「このまま真っ直ぐ行けば廃城だよ! 父さん!」
「そうだな……! そろそろ見えてくるはずだ」
リーシャはアレンと一緒に馬に乗りながら、先頭を進む。馬も手入れをしてくれていたからか大分調子が良く、アレンが急いでいることを感じてか、かなり速度を出してくれた。
「おじさん。向こうもこっちの気配に気づいてるはず。注意して」
「ああ、分かってる!」
隣で華麗に操っているレウィアがそう言い、アレンも頷く。
相手は魔王候補。何をして来るか分からない存在。例え距離が離れていたとしても油断は出来ない。
アレンはいつどんな攻撃が来ても対応出来るよう、十分警戒心を強めた。
「先生、見えてきました! 〈英雄の廃城〉です!」
シェルが遠方に見える影を指差し、アレンは目を細めてそれを確認する。
パッと見ただけでは城と分からない形状の廃城。だが確かに暗闇の中でもそれは確認でき、アレンは持っていた手綱を握り締める。その直後、彼らの前から何か突風のような物が通り過ぎた。
「----!?」
その突風と思われた物は突如方向を変え、後ろからアレン達のことを追いかけて来る。そして近くになってようやくその前方を確認する事が出来た。
それはおびただしい量のスライム達が集合し、竜巻のように蠢いて追いかけて来る巨大な渦であった。
「なんだ……この渦は!?」
「リーゼの奴だ! おじさん、馬を止めないで! 飲み込まれたら不味いよ!!」
無数のスライム達はそれぞれが上へ下へと動くことで一個の巨大な塊として動いており、凄まじい轟音を響かせながらアレン達へと迫ってきた。すぐにアレン達は馬を更に走らせ、その渦に巻き込まれないよう前を進む。
「「「ギュルギュルギュルギュルゥゥァアアアアア!!!!」」」
「残りの分裂体を全部集めたか。ここまで数を増やしていたなんて……!」
スライム達は恐ろしい奇声を上げながらアレン達を飲み込もうとする。その速度は全速力の馬にもしっかり付いて来ており、捕まってしまえばひとたまりもないことを容易に想像することが出来た。
「こ、こんなの……まるで天災じゃないですか!」
「それが魔王候補ってことだよ。とにかく走り続けて!」
あまりにも規格外過ぎる魔王候補の力にシェルは恐怖を覚え、手綱を握り締めながら必死に馬を走らせる。かなりの速度が出ている為、もしも今転倒などすれば命を落とす危険性があるだろう。それくらいギリギリの状態であった。
「「「ギギギィィィギィィァアアアアア!!!!」」」
「随分魔物らしくなったね……リーゼ。そんなに知能が下がる程、分裂したの?」
迫り来るスライムの塊を見ながらレウィアはそう言葉を投げ掛ける。だがそれに対する返事はない。
スライムの分裂は同時に力も分け、知能も下げてしまうのだ。故に分裂を繰り返せばそれだけ弱いスライムとなり、ここまで大量に分裂したのならばそれは最早ただの魔物と同等である。
その様子を見ながらレウィアは薄っすらと笑みを浮かべ、馬の上で立ち上がると魔剣を引き抜いた。
「ならそれは、悪手だ」
スライムの塊に向かって飛び出すとレウィアは魔剣を振り上げ、力を解放する。すると刃から真っ黒な炎が現れ、剣を包み込んだ。
「〈煉獄の炎〉!!」
魔剣を振り下ろすと同時に巨大な炎の斬撃が放たれ、スライムの塊の一部が飲み込まれ、動きが止まる。そしてレウィアは華麗に地面に降り立った。
「「「ギギギギィィアアアアアア!!!」」」
「凍れ。命の灯を奪う死の吹雪よ。その冷たさで時を凍てつかせよ!」
レウィアの炎から逃れた残りのスライム達はなおもアレン達を飲み込もうとするが、すかさずシェルが馬から飛び降り、杖を振るって魔法を詠唱する。
「〈氷雪の牢獄〉!!」
氷の吹雪が巻き起こり、スライムの塊が氷漬けにされる。そこでようやく動きが止まるが、まだ凍り付いていない後ろのスライム達は一度方向を変え、再び渦となって移動を始めた。
どうやらレウィアとシェルを先に倒すことにしたらしい。二人もそれを理解し、アレンを庇うようにスライム群と対峙する。
「先生、先に行ってください!」
「ルナをお願い。おじさん」
「……! 分かった!!」
ここで足止めを喰らえばルナを暗黒大陸に連れ去られる危険性もある為、アレン達は別れて行動することにする。するとスライム群はそれを阻止しようと動き出すが、シェルとレウィアは同時に攻撃してそれを防いだ。
「「「ギュルルルルァァアアアアアアア!!!」」」
スライム群は揺れ動き、威嚇するように震えながら奇声を上げる。その前に二人は立ち、各々武器を構えた。すると、少し気になったようにレウィアが隣のシェルに視線を送る。
「そう言えば、お姉さんと共闘するのは初めてだね」
「そうですね……足を引っ張らないでくださいよ?」
「フ、肝に銘じておくよ」
かつて戦った二人ではあるが、そんな冗談を言って軽く笑みを浮かべる。直後にスライム群が動き出し、二人を飲み込もうと大きく広がった。レウィアは魔剣を振って煉獄の炎を放ち、シェルは氷の竜巻を起こして激突する。
星明りが降り注ぐ草原に、凄まじい衝撃が巻き起こった。
次回はコミカライズを記念して特別短編となっております。
アレンの万能の冒険者時代の一幕が描かれております。