140:勇者と魔王の秘密
天気の良い日のこと、ルナは村の草道を歩いていた。その隣ではクロがご機嫌に尻尾を振りながら付いて来ている。ルナはその様子を見て微笑ましそうに頬を緩めた。
普段村人も通らないその場所は魔物のクロと共に散歩するのにはうってつけの場所である。何せ最近のクロは更に大きくなり、ルナを乗せて走れるくらいまでの体格になったのだ。このまま成長していけば更に大型の魔物となるだろう。
村人達は魔物のクロも受け入れてくれているが、それでも最低限の注意は払わなくてはならない。あくまでもクロは魔物なのだ。ただの小動物と同じような関わり方をしていればいつか間違いが起きるかもしれない。それを考慮してルナは散歩の時はせめて人通りの少ない草道を選ぶことにしたのだ。
「今日は日差しが気持ち良いね。クロー」
「ゥワフ、ワフ」
ルナがそう言うとクロも同意するように尻尾を振って鳴き声を上げる。その鳴き声も昔よりは低くなり、成長した狼らしい鳴き声になりつつあった。そんなクロの成長にルナは喜ばしい表情を浮かべた。それから彼女は持っていた古い本を開き、大切そうに指で触る。
「レドお婆ちゃんの屋敷で面白い本も見つかったし、お父さんの昔話も聞けて最近は良いことばっかり。ひょっとして天運に恵まれてるのかな?」
「ゥワフ!」
屋敷で手に入れた古い本を見せびらかし、ルナは珍しくウキウキとした表情を見せる。
何せ大掃除した屋敷ではたくさんの本が保管されており、どれもルナが見たことのないような情報が載っていたのだ。本好きのルナからすれば宝の山であり、アレンの許可を経て少しずつそれを譲り受けているのである。
おまけに父親であるアレンの昔話も少しだけだが聞くことが出来た。冒険者時代は仲間達とやんちゃし、今では想像出来ないようなこともしたらしい。それを聞けてルナは自分の知らない父親の事を知れて嬉しい気持ちになった。
(でもレドお婆ちゃんが亡くなった詳しい理由は教えてもらえなかったなぁ……メルフィスさんか、セレネさんっていう魔族の冒険者に聞けば何か教えてもらえるかな?)
アレンが冒険者時代のことを語ってくれたが、あくまでもそれはどのような仲間と出会い、どんな体験をしたかというものであった。故にルナが一番気になっているレドの死や、アレンが何故昔〈死に狂い〉と呼ばれていたかは一切分からなかった。
出来ることならアレンの口から聞きたいが、無理に聞き出すのは躊躇いがある。せめて少しだけでも情報が手に入らないか、とルナはアレンの昔の仲間である二人のことを思い浮かべた。緑の大魔術師であるメルフィス。彼ならばシェルにお願いして会うことは出来るかも知れない。だが会う場合は自分の正体が知られてしまう可能性もある為、少し考えなければならないだろう。魔族であるセレネもそうである。敵国の種族でありながら人族の大陸で冒険者とし生活していた彼女からはアレンの情報だけでなく、彼女自身の情報も聞き出したい。だがいくらアレンのかつての仲間と言え、完全に信用出来るわけではない。何よりセレネは現在どこに居るか分からない為、会うことは物理的に難しいだろう。
「まぁいつか、お父さんから話してもらえる日をゆっくり待とうか」
「ワォン!」
ルナは口元に指を当て、そう結論を出す。
結局のところ父親であるアレンが全ての秘密を知っているのだ。彼の口から語ってもらうのが一番手っ取り早いし、ルナも直接聞くことを望んでいる。いつかは話してくれるだろう、とルナはのんびりと待つことにした。
それからしばらく彼女達が草道を歩いていると、柵が設置されている村の端に辿り着く。するとそこで珍しい人物に遭遇した。
「あれ? リーシャ」
柵に背を預け、座りながら本を読んでいるリーシャの姿がそこにはあった。外に居るのにも関わらず静かに本を読んでいるのは珍しく、ルナは疑問そうに顔を傾けた。
「ん、ルナか。お散歩?」
「うん、そうだけど……」
リーシャもルナの存在に気が付き、顔を上げると読んでいた本を閉じる。そんな姿を見て彼女のことを好いていないクロは小さな唸り声を上げるが、ルナは頭を撫でて落ち着かせ、そのままリーシャの傍に寄った。
「何読んでたの? リーシャが読書なんて珍しいね」
「ちょっとね。私もレドお婆ちゃんの屋敷にあった絵本を父さんから貸してもらったんだ」
そう言うとリーシャは本を持ち上げてルナに見せる。深い緑の表紙に金の刺繍が施された高級そうな本。古くなってはいるが丁寧に保管されていたことが分かる。表表紙にはマントを羽織って剣を掲げた人物が描かれており、ルナはその上にある絵本のタイトルを読む。
「〈勇者物語〉……?」
「ん、百年くらいの前の絵本なんだって。こんなのまで持ってるなんて流石レドお婆ちゃんだよね」
どうやらレドはこんな絵本まで所持していたらしい。屋敷には図書館のように広い書斎がある為、あらゆる本を彼女は保管していたのだろう。何故絵本まで入手していたのかは分からないが、大昔のものである為、貴重であることには変わりない。
「つまり……その絵本はリーシャの前の時代の勇者のことが描かれてるってこと?」
「そういうこと。実は先代勇者の歴史書とかって意外と少なくて、こういうの貴重なんだ」
記録通りにならば絵本に描かれているのは百年前に存在した先代勇者なのだろう。かつて大陸一つを消す程の〈大陸戦争〉を起こし、魔王と相打ちになった勇者。先代勇者のおかげで世界は平和を取り戻し、人族と魔族の戦争も落ち着くこととなった。だがその代価のように勇者の血族は途絶え、勇者の血を引く者はこの世から居なくなった。ただ一人、ここに居るリーシャを除いて。
「結構面白いんだよ。勇者だけじゃなくてその関係者も描かれてるの。ほら」
リーシャはそう言って再び本を開き、ルナにそのページを見せる。そこには勇者と思われるマントを羽織った人物の他に、槍を持った騎士、とんがり帽子を被った魔術師、長い髭を生やし執事のような格好をした人物が描かれていた。
「これって……勇者の仲間ってこと?」
「うん、槍使いの騎士に、百年前の大魔術師、あと髭のおじさん。勇者と共に戦った伝説の英雄として皆知られてるんだって」
ルナは描かれている絵をじっと見つめ、勇者の仲間の特徴を観察する。
絵と言っても子供用に可愛く描かれた絵の為、実際の人物とはあまり似ていないのだろう。ひょっとしたら絵本用に人物すら変えているかも知れない。とりあえずルナは勇者にこんな仲間達が居たのかも知れない、と漠然とした感想だけを抱くことにした。
「特に槍の騎士は勇者を守る為に命を投げ打ったとまで書いてあるんだよ。凄いよね」
「へー、忠誠心が強かったんだね。その騎士さん」
リーシャは勇者の隣に描かれている槍の騎士を指差し、そう説明する。
確かにどのページを開いても槍の騎士は勇者の近くに描かれており、一緒に戦っているような表現がなされている。ここまで強調するということは、実際もそうだったのかもしれない。
「それで、何で急にそんな絵本を?」
「んー、ちょっとね……赤ん坊の時、自分は何で森に捨てられてたんだろうって気になって……それで先代勇者のことを調べれば何か分かるかなと思ったんだ」
あくまでもこの本は絵本である為、書かれている文章は子供でも分かる短いもの。ページ全体には可愛らしく描かれた勇者が魔物に剣を振り下ろしている絵が載っている。内容も「勇者が悪い魔物を倒した」というとても簡潔なものであった。
「でもやっぱり絵本は絵本だねー。これに書いてあることも、昔の勇者が世界を救ってくれたっていう簡単なものだけだったよ」
パタンと本を閉じ、リーシャはつまらなそうにため息を吐く。
残念ながらこの絵本にはリーシャが望んでいた情報は載っておらず、それどころか先代勇者がどのような人物かすら詳しく書かれていなかった。ただ漠然と大昔に勇者という伝説の戦士が存在し、巨悪の魔王を打ち倒したということしか説明されていない。まさしく子供が楽しむ為の読む絵本に過ぎなかったのだ。
「ん……確かに私とリーシャが森に居たのは色々とおかしな点があるよね。勇者と魔王が捨てられてるのもそもそも不自然だし」
ルナはそう言って自分の包帯が巻かれている方の手を見下ろす。その下にはルナが魔王であることを証明する紋章が眠っており、彼女はもう片方の手でその包帯に軽く触れた。
「でしょー。前までは父さんと一緒に居られるだけで十分だったから気にしてなかったけど、今は色々考えないといけないからさ、ちょっと調べることにしたんだ」
リーシャとルナは自分達の出自を知らない。何故天敵同士である勇者と魔王が同じ森の中に捨てられていて、何故二人共アレンに拾われたのかすら、分かっていないのだ。これまでその事実を二人は考えないようにしていたが、そろそろ無視出来ない状況になって来た。魔王候補が人間界に進出し、多くの被害をもたらしたのである。困難にも立ち向かうと覚悟した二人は、このような世界になってしまった原因を探る為にも、自分自身の真実に向き合わなければならないのである。
「またエレンケルから色々聞きたいね」
「そうだね。少なくとも先代の勇者と魔王には両方会ってるから、何らかの情報は持ってたかもね」
空を見上げて二人はかつて出会った赤竜、エレンケルのことを思い出す。
エレンケルは五百年以上生き、歴代の勇者と魔王を見て来た長寿の竜である。深く関わりを持ったわけではないらしいが、少なくとも先代の勇者と魔王とも出会っていた。その時の情報をより詳しく聞きたいとつい二人は願望を抱いてしまう。
「そもそもさ、私達に本当のお父さんお母さんとかって居るのかな? なんかあんまり想像出来ないよね」
「うーん、そうだね。リーシャの場合は勇者の血族がもう居ないはずだから、本来リーシャが居ることはあり得ないはずだし……私も魔族なのに人族の大陸に居るのはおかしいしね」
リーシャはコテンと頭を傾けて顔も知らない本当の両親のことを想像し、ルナも自分達に置かれている状況を分析して疑問そうな表情を浮かべる。
偶然、では済ませられない状況。だがあまりにも情報や手掛かりは少なく、関連性も全く導き出せない。むしろ奇跡が起こったと思った方がまだ現実味があるかもしれない。
そんな状況に二人は同時に肩を落とす。すると隣でお座りをしているクロは呑気に欠伸をした。
「よし、ちょっと聖剣に聞いてみよっと」
「えっ」
ふとリーシャは顔を上げ、腰に携えていた聖剣を引き抜く。日差しに照らされ、純白の刃が美しく輝く。それを自分の前で横に向け、リーシャは指先でそっと刃をなぞった。
「ねぇ、王殺しの剣は勇者専用の聖剣なんだよね?」
ーー左様。我は選ばれし者にだけ操れる剣。歴代の勇者達が我を手にして来た。
刃が淡い光を放ち、リーシャの頭の中で聖剣の声が響き渡る。相変わらず老人のような低い声で、感情を露わにしない冷淡な声色であった。ルナにはその声が聞こえない為、リーシャ達の様子を隣でじっと眺めていた。
「じゃぁ私の前の勇者の持ち物だったってことだよね? その人のことについて詳しく教えてくれない?」
ーーうむ……先代勇者のことか。
リーシャが尋ねると、聖剣の声色が僅かに曇る。何かを躊躇するような、そんな迷いが見て取れた。
ーー其方が己の出生を知りたがっている理由は分かる……故に先に言っておかなければならないのは、我が先代勇者と行動を共にしたのは僅かな時の間でしかない。
「え……どういうこと?」
ーー我は流れの聖剣。巡り巡って選ばれし者に辿り着く。そしていつしか離れる運命なのだ……だが先代勇者とは魔王との決戦の前に離れてしまった。ある戦いで先代勇者は我を失ったのだ。
聖剣からの意外な告白にリーシャは驚き、ぽかんと口を開ける。
てっきり聖剣とは常に勇者の剣として傍に居るものだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
ーー我は最後まで務めを果すことは出来ず、錆びた剣となって数多の商人の手に渡った……そして長い年月を経て、其方の元へと辿り着いたのだ。
「じゃぁ先代勇者の全てを知ってるわけじゃないんだ」
ーー残念ながら、その通りだ。其方の知りたがっていることを教えることは我に出来ぬ。
聖剣は申し訳なさそうに刃の輝きを弱める。リーシャは別に責めている訳ではないのだが、残念に思っていることは事実の為、自然と視線を下に落とした。
「聖剣、なんて言ってるの?」
「先代勇者とは途中で離れちゃって、詳しいことは知らないんだって」
「そっかぁ……」
聞こえていなかった会話の内容を教えてもらい、ルナも有益な情報が手に入らなかったことに残念そうな表情を浮かべる。
だが他にも聞きたいことはたくさんある。勇者の最期を知らなくとも、王殺しの剣は先代と共に戦った聖剣なのだ。リーシャは気持ちを切り替え、その情報を聞き出すことにした。
「じゃぁ他に名前とか……」
「おーい、リーシャ! ルナ!」
リーシャが言葉を言い掛けたその時、草道の向こう側から手を振ってダイがやって来る。リーシャは慌てて聖剣を鞘に収め、立ち上がった。
「ダイ、どうしたの?」
「はぁ……はぁ……二人共、さがしたよ」
ダイは二人の傍に寄り、膝に手を置きながら呼吸を整える。かなり慌てて探していたらしく、どこか焦りの表情を浮かべている。
「実はさっき村に冒険者がやって来たんだ。赤髪の女性だったんだけど……」
大きく息を吐き出し、ようやく気持ちが落ち着いたダイは噛まないよう、ゆっくりと説明を始める。
どうやら村に珍しく訪問客が現れたらしい。冒険者という言葉を聞き、リーシャとルナは自然と目を細める。
「その人、凄い怪我をしてて包帯だらけだったんだ。で、師匠のお家に行った。何か用があるらしい。このことを二人に伝えなくちゃと思って……」
ダイの説明を聞き、明らかに異常事態であることを二人は察する。そしてアレンの所に向かったということは、アレンの知人か何らかの関係者なのだと悟った。
「行こう、ルナ」
「うん」
状況を知りたい二人はすぐに家へと戻ることにし、走り出した。座っていたクロも立ち上がり、疾風の如き速さで彼女達を追い掛ける。その様子を残されたダイはポカンと口を開けて眺めていた。