17:冒険者との出会い
草木の間から僅かに日が差し込むが深い森の中で一人の女性が走っていた。革の服の上から簡易的な鎧を身に纏い、真っ赤な長い髪を一部だけおさげにして垂らした美しい女性。そんな彼女は額から汗を流し、焦りの表情を浮かべながら走っていた。
「はぁ……! はぁ……!」
肩で息を切らしながら木の根を飛び越え、足場の悪い道を走り続けながら女性はふと後ろを振り返る。そこには何も居ないが、彼女は背後から迫り来る脅威を感じ取っていた。視線を前に戻し、女性は必死に走り続ける。
(しくじった……まさかこの森にこんな上級の魔物が徘徊してるなんて……!)
忌々しそうに舌打ちをしながら女性は心の中でそう毒を吐く。
炎のように真っ赤な髪が乱れ、前髪が目に掛かる。それをうっとおしそうに払いながら彼女は腰にある剣に手を添えた。
今回は探索が目的だった為、装備は戦闘用の物ではない。この剣一本だけでは少々心もとないが、いざとなればこれで戦うしかない。女性はそう心の中で覚悟を決めた時、突如横の草むらが大きく揺れ動いた。
「グルルル!!」
「……ッ!」
女性が気付いた時には遅く、立ち止まろうとした瞬間に草むらから巨大な影が飛び出した。
豚のような醜い顔に、人型の屈強な身体、腰には革の布が巻かれており、その皮膚は分厚く焦げた緑色をしている。野良オーク。
通常オークは魔族に分類される種族なのだが、中には言葉も話さず、獣と同じように獰猛な種族がいる。それらを野良オークと言い、ギルドでは魔物として分類されていた。
魔物と分類されているだけあって野良オークの凶暴性は高い。特に人間を積極的に狙って行く性質がある為、森の中で出会ったりすれば相当面倒な目に遭うのは確実だった。
「くっ……オーク!」
「グォォオオオオオオ!!」
現れたオークを見て不愉快そうな感情を言葉に含みながら女性は腰の鞘から剣を引き抜いた。白く美しい剣が光り輝く。しかし殆ど理性のないオークはそれを見ても一切動じなかった。女性は両手で剣を持ち、構えを取る。
先に動き出したのはオークだった。近くにあった岩を持ち上げてそれを女性へと投げつける。自分よりも倍はある岩に押しつぶされれば当然ひとたまりもない為、女性は慌てて飛んで来た岩を回避した。
岩が地面に激突してズンと重々しい音が響き渡る。その直後に女性は駆け出し、オークとすれ違いざまに足を切り裂いた。オークの足から黒々とした血が噴き出した。だが、浅い。
(硬い……! 今の装備じゃこのオークには勝てない……!)
巨大な腕を振り回して来るオークから距離を取り、女性は乱れた前髪を払って小さく息を吐いた。
オークの皮膚は分厚くて硬い。とても今の細身の剣では骨まで達しないだろう。特にこのオークはかなり大きく、気性も荒い。今の自分では勝つ事は難しいと女性は冷静に判断した。
しかし簡単にはオークは逃がしてくれなかった。気づいた時には女性の前にオークが迫っており、そのブクブクに太い腕を振り下ろしていた。女性はあっと間抜けな声を漏らす。視界が真っ暗に覆われ、明確な死のヴィジョンを感じ取る。死が近づく。----だが、次の女性の視界に映ったのは突如現れた黄金の少女が可憐にオークを切り払っている光景だった。
「グィァァアアアア!!?」
「----ほっ!」
まだ幼いその少女は子供とは思えない身のこなしでオークと渡り合う。自分よりも何倍も大きいオークを前にしても何も恐れた素振りを見せず、その黄金の瞳を輝かせながら剣を振るった。
「う~ん、見ない魔物ね。よそ者かな」
「グゥォォァアアアア!!」
突然現れた少女に邪魔をされた事にオークは腹を立て、雄たけびを上げながら岩を持ち上げて少女に投げつけた。しかし少女は華麗にそれを避け、更に自らオークへと近づいて行った。オークの股を通り抜け、背後へ回ると一瞬で剣を払う。オークは悲鳴を上げた。
「よそ者ならちゃんとウチの妹に挨拶しなさい!」
「グォァアアアアア!!」
余裕の笑みを浮かべながら少女はそう言って更に剣を振るう。
剣はさして上等な物という訳ではない。だが少女の鋭く研ぎ澄まされた一撃一撃によってオークの身体は少しずつ傷ついていき、着実にダメージを増やしていった。オークも動きが鈍くなり、少女はその隙を突いて一気にとどめを刺した。
「ゴバァァァっ……!?」
決着は一瞬だった。気づいた時にはオークは地面に伏せており、少女はあれだけの激しい戦いをしたというのに一切の息切れをせず剣に付いた血を払い、鞘に戻していた。
乱れた金色の髪を整え、少女は何事もなかったかのように腕を伸ばした。赤髪の女性はその光景をぽかんと口を開けてただ呆然と見つめていた。
「なっ……え……?」
女性は呆気に取られていた。一体何が起こったのか?自分よりも圧倒的な年下な女の子がオークを倒したという状況が理解出来ず、混乱していた。
野良オークは強力な魔物として知られている魔物だ。その実力はケンタウロスと並ぶ程厄介な相手である。故にこんな子供が勝てる相手の訳ではない。出来たとしても騎士の元で育てられた子や、英雄の子、可能性は低いが勇者であればまだ納得が出来るだろう。それくらいのレベルなのである。
(こ、こんな子供がオークを……な、なんて子なの……!)
赤髪の女性は未だに手を震わせながら今起こった出来事を信じられずにいた。だが現に自分のこの目で見た為、受け入れるしかない。
別に前例がない訳ではない。ギルドで老齢の冒険者は子供の頃から冒険者のような生活を送り、竜と戦ったという者も居る。そういう前例があるのならばこんな可愛らしい女の子がオークを倒すのだって理解出来る。女性はそうやって無理やり自分を納得させた。
すると少女も思い出したように女性の方に視線を向け、ニコリと微笑みかけた。
「あ、大丈夫だった?お姉さん」
「え、あ……え、ええ。助けてくれて有難う。強いのね、貴方」
あれだけの強さを見せつけながらも少女は子供らしい可愛らしい仕草でそう心配して来た。
その仕草は子供らしい雰囲気なのだが、何となく先程の戦いでそのギャップを感じてしまい、戸惑った表情を浮かべながら女性は応えた。
「お姉さん冒険者?その恰好からして西の村の人じゃないよね?」
「ええ。私はナターシャ。王都のギルドに所属してる冒険者よ。貴方は?」
少女はこの辺りに住んでいる子なのか、そう質問をして来た。女性は隠し立てする必要もないので自分の身の上を述べ、名を明かした。そして少女の名を尋ねると、彼女は金色の髪を靡かせながらニコリと笑みを浮かべた。
「私はリーシャ。この山の奥にある村に住んでるの」
金髪の少女リーシャはそう言って名を明かす。鞘に収めた剣を地面に付いてクルクルと回しながら後ろの方を指さす。その方向に村があるのだろう。ナターシャはこの辺りに村があった事に少し意外そうな表情を浮かべた。
「リーシャちゃんか。凄いわね。まだ子供なのにオークを倒すだなんて……」
「父さんに鍛えられてるからね~。まぁまだ全然敵わないけど」
やはり彼女は父親に鍛えられてあそこまでの実力を持っていたらしい。という事は親はかなり凄腕の実力者なのだろうとナターシャは予測した。まだ子供なのにオークを倒せるという事は歴戦の冒険者、ひょっとしたら王都でも名を馳せた人物なのかも知れない。だがそこで疑問も上がる。そんな人物が何故こんな辺境の村に住んでいるのかと。
「へ~、そうなんだ。お父さんは凄い人なの?」
「そうだよ! 私よりももっともっと強くて、いっつも手も足も出ないの。魔法も使えるし何でも出来るんだ」
「それは……凄いわね」
両手を握り絞めながらキラキラとした瞳で言って来るリーシャにナターシャは少しだけ後ろに下がった。どうやらリーシャはかなり父親の事を慕っているらしい。だがこれで分かった。やはりリーシャの父親は相当な実力者なのだと。
子供とは言えオークを倒す程のリーシャが敵わないとなると、まずその時点で剣術の腕も高いのだと推測出来る。そして魔法も使えるというのはかなり器用という事だ。
剣と魔法を両立して使いこなす事は決して難しい訳ではないが、冒険者でもそれを行う人は少ない。結局中途半端な形で終わってしまう為、どちらかを特化する為に片方を捨てる。精々絆創膏代わりの治癒魔法を一年掛けて覚えるくらいだ。
「お姉さんは何しにこの山に?この辺は私が住んでる村と魔物しか居ないよ?」
一瞬リーシャはナターシャの事を見極めるような鋭い視線を向ける。しかしナターシャはその視線には気が付かなかった。戻しておいた剣の柄にトンと手を乗せ、一度咳払いをする。
「私はギルドの依頼でこの辺りを調査しに来たの。最近街で凶悪な魔物が現れてね。それを追ってるのよ」
ナターシャの事を聞いてリーシャは僅かに反応を見せた。
凶悪な魔物。それはリーシャが今気にしている存在でもある。先程までの明るい雰囲気を残しつつも、その黄金の瞳はナターシャの事をしっかりと見据えていた。
「その凶悪な魔物って……この辺に居るの?」
「それは分からないわ。幾つかの街を襲われて、ギルドはたくさんの冒険者に調査任務を出してるの。私もその一人」
そう言ってナターシャは自分の事を指さす。リーシャはふぅんと相槌を打った。
最近現れたこの魔物は幾つかの街を襲撃しており、冒険者達の手に余っていた。本格的に討伐するには魔物の生息場所を探る必要もある為、ギルドはまず調査任務を冒険者達に与えたのだ。
「リーシャちゃんもこの山に住んでるなら何か知らないかな?魔物達の様子がおかしいとかない?」
「う~ん。私、本当は一人で森を歩いちゃいけないって父さんに言われてるから、実はこっそり出て来てるんだよね。だからあまり分からないかなぁ」
ナターシャの質問に頭を掻きながらリーシャはバツの悪そうな表情を浮かべて答える。
リーシャはまだ子供だ。その為、いくら実力があると言ってもリーシャはまだ一人で外に出てはいけないと注意されていた。しかしリーシャの好奇心をそれだけで抑える事は出来ず、彼女はこうしてこっそりと森の中を出歩いていた。一応ちゃんと武器は持っている為、それなりの注意は払っている。それでも父親がもしこの事を知れば卒倒してしまいそうなものだ。
「そっか。それじゃぁ私はもう行くわ。リーシャちゃんもいくら強いからと言って無理しちゃ駄目だからね?」
「うん! お姉さんも気を付けて!」
この辺りの調査はこれ以上無駄だと判断したナターシャは調査地を変える事にし、リーシャにそう伝えた。彼女もニコリと満面の笑みを浮かべて手を振る。
それからナターシャは森の中を歩き続け、山のふもとまで下りて来た。彼女は先程出会った妖精のように可愛らしいリーシャの事を思い出し、ふむと口元に手を当てて考えた。
(リーシャちゃんか……本当に子供とは思えない程強い子だったな。きっと将来英雄クラスの剣士になるわね)
今回出会った少女は本当に強かった。子供の小さな身体からは考えられない程の速さと力でオークを圧倒してみせた。特にあの剣技。彼女は力だけではなく立派な剣術でオークの攻撃をいなしていた。
「そう言えばあの剣術……どこかで見た事あるような気が」
ふと足を止めてナターシャは自分が下って来た道を振り返り、そう言葉を呟く。
あの時リーシャが見せた剣術にどこか覚えがある。その昔、自分がまだ新米冒険者だった頃、あの剣術を見た気がしたのだ。
ナターシャは自身の古い記憶を探り始める。あの剣術を見た時どこか懐かしい気がした。その違和感の正体をどうしても解明したい。額に指を当て、目を瞑ってうーんと唸って考え続ける。そしてパチリと目を開き、ナターシャはあと声を漏らした。
「アレンさん……?」
ポツリとナターシャは懐かしい人の名前を呟く。
アレン・ホルダー。かつて〈万能の冒険者〉として王都で有名だった冒険者。剣、槍、斧と言った様々な武器を使いこなし、魔法すらも火属性や水属性といった複数の属性魔法を使いこなす。
その異常な器用さから万能の称号を授かった伝説の冒険者であり、人に物を教えるのが得意な事で何人もの新米冒険者がアレンに指導をしてもらっていた。ナターシャもその一人だ。自分が冒険者になったばかりの時、右も左も分からなかったあの頃はアレンによく世話になっていた。
アレンは皆よりも歳上でベテランの冒険者だった事から教官的な立ち位置でもあったのだ。そんな彼が使っていた剣術にリーシャの剣術は似ていた。
(どうしてリーシャちゃんの剣術がアレンさんのと似てるの?……確かアレンさんはもう冒険者を引退して、それ以来消息は分かっていないはず……)
目を細めながらナターシャは考えを巡らせる。
別に剣術が似ているなどただの偶然かも知れない。アレンだってたくさんの冒険者に技を教えて来た為、その内の一人がリーシャに教えている可能性だってある。だがあの剣術はあまりにもアレンの剣術に似過ぎていた。そこがナターシャの引っ掛かる部分だった。
あり得るのだろうか?あれ程の実力を持っていたアレンが隠居するとは思えない。それにまだ辞めた時の彼は三十代後半だったはずだ。退職した後も何かしらの職に就くはずである。少なくともナターシャはそう考えていた。
ある事情でアレンは冒険者をやめる事になってしまったが、彼の実力を考えれば傭兵や他の仕事に就いても十分やっていけるはずなのだ。これまで引退した冒険者だって戦いから一線は退いてもその経験を活かした仕事に就いている者も居る。。故にナターシャはわざわざこんな田舎にアレンが居るとは思えなかった。
(きっと、偶然よね……)
ナターシャは結局ただの偶然だと判断し、それ以降リーシャの事を気にする事はなかった。
視線を前に戻し、ナターシャは再び歩き始める。とにかく今の自分の任務は魔物の調査。それが第一優先。ナターシャは自身の目的が何なのかを改めて再確認し、歩みを進めた。