150:毒入りの実
「ぐあああぁぁぁッ……!!」
拘束されているレクスの口から悲鳴が上がった。見れば彼の身体には植物の蔓が侵入し、そこから入れ墨のように真っ黒な蔓の模様が広がっていた。フレシアラはその様子は満足そうに見つめ、自身の口元を指でそっと撫でる。
「貴様は……魔族か……!」
「ええそうよ。そして貴方を目覚めさせた者。感謝して欲しいわね。封印で苦しんでいる貴方を解放してあげたんだから」
「だがその代わり……僕に殺戮を命じた!」
レクスは蔓に浸食されながらも何とか力を振り絞り、フレシアラに不満をぶつけた。
勝手に解放し、遺跡に訪れる侵入者の殺戮を命じ、己の人形のように操った。そんなことをされれば当然良い気分ではない。何より、かつては英雄と称えられたレクスからすれば忌むべき魔族の傀儡になっていたことが何よりも屈辱だった。だがそんな不満をぶつけられてもフレシアラは悪びれる素振りもなく、愉快そうに笑みを零す。
「ウフフ、いやぁねぇ。破壊を望んでいたのは貴方自身じゃない。私はあくまでもその背中を押して上げただけよ」
フレシアラはまるで自分に非はないとでも言うように振舞う。全てはレクス自身が望んだこと、と逆に責める。その間にも植物の蔓はレクスに浸食し、彼の身体に蔓の模様が広がっていった。
「それが私の〈愛〉。皆が抱く悲哀、憎悪、絶望、それらを愛し、大事に育む」
腕を広げ、フレシアラは誇るようにそう言う。自身の胸元に手を当て、優し気な表情を浮かべる。その瞳には濁りがなく、本当に愛を抱いている者の姿であった。だがその愛は、あまりにも異質過ぎる。
「この牢獄に掛けられていた魔法もちょっとばかし弄らせてもらったわ。私と相性が良かったからね。普通は混乱するだけのところを、不満が溜まって敵意が芽生えるようにしたの」
本来巨人族の牢獄に掛けられている魔法もあくまで侵入者を奥に進ませない為の抑止力であり、同士討ちが起きる程強力な魔法ではなかった。だがフレシアラがこの牢獄を復活させた際、牢獄全体に掛けられている魔法を弄り、更に強力で恐ろしいものへと変化させたのである。
その言葉を聞いて呆然と見ているだけだったシェルと妖精王も衝撃を受ける。魔法の上書きは相当な技術を必要とする。内容を変に弄るよりも、掛けられている魔法を消してから新しい魔法を掛ける方が楽なくらい負担の多い作業なのだ。
それなのにフレシアラは全く苦労した様子もなく、魔法を弄ったと公言する。つまり相当な魔力を有しているということである。それこそが〈魔王候補〉。文字通り魔王の候補であり、魔王であったとしてもおかしくない実力を持っているのだ。
現にシェルと妖精王はフレシアラから感じられる魔力と強烈なプレッシャーから動けずに居た。少しでも変な動きをすればあの巨大な蔓で拘束されることが分かっていたからだ。だがそんな中、一人だけ走り出す者が居た。
「……ッ!」
「しっ……----!!」
反射的にフレシアラは自身の背後の植物の蔓を密集させる。次の瞬間風を切る音と共に蔓が斬り裂かれた。見ればそこには聖剣を振り抜くリーシャの姿があり、彼女は目的の物を斬れなかったことに舌打ちをすると、近くの蔓を蹴って地面へと着地した。
「あらあら、勇者っていうのは随分と忙しない生き物のようね。いきなり首を取りに来るなんて、愛がないわぁ」
「愛だか何だか知らないけど、貴女は敵。それさえ分かってれば他のことなんて知らない」
リーシャはフレシアラの方に聖剣を突き付け、睨みつけるように視線を向ける。既に彼女の中でフレシアラは排除すべき敵として認識されており、自分が勇者であるということが知られた以上、このまま逃がす訳にはいかなかった。故に迅速に、一秒でも早く対処しなければならないのだ。
何よりリーシャが心配しているのはルナの存在。魔王である彼女のことが魔王候補のフレシアラに知られれば、またアラクネの時のように厄介なこととなる。それだけは何としても防がなくてはならない。
ーー選ばれし者よ。無理は禁物だ。今のお主の力ではあ奴には……。
「黙ってて。私はまだ戦える」
頭の中から聖剣の制止の声が聞こえて来るが、リーシャはそれを無視する。
今のリーシャは万全な状態とは言えない。既に切り札である王殺しを使ってしまい、身体に負担が掛かっている。休息もなしにそこから魔王候補などという規格外の敵と戦えば、当然勝敗がどうなるのかは分かり切ったことだ。だがリーシャは止まらない。引くようなことはしない。目の前に倒すべき敵が現れたのならば、どんな手を使ってでも討たなくてはならないのだから。
「フフフ、勇者のお相手をするのも良いけれど、せっかく先代勇者のお仲間であるレクスが居るんだから、面白い状況にしてあげるわ」
フレシアラは巨大な蔓を動かしてリーシャから距離を取る。そして拘束しているレクスの近くに寄ると、彼の頬を愛おしそうに優しく撫でた。すると彼の身体に広がっている蔓の模様が全身に行き渡る。
「あぐっ……何を……ぐぅぅぁあああ!?」
レクスの悲痛の叫び声が上がる。リーシャはすぐにそれを止めようと跳躍しようとしたが、その前に無数の蔓が邪魔をし、フレシアラ達に近づくことが出来なかった。するとレクスは完全に歪な蔓の模様に覆われてしまい、身体に浸食していた蔓が離れる。そこにはもう、かつて英雄であった青年の姿はなかった。
「さぁレクス。貴方の愛した〈勇者〉を殺しなさい。それを乗り越えた時、貴方は真に解放されるわ」
「グゥゥ……ヌゥウァアアッ!!!」
それはまるで獣のように獰猛で、目は赤く光り、稲妻のように閃光を放っている。蔓の模様に覆われた身体はさながら怪物のようで、レクスが腕を振るうと模様だった黒の蔓が浮かび上がり、鋭い槍の形に変化すると彼の手の中に収まった。
「レ、レクス……!?」
「あの姿は一体……!?」
まるで鎧の怪物に戻ったようにレクスから鋭い殺気が放たれ、彼は獣のように咆哮を上げる。リーシャは何とかレクスを正気に戻そうと語り掛けるが、返答はなかった。代わりにリーシャの真横に漆黒の槍が通り抜ける。
「……ッ!!」
「今の彼に僕達の声は聞こえていない! あの女に操られているんだ!」
槍の柄の部分からは蔓が伸びており、それがレクスの身体にある蔓の模様と繋がっている。そのまま引っ張ると漆黒の槍は引き戻り、再び彼の手に収まった。そしてレクスは咆哮を上げると、今度は天井に向かって槍を投げる。その槍は天井の暗闇に届くくらい高くまで飛んでいき、やがて見えなくなった。だが次の瞬間、無数の何かが飛来する音が聞こえて来る。それは無数の棘に変化した槍が落ちて来る音であった。
「なっ……!?」
「リーシャちゃん、下がって!」
それを見た瞬間シェルは素早くリーシャの前に立ち、杖を振るう。すると彼女達の前に巨大な氷の壁が広がり、無数の棘からの攻撃を防いだ。だが棘は弾かれると一瞬で槍へと姿を戻し、すぐにレクスの元へと戻っていく。
「今のは危なかった。有難う、シェルさん」
「ううん、良いのよ。でも、何て攻撃なの……」
変化自在な上に投げてもすぐに手元へと戻って来る漆黒の槍。恐らくはフレシアラの力でそのような性質を備えているのだろう。その力がレクスの力量と相まって想像以上に厄介なものとなっている。言うなれば近づく暇もなく連続で範囲攻撃を放たれ続けるのだ。これには流石のリーシャも攻略法が分からず、唇を噛みしめた。
(ウフフフ、ここには養分を取るついでで寄っただけなのだけれども、思わぬ収穫ね。まさか勇者と出会えちゃうなんて……)
その光景を少し離れた場所の蔓の上からフレシアラは眺める。
元々彼女は別の目的があってこの牢獄へと訪れていた。だが撒いていた餌が思わぬ大物を引き寄せてくれた。この予想外の機会に彼女の口元は自然と緩んでしまう。
(ただ、一つ気になるのは下層の方から感じられる魔力ね。恐らく勇者と行動をしていた者達……でもこれは、片方の魔力は魔族?)
ふとフレシアラは牢獄の下層から感じられる二つの魔力へと意識を向ける。
彼女も牢獄の全てを監視していた訳ではなく、あくまでも根を張って様子を見ていただけ。故にリーシャが勇者であることにもすぐ気付けなかった。フレシアラは自身で動くタイプではなく、傀儡を操って高みの見物をする性格なのだ。
だがそんな彼女にも一つ気になっているのが、自身と同じ魔族特有の魔力を持っている存在。最初は気付かなかったが、放っていた蔓と戦っていく度にその魔力は濃くなっていき、気付くことが出来なかった。恐らく補助魔法などを掛けて魔力を隠しているのだろう。
(まぁ良いわ。どちらにせよここで勇者を始末すれば、魔王の座は私の物。精々楽しませて頂戴)
フレシアラは一度思考を切り、意識をリーシャ達の方へと向ける。
別に人族の大陸に同胞が紛れ込んでいたところで不思議ではない。中にはそういった変わり者も居る。それに勇者のリーシャと行動していたというのならば、どちらにせよ敵なのだ。排除すれば問題ない。そう考えを纏めて、彼女はレクス達の戦いを愉しむことにした。
「ウルゥゥァアアアアアア!!」
人の声とは思えないような咆哮を上げてレクスが体勢を変える。そして獣が威嚇行動をとる様に身体を前のめりにし、手と一体化するように持っている漆黒の槍を構える。すると槍が形を変え、より歪に、鋸のように棘のある巨大な槍へと変化した。レクスはその槍を大きく振りかぶり、床に向かって振り下ろす。
「ルガァアアアアアアアアアア!!!」
「なっ……!?」
槍が床に直撃した瞬間、槍を形成している蔓が床全体へと浸食し、通路全体を破壊し始める。リーシャ達が立っていた場所にもあっという間に蔓が浸食し、亀裂が入ると同時に崩壊した。足場がなくなったリーシャとシェルが落下し、妖精王も落下してくる瓦礫に巻き込まれる。
「うわぁぁぁ!?」
「……ッ! リーシャちゃん!」
落下しながらシェルはリーシャの腕を掴み、素早く杖を振るって氷魔法を発動する。空中に氷の道を形成し、それを足場にして滑り落ちて行った。やがて先程の通路とは違う広い空間に落下し、リーシャとシェルは無事に着地する。妖精王も何とか瓦礫から逃れ、羽を動かして宙に浮遊した。
「あら、広いところへ出たわね。ここならレクスも存分に戦えそう」
「このっ……!」
フレシアラも巨大な蔓の上に乗りながらその空間へと移動して来る。それを見てリーシャは聖剣を握り締め、勢いよく走り出すと跳躍してフレシアラに剣を振るう。だがその間にレクスが割り込む、漆黒の槍でリーシャの聖剣を弾き返してみせた。
「……くっ!」
その衝撃でリーシャの軽い身体は簡単に吹き飛ばされてしまい、空中で一回転すると彼女はシェルの隣に着地し、剣を握り締めていた片手を離して痛そうに息を吹きかけた。
「レクス……! 操られていても強い。それどころかさっきよりも……」
フレシアラの傍に仕えるように立っているレクスを見つめ、リーシャは苦しそうに表情を歪ませる。
聖槍を失い、鎧がなくなってもなおレクスの実力は衰えていない。むしろ身軽になり、変化自在の槍を操ることで鎧の怪物の時よりも更に戦いにくくなっている。
するとリーシャは蔓の上で高みの見物をしているフレシアラの方へと視線を向ける。
「ずるいよ! 自分は見ているだけでレクスだけに戦わせるなんて!」
「フフフ、それが私の戦い方よ。それに見ているだけじゃないわ。応援もしているのよ。ほら」
リーシャが聖剣を突き付けながら不満を訴えると、フレシアラはふざけるように手を振ってレクスのことを応援する態度を取ってみせた。それが癪に触り、リーシャは益々苛立ちを覚える。
「うう、あいつふざけてる……!」
「リーシャちゃん、構っちゃ駄目よ。まずはレクスさんをどうにかしよう」
落ち着きを取り戻すようにリーシャに注意をしながらシェルは杖を構え直し、レクス達と対峙する。
今はまず目の前の敵を倒さなければならない。でなければ倒れるのは自分達の方だからだ。
「でも、どうやって?」
「……妖精王様、何か良い策はありませんか?」
有効な策が思いつかないシェルは妖精王に助けを求める。妖精の王である彼ならば何か良い案があるのではないかと期待を込めて尋ねたのだ。だが妖精王は渋い顔をし、弱々しく笑った。
「はっきり言って、厳しいね。単身で竜を倒したこともあるレクスに、僕の力を上回る魔王候補。どちらも強敵過ぎる」
妖精王からすればレクスとフレシアラはどちらも強敵過ぎる。そもそも彼は戦いに向いた種族ではないし、このような建物内では本来の力も発揮出来ない。状況から見れば追い詰められているのは間違いなく自分の方であった。そんな妖精王に対してリーシャは冷ややかな視線を送る。
「ホント役に立たないね。今回の妖精王は」
「うっ……返す言葉もないよ」
棘のある言葉に妖精王は悲しそうに項垂れ、羽を萎ませる。
その間にレクスは槍を掲げ、螺旋上の複雑な形状へと変化させていた。そしてそれを構えると、リーシャ達に向けて投げ抜く。
「……! 来るよ!!」
放たれた漆黒の槍は砲弾のような轟音を響かせ、リーシャ達へと飛んでいく。警戒していたシェルはすぐさま足元から氷を展開し、何重もの氷の壁で防御しようとする。だが壁は紙屑のように簡単に破られてしまい、最後の氷の壁も無残に破壊される。それを見たリーシャは今度は自分が前に立ち、刃に黄金の輝きを纏わせると漆黒の槍に衝撃波をぶつけた。
「はぁあああああああ!!」
渾身の力を込め、リーシャは思い切り聖剣を振り抜く。すると衝撃波に飲み込まれて漆黒の槍は弾かれ、宙を舞った。何とか敵の攻撃を受け流せたことにリーシャは安堵する。だが次の瞬間、漆黒の槍が柄から伸びている蔓に引き寄せられ、レクスの手へと戻っていた。そしてそのレクスは、シェルの目の前まで接近していた。
「シェルさん!」
「なっ……」
あまりにも一瞬の出来事。シェルもまさか追撃があるとは思わず、反応が遅れる。リーシャも最大の一撃を弾き返したばかりで手に痛みが走り、聖剣を握り締めることが出来ない。
「まずは一番弱そうな奴から、ね」
「ウルゥゥアアアアアア!!」
フレシアラは満足げに笑みを浮かべ、レクスはそれに応えるように咆哮を上げて漆黒の槍を突く。
矛先がシェルの額に向かっていく。リーシャにはそれがゆっくりと見え、十分に対処する方法を考えられる冷静さもあった。だがだからこそ残酷に分かってしまう。ここからでは間に合わない。今からでは間に合わない。その絶望に、心の中で悲鳴を上げる。
「……ッ!!」
だが鮮血が飛び散ることはなく、肉を貫く音も響かない。見るとシェルの前に蜘蛛の巣のように影が広がり、漆黒の槍を防いでいた。
「えっ……」
「シェルさん、大丈夫!?」
ふと上の方から見知った声が聞こえて来る。シェル達が頭上を見ると、そこには壁に穴が開き、そこから顔を出して闇魔法を使っているルナの姿があった。どうやら先程の崩壊で開いていた穴に偶々ルナ達が歩いている通路があったようだ。
「ぉぉぉぉおおおりゃぁッ!!」
更に男の声が天井から聞こえて来ると、アレンが落下を利用して勢いよくレクスに炎の剣を振り下ろしていた。だがレクスはすぐさま影から槍を引き戻し、斬撃を防いで後方へと下がる。
アレンはそれを見て追い打ちを掛けるようなことはせず、床に着地して警戒するように炎の剣を構えた。それから周りの状況を確認し、声を掛ける。
「皆、無事か!?」
「父さん!!」
「先生……!」
信頼する父親であるアレンが現れたことにリーシャは歓喜の声を上げる。シェルもアレンが現れたことにほっと安堵の息を吐き、つい表情が緩んでしまった。
「なんか随分と面倒臭そうなことになっているな。知らない奴が増えてるぞ」
アレンは抱き着いて来るリーシャの頭を撫でながら周囲の人物を観察する。彼からすれば妖精王の容姿も知らない上、魔王候補のフレシアラと英雄のレクスまで居るのだ。頭が混乱して当然であった。だがそんな状況の中、もっとも衝撃を受けていたのはフレシアラであった。
「あ、あれは……」
だが彼女が驚いたのは突然現れたアレンにではない。その視線は上の方、壁の穴から顔を覗かせているルナを見て衝撃を受けていた。
何故ならばフレシアラにとって、ルナの容姿は無視することの出来ない見た目をしていたのだ。
「セレーネ……?」
ふとアレンの耳に聞き覚えのあるものと似た名前が聞こえて来る。声の主を探してみれば、その言葉を発したのはフレシアラであった。だがアレンからすれば見知らぬ怪しい女性がルナを見て何故そんなことを言うのか分からなかった。
何より彼女は、まるで死人でも見たかのように信じられなさそうにルナのことを見ている。
再び魔王と魔王候補が相まみえる。最愛が齎すのは甘い果実か、はたまた毒入りの実か。