164:三体の魔王候補
ルナは冷静に状況を分析する。
目の前のスライムからは不思議と敵意は感じられない。恐らくは〈最低の魔王候補〉リーゼの一部であるはずなのに、そこからはアラクネやフレシアラと対峙した時のような邪悪な気配を感じなかった。そこに違和感を覚えながらも、ルナも今は命の危機はないと判断し、肩の力を抜く。ただしいつでも魔法を使えるよう、体内の魔力はしっかりと集中させて放てるように準備をしておいた。
「……ずっと探していたって、どういう意味……?」
ルナは静かに深呼吸をした後、意を決して質問を投げ掛ける。望んだ答えが返ってくるかは分からないし、そもそも応えてくれるかも分からない。だが向こうから話し掛けて来た以上、意思の疎通を取るつもりはあるのだと判断し、彼女は賭けに出た。すると目の前のスライム、リーゼは身体を歪ませ、口らしき形をした裂けた身体で言葉を発した。
「ソノママノ、イミデス……ワレラマモノニトッテ、〈マオウ〉ハアルジ……オウニシタガウノガ、ツトメ……」
ルナの質問に対して片言ながらリーゼは素直に答える。その態度も礼儀正しく、どこが顔なのかは分からないが、深く頭を下げている姿勢にも見えた。
「……私は人族の世界で育った魔王よ。貴方が望む王じゃないわ」
「オウハオウデス……マモノデアルワタシハ、アナタニシタガウコトコソガホンモウ、ソレガネガイ……」
ルナは自分が魔族の王としてふさわしくない存在であることを主張するが、リーゼはそれを聞き入れない。魔物であるスライムにとって、魔王である時点でそれは絶対的な存在なのだ。ルナはそれを理解し、ならばと思考を切り替える。
「……だったら、命じる。今すぐここから立ち去って。私は平和な暮らしを望んでいるの。貴方がここに居たら、村が騒ぎになっちゃう」
きっとリーゼが抱いているのはクロと同じ、本能的な忠誠心を感じているのだ。ならばそれを逆手に取り、魔王として命令すれば良い。もっとも、そう簡単に話が運ぶのならば苦労はないが。
「モウシワケナガラ、ソレハカナエラレヌネガイ……」
「なんで?」
「アナタサマニハ、ヤクメガアル、マヲスベルオウトシテ、ワレラノウエニ、クンリンセネバナラナイ」
リーゼはルナに魔王の役目を全うするように進言する。
本来魔王は魔族の頂点に君臨し、世界を支配する絶対的な存在。魔物の本能としてリーゼはルナにそれを実行して欲しいのだ。
「オウヨ、オメザメクダサイ。ワレラマモノニハ、アナタガヒツヨウナノデス」
もう一度頭らしき部分を下げ、リーゼはそう願いを伝える。だがルナにとってその申し出は絶対に受け入れられないものであった。故に彼女は悲しそうな表情を浮かべながら口を開く。
「それは……出来ないよ。私はこの村で育ち、色んな種族の人に囲まれて暮らしてきた。今の私にとってここが本当の居場所なの」
ルナは既にこの世界で生きていこうと決めてしまっている。例えそれが茨の道であろうと、例えそれが誰かを不幸にする道だとしても、それ以上にアレンとリーシャの傍に居たいと願ってしまっているのだ。
「私はルナ・ホルダー。言ったでしょう? 私は貴方が望む王じゃない」
ルナは胸に手を当て、リーゼにそう言い放つ。その言葉は魔物であるリーゼを拒絶する言葉であり、今の彼女はこれまでの魔王とは違うということの証明であった。
その答えを聞いた後、リーゼは身体を沈ませ、どこか落ち込むように身体を揺らした。そしてゆっくりと裂けた身体を動かし、再び言葉を発する。
「……ナラバ、フホンイデハアルガ……コチラモ、シュダンヲカエヨウ」
「えっ……?」
その声色は更にカタコトになり、無機質で、冷たいものに変わっていた。目の前のスライムの形も尖った形状に変わっていき、大きさも少しずつ大きくなっていく。
「アナタノセカイヲコワシテ、ツクリナオス……ソウスレバ、アナタノカンガエモ、カワルデショウ」
拒むのであれば、強制してしまえば良い。他の道を選ぼうとするのならば、その道を塞いでしまえば良い。知能があるとは言え、根本的には魔物であるリーゼはそう強硬手段に出る。
「ソノタメニ〈ワレワレ〉ハアツマッタノダ」
「……!?」
スライムの身体が裂け、歪に広がっていく。そして次の瞬間、その緑色の液体はルナへと飛び掛った。
◇
「んー、中々見つからないなぁ」
一方、家の外にある倉庫でリーシャは救急箱を探し続けていた。だが倉庫の中は暗く、中々お目当ての物は見つからず、彼女は困ったように辺りを見渡し、肩を落として息を吐き出した。
「ちぇー、こんな時魔法とかが使えれば明るくして探し易いのに」
一度倉庫から出ると服に付いた埃を払い、リーシャはない物ねだりを呟く。だがどれだけ望んでもそれが叶うことはない為、早々に諦めて気持ちを切り替えた。
その時、ふとリーシャは妙な違和感を覚える。それは家の中と、外。中からはルナの気配が僅かに小さくなり、外からはどこか遠くから強い気配が近づいてくるのを感じ取る。
「ッ……--ルナ?」
それに気が付いた瞬間、リーシャは慌てて腰にある聖剣に手を添え、家の中に戻ろうとする。だがその動きよりも早く遠くから近づいて来る気配が強まり、リーシャは反射的に剣を引き抜いて防御の体勢を取った。
「----くっ!?」
「…………!」
その直後に構えた聖剣に強い衝撃が伝わり、リーシャの身体にも痛みが走る。そのまま彼女の小さな身体は吹き飛ばされてしまい、家から大分離れたところまで飛ばされてしまった。
そのまま彼女は森の中に入ってしまい、樹木を蹴って体勢を立て直すと地面に着地した。するとそんな彼女の前に、一羽の巨大な鳥が現れる。
「鳥……! 魔物……!?」
「…………」
それは鎧のように硬く真っ黒な見た目をした巨大な鳥であった。リーシャはその見たこともない魔物に驚愕し、魔物から感じ取れる強力なプレッシャーに思わず怯んでしまった。恐らくこれは、ただの魔物ではない。彼女は本能的にそれを理解する。すると漆黒の鳥はそれを察したかのように、鋭い嘴を開いた。
「我が名は〈最速の魔王候補〉クロガラス……貴様が勇者だな?」
「……!?」
魔物が言葉を発したことにも驚き、更には魔王候補と名乗ったことにリーシャは衝撃を受ける。思わず彼女の指先が振るえ、構えている聖剣を落としそうになってしまった。
(正体が知られている……な、何で? それに魔王候補って……スライムのやつだけじゃなかったの? まさかもう、こっちのことが向こうに知られて……!?)
何故自分が勇者であることを知っているのか、何故この場所が分かったのか。もしやら魔王候補が集まり、魔王のルナと勇者の自分を狙って現れたのか。そんな疑問がリーシャの頭の中で次々と浮かんでくる。だが今はそんなことを気にしている場合ではない。そんな余裕がない程、目の前の魔物、クロガラスからは強烈な殺気が放たれているのだ。
「今日をもって我らが王、魔王様は返していただく」
「ッ……そんなこと、させない!!」
どうやら敵の目的は魔王であるルナを攫うことらしい。ならば自分がやるべきことは一つ。リーシャはそう意識を切り替え、聖剣を構えなおした。同時にクロガラスも翼を広げ、威嚇の体勢を取る。
「ならば尋常に、勝負」
「----!」
次の瞬間クロガラスの姿が目の前から消える。リーシャはそれを必死に目で追い、木々の合間を移動しながらこちらに向かってくるクロガラスに対応しようと動き続けた。
「〈闇喰らう刺突〉」
「……あぐっ!?」
だがクロガラスの漆黒の身体が影のように揺らめいた瞬間、突如リーシャの真横に現れ、鋭い嘴で腕を傷つけられる。リーシャはギリギリ避けることで何とか致命傷を免れることが出来たが、動揺から額に冷や汗が浮かんでいた。
(は、速い……!? 木々が密集した森の中なのに、あんな動きで向かってくるなんて……)
クロガラスは再び影となって姿を消し、全く別の場所に現れる。
どうやらあれがクロガラスの力らしい。ルナの闇魔法で操る影と似たような性質なのだろう。リーシャは忌々しそうに唇を噛み締め、聖剣を構えなおした。
「他愛ないな。勇者。我らが王の宿敵でありながら、まだ未熟」
「……ッ!」
すぐ背後からクロガラスの声が聞こえ、リーシャは反射的に聖剣を後ろに振り払う。だがそこにはクロガラスの姿はなく、影だけが揺らめいて宙に残っていた。次の瞬間、リーシャの身体に衝撃が走る。見ればクロガラスの鋭い脚で身体を掴まれており、その針のような爪が肩に食い込んでいた。
「うっ……あぁ!?」
「空を飛んだことはあるか?」
「……!!」
そのままリーシャは拘束されてしまい、クロガラスは空へと飛び立つ。反撃しようにも肩を強く掴まれているせいで腕を振り上げることが出来ず、リーシャは上空まで連れ去れてしまった。冷たい風が肌を襲い、リーシャは突然景色が変わったことで眩暈を覚える。
「なっ……ぁ」
上空から見える村や森はとても小さく、とてつもない疎外感を覚えさせる光景であった。耳からは鋭い風が突き抜ける音だけが聞こえ、他の音を一切拾うことが出来ない。すると、クロガラスの食い込んでいた爪が僅かに緩む。
「さらばだ」
次の瞬間クロガラスは何の躊躇いもなくリーシャを離し、空中へと放り出す。当然重力の影響を受けてリーシャは落下していき、冷風に包まれながら地面へと近づいていった。
(こ、このままじゃ……! 危険だけど、やるしかない!)
地面に落下するのを防ぐ為、リーシャは聖剣を握りなおして力を込める。するとその純白の刀身が光り輝き始めた。
「力を解放して、王殺し!」
リーシャが叫ぶと同時に聖剣はそれに応えるように光の刃へと変わる。そしてリーシャは空中で何とか身体を捻り、上空に向かって刃を振るった。
「くら、ぇぇぇえええええええええ!!」
「なにっ……!?」
光の刃が斬撃となってクロガラスへと向かい、更にリーシャは剣を振るい続けて地面にも斬撃を放つ。それは丁度大きな三日月形の光の斬撃となり、その空間一帯に大きな衝撃波を放った。
「ぐ、ぬぅう……!!」
光の斬撃で切り裂かれ、クロガラスの鎧のような羽に僅かだが傷が出来る。その衝撃でクロガラスもバランスを崩してしまい、下降してしまった。
一方で地面に巨大な衝撃波を放ったリーシャはその反動で僅かに落下の速度が緩み、木々にぶつかりながら何とか衝撃を和らげて地面へと着地した。
「くっ……はぁ……はぁ……」
だがそれでもかなりのダメージを負っており、リーシャの脚は小刻みに震えていた。肩の部分の服は破け、そこからは血も流れている。
「二度と、空は飛びたくない……」
弱々しく笑いながらリーシャは無理やり身体を起こし、追撃に警戒しながら聖剣を構える。すると丁度クロガラスもリーシャの目線の先に現れ、翼を大きく動かしてその場に浮遊する。
「なるほど、多少はやるようだな。機転も利く。戦闘経験も少ないはずなのに、柔軟な頭をしている」
「それは、どーもありがと」
リーシャの対応力を見てクロガラスは多少認識を改め、彼女に対しての警戒心を高める。それを見てリーシャも手に力を込め、僅かにクロガラスから距離を取った。
「だが無駄なことだ。魔王様は我らが必ず奪還する。貴様らが何をしたところで、それらは全て塵に等しい行為である」
クロガラスの羽が鋭く伸び、まるで剣のように形となる。その状態で突撃でもされれば、リーシャの小さな身体はあっという間に切り刻まれてしまうだろう。だが彼女は恐れることなく、ダンと地面を蹴って自身を鼓舞した。
「……何で、私達を見つけられたの? 手掛かりなんてなかったはず……どうしてここが分かったの?」
「私が気づいたのではない。同類である〈最低の魔王候補〉リーゼが身体を散らして、この大陸中で魔王様を探していたのだ」
リーシャが試しに尋ねてみると、存外クロガラスは素直に答えてくれた。魔物ではあるがやたら人らしい仕草が目立つ為、礼儀正しい性格なのだろう。何にせよ情報を聞き出せるならば困ることは一切ない。リーシャは出来るだけ状況を理解する為にもクロガラスが発する言葉を一つも漏らさず頭に詰め込んだ。
「そしてフレシアラの消失を感じ取り、この地域を重点的に探すようになった。その結果遂に見つけ……〈我々〉が招集されたのだ」
クロガラスの些細な言葉にリーシャはピクリと反応する。答えを聞くことは出来たが、そこには決して無視することの出来ない単語が混ざっていたのだ。
「わ、我々って……」
「言っただろう? 貴様らが何をしても無駄だ。魔王様を奪還することは既に決定している」
リーシャの肌に遠くからまた別の強い気配を感じ取る。それは家の中から感じた妙な気配とも違い、かと言ってクロガラスから感じた強い殺意とも違う、要領を掴みづらい気配であった。
「今この場には〈最低〉〈最速〉〈最大〉の魔王候補が集まっている。この場一帯を塵にすることなど、我々にとって造作もないのだ」
魔王候補が群れることは決してない。各々が王になることを望んでいる中、例外がない限り協力関係は結ばないのだ。だがその例外が、今回彼らには適用してしまった。
魔物である彼らは、本能に従い、真の王を望む。
リーシャは絶望の表情を浮かべ、クロガラスは漆黒の翼を広げる。辺りに剣のように鋭い羽が舞い、その場が闇で覆われた。
コミカライズ化、決定いたしました!
詳しくは活動報告を見て頂ければ!