15:だって姉妹でしょ
勇者教団の事件から数日が経ち、村もようやく平穏を取り戻した頃、今日もまたアレンは部屋でルナに魔法の授業を行っていた。と言ってもルナは既に殆どの魔法を習得している為、ルナが自力で勉強をしている事でアレンがアドバイスしたりする程度の授業なのだが、ルナはそれだけでも大好きな父親と一緒に居られるだけで幸せだった。
「ねぇ、お父さん……」
「ん、どうした?ルナ」
ふと、床に魔法書を開きながら勉強をしていたルナは顔を上げてアレンの方を見つめた。その瞳はどこか心配そうで、アレンも読み途中だった本を止めてルナの事を見た。
「最近、リーシャが元気ない気がする……」
ルナはもじもじと指を動かしながら自信なさげにそう言った。
アレンはふむと唸って顎に手を置きながら考える。父親の視点から見たらリーシャにこれと言った変化はないように見られる。昨日だっていつものように元気に剣の稽古をしていた。むしろ元気過ぎるくらいだった。
だが人は見る視点によって態度の違いが出るものだ。特に歳の近いルナのような妹視点から見れば、姉の微妙な変化にも気づくのかも知れない。ましてやリーシャは勇者教団に誘拐されたばかり。いくら元気なあの子と言えど怖かったはず。アレンは目を瞑りながらそう推測した。
(俺からすればあまり変化はなかった気がするが……リーシャはああ見えて聡い子だからな……心配させないように敢えて元気に振舞っているのかも知れない)
リーシャからすれば自分が元気のない態度を取っていたら周りを不安に思わせてしまうかも知れない、と考えている可能性もある。普段から元気なリーシャは村ではスター的な立ち位置だ。そんな彼女が急にしおらしくなれば、村人も心配してしまうだろう。
(きちんと子供の様子は見ているつもりなんだが……俺もまだまだだな)
ペチンと自分の額を叩きながらアレンはそう反省する。
今のリーシャ達は難しい年頃だ。特に母親も居ないというこの環境では色々悩んでしまう事もあるだろう。アレンはその事も含めて出来るだけ二人を気に掛けるようにしていたのだが、やはり自分の目の届かない場所もあったらしい。自身の無力さを感じ、恥じた。
気付けなかった事は仕方がない。次からはもっとリーシャの事を気に掛けるようにしよう。そう反省してからアレンはならばこれからどうするべきかと考えた。
「そうか。じゃぁ何かリーシャが元気になるような事をしてあげないとな」
「リーシャが元気になる事……?」
「例えば遊びに連れて行ってあげるとか、プレゼントをあげるとか……そういうリーシャが喜びそうな事をしてあげるんだ」
アレンはリーシャに何か喜ぶような事をしてあげようと提案した。ルナもそれを聞いてなるほどと言葉を零し、瞳をキラキラとさせてアレンの事を見つめる。
少々安直な考えのような事もするが、変に遠回しな気の遣い方をするよりも直接リーシャを喜ばせる事をした方が良いとアレンは判断した。特にリーシャのような真っすぐな子ならその方が効果も大きいだろう。そういう考えがあった。だが、とアレンは少し悩むように腕を組む。
(とは言っても、リーシャは村で遊んだり森に散歩に行くのは好きだが、街に出かけようとはしないんだよなぁ……あれくらいの年頃なら街に興味を持ったり、可愛い服を欲しがったりするもんだが)
アレンが考えた作戦には一つ問題があった。それはリーシャが街に興味がないという事だ。ルナもそうであるが、どういう訳か二人はあまり山から降りようとしない。極度の人見知りという訳でもないのに、外界に出る事だけは嫌がるのだ。
となると嫌がる事を無理やりさせても仕方がないので外出という選択肢は自然となくなる。ならば残されたのはプレゼントをあげるという作戦が一番有効そうだ。アレンはそう答えを導き出し、悩んで俯かせていた顔を上げた。すると丁度ルナも何か閃いたという顔をしていた。
「じゃぁ私、リーシャの為にお菓子作る!」
「おお、それは良いな。リーシャは甘い物好きだしな」
ぐっと手を握り絞めながらルナは力強くそう言う。その案にアレンも賛同した。
リーシャはお菓子が好きだし自分でもよく作っている。お菓子を上げればリーシャも喜ぶだろう。ベタな案かも知れないが、現状ではこれが最善と言えよう。だがこれにもまだ問題があった。
「だけど……ルナはお菓子を作れるのか?」
「あ、う……それは……その……頑張る!!」
アレンの不意の質問にルナはビクリと肩を震わせ、不安そうな顔をして声をどもらせながらも何とかやる気を見せつけた。
実はルナはまだ料理が不慣れだ。別に下手という訳ではないが、苦戦しているのは事実である。掃除や洗濯などは得意なのだがルナはまだ自分が料理が得意ではない事に悔しそうな顔をしていた。その子供ながら挑戦しようとする微笑ましい姿にアレンは笑みを零す。
「そうか、じゃぁ一緒に作ってみようか。大丈夫さ、ちゃんと心を込めて作ればリーシャも喜んでくれるよ」
「うん……! 有難う、お父さん!」
アレンも一緒に作る事にし、二人はリーシャの為にお菓子作りをする事にした。
ただ今回はリーシャの微妙な変化にルナが気付いた為、出来上がったお菓子はルナからリーシャに上げる事にした。子供同士の方が変に気を遣わず本音で語り合えるとアレンは思ったからだ。
出来れば今度は自分で気付けるようになりたい。お菓子を作っている途中、アレンは父親として自分はまだまだだと思いながら手を動かした。隣ではルナが四苦八苦しながらお菓子作りをしていた。
◇
リーシャは家から少し離れた原っぱに座っていた。広場として村の子供が遊んだりする場所、まだ少し肌寒く、冷たい風が吹いている。
時刻は既に夕刻になっており、リーシャは昼からずっとそこに居た。遊ぶわけでもなく、何かするわけでもなく、ただそこに座っていた。呆然と夕焼け空を見上げながら。
「……はぁ……なんか身体が重いなぁ」
小さくポツリとリーシャはそう独り言を呟いた。
原因は分かっている。このところずっと自分を悩ませている種。明るく振舞いたいのにちっとも元気にならない理由。それはあの時の……勇者教団の事が原因だ。
リーシャはあれからずっと悩んでいるのだ。自分は本当にこの村に居て良いのか?また教団のような組織が現れたら、今度こそアレンとルナが危険な目に遭ってしまうのではないか?と不安に思っているのだ。
「駄目だなぁ、私……ルナには私達はこの村に居るべきだって言ったのに。こんな事で悩んじゃうなんて……」
ゴロンと原っぱの上に寝転がりながらリーシャはかつて自身の妹であるルナに言った言葉を思い出す。
あの時はルナは自分が魔王である事に悩み、村から離れるべきではないのかと悩んでいた。種族の違う、ましてや敵種族の王である存在の自分がこんな所に居るべきではないと苦しんでいた。
当然リーシャそれを否定した。大好きなルナが居なくなるのは彼女にとって耐え難き苦痛だ。魔王だとか魔族だとかそんな事は関係ない。ただ一緒に居たい。家族としてずっと。そう強く思ったからこそ、自分達はこの村に居て良い。そうしないと世界は戦争になってしまうからと理由付けた。その時はリーシャ自身もその答えが正しいと思っていた。だが、今はそれが揺れている。
(もしもこの関係が続けられたとして……精霊の女王みたいな存在がまた現れたら……父さん達はどうなる?)
精霊の女王は力づくで勇者であるリーシャを連れ出そうと勇者教団を利用した。彼らは数も多く、薬で眠らせたりと手段を選ばなかった。一歩間違えていたら誰かが傷ついていた可能性もある。だとしたら、次来る脅威を果して自分達だけで対処出来るだろうか?もしもアレンですら敵わない相手が現れた時、この家族どうなってしまうのだろうか?リーシャは額に手を置き、顔を隠すようにした。
「私は、卑怯だ……」
リーシャは最悪のパターンを幾つも想定した。自分が村を出ていなかった場合に起こる出来事を全て予測した。自分の我儘でどれだけの被害を村に与えるかも全て考えた。だがそれでも、リーシャはこの村から離れたくないと思っていた。大好きな父親と大切な妹と一緒に居たいと願った。
目頭が自然と熱くなる。リーシャの顔は手で隠していて見えなかったが、目は赤く腫れていた。
「リーシャ」
「……ッ!」
そんな時、ふと頭上から声を掛けられた。ビクリと肩を震わせてリーシャが飛び起きると、後ろにはルナ姿があった。両腕を後ろにし、何かを隠しているように見える。リーシャは急いで目を擦った。
「ルナ……」
「ずっとここに居たの?風邪引いちゃうよ?」
「ん……ごめん」
言われてリーシャは自分がいつものように明るく振舞っていない事に気づき、後悔する。
どうしてもルナのような同年代の子と一緒だと気が抜けてしまうのだ。これでは自分から調子が悪いと言っているようなものである。特にルナのような小さな変化にも敏感に察知する子が相手では。
リーシャはバツが悪そうな顔をしながら身体を起こしてルナの事を見た。夕焼けに染まりながらルナの漆黒の瞳はリーシャの事を優しく見つめていた。
「まだこの前の事で悩んでるでしょう?勇者教団の事……そして精霊の女王様の事で」
「ッ……気づいてたんだ。あの女王サマの事に……」
「まぁ、これでも魔王だから」
ルナは優しい口調でそう問いかけて来た。まさか彼女が精霊の女王の存在に気づいていたとは思わず、リーシャは驚いたように固まる。流石は魔王というべきか。それとも察知能力が高いルナ自身を褒めるべきなのか。いずれにせよリーシャからすれば気まずい事実であった。
「酷いよね、私は……私のせいで父さんが危険な目に遭って……ルナも下手したら魔王だって事がバレてた……そしたら、きっと……もっと酷い事になってた……なのに私は、まだこの村に居たいって思ってるの。恨まれて、当然だよね」
手を震わせながらリーシャはポツリポツリと語り出した。
あの時最も危険な状況だったのは何を隠そう目の前に居たルナだ。ただでさえ勇者を狂信的に崇めている教団がルナが魔王だと気付けば、何としてでも彼女の事を殺そうとしただろう。精霊の女王だって魔王を倒したいと願っていた。密かにルナの事を狙っていたのだ。
その事を伝え、リーシャは怒られる覚悟をした。言ってしまえば自分のせいでルナは危険な目に遭ったのだ。責められて当然。最悪殺されてもおかしくない程の怒りを買ったはずだ。
普段のリーシャらしくない程彼女は肩を竦めて弱々しい表情をした。だが、そんな彼女の事をルナはただ優しい表情をしたまま一歩近づいた。
「私は、リーシャの事を恨んでなんかいないよ……本当はあの時だってリーシャだけでも逃げれたのに、私の事を心配して大人しくしてくれてた……リーシャは私の事を守ってくれたんだよね?だから私は恨んだりなんかしない」
「……ッ」
それはリーシャには優し過ぎる言葉だった。手を小刻みに震わせ、ルナから顔を背けて今にも泣き出しそうに目を赤くした。
どうしてこんな自分に優しい言葉を掛けてくれるのだろうとリーシャは疑問に思う。危険な目に遭わせた相手なのに、宿敵である勇者だというのに、魔王のルナは全く気にしていない。それが嬉しくて、そして辛い。
「でもッ……! 父さんも傷ついた! 私達を大切にしてくれてる父さんを私が危険な目に遭わせた!」
「大切にしてくれてるからこそ、でしょ?お父さんは私達の事を本当に愛してくれてる……だからこそ、危険な目に遭っても私達を守ろうとしてくれたんだよ」
リーシャはルナの優しさを拒絶するように顔を背けたままそう訴えた。しかしその言葉を聞いてもルナは動じず、両手を後ろにしたままリーシャにそう語り掛けた。その言葉を聞いてリーシャもすぐにそれを否定する事が出来ない。顔を俯かせて辛そうに唇を噛みしめた。
「ねぇ、前にリーシャは言ったよね?私達が今こうして平和に村で暮らしてるのは、神様がそう願ってるからだって……」
「…………」
おもむろにルナはそう尋ねて来た。随分と懐かしい話だ。リーシャはその時の事を思い出しながら黙ったまま頷いた。今喋れば泣き出しそうな事がバレてしまうと思ったからだ。
「私も、最近はそれが本当なんだって思うようになった……だって勇者と魔王が手と手を取り合えるって凄い事だもん。本来なら交じり合う事のない人間と魔族が家族として過ごしてるんだよ?こんな事普通ならあり得ないよ」
ルナの何気ない問いかけはじんわりとリーシャの胸にゆっくりと沁み込んで来た。言葉の一つ一つが傷ついた心を癒すように優しく、リーシャは少しだけルナの方に顔を向けた。気づけば手の震えは止まっていた。
「でも、私は……」
「もう、リーシャは頑固だなぁ」
それでもまだリーシャは後ろ向きな発言を続けた。そんな彼女の事を見てルナがクスリと笑みを零し、まるでルナの方が姉のようにやれやれと言ったように首を振った。少し悩むように頬に指を当て、何かを思い付くとまた手を後ろに下げた。
「じゃぁ教えてあげる……私のお姉ちゃんはとても優しい人。魔王の私にも差別なく接してくれて、いつも明るく私に元気を分けてくれる……私は、そんなお姉ちゃんの事が大好き」
「……ッ」
急にルナは普段の呼び方とは違う言葉でリーシャの事を語り始めた。
ルナはリーシャの事をお姉ちゃんなどと呼んだ事はない。一応リーシャが姉という事にはなっているが互いに昔から名前で呼び合うのが自然になっていた為、今までそんな呼び方はした事がなかったのだ。その言い方はどこか他人行儀っぽいが、確かにリーシャの事を指していた。思わずリーシャは顔を上げてルナの事を見た。
「一緒に乗り越えようよ、リーシャ。だって私達は姉妹でしょ?」
そう言ってルナは後ろにやっていた片手を出してリーシャに差し出した。それを見てリーシャは少し躊躇うが、ルナは優しく微笑みかけてくれた。
「……ルナッ」
リーシャはそう呟き、ゆっくりとルナの手を取った。その手は少しだけ冷たかったが、リーシャには心地良いものだった。確かな繋がりを感じ取り、リーシャは先程までずっと悩んでいた事などまるで気にしなくなっていた。
するとルナは後ろにしていたもう片方の手を出して可愛くラッピングされた袋をリーシャに差し出した。
「はいコレ。お父さんと一緒に作ったんだ」
「え、何コレ……甘い匂い……クッキー?」
「うん、頑張って作ったんだよ」
プレゼントと言ってルナはそれをリーシャに手渡す。リーシャはほのかに匂って来る甘い香りを嗅ぎ、急にお腹が減り始めた。そう言えばもう夕刻なのだ。いつもなら一目散に帰って夕飯を食べる時間帯である。
リーシャは今更ながらそんな事を思い出し、袋を開けて中から一枚クッキーを取り出した。少し形はでこぼこだが、そこからまたルナらしい。試しに一枚齧ってみると、少しだけ苦い味がした。
「ありがとう、ルナ」
けれど嫌いな味ではない。優しい味だ。
リーシャは微笑みながらルナにお礼を言い、二人で家に戻る事にした。彼女の足取りはいつもより軽く、表情にも元気が戻り始めていた。