149:最愛の魔王候補
「ッ……」
リーシャは僅かに唇を噛み、自身の利き腕を抑える。痛むわけではないが、痺れたような感覚が走り、一瞬思い通りに動かなくなってしまったのだ。
ーー無理をするな。あの奥義はまだ幼いお主には過酷な技。まだ一日に一度が限界だ
「分かってるよ」
聖剣からも注意の言葉が飛んでくる。リーシャはそれに頷きながら痺れが消えた利き腕を離し、後ろを振り返る。そこには歪な鎧が散らばり、その中心には一人の青年が倒れていた。死んでいるのか、気絶しているだけなのかは分からないが、動き出す様子はない。心なしか先程までの怪物のような恐ろしい雰囲気も消えていた。
すると後ろからもシェルが走り寄って来た。危険がないことを確認した後、リーシャのことを心配そうに見る。
「リーシャちゃん、さっきの技はなに!? 凄い威力だったけれど」
「うん、必殺技。ちょっと前に聖剣から教えてもらったんだ」
シェルの質問にリーシャは鞘に納めている聖剣を見せながら自慢げに答える。
渓谷の街での事件を経て彼女は聖剣王殺しの真の力を操れるようになった。かつては光の斬撃を放つだけだった能力が、あらゆる力を刃として解き放つ力へと変わったのだ。
そしてリーシャは更なる強敵が現れても太刀打ち出来るよう、形勢を一発で逆転出来る切り札を望んだ。その答えが奥義である〈王殺し〉。リーシャが身に着けた他者の力を全て聖剣に込め、死を纏わせた刃で敵を討つ究極の奥義。どんなに恐ろしい怪物で、どれだけ巨大な城でも、ただ無情にも斬り裂いてしまう単純な技である。
「凄いね……そんな奥義まで覚えちゃうなんて。流石リーシャちゃん」
「まだ何回も使えないんだけどねー。結構体力使っちゃうから」
当然ながらそれだけ強力な奥義ならば欠点もある。身に着けた力を全て聖剣に込める為、発動した後はかなりの体力を消費してしまうのだ。更に彼女はまだ子供の身体である為、あれ程の威力に耐えられない。反動で身体の一部に負荷が掛かってしまうのだ。
故に聖剣は何度も使える奥義ではないと警告し、一日に一度しか使ってはならないと制限を設けたのだ。リーシャも初めて奥義を使った時はしばらく倒れている羽目になった為、素直にそれを聞き入れることにした。制限はあれど必ず一度は使える奥義。強力な切り札であることには変わりない。
一方で先程のリーシャが奥義を使用した姿を見ていた妖精王は言葉を失っていた。通路の床に脚を付き、目を見開いてリーシャのことを見つめている。
(あの技は……〈王殺し〉。もうアレを使えるようになっているなんて……)
妖精王にとってはリーシャの奥義は初めてみるものではない。はるか昔、百年前にも見たことがあった。その時の使い手は当然先代勇者。リーシャの前の勇者である。その者もまたリーシャと同じように聖剣から教えを受け、全てを斬り裂く死の刃、〈王殺し〉を習得したのだ。
(でも百年前の勇者は習得に長い時間を掛けていた……なのにリーシャちゃんはあの歳でもう使えるようになっているなんて……)
妖精王は改めてリーシャの方に視線を向ける。まだ幼い彼女は外見だけ見れば可愛らしい少女で、とても戦いとは無縁そうな見た目をしている。だがその腰には鞘に納められた純白の剣が装備されており、彼女はその剣で先程怪物の鎧をバラバラに吹き飛ばした。一体どこにそんな力があるのか、何故そこまでの技を幼くして習得しているのか、妖精王は疑問を抱き、同時に恐怖を覚える。
この子はいったいどこまで強くなり、果たしてその力をどう使うのか、と。
彼女には大きな目的や大儀がある訳でない。本来なら全ての勇者が抱くはずの魔王討伐という使命も持たず、暗黒大陸に敵意を向けることもなく、ただその魔王と家族として平和に生きていくことを望んでいる。あくまでも力は平穏を邪魔されない為の必要最低限のものに過ぎないのだ。リーシャはその為ならばどこまでも強くなる。敵を倒す為ではなく、守り抜く為に。
「やっぱり、勇者っていうのは恐ろしい存在だね……」
思わず妖精王は誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう呟く。
いつの時代の勇者も強い。精霊や妖精、巨人ですら敵わぬ程の力を手に入れる。ただの人族であるはずなのに、魔王と肩を並べる程の実力を覚醒させる。そんな彼らを見て来て妖精王はいつも疑問だった。何故勇者はただの人族であるはずなのに、これ程まで強くなるのか。何の要因で強さを手に入れるのか。それが分からない。それが理解出来ない。だから、恐ろしい。
リーシャは聖剣の柄に手を添えながらゆっくりと鎧の怪物の方へと近づく。否、もう彼は怪物ではない。気配も弱々しく、見た目は普通の青年の姿をしている。シェルも少し警戒しながら近づき、二人は青年レクスの傍に歩み寄る。
百年も封印されていた割にはレクスの身体には特に異常は見られない。赤みの掛かった髪を短く纏め、凛々しい顔つきをしており、整えられたまつ毛、長い手足に炎のような装飾が施された服を着ている。強いて言うなら目元辺りの肌が荒れており、少しやつれた印象を受ける。
そんな彼はリーシャ達が近づいて来たことに気が付くと、ゆっくりと目を開いて彼女達のことを見上げた。彼の蒼色の綺麗な瞳にリーシャの顔が映る。
「……リー? ……貴女、なのか?」
「……初めまして。私はリーシャ」
レクスはリーシャの顔を見て一瞬誰かのことを思い出したかのように目を見開く。だがリーシャが返事をすると、彼女が幼い少女だということに気が付き、力んでいた拳を緩める。
「リー……シャ?」
「今の時代の勇者だよ。レクス。君は百年間封印されていたんだ」
「……妖精、王」
妖精王も近くに歩み寄り、分かりやすく説明を始める。意外にも鎧の怪物だった頃のような暴走はなく、レクスは妖精王の言葉を静かに聞いていた。そして大体の事情を理解すると、彼は小さくため息を吐いた。
「そう、か……僕はそんな醜い怪物に、なっていたのか……すまない」
レクスは酷く落ち込むように、己を恨むように表情を歪める。そしてゆっくりと身体を起こすと、座った体勢で改めてリーシャの方に視線を向けた。
「君が、今の勇者なんだっけ? と言うことは勇者の血族なのかい?」
「ううん、私もよく分かってないの。幼い頃森に捨てられてたんだって」
勇者の血族はもうこの世に存在しない。ただでさえ少数しか居なかった一族は百年前の勇者を最後に新たな勇者を誕生させることが出来なかった。だから現在の人からすれば勇者、魔王などおとぎ話の存在という認識が強い。だがレクスはそれを聞くと不可解そうに眉を寄せた。
「捨てられていた?」
「勇者の血族は途絶えているんだ。この百年間、勇者も魔王も誕生しなかった。なのにリーシャちゃんが生まれた。それが謎なんだよ」
一族がもう居ないというのならば、新たな勇者は誕生しないはずである。例え誕生したとしても、それが森の中に捨てられていたというのは奇妙過ぎる。もし勇者の紋章を持つ子が生まれれば、その親は喜んで王国に報告するはずだからだ。だが勇者のリーシャも魔王のルナもまるで隠されるように森の中にひっそりと置かれていた。その謎は未だに明らかになっていない。すると一度顔を俯かせて考えるように目を細めていたレクスが顔を上げ、ある言葉を否定した。
「いや、それは違うぞ……妖精王」
レクスはその澄んだ蒼い瞳でしっかりと妖精王のことを見ながらそう断言する。その瞳には強い光が灯っており、先程までの弱々しい雰囲気が消えている。そして彼は、もっとも信じられない言葉を口にしていた。
「先代勇者……彼女は生きていた」
先代勇者のことを直接知らないリーシャとシェルですらその言葉には驚き、思わず「え」と言葉を漏らす。中でも妖精王は衝撃を受けており、自然と首を左右に振って現実を受けいられない動作をしていた。
「え……? いや、彼女は魔王と相打ちになって消息不明になっただろう。それがショックで君は……」
「確かに、僕は最初彼女を失って失意のどん底に居た……だがもしかしたらまだ彼女がまだ生きているかもしれない、どんな不可能も可能にして来た彼女ならひょっとして……と思って僅かな可能性に縋って探す旅に出たんだ」
今の勇者であるリーシャと同様、先代勇者もとてつもない力を持っていた。何よりリーシャよりも多くの強敵と戦い、様々な困難を乗り越えて来た。そんな彼女が簡単には死なない、とレクスは信じ、そう思い込むことによって心が壊れないようにした。そしてその藁にも縋るような策は見事実を結んだ。
「そして出会った。僕の予想通り、彼女はあの〈大陸戦争〉を生き延びていた」
レクスは一瞬だけ嬉しそうに頬を緩ませ、当時のことを話す。だがすぐにその瞳には影が差し込み、彼の声色は暗いものと変わった。
「だけど僕の心が壊れたのはここからさ。再会したあの人はかつて僕が憧れた勇者ではなかった。彼女は別人へと成り果てていた」
実は見事結ばれた。だがその果実は最悪の毒を孕んでいた。誠実で勇敢だった騎兵を、鎧の怪物へと変貌させてしまう程強力な毒を。
「ど、どういうことだい? 先代勇者が、生きていた? なら何故表舞台に……」
「それだよ、妖精王。彼女は表の世界に戻ることを拒んでいた。国王も、精霊の女王も、竜王も、何ものにも関わることを拒絶していたんだ」
もしも本当に勇者が生きているのであったならば、その者は多くの人々から感謝されるだろう。王都に戻ればそこで名誉と莫大な富を与えられ、何不自由ない優雅な暮らしを約束されるだろう。それだけの功績を先代勇者は残したのだ。だが、彼女はそれを拒んだ。あろうことか自分が守ろうとした人々から逃げようとした。その理由は、レクスにも分からない。
「僕は彼女に戻って来るよう、必死に頼んだ。また皆で楽しく旅をしようと願った……だけど、どんな言葉も彼女には届かなかった……」
彼は悔しそうに拳を握り締める。
勇者を見つけさえすれば己の絶望は幸福に変わると思っていたのだ。彼女と再会さえすれば平和な世界に戻ることが出来る。また楽しく笑い合えることが出来ると。だが肝心の勇者はそれを拒絶し、レクスを絶望のどん底へと叩き落とした。
「その後は知っているだろう。僕は壊れた。そして鎧の怪物となり、破壊の衝動に飲み込まれた……」
これが鎧の怪物が生まれた理由。そして百年前の勇者の真実。レクスは信じていたものがなくなり、壊れてしまった。そして人々の希望であった光は、何故か暗闇を求めるようになった。
「……百年前の勇者が、生きていた……」
「じゃぁやっぱり、その勇者の子孫がリーシャちゃん」
リーシャは信じられなさそうに自身の胸に手を当て、シェルも動揺して落ち着かない態度を取っている。ようやく手掛かりらしい情報が手に入ったが、そのせいで謎も増えた。まだリーシャが生まれた直接的な理由にもなっていない為、頭の中が混乱していた。
「でもそれならやっぱり謎だ。何で先代勇者が表舞台から姿を消したのか、何でリーシャちゃんは森に捨てられていたのか、何も分かっていない」
妖精王も疑問を口にする。
まだ自分達が気になっていることは何も判明していない。例え勇者が生き残り、その子孫が居てリーシャが生まれたとしても。ならばその子孫達は今どこに居るか、何故勇者の血族でありながら今まで姿を見せなかったのか、その謎もある。
「それだけじゃないぞ」
だがそこでレクスが指を一本立たせながら注意するようにそう言う。それを聞いてリーシャ達もレクスの方に顔を向ける。
「僕の封印は誰が解いた? 何故理性を失う程暴れ回っていた? 僕は何となく覚えている……微睡の中で、誰かが僕を操っていた。この牢獄に訪れる者を殺せと、甘く囁いて来た」
今回の一番重要ともいえる謎。それはこの巨人族の牢獄を誰が地上に出現させ、封印されていたレクスを目覚めさせたのか。その存在を無視する訳には絶対にいかない。
「そうだ。黒幕が居るんだった……まずはそいつを見つけないと」
「その人物を覚えていますか? どのような容姿をしていたかとか……」
リーシャとシェルも黒幕の存在を思い出し、意識をそちらへと向ける。
今回の自分達の目的は遺跡の調査。この遺跡を悪用している存在が居るというのならば、それを放置しておく訳にはいかない。そう息込んだ時、通路の奥から冷たい風が流れて来た。
「あらあら酷いわ。レクス。せっかく私の人形として従順に動いていてくれたのに……」
笑い声と共に女性の甘い声が響き渡る。だがその姿は見えず、声も反響して通路内のどこから聞こえて来たのか分からない。反射的にリーシャは聖剣を引き抜き、シェルも杖を構えて警戒する。だが次の瞬間、とてつもない衝撃音と共に何重にも絡まっている巨大な蔓が通路の床を突き破って現れた。
「……ッ!!?」
瞬時にリーシャとシェルはその場を蹴って巨大な蔓から逃れる。妖精王も羽で宙を飛んで回避するが、疲弊していたレクスには蔓から逃れる体力も残っておらず、複数の小さな蔓に絡まれてそのまま拘束されてしまった。すると巨大な蔓の中から美しい女性が姿を現す。
「お前、は……!」
「兜の下はそんな顔をしていたのね。私好みの顔だわ」
それは異質な姿をした女性であった。容姿は、美しい。所々癖のある紫の髪が混じった黒髪を長く伸ばし、深い紫色のドレスを身に纏っている。整った顔つきに長いまつ毛、人を惑わすような唇、そのすぐ下にはほくろがあり、大人の女性らしさを主張している。
全身は深い紫色のドレスのような服を纏い、身長も高くドレスの隙間からはスラリと伸びた長い脚を覗かせている。ここまでなら怪しい雰囲気を纏う妖美な女性に見えるだろう。だがその手足は浸食されたように真っ黒に染まっており、身体からは荊が伸びてそれが羽衣のように肩や腕に巻き付ている。更に首筋から頬まで荊の模様が刻まれており、それが何より恐ろしく見えた。
そんな女性は蔓で縛られているレクスに手を差し伸べ、子供をあやすように頬を撫でながら妖しく笑みを浮かべていた。
「な、何者だ君は!? この植物……君がここら一帯の植物を浸食している奴か!」
「フフフ、妖精の王様は随分とうるさいわね。悪いけれど今は貴方程度の相手をしている場合じゃないの。だって、もっと面白い子のことを聞いちゃったから」
妖精王は警戒しながら尋ねるが、当の女性は全く相手にする気がなかった。それよりも今彼女が意識を向けているのはリーシャの方、彼女の瞳はリーシャに釘付けになっていた。
「可愛い勇者の卵ちゃん……まさか我らが魔族の宿敵と会えるだなんてね」
「ッ……!」
リーシャが勇者であることに気付いている、ということは先程の会話を聞かれていたということ。そしてリーシャはある事に気付いていた。この漆黒の女性の雰囲気は、あの少女と似ている。渓谷の街で出会ってしまった最悪の魔族、〈最悪〉の魔王候補であるアラクネに。
すると女性は巨大な蔓の動きを止め、フワリとその場でドレスを揺らし、リーシャ達の方に改めて向かい合う。
「申し遅れたわね。私の名前はフレシアラ。〈最愛〉の名を持つ、魔王候補の一人よ」
そっと口元を歪ませながら女性、フレシアラは名を告げる。
それを聞いてリーシャは深い恐怖を覚えた。自然と聖剣を握る手に力が入る。だがその手にはもう、切り札は残されていない。
彼女の額から一筋、冷たい汗が零れ落ちた。