165:抗えぬ脅威
最低の魔王候補リーゼに対処する為、アレン、シェル、レウィアの三人は森の中を進んでいく。そして村から大分離れた山の麓まで着くと、唐突にレウィアは立ち止まり、村の方角を振り返って目を見開いた。
「ッ……この魔力……まさか……? そんな……!」
レウィアは意識を集中させ、遠くから僅かに感じ取れる魔力の形を読み取る。するとそれは自分の想像した通りのものであった為、思わず舌打ちをしてしまった。
「レウィア、どうした?」
「不味い……不味い不味い不味い。やられた……気づかれてた……奴ら、これを狙ってたのか……ッ」
その異変にアレンも気が付き、足を止めて彼女の方を振り向く。だがレウィアはかなり焦っているようで、現実を受け入れられないように首を左右に振っていた。するとアレンは隣に居たシェルの様子もおかしいことに気が付く。彼女は目を閉じ、意識を集中させていた。そして眉間にしわを寄せ、何かを恐怖するように胸の前で手を組んだ。
「シェル?」
「む、村の方から……とてつもない魔力が……それも一つじゃないんです」
「なんだと……?」
シェルもレウィアと同じよう、遠方から異質な魔力を感じ取っていた。それは肌にピリピリと伝わり、これだけ距離が離れていても気になってしまう程の強大で禍々しいものだったのだ。
そしてレウィアがようやく口を開き、恐ろしい真実が語られる。
「魔王候補が少なくとも三人……いや、正確には三体か……今この山に集まってる」
その言葉を聞いた瞬間、アレンは衝撃で思わず言葉を失ってしまう。
最低の魔王候補リーゼがこの近くに居ることは分かっていた。だが他にも二体、魔王候補が居るという事実。それはアレンを絶望に叩きつけるには十分過ぎる報せであった。
「迂闊だった。まさかあいつらが手を組むだなんて……普段は暴れまわってるくせに、魔物の本能には抗えないってことか……」
レウィアは己の認識の甘さを悔やむ。
魔王候補は基本自分勝手な性格をしている為、協力関係を結ぶなんてことは決してないと思っていた。それに今感じ取れる〈最低〉〈最速〉〈最大〉の三体の魔王候補は魔物であることから特に凶暴で、平気で街を破壊したり、森一帯を更地にしてしまったりする連中なのだ。彼らが人族の大陸に侵入したとしても、ただ暴れまわるだけでルナの存在に近づくことはないと考えていた。だがそれは誤りであった。彼ら魔王に対しての忠誠心に突き動かされ、集ってしまったのだ。
「おじさん、ごめん。私先に行く……ルナが危ない……ッ」
「レ、レウィア!」
レウィアはそう言うと跳躍し、木々を蹴りながらあっという間に見えなくなってしまった。アレンとシェルはそれを見送った後、困ったように顔を見合わせる。
「ど、どうします? 先生」
「ッ……レウィアの口ぶりでは、村の方に他の魔王候補が居るってことだ……なら俺らも行かないと」
アレンは混乱しながらも何とか少ない情報の中で状況を分析し、今はリーシャ達の身に危機が迫っているのだと推測する。ならば自分達がすべき行動は一つ。彼女達を守ることだ。そう思考を切り替えてアレンは行動に移ろうとする。だがその直後、彼らの前に突然ルギスが吹き飛ばされてきた。
「ぐうッ……!」
「なっ……!?」
「ル、ルギス君!?」
どうやら怪我を負っているらしく、着ている鎧は砕け、所々に焦げた跡が出来ていた。するとルギスは身体を起こし、アレンとシェルの存在に気が付く。
「アレン殿……! それにガーディアン……君まで居たとは……」
「どうした? 何があったんだ?」
アレンとシェルはルギスに近寄り、手を貸す。そして怪我の状態を確認し、シェルは治癒魔法を使おうとした。だがその時、近くから強烈な気配が近づいて来ることに気が付き、思わず動きを止めてしまう。
「敵です……予想以上の力でした。逃げてくださいッ」
ルギスは苦しそうな表情を浮かべながらそう言う。だがその言葉を聞いてもアレンとシェルは動くことが出来なかった。それだけ伝わってくるプレッシャーが強大だったのだ。同時にある方向から先程のルギスのように聖騎士達が吹き飛ばされて来る。他の騎士達も遅れて森の中から現れ、傷を抑えながら苦しそうな表情を浮かべていた。
「だ、団長、無事でしたか……!」
「村の人まで……奴が来ます! 早くここから離れて!!」
何人かの聖騎士達は武器を構えながらアレン達にそう声を掛ける。だが次の瞬間、木々の中から真っ黒な炎が噴き出し、騎士達はそれに包まれて一瞬で灰と化してしまった。生き残っている騎士達も僅かにその炎を浴びてしまったようで、溶けている鎧を大慌てで脱ぎ、その場から離れた。
「ぐぁぁあぁあああああああ!!」
「く、来るぞ……! 全員陣形を整えろ! 団長と村人を守るんだ!!」
騎士達はボロボロになりながらも何とか体制を整えようと各々武器を構える。直後に森の中から轟音が響き渡り、アレン達の下に何かが近づいて来た。
突風が巻き起こる。近くの木々がへし折れんばかりに揺れ動き、大量の葉が舞い散る。そして咆哮と共に、アレン達の前に怪物が舞い降りた。
(何だぁ? また羽虫が増えたのか?)
頭の中に誰かの声が響く。それは深みのある声で、見下したような感情が込められている言葉遣いであった。だがそれを発しているのは周りの木々よりも巨大な生き物で、全身が漆黒の鱗で覆われ、四本の太い足に長い尻尾、視界を埋め尽くす程大きな翼を持つ黒竜であった。
「りゅ、竜……ッ」
「そんな……」
到底予想もしていなかった敵の襲来にアレン達は硬直してしまう。
竜の中でも特に凶暴で、他の竜すらも捕食すると言われる悪魔のような竜。黒竜。対峙しているだけでもその強烈なプレッシャーで押しつぶされそうになってしまう。すると、黒竜はユラリと長い首を動かし、ギロリとアレン達のことを睨みつける。
(我が名は〈最大の魔王候補〉マギラ。そこを退け羽虫共。我は出迎えねばならんお方がおるのだ)
ズンと大きな音を立てて大地を揺らしながらマギラと名乗った黒竜は一歩前へと進む。その衝撃だけでアレン達は倒れそうになってしまい、慌てて姿勢を立て直した。そんな中傷だらけのルギスが立ち上がり、マギラと対峙する。
「この先には、行かせんぞ……貴様にやられた部下達の為にも、ここで倒すッ」
(ハッ、貴様程度に何が出来る? 人族風情が)
ルギスは勇敢にもマギラに挑む。そして手にしていた赤い剣を握り締めると、低く構えを取って力を込めた。
「目覚めろ、〈破天・飛翔剣〉!!」
ルギスが名を呼ぶと同時にその赤い剣、聖剣は真っ赤な光を放ち始める。そしてルギスは身体をグルンと回転させ、聖剣を振るうと赤い斬撃の線を描いた。
「はぁぁぁぁぁああああ!!」
その線は鞭のようにしなり、ルギスが聖剣を振り下ろしたと同時に勢いよくマギラへと向かっていく。だがマギラはその斬撃の線を鋭い牙で噛むと、そのまま引き千切ってしまった。聖剣から光が失われ、ルギスも反動でその場に膝を付いてしまう。
(その程度か?)
「……ッ!」
マギラは愉快そうに笑い、ルギスは自身の奥義とも言える攻撃が簡単に防がれてしまった事実にショックを受ける。そしてマギラは更に絶望を与えようと、大きく息を吸い込み、口から黒々とした炎を揺らめかせた。
(〈魔炎〉)
「ま、まずい……!」
アレンはいち早くその攻撃に気が付き、シェルに目配せをする。するとシェルも頷き、杖を振るって魔法を唱えた。
マギラが暗黒の炎を吐き出すと同時にルギスの目の前に氷の壁が出来上がる。だがその壁は数秒炎を防いだだけで、一瞬で砕け散ってしまった。その時の衝撃でルギスは吹き飛ばされ、慌ててシェルはそれをキャッチする。
「だ、団長……!」
「ル、ルギス君……大丈夫ですかっ?」
「うぐ……ぁ……す、すまない。ガーディアン」
幸いルギスは黒い炎の直撃は避けたらしく、氷が割られた時の衝撃と熱風で傷を負っただけだった。だがその前から既に負傷しており、かなりの疲労が蓄積していたらしく、彼は苦しそうにうめき声を漏らす。
「ここに居てください。治癒魔法を掛けたので、しばらくすれば動けるようになるはずです」
「ッ……だが奴は……」
「大丈夫です。頼りになる先生が付いてますから」
ルギスを傍の木の陰で寝かせ、部下の騎士達に任せてシェルとアレンはマギラと対峙する。するとマギラも二人を次の敵だと認識し、呆れたように深いため息を付いた。
(やれやれ、やはり人族とは脆い生き物だ。脆弱な癖に粋がるから、手が付けられん)
マギラにとって人族は虫に等しい。足で踏めば簡単に肉体は破壊され、軽く吹いた炎だけでその身は塵と化す。現につい先程までマギラは多くの騎士達をその大きな脚で踏み潰し、暗黒の炎で消し去った。そんな脆い生き物など、マギラにとっては取るに足らない命なのだ。
(さて、貴様らも我の行く手を邪魔立てするつもりか? ならば容赦なく、踏み潰す)
ズンと足踏みし、マギラはアレン達の方に身体を向ける。そして首を上げると大きく息を吸い込み、再び暗黒の炎を揺らめかせた。
(〈魔炎〉)
「守れ、大地の壁!」
「命ずる、我が身を包め。氷の調!」
マギラが炎を吐き出したと同時にアレンとシェルは魔法を発動し、目の前に土の壁と氷の壁を形成する。そして炎の流れる方向を変え、何とか受け流した。
「ッ……どうします? 先生?」
「……こうなったら、今村に戻るのは不可能だ。なんとかやり過ごすしかない……!」
「了解です……!」
今の戦力では竜には勝てないとアレンは冷静に分析する。相手は伝説の生き物。普通に戦って勝てるものではない。ならば出来る限り被害が出ないように立ち回り、隙を伺うしかない。それが今のアレンに出来る最善の行動であった。
「我々も戦う。貴方は団長の師だったのでしょう? ならば援護します」
「師って……そんなんじゃ……いや、今は良い。助かる」
ルギスの部下である聖騎士達も立ち上がり、アレンの隣に立って武器を構える。やはり誇り高き騎士なだけあって竜が相手でも怯まず、連携を取ってこの場を切り抜ける気合を見せつけた。アレンもそれを有難く思い、彼らとの連携を考慮しての作戦を考えることにした。
「とにかく散らばってくれ。あの炎で一網打尽にされたら不味い。互いにカバー出来る距離を取って、攻撃を分散させるんだ!」
「承知した……!」
アレンの指示に従い、騎士達も陣形を変える。するとマギラも周りに分散した騎士達を見て苛立ったように口から炎を揺らめかせ、長い尾を振るって攻撃した。騎士達はそれを必死に回避しながらそれぞれ攻撃を試み、なるべく追い込み過ぎないよう慎重に戦う。シェルの氷魔法もある程度通用しているのか、氷の棘で障害物が作られるとマギラは苛立ったように牙を剥き出した。
(ちっ……これだから羽虫は。群れると鬱陶しい事この上ない)
炎で攻撃しようにも散らばって動くせいで狙いが定まらない。いっそ森ごと燃やしてしまっても良いが、今のマギラにはこの近くに居る目標を確保する目的もある為、今は派手に暴れまわれることは控えたかった。
すると、マギラは騎士達の中に居るアレンが目に映る。騎士達に指示を出し、彼を中心に場が動いていることを悟ると、マギラは鋭い牙を光らせて邪悪な笑みを浮かべた。
(貴様が指示を出している羽虫か)
「……!」
ドンと一歩前に踏み出し、それだけでアレンの目の前まで移動するとマギラは口から漆黒の炎を揺らめかせると、そして避ける程大きく口を開くと、蓄えられた炎を一個の塊にして吐き出した。
(消えよ、〈魔炎弾〉)
一点集中型の暗黒の炎がアレンに向けて放たれる。アレンはすぐさま風魔法を放ち、威力を弱めるか軌道をずらそうと抵抗したが、魔王候補の力の前では空しく、全く通用しなかった。
「〈破天・飛翔剣〉、扇ぎ斬り!」
(……ぬぅ?)
その時、アレンの横から赤い斬撃が放たれ、炎の弾に激突するとそのまま上に打ち返した。同時にアレンの隣に赤い聖剣を構えたルギスが現れる。
「くっ……アレン殿、自分も戦います」
「ルギス! 傷は……ッ」
ボロボロでありながらもルギスは剣を掲げ、まだ戦えることを主張する。その身は直撃ではないとは言え、漆黒の炎でダメージを負い、そもそもマギラと遭遇した時からの戦闘でかなり負傷している。見れば脚も僅かに震えており、かなり無理をしていることが伺えた。
「冒険者を引退したアレン殿が戦っているのです。聖騎士の私が戦わないでどうするのですか」
「はぁ……全く、相変わらず真面目な奴だな。だが、心強いよ」
「その言葉はそのまま返しますよ。我が師」
アレンはそんな彼に呆れながらも有難く思い、ルギスも軽く笑みを浮かべる。どこか懐かしい気分になりながら、二人は剣を構えてマギラと対峙した。
(やれやれ、面倒な羽虫共だ。やはり森ごと焼き払った方が手っ取り早そうだな……)
「…………!!」
マギラは戦闘を段々と面倒臭がり始め、さっさと終わらせようと強硬手段に出ようとする。だがその時、草むらの中から数匹の小さなスライムが現れ、木に張り付いて移動しながらマギラへと語りかけた。
「ギギギ……マギラ」
(む、リーゼか。どうした?)
それは最低の魔王候補リーゼの分裂体であり、その存在に気が付いたマギラは首を動かしてスライムからの報告を聞く。
その姿は敵を前にしながら明らかに無防備であり、隙が見えた。だが巨大な竜ということもあって騎士達はそのチャンスを見ても動くことが出来ず、困ったようにその光景を見ていることしか出来なかった。実際アレン自身もどう出るべきか分からず、攻撃したところで致命傷が与えられないことは分かっていた為、様子を伺うことにする。
(ほぅ、そうかそうか。それは喜ばしいことだ)
報告を聞き終えるとマギラは嬉しそうに笑みを浮かべ、愉快そうに尾を地面に叩きつけた。そして翼を広げると、アレン達のことを見下しながら口を開く。
(羽虫共、命拾いしたな。もうここに居る必要はなくなった。精々時の運に感謝するのだな)
マギラはそう言うと先程までの猛攻が嘘だったかのようにあっさりと引き、その場から飛び立つと空へと消え去ってしまった。強風が巻き起こり、アレン達はその場に尻餅を付く。そして乱れた前髪を整えながら空を見上げ、ぽかんと口を明けた。
「なっ……見逃された? 何故……?」
「分かりませんが、とにかく今は急いで村へ戻りましょう。騎士団の人達も怪我が酷いですし……!」
「ッ……そうだな。リーシャとルナも心配だ。行こう」
とにかく危機が去ったのであれば村で何が起こっているのかを確認する為、すぐにでも戻らなければならない。アレンとシェルは立ち上がると、聖騎士団と共に村へと戻った。