139:森の中の遺跡
鬱蒼と木々が生い茂る深い森の中。葉っぱの間から僅かに日差しだけが零れ、どこか幻想的な空間を思わせる空間。地面は殆ど木の根っこで覆われ、その上には苔が生えている。少しでも足を踏み間違えれば滑り転げてしまうだろう。そんな人間が簡単には踏み入れなそうな場所に、数人の冒険者が足元を見て慎重に進んでいた。多くは屈強な身体つきをした男達だが、その中に一人だけ真っ赤な髪に、気の強そうな顔つきをした女性が混じっていた。腰に剣を携え、辺りをしっかりと警戒しながら森の奥へと進んで行く。
やがて一行は木々に囲まれた大きな空間に辿り着く、上はすっかり木の枝で覆われ、翠の天井が出来ていた。その中心には、木々と一体化するように巨大な遺跡が聳え立っていた。
「あった……これが調査対象の遺跡だ」
赤髪の女性、ナターシャは目標である遺跡を見つけ、目を細める。周りの冒険者達も自分達が探していたものが見つかったことに喜ぶが、警戒は解かず周囲に意識を向けていた。
「報告通りだな……本当にこんな遺跡が突然現れたのか?」
「ええ……情報によれば、この木の根っこの中から飛び出して来たらしいわよ」
男の質問にナターシャは答え、腕を組んで遺跡を見上げる。
よく観察すれば遺跡の上部には絡みついた根っこが千切れている部分があり、周囲にもその根っこが転がっている。遺跡もかなり汚れており、土が付いている部分が多くあった。その様子を見て男は怪訝そうな表情を浮かべる。
「じゃぁなんだ? ずっとこの遺跡は地中に埋まっていて、ある日突然根を突き破って地上に出て来たってことなのか? 有り得ないだろ」
「ええ、そうね。あり得ないわ。だから私達が居るのよ」
遺跡が突然現れるなんてことは普通起こらない。例え魔法を使ったとしてもこれ程巨大な遺跡は簡単に動かすことは出来ないだろう。故にその仕組みを解明しなくてはならない。ナターシャ達冒険者はその為にここへとやって来たのだから。
「まずは入り口を探すわ。皆も周りを調べて」
ナターシャがそう言うと仲間の冒険者達も頷き、調査を始める。遺跡はかなりの大きさであり、形状も普通の遺跡とは大分異なっている。何が起こるか分からない為、冒険者達は慎重に遺跡を調査した。
遺跡の壁に近寄り、ナターシャはまず鞘で突く。何か異変は見られず、今度は手で触れた。そして土を払ってみると、文字が刻まれていることに気が付く。だが見た事もない文字である為、読み解くことは出来なかった。
(古い遺跡……こんなの見たこともない。この文字は何を表しているんだろう?)
パッと見た限りではこの遺跡がどのような物なのかは分からない。ナターシャ自身もこれくらいで分かるとは思っていなかったが、あまりにも見たことのない遺跡であった為、眉間にしわを寄せた。
(そもそも何の用途で造られたものなのかしら? こんな形状、普通の建物じゃ造らないだろうし……)
これが古代の建築物なのならば何らかの用途の為に造られたもののはずである。だが一見しただけではその用途が分からない。窓や扉になるものも見当たらないし、ただの家にしてはあまりにも巨大過ぎる。その違和感にナターシャは疑問を抱く。
「おい、こっちに入り口みたいなのあったぞ!」
一人の冒険者がそう声を上げる。それを聞いて周りの冒険者も集まり、ナターシャも壁から離れるとその方向に向かった。
「これが入り口?」
それは無機質な扉で、壁にも刻まれていた文字が更に無数に刻まれている扉であった。かなり大きめの扉で、竜でも入れそうなくらいの高さと幅がある。
「見るからに怪しい扉だな」
「ああ、奥に悪魔でも潜んでいそうだぜ」
「無駄口叩いてないで。早く開ける方法を探すよ」
冒険者達の言葉を無視しながらナターシャは扉を触り、何か手掛かりはないかと調べる。だがその扉には鍵穴もドアノブすらもなく、どう開けるのかさっぱり分からない形状をしていた。
試しに押したり引いたりを繰り返すが、やはり扉はピクリとも動かない。このままでは遺跡の調査など出来ないと困った彼女は怒りをぶつけるように扉を叩いた。すると遺跡が揺れ動き、扉が開き始めた。
「あ……」
「開いた……」
「こんなんで開くのかよ」
叩くだけで開いた扉を見て冒険者達は呆れた笑みを浮かべる。ナターシャも気まずそうに頬を掻くが、すぐに気持ちを切り替えて遺跡の調査へ意識を向けた。
「さぁ、行くわよ。私達の目的はこの遺跡の調査なんだから」
「ああ、そうだったな。じゃぁちゃちゃっと中の様子を見るか」
「何かお宝があると良いな。伝説の剣とか、竜の秘宝とか」
いよいよ遺跡の調査となり、冒険者達も張り切る。こういった遺跡ではよく古い武器や防具、古代の宝が発見される為、冒険者達はそれを狙っているのだ。ナターシャも少しだけそれを期待している部分があり、何か金になりそうな物が出て来て欲しいと願っていた。だが古代の遺跡とはいえ何が潜んでいるかは分からない。どんな時も油断してはならない。かつての師匠であるアレンの言葉を思い出しながら、ナターシャは気を引き締め直した。
(そういえば、アレンさんって前に私が調査した山の近くに住んでるらしいわね……忙しくて会いに行けなかったけど、この調査が終わったら会いに行こっかな)
扉を通って暗い通路の中に入っている途中、ナターシャは以前シェルから受け取った手紙のことを思い出す。シェルとは時折手紙のやり取りをしており、その内容でアレンが辺境の村に住んでいることを聞いていたのだ。その時はアレンの居場所を知って喜んだのだが、ギルドからの依頼で忙しかった為、中々会いに行くことが出来なかった。今回の調査を終えれば多少は時間が出来る為、今度こそ師匠に会いに行けるだろうとナターシャは計画を立てた。
一行は警戒しながら遺跡の中を進んで行く。途中で暗くなってきたので松明を用意したが、辺りが薄っすらと緑色に明るくなった為、必要なくなった。見ると壁に刻まれている文字自体が光っているらしく、冒険者達はその現象に不気味さを覚えた。
「なんでこの壁の文字光ってるんだ?」
「さぁ、まぁ明るくて助かるじゃねぇか」
「そんな簡単に考えないで。明らかに怪しいでしょうが。十分警戒してよ」
「わーってるよ」
呑気な仲間達に呆れながらナターシャは前へと進んで行き、遺跡の内部を確認する。
基本は通路の一本道だが、時折広い空間や、やけに高さのある空間などが繋がっていた。とても人が生活出来るような場所ではなく、恐らく儀式か何らかの神聖な場所として扱われていたのだろうとナターシャは予測を立てた。
(というか、この遺跡どうなってるの? 勝手に扉は開くし、中は明るくなるし……どう見ても普通じゃない)
あまりに異質な遺跡にナターシャの警戒心はどんどん高くなっていく。
先程から目にする遺跡内の構造はあまりにも一般とは違い過ぎる。刻まれている文字も解読出来ず、通路も不可解な造りになっている。遺跡と言うよりはダンジョンと表現した方が正しいだろう。そんな空間にまるで自分達が進んで罠に掛かっているような気がして、ナターシャは首筋がムズムズと痒くなる感覚を覚えた。
「全然お宝ないなー。構造も迷路みたいになってるし、遺跡にしては随分と中は綺麗だし……ここ、なんかおかしいぜ」
「ああ、それにさっきから誰かに見られてるような気が……」
「…………」
他の冒険者達も遺跡内の様子に疑問を抱き始め、周りに警戒の視線を向ける。すると途中でナターシャは立ち止まり、まさかと思って彼らの方へ振り返った。冒険者はそんな様子の彼女を見て不思議そうに首を傾げる。一方で、ナターシャは信じられなさそうに目を揺らしながら口を開いた。
「ねぇ、人数一人減ってない?」
複数居た冒険者の内一人が欠けていることに気が付き、ナターシャは動揺する。冒険者達もそれを言われて自分達の周りを確認し、仲間が一人欠けていることにようやく気が付く。
「なっ……ぇ、あいつは?」
「そんな……さっきまで隣に居たはず……ッ」
つい先程までその仲間は自分達の傍に居たはずである。先頭を歩いていたナターシャだって一度後ろを確認した時、その仲間の姿を見ていた。何か異変があったとしてもすぐに気付けたはずなのだ。なのに音もなく、その仲間は消えてしまった。
冒険者達の間で動揺が走り、各々の武器を手に取る。そして近くに敵が居ないかどうかを確認した。
「おい、どういうことだよ? お前隣に居たんだろ? 何で確認しておかなかった!?」
「いや、俺はちゃんと見てたって。お前こそさっき一回話し掛けてただろ。その時消えたんじゃないのか!?」
不安は恐怖を募らせ、冒険者達は何故仲間が消えてしまったのかの原因を探る。そしてあまりにも突然の出来事から、仲間内で疑いを持ち始めた。
「二人共そんな事言い合ってる場合じゃないでしょ。とにかく落ち着いて、仲間を探さないと……」
ナターシャは二人を宥め、まずは消えてしまった仲間を探すことを優先しようとする。しかし彼らはあまりの恐怖からか、すぐにその提案に賛同しようとしなかった。
「ナターシャ、お前この遺跡の扉開けてたよな? 実は何か知ってるんじゃないのか?」
「そうだ。常に先頭を歩いていたし、お前……怪しいぞ!」
「……はぁ?」
二人は標的をナターシャに変え、無理やり指摘をして来た。それを聞いてナターシャは苛立つように声を上げる。そして自然と腕が腰にある剣に伸びていた。それに気が付き、彼女は思わず息を呑み込む。
(ッ……私、今何をしようと……?)
何故自分は今、二人の見当違いな指摘に対して殺したい程苛立ちを覚えた? 何故自分の手は剣の柄に伸びている? そんな疑問を抱き、自分の震えている手を見つめる。何かがおかしいことに、彼女は気が付いた。
「おい、何黙ってるんだよ。やっぱりお前怪しいぞ! ナターシャ」
「……お、落ち着いて。何かおかしい……」
ナターシャは詰め寄って来る二人を落ち着かせ、自分も距離を取る。そして額を抑え、熱を帯びている頭を冷まそうとした。
「お前、さては魔物だろ? ナターシャに化けてたんだな?」
「そうだ。そうに違いない。さっさと討伐して、こんな所から抜け出してやる」
「や、やめて二人共……これは罠よ!」
制止の声も届かず、二人はそれぞれ槍と己を手にする。そして躊躇なくナターシャに向かって武器を振るった。すぐさま彼女は後ろに身を引き、更に距離を取ろうと下がる。だが二人は目を血走らせ、ナターシャを追って再び武器を振るう。
「……ッ!」
「死ねぇぇぇえええ!!」
仕方なくナターシャも剣を引き抜き、対峙する。だが一人が巨大な斧を振るい、ナターシャがそれを正面から受け止めると腕に鋭い痺れが走った。その隙にもう片方が槍を突き出し、彼女の肩に命中する。
「うぐっ……駄目っ……二人共正気に戻って!」
傷ついた方を抑え、ナターシャは距離を詰められないよう剣を突き出しながら更に後ろへと下がる。だが相手はパワー重視の斧使いと、リーチの長い槍使い。おまけに通路は狭く、攻撃パターンが制限されてしまう。単純に見て人数的に二人の方が有利であった。
「魔物の言う言葉なんか信じるもんか……! さっさと死ねぇ!!」
「くっ……!」
片方が動き、狭い通路で己を振り回す。ナターシャは何とかそれを剣で受け流すが、一撃を受ける度に腕には痛みが走り、徐々に押されていった。
これでは不味いと思った彼女は動きを変え、剣を回転させると斧を弾き返す。そしてやむを得ず仲間の冒険者の顔を足蹴りした。
「ぐがっ!」
「許して……!」
仲間を蹴り飛ばし、そのまま槍使いの方を相手取る。槍を弾くと一気に距離を詰め、空いている方の手で男を殴り抜く。そしてよろめいている槍使いと、膝を付いている斧使いと対峙して剣を反対向きに持ち直す。
「しばらく気絶してて!」
このままでは調査どころではない。ひとまず二人を無力化する必要がある。そう判断したナターシャは剣の柄で二人を気絶させようと振りかぶる。だがその直後、何かが彼女の腕に激突した。
「うあッ……!?」
それは何かの蔓のようなものだった。持っていた剣を落としてしまい、ナターシャはその場に膝を付く。すぐに剣を持ち直そうとしたが、その剣は蹴られて遠くへ飛ばされてしまう。見上げると、そこには仲間の二人が立っていた。
「ッ……」
「じゃぁな。ナターシャの姿をした魔物」
そう言って二人は躊躇いもなく武器を振るう。ナターシャはその光景を、ただ悲し気に見上げることしか出来なかった。
そして遺跡内に悲鳴が響き渡る。壁に刻まれている文字は不気味に明るくなったり暗くなったりを繰り返し、やがて通路を影に覆われていく。その闇の中で、植物の蔓が蠢いていた。
「ウフフフ……」
何者かが笑みを零す。闇の中に潜むその何かは、冒険者達の遊戯を見て面白おかしそうに手を叩く。そして植物の蔓は闇の中へと溶け込み、姿を消してしまった……次なる獲物を求めて。