142:それぞれの願い
「びっくり~。まさかあの時のお姉さんが父さんの後輩冒険者だったなんて」
「あはは、そうね。私もリーシャちゃんが先生の子だって知って驚いたわ」
ナターシャと再会したリーシャは嬉しそうな顔をしながらソファの上で彼女と語り合う。その隣にはルナもちょこんと座っており、シェルが淹れてくれたお茶に口を付けている。
「そっちの子はルナちゃんだったよね。初めまして、私はナターシャ。昔アレンさんにお世話になってたの」
「はい、初めまして。リーシャの妹のルナです」
ナターシャの方に顔を向け、ルナは丁寧にお辞儀をする。その動作は至って自然なものであったが、内心では彼女のことを少し警戒していた。
ナターシャがアレンの後輩冒険者であることは聞いている。その頃から真面目な性格でアレンからも信頼されていることは知っているが、それでも魔王であるルナが警戒を解くにはまだ不十分な材料であった。もしかしたら渓谷の街の事件で何か情報を知り、調査をしに来たのかもしれない。そんなもしもの可能性までルナは考慮していた。
(でもまぁ……ここまで怪我してるなら、流石に本当だよね)
チラリとナターシャの怪我の様子を確認しながらルナはそう考えを改める。
そもそも彼女は遺跡の調査をしていたと言っていた。それならば他の調査をしている余裕などないだろう。そう結論を纏め、ルナは少しだけ警戒心を解いた。
「ナターシャさんは最近噂になっていた遺跡の調査をしてたんだよね? 怪我してるってことはやっぱり罠とかがあったの?」
ぴょんとソファの上で跳ねながらリーシャは早速気になっていたことを尋ねる。
新しく発見された遺跡の噂は西の村まで広がり、この村にも届いていた。それだけ世の中にとって重要な出来事ということだ。当然ながら好奇心旺盛なリーシャもその遺跡について興味があった。
「うん、そうね。すっごい面倒な罠があったわ。出来ればもう二度と行きたくないくらい」
ナターシャは手を振りながら吐き捨てるようにそう言う。
何分あの遺跡は複雑な構造、見たことない文字と未知なものばかりであった。特に遺跡内の雰囲気は独特で、好んであの場所にもう一度訪れようとする者は少ないだろう。
「はわ~、ナターシャさんがそう言うってことはかなり大変だったんだね」
「あはは、私はそこまで凄い冒険者じゃないよ。まぁアレンさんのおかげでそれなりに名は広まってるけど」
そう言うとナターシャは台所の方でシェルと一緒にアレンの方に視線を向ける。すると彼は頬を掻きながら苦笑した。
「それは言い過ぎだろ。元々ナターシャに実力があったのさ」
「えー、それをアレンさんが伸ばしてくれたんじゃないんですかー。色々教えてくれたおかげで今の私があるんですよ」
「はは、そりゃ光栄だな」
ナターシャが本気で言っていることもアレンはただのお世辞と受け取る。
自分よりも強大な力を持った者を多く見て来た彼にとって、自分の実力などちっぽけなものに思えてしまうのだ。故に自分が育てた後輩冒険者が成長しても、それは彼らに元々才能があったのだと解釈していた。
「私もここまでなれたのは先生のおかげだと思ってます」
「……俺は弟子に恵まれてるな」
隣に居たシェルまでナターシャと同じことを言う為、流石のアレンも照れくさそうに頭を掻く。その様子を見てリーシャとルナも面白がるように笑った。
「ねぇねぇ、父さんのこともっと教えてよー!」
「ん、良いわよー。じゃぁアレンさんが珍しくヘマしちゃった時の話をしてあげよう」
「えっ、お父さんがミスしたの?」
せっかくのアレンの昔を知る人物が現れた為、リーシャとルナは興奮した様子で話を聞く。ナターシャもそんな二人の反応が面白いのか、進んでアレンの昔話を披露した。その様子を台所から眺めながらアレンは困ったようにため息を吐く。
「やれやれ、ナターシャは良い奴だが口が軽いのが困る」
「まぁナターシャさんも懐かしいんだと思いますよ? 私達からすれば先生は親みたいなものでしたから……少しくらいは」
「……シェルは優しいなぁ。誰に対しても」
「そ、そんなことありませんよ」
アレンの言葉を聞いてシェルは顔を赤くし、顔を背けてしまう。そして誤魔化すようにポッドの茶葉を入れ替えた。
「実際ナターシャは才能があるんだよ。本当は聖騎士団からもスカウトが来てたのに、あの性格だから断っちまった。もっとのんびりやりたいんだと」
「へぇ、そうだったんですか。あの人らしい」
騎士団の中でも特別な聖騎士団。そこからスカウトされたということはナターシャの剣術は相当な実力があるということである。更に聖騎士団は普通の騎士団と違って様々な権利と名誉を得る。剣の道に生きる者なら誰もが憧れる組織だ。それを蹴ったという事実にシェルは驚きの表情を見せた。
「ナターシャさんは良くも悪くも自由な人ですからね」
「ああ。そのせいで賭け事も大好きだから、困るよ」
ナターシャは冒険者らしくおおらかな性格をしている。特定の主義や主張を持たず、誰とでも仲良く慣れる器の大きい人物なのだ。だがそれ故に遊びも大好きで、冒険者内で流行っていた賭け事をよくしていた。一時期はそれにはまり過ぎてアレンに借金をしてしまうなんてこともあった程だ。
「そう言えばあの時も賭け事をしてたな……なんだったっけ……〈黄金の剣使い〉の容姿についてだったかな?」
ふとアレンは天井を見上げながらあることを思い出す。
昔ナターシャから聞いたとある剣使いの噂。魔物に襲われている人を颯爽と助け、すぐに立ち去ってしまう謎の人物。一昔前はその噂で持ちきりになり、誰もがその黄金の剣使いの正体を探っていた。当然シェルもその噂は知っており、アレンの言葉に反応を示す。
「あ、懐かしいですね。昔噂になってた幻の剣使いですか?」
「ああ、そうなんだよ。あの時もナターシャの奴、かなりの金額を賭けてたらしい」
「アハハ、思い切りが良いですね」
あの時ナターシャはそれとなく黄金の剣使いの情報をアレンに教え、正体を探ってもらおうとしていた。根回しが良いと言うか、ずる賢いと言うか、人を使うのが上手い彼女である。だが結局のところアレンの目撃情報もそれ以来他の冒険者から同じ容姿の情報が出て来なかった為、信憑性は低いものとなってしまった。同じ情報が多数なければそれが事実だと確かめられないからだ。
「えー、父さんがそんなことしたなんて信じられなーい!」
「そうでしょー。あの通りアレンさんは優し過ぎるからさぁ」
ふと見ればリビングの方でナターシャ達の会話は盛り上がっており、リーシャとルナは目を輝かせて話を聞いていた。普段聞けないアレンの昔話を知れて興奮しているのだろう。その様子をアレンは複雑そうな表情で見守る。
「ナターシャの奴、ありもしない話を言ってなきゃ良いが……」
「あ、あはは……」
彼女の性格からして昔話を盛っている可能性が高い。それを危惧したアレンは不安そうにため息を吐く。シェルもナターシャの性格を知っている為、乾いた笑いを零すしかなかった。
「それでそれで、どうなったの? ……ぁ」
もっと聞きたいと言わんばかりにリーシャは身体を前のめりにしていると、ふと部屋の中に一匹の蝶が飛んでいることに気が付く。
「あれ? 蝶だ」
「どこから入って来たんだろう?」
ナターシャとルナもその蝶を見て驚いたように顔を上げる。だが別段珍しい蝶というわけでもない為、部屋に入って来たこと以外は然程驚かなかった。だがリーシャだけは、その蝶をどこか警戒するような視線で見つめていた。
「どうかしたの? リーシャ」
「……ううん、何でもない。お話続けよ!」
何かを確認するようにじっと蝶を見つめた後、リーシャはすぐに視線を外して話に戻る。蝶もヒラヒラと部屋の外に飛んでいき、そのまま姿も見えなくなってしまった。
その後楽しい雑談を終えたナターシャはアレンと共に村長の家へと向かった。そこで村への滞在目的などを伝え、許可を求める。村長もアレンの知り合いということで快くそれを承諾し、空き家を提供してくれることとなった。アレンの家に泊まっても良かったのだが、流石に人が多すぎる為、そのような処置を取ることとなった。
そして帰り道、アレンはナターシャに空き家の案内をする為に道を歩いていた。少々長話をしてしまった為、空は夕暮れに染まり始めている。
「本当に良いのか? 村の空き家で。ウチだって人が多くて窮屈かも知れないが、別に泊ってくれても構わないんだぞ?」
「大丈夫ですよ。何から何までアレンさんのお世話になる訳にはいかないし、怪我だって深刻ってわけじゃないですから、身の回りのことも自分で出来ます」
歩いている間もアレンは何度かナターシャに家に来ないかと尋ねたが、どうやら彼女の中ではもう決断しているらしい。確かに少し前まで冒険者として最前線で戦っていたナターシャにとって、世話をされるという環境はなれないのだろう。アレンも村に帰って来たばかりの時はたくさんの村人達に助けられて戸惑っていた為、その気持ちは理解出来た。
「そうかい、なら分かったよ。でも何かあったら言ってくれ。心配だからな」
「はい、有難うございます」
アレンが最後に念を押すようにそう言うと、ナターシャは笑みを浮かべて頷いた。会話が終わり、二人は黙って歩き続ける。辺りは段々と暗くなり始めていた。
ふとアレンはナターシャの横姿に視線を向ける。昔は血気盛んだった少女は立派な女性となり、剣士として相当な実力を築き上げた。それは佇まいを見ていれば分かる。そんな彼女がここまで怪我をしたということは、例の遺跡はかなり厄介な所だったのだろう。するとあることが気になってしまい、アレンは思わず足を止める。
「……なぁ、ナターシャ。お前は本当に療養する為だけにこの村に来たのか?」
アレンの言葉に反応し、ナターシャも立ち止まって振り返る。その瞳は動揺したように揺れており、背中を夕暮れに照らされて正面には影が掛かっていた。
「……どういう意味ですか?」
「俺の知ってるナターシャは、依頼で失敗したら凄い悔しがってもう一度挑戦するような奴だった。どんなに怪我が酷くても、ギルド長に直接お願いする程だった」
動揺しているナターシャに一歩近づき、アレンは懐かしそうにそう喋る。その間、ナターシャはどこか悔しそうに自分の負傷している腕に手を置き、黙って聞いていた。
「そんなお前が、大人しく俺の所に来るとは思えない。本当は、何か用があってこの村に来たんじゃないか?」
ナターシャの性格を考慮し、そう予測したアレンは詰め寄るように尋ねる。すると彼女は短くため息を吐き、弱々しい笑みを浮かべた。
「……流石アレンさんですね。ちゃんと私のことを理解してくれてる」
「まぁ一応、これでも色々教える立場だったからな」
アレンは冒険者だった頃、たくさんの後輩冒険者の面倒を見ていた。そして一人一人の性格や得意なことを見抜き、彼らが立派な冒険者になるように育てた。故に教え子達がどんな行動をするかは手に取るように分かるのだ。
ずばりと言い当てられてしまったナターシャはバツが悪そうに自身の真っ赤な髪を弄り、足元に転がっていた石ころをコツンと蹴る。
「そうですよ。当然私はギルドに申請しました。もう一度調査をさせてもらえるように。怪我もすぐに治すし、無理なら新しいパーティの案内役でも良いからって……お願いしたんです」
アレンの予想通り、ナターシャはギルドに掛け合っていたらしい。
当然だ。一度失敗したからといって簡単に諦めるような性格を彼女はしていない。どんなに挫折しても、臆せずまた挑戦するのが彼女の良さなのだ。
「でも結果は調査の延期でした……上の連中が揉め合って、話が先に進まなくなったんです」
顔を俯かせ、ナターシャは先程蹴飛ばした石ころを見つめる。その顔は影で覆われて更に暗くなり、彼女の落ち込んでいる様子がよく分かった。
「あの遺跡で……私は仲間を三人も失った……! 生きてるか死んでるかも分からない……正気を失って殺し合ってるかも知れない……! なのに、ギルドは彼らを探す許可すら与えてくれなかった……!」
ナターシャはあの時、自分が助かる為に仲間を見捨てて遺跡から逃げた。そのことに責任を感じているのだ。もしかしたら正気に戻して連れて帰ることが出来たかもしれない。気絶させてでも連れて帰るべきだったかもしれない。そんなもしもの可能性を考えて彼女は自分を罰しているのだ。故に償わなければならない。せめてもう一度遺跡に赴き、彼らの状態を確認しなければならない。だが手段は閉ざされてしまった。ならばナターシャが出来ることは限られている。
彼女はゆっくりと顔を上げ、泣きそうな表情を浮かべながらアレンのことを見つめた。
「だから……アレンさん、これは個人的な依頼です。発見された遺跡の調査、そして冒険者三人の安否確認。もちろん十分な報酬も払います……お願い、できますか?」
これはせめてもの償いだ。自分一人では遺跡に辿り着くことも難しく、ギルドは動いてくれない。それならばもう冒険者を辞めているアレンに頼むしかない。アレンなら遺跡で起こる謎の現象もきっと対処してくれる。仲間達も見つけ出してくれる。そう信じてナターシャはここまでやって来たのだ。
「……なるほど」
その思いを理解した上でアレンは静かに両腕を組み、静かにナターシャのことを見つめ返す。そして彼が出した答えは……。
◇
陽が傾き、村の端が影で覆われて来る頃。そんな時間帯にいつもなら家に居るはずのリーシャは外に出て来ていた。ルナも一緒ではなく、一人で森の方へと迷いなく進んで行く。その腰には純白の聖剣がベルトで巻かれていた。
「…………」
リーシャは無表情のまま、淡々と森の中を進んで行く。すると彼女の前に一匹の蝶が現れた。それは昼間と同じ見た目の蝶で、フワフワと森の奥へと飛んでいく。リーシャは黙ってその後を追い掛けた。しばらく歩き続けると、一本の大きな樹木が生えている場所へと辿り着く。そこで蝶は樹木の前に咲いている花に止まり、リーシャも足を止める。そして面倒くさそうに頭を掻くと、おもむろに口を開いた。
「何の用? 私、覗き見られるとかすごい嫌いなんだけど……分かってるよね?」
普段は見せないような不機嫌な口調でリーシャがそう言うと、その場に風が吹き込む。そして樹木の葉が小刻みに揺れると、その場に薄緑色の髪をした男性が現れる。その背中からは四対の虫のような羽が生えていた。
「どうかお許しを……我らが勇者様。僕は少し、気になったことがあって様子を見ていただけなのです」
異形の姿をした男、妖精王はそう言って深々と頭を下げ、羽を畳む。その姿を見てもリーシャの機嫌が直ることはなく、むしろ嫌いな相手の姿を見てしまって更に不満そうだった。
「あ、そう。だったら今度からは家に蝶を入れたりしないでよね。明らかに不自然だから」
「綺麗な蝶なら和むかなと思ったんだけど……駄目だったか」
「全然駄目。ルナだってなんかおかしいって気付いてたよ」
「それは失礼を致しました」
もう一度頭を下げて妖精王は謝罪をする。それを見てリーシャももう良いか、とため息を吐て気持ちを切り替えた。
とりあえず今回はちょっかいを掛けに来た訳ではないらしい、ならばさっさと本題に入るべきだとリーシャは判断した。
「それで、要件はなに? 今回はナターシャさんにちょっかいを掛けるつもり?」
以前シェルにちょっかいを掛けたように、今回は標的をナターシャにするつもりかと考え、リーシャは鋭い目つきで妖精王のことを睨みつける。それだけで妖精王は凄まじいプレッシャーを感じ、額から冷や汗が流れた。
「いや、まさかそんな事は。勇者ちゃんの大切なご友人を傷つけるなんてことは二度としないよ。今回は本当に、何も仕掛けてない」
「…………」
妖精王は出来るだけリーシャを刺激しないよう、両腕を上げて無害であることを証明しながら説明を始める。リーシャはまだ妖精王のことを完全には信じていないようで、目を細めて値踏みしている様子だった。
「じゃぁ何の用?」
「……実は、お願いがあって来たんだ」
「貴方が? 随分と珍しいね」
「ああ……これは冗談抜きの、本当のお願い」
リーシャが改めて質問すると、妖精王は身体を起こしていよいよ本題へと入る。
彼にとってそのお願いを伝えるのはかなりの勇気が必要であり、下手すればリーシャに剣を向けられる可能性があった。だが言わなければならない。今回、ナターシャがリーシャの元に現れたことによって、事は動き出してしまったのだから。
「君達の間で新しく発見されたと言われている遺跡……あの遺跡に、何があっても足を踏み入れないで欲しい」
妖精王の口から出て来たあまりにも意外な言葉に、リーシャはただぽかんと口を開けることしか出来なかった。だが妖精王の表情は真剣で、冗談と捉えるにはあまりにも深刻そうな雰囲気であった。