158:彼女が生まれた日
アレンの家の食卓では、何とも言い難い空気が流れていた。
テーブルを四人で囲み、食事を取っている人物達。だがそのメンバーはいつもとは違い、アレン、リーシャ、ルナ、そして魔族の少女であるレウィアであった。
アレンとレウィアが隣り合わせに座り、その前にはリーシャとルナが居る。四人は別段空気が悪いという訳でもなく、静かに食事を取っている。だがその間に会話はなく、静かなのが落ち着かないリーシャはそわそわしている様子だった。やがて、その空気に耐えられなくなったのか、アレンが口を開く。
「どうだ? レウィア。料理は口に合うか?」
「うん。とっても美味しいよ」
「そうかそうか。そりゃ良かった」
料理の感想を口にするレウィアの顔は僅かに口元が緩んでおり、本当に美味しいと感じていることが分かる。その反応を見てアレンも安堵し、嬉しそうに笑顔になった。
「ところで、大魔術師のお姉さんは?」
「シェルなら今村長の家に行ってるよ。用事があるんだと」
「ふーん、そう……」
ふとシェルのことを訪ね、今は家に居ないということを知るとレウィアは特に気にした素振りも見せず、スープを口にする。
二人は最初に出会った時から壮絶な戦いをしている為、シェルは若干レウィアに苦手意識を持っている。そもそも得体の知れない魔族の為、信用出来ないのだろう。故にこの場にシェルが居なくて都合が良かったかもしれない。
「……むぅ」
「…………」
比較的アレンがレウィアと会話出来ているのに対して、向かい側の席に座っているリーシャとルナの顔は険しかった。
ルナは自分の出自について尋ねたいが、もしかしたら目の前に居るレウィアが自分の姉かも知れないと思うと、尻込みしてしまって話題を振ることが出来ない。リーシャの方も、そんなルナに遠慮して自分から会話の切っ掛けを作り出せずに居た。
(どうしよう……レウィアさんに聞きたいことがあるのに、どう切り出せば良いか分からない)
ルナは困ったように視線を泳がし、僅かに俯くと視線を悟られないようにチラリとレウィアのことを見た。
確かに自分と似た顔立ちをしているかもしれない。だがそれは言われて気づく程度で、単に似ているだけと言ってしまえばそれまで。血の繋がりがあるかどうかまでは判別出来ない。やはり、直接聞くしかないのだ。
だが結局勇気を出すことが出来ず、ルナは黙ったままだった。それから食事も終わり、いつも通りリーシャとルナは食器を下げていく。まだ勝手が分からないレウィアはその真似をすると、次は何をしたら良いか分からず、とりあえず椅子に座っていた。その様子を見ていい加減リーシャは我慢出来なくなり、自分から話しかけることにした。
「あのさ、レウィアさんは今回もアラクネの時みたいに、フレシアラを追いかけてこっちの大陸に来たの?」
台所からひょこっと顔を出しながらリーシャはレウィアにそう質問する。意外なところからの質問にレウィアはちょっと驚いた素振りを見せたが、特に動揺することもなく静かに口を開いた。
「うん、そうだよ。大方の目的はね。ただ他にも理由はある」
「えっ、何? それって」
てっきり以前のように問題を起こした魔王候補の対処する為にレウィアがやって来たのだとリーシャは思っていたが、どうやら他にも理由があったらしい。当然その内容が気になり、リーシャの隣に立っているルナも、台所で片付けをしているアレンもレウィアの方を向く。
「……今魔族の国はまた面倒くさいことになっててね。アラクネが暴れて以来、他の魔王候補も規律を破り始めたんだ。そのせいで様々な大陸に侵攻してるの」
レウィアは少しだけ不愉快そうに目を細める。彼女は基本無表情で感情を表に出そうとはしないが、自分が良い感情を持たないことに対してはそれなりに態度に表れていた。
「だから私は今、その魔王候補達を止める為にこの大陸に来てる」
要するに目的は以前と同じであるが、今回はその規模が違うということ。
規律を破った魔王候補達が他の大陸で好き勝手している為、レウィアはその尻ぬぐいをしているのだ。もっとも、彼女は他の魔王候補達を手助けしようとしているのではなく、始末しようとしているのだが。
「え……じゃぁひょっとして、まだこの大陸に魔王候補が居るかも知れないの?」
「うん、多分ね。前回の騒動でフレシアラともう一人が人族の大陸に来てたから、その時に色々準備をしてたんだと思う。だからあと一人は潜んでいる可能性がある」
まだ魔王候補が居るかも知れないという事実にリーシャは驚き、ルナもショックを受けた。
実際今回のフレシアラは偶然発見することが出来ただけで、発見するまでの間多くの冒険者や偶々遺跡を訪れた者が犠牲となってしまった。さらにはかつての英雄であるレクスまでもが、魔王候補の操り人形にされてしまったのだ。彼らにはそれだけの力があり、そして人知れず策を巡らせる戦略を持っている。中にはアラクネのようにあまりの影響力から何が起こってるのか分からず、ただ被害だけが広がっていく場合がある。言わば魔王候補は天災。それがまた、起こってしまうかもしれない。
「なら俺達の前に現れた時レウィアがボロボロだったのは……?」
「そう、そのもう一人の奴と戦ってたの。情けないことに逃がしちゃったけどね……だから急遽魔力の反応が現れたフレシアラの方に駆け付けたの」
やはりレウィアがボロボロで魔力も尽きかけていたのは長い間戦いを継続していたかららしい。自分と同等の力を持つ魔王候補と戦い、更にそのままフレシアラの封印も行う。そんな凄まじい量の戦いをこなせば当然身体は悲鳴を上げるはずだ。アレンは改めてレウィアの凄さを実感し、同時にこの小さな身体がバラバラに砕けないだろうかと不安に思ってしまった。
「本当は魔王候補同士は戦っちゃいけないんだけどね。でももう魔族の規律はないに等しいから、関係ない」
レウィアは人差し指を口元に当てながらそう付け足す。
彼女の場合他の大陸に移動することと、魔王候補同士の戦闘という二つの規律を破っていることになるが、もはや暗黒大陸では規律が機能していない為、特に気にする必要はないらしい。
「そうなると……あー、魔王候補ってあと何人居るんだ? レウィア」
「私を除いて、アラクネとフレシアラを封印したから、あと七人」
「うぇー、全然多いじゃん。あんなのがまだまだ居るのー?」
アレンがレウィアに残りの人数を尋ね、その答えを聞くとリーシャはげんなりとした表情を浮かべた。
何せ一人一人が魔王だとしても謙遜ない実力を持っている。言わば敵にルナが居るようなものだ。リーシャからすればそんな高い実力を持つ者を七人も相手にしなければならない為、かなり気が滅入る情報であった。
「そう。だからなるべく急がなくちゃならない」
どこから取り出したのか、いつの間にか手にしていた黒剣をそっと指でなぞりながらレウィアはそう言葉を続ける。
「彼らが風の吹き回しで徒党を組む前に……彼らが仲間同士で争っているうちに、一人ずつ、一人ずつ確実に始末しなくちゃならない」
今の魔王候補達はただ好き勝手に暴れているだけの為、まだどうにかなるレベルで収まっている。中には他の大陸に進出する口実が出来た為、単に外の世界を見たいが為に規律を破っている魔王候補も居るのだ。つまり、まだ彼らは長い間禁じられていた遊びをようやく許され、自由にそれを満喫している状態。まだその段階ならば、レウィアが付け入る隙があるのである。だが一度彼らの目的が支配、侵略へと移り変われば、全ての大陸は瞬く間に火の大地へと変貌してしまうだろう。その前にレウィアは行動しなければならない。
「だから私は、明日にはもうここを発つね。おじさん達のおかげで大分体力も回復したし、お世話になりました。ありがとう」
黒剣を下げ、レウィアはそう言うと律儀に頭を下げてお礼を言った。
既に彼女はこの村で何日も休息の為に時間を費やしてしまった。その間にも世界では魔王候補達が侵略を行っているのである。その分を取り返す為にも早急に動こうと彼女は考えた。だが、それを制止する者が居た。
「ま、待って……!」
一歩前に踏み出し、ルナがそう声を掛ける。その声は普段のルナよりも大きく、レウィアも驚いて彼女の方を向く。
「あのっ……教えてほしいことがあるんです……私の、出自について」
震える拳を握りしめ、小さな勇気を振り絞って、とうとうルナは気になっていたことを口にする。レウィアも薄々は尋ねられると思っていた為、いよいよルナが真実を聞き出そうとしていることに若干の不安を覚えた。自らに作り出していた壁にヒビが入るような感覚、それと同時に恐怖が滲みだしてくる。
「レウィアさんは、知ってるんでしょう? 私の母親のこと……フレシアラが言っていた、セレーネ・アルティって人のことを……それにもしかしたら、貴女は……」
「……ッ」
ルナはもっとも重要なことを聞き出そうとするが、その先の言葉が出てこなった。口をもごもごと動かし、どうやっても声が出てこないことに自分でも驚いた表情を浮かべる。するとそこで、助け舟を出すようにアレンが口を開いた。
「セレーネのことについては、俺も知りたい。俺はかつてセレネって言う魔族の少女と友人だった。もしかしたらそれが、そのセレーネと同一人物かも知れないんだ」
「……!」
思わぬ問いかけに今度はレウィアが驚いた表情を浮かべる。その反応はいつもよりも大きく、彼女は目を見開いて信じられないような態度を取っていた。だがしばらくアレンの顔を見つめた後、いつもの表情に戻って何かに納得するように頷いていた。
「そっか……おじさんが、セレーネ母さんの言っていた友達だったんだ……だから母さんは……」
レウィアはそう呟きながらどこか嬉しそうにアレンのことを改めて見る。そして覚悟を決めたようにコホンと咳払いすると、話を続けた。
「……分かった。話すよ。ルナが知りたいこと、おじさんが聞きたいこと、ちゃんとね。……でも、私も全てを知っている訳じゃない。それを承知しておいて」
ようやくずっと知りたかったことが聞けると分かり、ルナは表情を明るくする。当然リーシャとアレンも気になっていた為、改めて椅子に座って話を聞く姿勢になった。
「まず、おじさんの言っているセレネは間違いなくセレーネ・アルティのことだと思う。あの人は昔人族の大陸に行ってたから、時期も一致する……」
人族の大陸に好んで行く魔族など一人しか居ない。それにセレーネは自分の名前が少し長いことからセレネという愛称を好んでいた。間違いなく、同一人物であろう。
「そして彼女の今の名前はセレーネ・アルティ・ルーラー……ルーラーは今の暗黒大陸で唯一〈魔王〉の血を引く一族の名前……そして私の名前も、レウィア・ウル・ルーラー」
「……! それって……」
レウィアは自分の胸元に手を当てながら真の名を明かす。それは忌むべき名であり、レウィア自身は毛嫌いしていた。だが同時に、それがセレーネとの繋がりでもある為、複雑な表情を浮かべる。
一方で聡明なルナはその苗字を聞いただけで何を意味しているか悟り、目を見開いて驚愕する。その反応を見てレウィアは申し訳なさそうに俯いた。
「私は貴女の異母姉ということ……ルナ。隠していてごめん」
「……ッ!!」
それはルナにとって望んでいた答えであるはずだった。だが湧き上がる感情は喜びでも嫌悪でもなく、戸惑い。どう反応すれば良いのか分からず、ルナはただポカンと口を開けた状態になってしまう。
「何も知らせない方が良いと思ったの。元々セレーネ母さんもそのつもりだったし、予定外のことが幾つか起こったから、こんな風になっちゃっただけで……」
魔王であることを告げても、セレーネはルナに負担を掛けると思っていた。ただでさえ人族の大陸に預けるのだから、余計なことは伏せた方が良い、魔王などという肩書きに縛られないで生きて欲しい、と願ったのだ。
「でも勘違いしないで。セレーネ母さんはいつもルナのことを大切に思ってた。決して見捨てた訳じゃない。森に置き去りにしちゃったのも、追手が居たからだって……」
「……!」
レウィアも当時は子供だった為、事件の詳細は人づでに聞いただけであった。故にどんな状況だったのかを事細かに知っている訳ではないが、それでもセレーネがルナのことを大切に思っていたことだけは必至に伝えようとした。それから、レウィアはセレーネのことについて説明し始める。
「セレーネ母さんはとても優しい人だった。魔族の中でも珍しいくらい他者を思いやり、仲間を大切にする人だった」
基本、魔族は仲間意識が薄い。強さだけを追い求める彼らは、周りの魔族など自身の踏み台、もしくは敵としか思っていない。もちろん普通の感性を持つ魔族も居るが、そういった者達は強い魔族の犠牲となってしまう。セレーネはそんな犠牲になってしまう魔族達の味方でもあった。
「だからルナが魔王であると分かった時、ルナを人族の大陸に隠そうと決めたの。おじさんの住んでた、亜種族が集まる村に」
レウィアはそう言うと一度言葉を止め、辛そうな表情を浮かべる。その時の記憶は彼女にとって辛い何かあるのか、これ以上喋りたくなさそうだった。だがルナに聞かれてしまったのならばもう途中で止めることは出来ない。全てを隠すことはもう出来ないのだ。
「なら、セレネ……そのセレーネは今どこに居るんだ? 魔族の国に居るのか?」
「…………」
アレンは肝心のセレーネの所在について問いただす。
セレネがセレーネであることは分かった。そして彼女がルナの母親であることも。ならばまだ魔族の国か、または昔のように人族の街に隠れ潜んでいるかも知れない。そう思ったのだ。だがレウィアは暗い表情を浮かべ、首を左右に振った。
「セレーネ母さんは、今は行方不明扱いになってる。ルナを人族の大陸に連れていく日に、戦いがあったらしい。その時に姿を消したの」
「……なっ!」
予想外の答えにアレンは驚愕する。あの自由奔放で何者にも縛られないはずの彼女が、行方不明。その事実はあまりにも現実味がなく、アレンには信じることが出来なかった。だがレウィアの態度を見れば、それが本当なのだと受け入れるしかなく、悲しそうに拳を握りしめる。
「これがルナに言わなかったもう一つの理由。せめて手がかりが掴めてから、改めて教えようと思って……」
レウィアは本当に残念そうに項垂れた。ルナもまだ顔を見たこともない自身の母親が行方不明であることに、多少のショックを受けていた。元々居ない存在に感情を抱くことは難しいが、それでもレウィアが悲しんでいる様子を見て自分まで寂しい気持ちになったのだ。
「だからルナ、貴女は希望なの。セレーネ母さんは、魔族の国の平和と、貴女のことを思って人族の大陸へと隠した。その結果、アレンおじさんに拾われて、予想外過ぎるけど勇者とも家族になって、普通の生活を手に入れた」
おもむろにレウィアは立ち上がり、椅子に座っているルナの前に腰を下ろして視線を合わせる。そして彼女の小さな手を取ると、そっと優しく握りしめた。
「しかも、ルナの父親はセレーネ母さんの友人……きっとこれが、母さんの願っていたことなんだよ……だからお願い。ルナはこのまま、平和に過ごして」
恐らくセレーネは、かつての友人であるアレンにルナを育ててほしかったのだ。もちろんアレンが故郷に帰っている保証はないし、別の家庭が出来ていたかもしれない、だがそれでも、友人の村で、アレンが育った村でルナも平穏に育ってほしいと、願っていたはず。レウィアはそう感じていた。故に彼女は改めて願う。ルナの平穏を。
「それが私の、姉としての、たった一つの願い」
その日、普段無表情で寡黙という言葉が似合うレウィアの表情は、今にも泣き出しそうなくらい弱弱しいものであった。そんな姉の顔を見てしまえば、ルナも頷くしかなく、彼女はそれ以上何も言えなかった。