151:セレーネ・アルティ
アレンは明確に敵と分かるフレシアラと操られているレクスを警戒しながら後ろに下がり、シェル達と合流する。幸いフレシアラは何か考え事をしているようで攻撃しようとはせず、レクスもその場で待機させていた。その間にルナも影を操ってアレン達の元まで下り、全員が集合する。
「それでリーシャ、これはどういう状況なんだ?」
炎の剣を構えたままアレンは隣に居るリーシャにそう尋ねる。
まずは現状確認。誰が敵で、誰が味方で、自分達がどのようば状況になっているのかを確認する必要がある。
「ああ、えっと、そのー……あれが妖精王で、あれが魔王候補のフレシアラで、で、あの男の人が百年前の勇者の仲間だったレクスって人で……」
リーシャは周りに居る人物達を指差しながらそう説明するが、こんな状況では詳細に伝える暇がない為、どう説明するべきかと悩んでしまう。そんな彼女にアレンはとりあえず簡単な説明だけを求め、リーシャもそれに応じて出来る限り簡潔に纏めた説明をした。
「なるほど……また、〈魔王候補〉か」
あらかたの説明を聞いたアレンは自分達の前に居るフレシアラに改めて視線を向ける。
彼女は美しい容姿をしているがその身体は巨大な蔓と一体化するように蔓が絡まっており、手足は真っ黒に染まり、異様な雰囲気を漂わせている。何より首筋辺りから広がっている荊の模様が薄気味悪い。アラクネの時と同じ、異質な存在だ。
おまけに巨人族の牢獄に仕掛けられていた魔法を書き換える程の魔力を持ち、かつて英雄であったレクスを操る力まで持っている。簡単に言えば強敵過ぎる。リーシャの正体も知られているようなので、かなり分は悪いだろう。だがアレンにはもう一つ気がかりなことがあった。
(この感覚……気のせいか? 昔どこかで、覚えがあるような)
アレンはフレシアラと対峙した際、妙な感覚を抱いていた。植物の這う音と、花の蜜のようなほのかに甘い匂い。それを昔、どこかで経験したことがある気がするのだ。薄暗い屋敷の通路を走っている時に。
「貴方まさか、アレン・ホルダー?」
「……!!」
不意にアレンは自分の名前を呼ばれて驚く。名乗った覚えはないし、会った覚えもない。それなのにフレシアラはまるで知っていたかのようにアレンの名を言い当てて見せたのだ。リーシャやルナも驚き、思わずアレンの方を向く。
「その雰囲気……そうよね。フフッ、まさかあの時の坊やがこんなおじさんになっちゃうなんてね。人族の成長は早くて恐ろしいわ……」
何かを確かめるように自身の顔に手を当て、フレシアラはうんうんと頷く。その視線がまるで突き刺さるようにアレンには気味悪く、身体を縛られるような感覚を覚えた。
次にフレシアラはルナの方へと視線を向ける。相変わらず彼女は信じられなさそうに目を細め、不可解そうな表情を浮かべながら言葉を続ける。
「それで、そっちの子は? この魔力、それにその容姿……まさか、セレーネ・アルティの娘? つまりあの噂の〈消えた魔王〉?」
魔王ということまで簡単に見透かされ、アレンは言葉が出なくなってしまった。
このフレシアラという女は全てを知っているのではないか、と恐ろしさを抱いてしまう。その未知の恐怖からアレンは自分の指先が自然と震えていることに気が付いた。
「お前は……何を言っている? 何故、俺のことを知っている?」
顔を上げ、何とか炎の剣を構えたままかろうじてそう尋ねる。するとフレシアラはその質問がおかしかったのか、ぱっと口を開けて愉快そうに笑みを浮かべた。
「あらぁ? セレーネから聞いてなかったの? それともまさか、セレーネの名前すら聞いてもピンと来ない?」
挑発するように長い指を動かし、フレシアラはそう言って顔を傾ける。アレンはまだ言葉の意味が分からず、黙ったままだった。否、本当は分かりたくないのかも知れない。
「フフフ、なら、教えてあげるわ」
アレンの様子を見て何かを悟り、フレシアラは巨大な蔓を動かして床へと降りる。そしてアレンと同じ目線に立って口を開いた。
「貴方の親を殺した仇、ケイン・ベンジャーは私の玩具だったのよ。なのにあの夜、屋敷で貴方とセレーネ、後他数人だったかしら? が、全てをめちゃくちゃにした。私の玩具を壊し、貴方は復讐を達成した」
ケイン・ベンジャーはアレンの育ての親であるレドを殺した張本人。昔のアレンはその仇を見つける為に王都へと訪れ、ずっと探していた。そのことはまだ子供達にも話しておらず、案の定リーシャとルナはフレシアラの言葉を聞いて衝撃を受けていた。
「私は忘れていないわよ。あの日セレーネには身体の一部を奪われたからね。まぁ、再生出来るから構わないけれど。心が痛かったわぁ。何せ玩具も壊されて、私は子供達も食べ損ねたんだから」
悔しそうに拳を握り締め、長い舌を垂らしながらフレシアラはそんな恐ろしいことを言う。同時に後ろに生えている巨大な蔓が枝分かれし、まるで意思を持った生き物のように怪しく蠢いた。
「知ってるぅ? 幼い子供ってとても美味しいのよ。まだ力もないからお腹の中で溶けていっても全然抵抗しなくて、最後までゆっくりと味わえるの!」
何重にも絡まっていた蔓の中から大きな蕾が現れる。それがゆっくりと開くと、その花弁には歪な牙が何本も映えており、怪物の口と化していた。そしてフレシアラが喋るのと同時に花弁も動き、意思を持っているように振舞う。
その姿を見てアレンはようやく理解した。ただの冒険者であったケインが魔武器を持っていた理由、子供達が攫われていた訳、その答えは全て、フレシアラに繋がっていたのだ。
「お前が……お前が、あの時の……魔武器を提供していた黒幕か……!」
アレンはようやく怒りを露わにし、恐怖しか抱いていなかったフレシアラに対して敵意を向ける。
何せ目の前に居る女は自分の育ての親を殺されたことと間接的に関わっているのだ。ケインはあくまでもフレシアラの駒に過ぎなかった。彼女の力があったからこそ、ケインは吸血鬼狩りを行っていたのだ。
「フフフフフフ……ハハハハハハハハハハハハ!! ようやく思い出してくれたぁ? アレン・ホルダー! もうセレーネが誰のことか分かったでしょう? 人族のフリをして、貴方達と友達ごっこをしていた哀れで可愛そうで愛おしい子! セレーネ・アルティ!!」
セレーネ・アルティとは、恐らくセレネのこと。当時アレンと共に戦った冒険者の女性。魔族ということを隠して人族の街に住み、違う文化に興味を持っていた。いつも笑顔を見せる明るい女性で、アレンの記憶の中でも印象深く残っている。
彼女は最後、前触れもなく冒険者を辞め、仲間の前から姿を消してしまった。中には彼女を心配して探す者も居たが、当然見つけることは出来なかった。アレンだけが知っている。彼女は故郷へ帰ったのだと。それからもう二度と会うことはないだろうと思い、アレンもセレネのことを探そうとはしなかった。
「その様子じゃ彼女が国に戻ってからのことは何も知らないようね! ということは貴方はただの遊びだったのかしら! 本当の名前すら教えてもらっていなかったんでしょう? アハハハハハハ!!」
それが間違いだったのだろうか、過ちだったのだろうか、フレシアラはまるで責めるようにアレンに言葉をぶつける。それは何故かアレンの胸を締め付け、嫌な汗が流れ始める。
「お、お父さん……? あの人、何のこと言ってるの?」
「ッ……ルナ」
ふと服の裾を掴まれ、アレンは後ろを向く。そこには心配そうな表情を浮かべてこちらを見て来るルナの姿があった。そのまん丸の瞳は困惑しているように揺れ、もう片方の手を胸の前できゅっと握り締めている。
その容姿はセレネと似ていると言えば似ている。綺麗な黒い髪も、漆黒の瞳も、彼女と共通している点だ。性格はあまり似ていないが、それでも意識すればセレネの面影が見てとれる。
本当に、そうなのか? とアレンは心の中で思う。
「あらぁ、ルナって呼ばれてるのぉ? 良い名前じゃない。お母さんも喜びそうね」
ふとフレシアラはそんなことを言い、先程までの怪物のような気配を消し、優しい声色でルナに話しかけて来た。それを見てルナは怖がるようにアレンの背後に隠れる。するとフレシアラはパチリと指を鳴らし、背後にあった数本の蔓を操ってルナへと放った。
「----ッ!」
「ルナ!」
瞬時にアレンが飛び出して炎の剣を振るい、蔓を斬り払う。だがその内の一本は荊で、鋭い棘がルナの包帯が撒かれている手に掠った。すると魔王の紋章を隠していた包帯が解けてしまう。それを見てフレシアラは満足そうに頷いた。
「やっぱり、魔王なのね。フフフフフ、ハハハハハハハ。これで分かったわ。あの噂は本当だった!」
確証を得てフレシアラは自身の頬に人差し指と中指を当てる。そして選別するように目を細め、ルナとリーシャのことを見つめる。そして最後にアレンのことを見ると、口元を怪しく歪ませた。
「それにしても、あの女の娘を貴方が育ててたなんてねぇ……本人は分かっていなかったみたいだけれど、これは偶然なのかしら? それとも……」
フレシアラは何かを考えるようにそう独り言を呟く。唸り声を上げているレクスも下げさせ、完全に油断しているようであった。
アレンは手にしている炎の剣を強く握り締める。混乱することが多いが、今は目の前の敵をどうにかすることが最優先だ。そう気持ちを切り替え、ごちゃごちゃしていた頭の中をスッキリさせる。そして冷静に作戦を考えようとしたその時、突如フレシアラが指を鳴らした。
「無粋な真似はやめなさい。妖精王」
「グゥ……ッ!!?」
その瞬間巨大な蔓が蠢き、その背後に居た妖精王を縛り上げる。どうやらいつの間にかフレシアラ達の背後に回っていたらしい。近くに居たアレン達ですら気付かなかった為、驚きの表情を浮かべる。
「王ともあろう者が不意打ちだなんて誇りがないわねぇ。それとも所詮は小汚いピクシー共の長ってことかしら」
「かはっ……ぐぁぁッ!」
縛られている妖精王を見てフレシアラは滑稽そうに笑い、彼を乏しめる言葉を掛ける。そしておもむろに指を動かして蔓を操ると、妖精王を更にきつく縛り上げた。
「勇者と魔王が一緒に居るのは貴方の策略? 違うわよね……フフッ、どうでも良い事か。何にせよ、この状況は私にとって美味しいわ」
縛られて抵抗出来ない妖精王を見た後、フレシアラは視線をアレンの方へと返す。その顔は歪で、最初の頃のような美しさが消えていた。何故なら、首筋から広がっている荊の模様が更に広がっていたのだ。
「勇者と魔王、両方殺してしまえば誰も私にたてつかないわよねぇ? 私が真の魔王となったら、誰も逆らわないわよねぇ?」
フレシアラの背後にある巨大な蔓が、歪な呻き声を上げる。花弁を口のように動かし、鋭い牙が怪しく光った。そしてフレシアラの身体からも荊が生え、まるでドレスのようにそれを纏いながら荊を周囲に広げていく。
「じゃぁ、二人共死んで頂戴」
荊の模様で黒く染まった顔のままニッタリと笑みを浮かべ、フレシアラは優しくそう語り掛けて来る。
次の瞬間、隣に居たレクスは咆哮を上げ、巨大な蔓も威嚇するように蔓を床に打ち付けた。
「ウルゥゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
レクスは獣のように荒々しい声を上げながら漆黒の槍を振り抜く。それは不可思議な軌道を描きながらアレン達へと向かって来た。アレンはそれに反応し切れず、対処が遅れる。
「……ッ!!」
「先生!」
素早くシェルが反応し、杖を回して氷の壁を展開した。漆黒の槍はその壁に弾かれるが、繋がっている蔓によってすぐにレクスの手元へと戻って行った。
更にフレシアラの攻撃はそれだけで終わらず、巨大な蔓も動き出した。蛇のようにうねりながらアレン達へと襲い掛かり、床に激突して辺りを破壊していく。
「うわわぁ!?」
「皆、下がれ!!」
流石にこれだけ巨大な植物が相手ではリーシャ達も対処しきれず、アレンに言われた通り一度距離を取る。その間にも巨大な蔓は地面を潜っていき、牢獄内を激しく振動させた。
「私がこの牢獄で育てた愛しい花よ。訪れた人族の血肉を糧にその子は成長し、強く育った。貴方達に倒せるかしらねぇ?」
どうやらこの植物はフレシアラが作り出したものらしく、ただ操っている小さな蔓とは違うらしい。
意思を持ち、フレシアラの命令に従い、獲物を仕留める獣なのだ。するとアレン達の立っている床に亀裂が走る。それはどんどん広がっていき、更に床全体が大きく揺れ動いた。
「なっ……ぁ!!?」
次の瞬間アレン達は宙を舞っていた。見ると巨大な蔓が床から突き出ており、そのまま伸びていくと天井を破壊し、牢獄内を次々と破壊していった。辺りには瓦礫が舞い散り、アレンは床に激突すると転がって痛そうに腰を抑える。
「う、ぐ……」
「父さん、大丈夫!」
吹き飛ばされても瞬時に受け身を取ったリーシャはすぐさまアレンの傍へと駆け寄る。ルナとシェルもかろうじて床に着地し、心配そうにアレンの元に集まった。
「ああ、平気だ……それよりも、これは不味いな」
アレンはリーシャの手を借りながら起き上がり、付加魔法が消えてしまった短剣を持ち直す。そしておもむろに天井を見上げると、眩しそうに目を細めた。何故ならそこから、光が差していたからだ。
「遺跡が、崩壊していく」
薄暗い牢獄の中に次々と光が差していく。それはつまり、天井が崩落しているということだ。アレンはただ、牢獄が崩壊していく様を呆然と見上げていることしか出来なかった。