特別短編:絵描きの旅人
ある日、アレンとリーシャ、そしてルナの三人は森で散歩をしていた。散歩と言っても本来は村の近くに危険な魔物が居ないかの確認なのだが、リーシャとルナの実力があまりにも高すぎる為、ちっとも魔物が寄り付いて来なかった。故に殆ど森を歩き回っているだけで、散歩のような状態になっているのだ。
「ふんふんふ~ん」
「随分ご機嫌だな。リーシャ」
「えへへー、だって父さんと散歩するの久しぶりなんだもん!」
「そうだっけか? まぁ最近はちょっと忙しかったしな」
リーシャは鼻歌を口ずさみながら森の中を歩き、木の根っこを飛び越えて散歩を楽しんでいる。どうやら久々に家族でゆっくりと時間を過ごせている為、嬉しいようだ。その様子を見てアレンも嬉しそうに頬を緩める。
「父さん見て、リスの家族が居る」
「おお、珍しい。しかも家族一緒とは可愛らしいな」
隣を歩いていたルナが立ち止まり、木の枝の上に居るリス達を指差す。動物だと然程警戒心はないのか、リスはルナ達を見てもすぐに逃げ出すようなことはなかった。
その調子で三人は平和な森の中を散歩し続ける。すると先頭を歩いていたリーシャは大きな木の根っこの上に飛び乗り、あることに気が付く。
「ん? 足跡だ……」
地面に残っている人間の足跡を見つけ、リーシャは目を細める。
大きさからして若い男性。恐らく痩せており、冒険者のような類の人間ではないだろう。そう予測を付けてリーシャは念のため、腰に装備している聖剣に手を添えた。
「むー……」
リーシャは静かに姿勢を低くし、足跡の行き先を目で追う。どうやらこの人物はこの辺りをウロウロと歩き回り、一本の木の前で立ち止まったようだ。そこで足跡は途切れている。
そこまで確認して状況を察したリーシャは剣を鞘のまま抜き、勢いよく飛び出す。そして足跡が途切れている木に向かって思い切り剣を叩きつけた。
「うおわぁっと!?」
グラグラと樹木が揺れ動き、頭上から男の慌てふためく声が聞こえて来る。次の瞬間、大量の葉っぱをまき散らしながら地面に一人の男が落ちて来た。
「いって! くっ……いきなり何するんだよ!?」
「そっちこそ木の上で何してたの? この森は魔物が多いから、普通の人は近づかないはずだよ」
現れた黒髪に白いマントを羽織った目つきの悪い男に対して、リーシャは鞘に入ったままの剣を突きつける。すると男は頬を掻き、短くため息を吐いた。
「ったく、面倒くさい……逃げるか」
「あ、ちょっと待ってよ!」
男は勢いよく跳び上がり、華麗にリーシャを飛び越えるとそのまま逃げ出してしまった。
「どうした? リーシャ」
「変な男の人が逃げた! 追い掛ける!」
遅れて追い付いて来たアレンとルナがリーシャの様子を確認するが、彼女もすぐに走り出し、男の後を追い掛ける。
「待てー!」
リーシャは木々を蹴って複雑な地形をあっという間に抜け、尋常ではない速さで男との距離を詰める。すると男も後ろからリーシャが追いかけて来ていることに気が付き、驚愕の表情を浮かべた。
「うお、マジか。猿みたいな素早さだな。嬢ちゃん」
「猿じゃないもん! リーシャだもん!」
男は器用に後ろを見ながらリーシャの様子を観察する。するとこのままで追いつかれると判断したのか立ち止まり、懐から奇妙な物を取り出した。それは金色の輝く美しい筆であった。
「ああ、そうかい。なら俺も変な男じゃなくてアシリギって言うんだ。覚えとかなくて良いぞ」
次の瞬間、アシリギと名乗る男は空中に筆を振るった。すると金色の線がその場に残り、そのまま線と線を結んで一つの絵を空中に描く。それは巨大な盾であった。そしてアシリギが小さく何かを呟くと、絵だったその盾は白銀の盾へと変化した。
「なっ……えぇぇ!?」
飛び移る先に突然本物の盾が現れ、慌ててリーシャは足を前に突き出す。そして盾を蹴って宙を舞い、地面へと着地した。
「何それ!?」
「魔法だよ。創造魔法って言うんだ。描いたものを何でも現実のものに出来る」
リーシャは見たこともない現象に戸惑い、その間にもアシリギは筆を動かし、空中に生き物の絵を描いて行く。
「例えばこんな風に」
再び絵が動き出し、生き物の絵は本物の魔物へと姿を変える。狼型の魔物で、彼らは鋭い目つきでリーシャのことを睨み、唸り声を上げた。
「グルルルル!」
「ええー! ずるい!!」
狼型の魔物は一斉に走り出し、リーシャへと襲い掛かる。だがリーシャもそれくらいで逃げ出すことはなく、狼達の牙と爪を避け、鞘から聖剣を引き抜くと一閃を放つ。たったその一撃だけで魔物達は全員斬り裂かれ、光の粒子となって消えてしまった。
「マジか。本当にただの嬢ちゃんじゃないな……なら、これでどうだ?」
リーシャの実力を見てこれは一筋縄ではいかないとアシリギは判断する。すると今度は周りに植物の絵を描き、再び実体化させる。それは巨大な植物型の魔物へと変わり、花弁から無数の牙を生やした怪物が雄たけびを上げた。
「キシャァァァアアアアアアアア!!」
「何でもアリじゃん!」
すぐに新しい物を創り出してしまう様子を見てリーシャはげんなりとした表情を浮かべる。だが魔物はそれで遠慮してくれるはずもなく、蔓を動かしてリーシャを縛り上げようとした。
「わわっと!」
慌ててリーシャはその蔓を躱し、一度後ろへと下がる。そして聖剣を持ち直すと、改めて魔物の見た目を観察した。
身体の殆どは蔓でグルグル巻きになっており、通常の生き物とは違う構成をしている。唯一目立つ頭部らしき花の部分には花弁に牙が付いており、肉食獣のような面もある。目らしきものが見当たらない為どのように周りを認識しているのかは分からないが、何らかの器官で生き物の場所を確認する術を持っているようだ。
以上のことを思考で纏め、リーシャは大きく息を吐き出す。いつもの魔物と変わりない。敵を見極め、弱点を突けば良い。そう自分に言い聞かせ、勢いよく走り出した。
「せやぁ!」
向かって来る蔓を斬り裂き、リーシャは跳躍する。そして魔物の身体に飛び乗ると、聖剣を大きく振りかぶった。
「これならどうだ!」
胴体らしき部分に聖剣を振るい、真っ二つに斬り裂く。だが魔物はそれくらいで動きを止めることはなく、身体が半分になっても周りに蔓を伸ばして動きを安定化させ、奇声を上げた。
「ギャシャァァアアアアアア!!」
「しぶとい!」
暴れ回る魔物から離れ、リーシャは地面に着地する。すると魔物は周りに伸ばしていた蔓を一斉にリーシャへと振るった。すぐさま彼女は聖剣で防御し、僅かによろめくだけで済む。だが腕には痺れが残り、リーシャは忌々しそうに唇を噛んだ。
「もー、奥義使う訳にはいかないし……こうなったらぁー!」
一般人相手に勇者の力を使う訳にはいかない為、リーシャは覚悟を決めて走り出す。真正面から魔物に立ち向かい、聖剣を振るった。
「グシュゥァアアアアアアッ!!」
魔物の身体が斬り裂かれ、大量の蔓が絡まって形成されていた身体に隙間が出来る。リーシャはそこを滑り込むようにして通り抜け、魔物の後ろにいるアシリギへと飛び掛かった。
「本体を直接倒す!」
「なに……!?」
アシリギもまさか直接自分のところに乗り込んでくるとは思わず、呆気に取られる。そんな彼にリーシャは剣を振ろうとしたが、その直後、二人の間に氷の壁が出現した。
「そこまで、リーシャ。何熱くなってるの?」
「わっ……とと……ルナ」
見ると木々の間にルナが立っており、呆れた視線をリーシャに向けていた。その後ろにはアレンも立っており、どうやら二人共ようやく追いついたようである。
リーシャもそれを見てようやく冷静になったのか、氷の壁から離れると大人しく聖剣を下ろした。
「ご、ごめん……」
「私にじゃなくてその人に謝って」
リーシャが謝るとルナは両腕を組み、視線でアシリギの方に謝るように促す。
最近のルナは明るくなった分、自分の意思をしっかりと持つようになった為、こういった状況の時はかなり怖い。リーシャはアシリギの方に移動し、頭を下げる。
「ごめんなさい……」
「あー……いや、俺もすまん。嬢ちゃんがあまりにも面白かったんで、ちょっと遊んじまった」
アシリギも頭を掻きながら気まずそうな表情を浮かべ、同じように頭を下げた。
彼もリーシャが面白い戦い方をする為、ついつい楽しんでしまったのだ。
「あんた、旅人か? この辺りは滅多に人が寄り付かないはずなんだが、何か用事でもあったのか?」
アレンもリーシャ達の近くにより、アシリギにそう問いかける。するとアシリギはマントを翻し、律儀にお辞儀を取った。
「俺はただの絵描きだよ。今は修行中でね。色んな場所で絵を描いてるんだ。ほら」
鞄の中から羊皮紙の束と道具を見せ、彼はそう説明した。
珍しい職業にリーシャとルナも興味ありげな表情をし、アシリギが持っている羊皮紙に描かれた絵に視線を向ける。するとそこには、先程のリーシャが戦っている姿の絵が描かれていた。
「あ! これ私だ」
「ああ、中々嬢ちゃんは絵になったんでな。さっきの戦いの最中に描かせてもらった」
「へー、器用なことするね」
自分の絵を見つけてリーシャはぴょんと飛び跳ねる。アシリギも見やすいように彼女に絵だけ紙束から取り出し、手渡した。その絵を見てリーシャはおーと声を漏らし、隣から覗いていたルナも思わず目を奪われる。
「これ、綺麗……」
そこに描かれているリーシャは真っすぐな瞳をしており、一切の迷いを見せない姿をしていた。それは普段の彼女らしさを確かに表現しており、ルナは見とれてしまう。
「ここに来た理由は……俺もよく分からん。創造魔法を使ってたら変な穴が出来て、ここに来ちまったんだ」
「えー、何それ。変なの」
「俺もそう思う……まぁただの旅人の絵描きって思ってくれ」
どうやらアシリギは少々複雑な出自のようだ。だがリーシャ達自身も正体を隠さなければならない身の上の為、そのことについて詮索するようなことはしなかった。
「絵描きとはまた珍しいな。面白い魔法も使えるみたいだし、冒険者になろうとは思わなかったのか?」
「興味ないね。俺は描くことが一番好きなんだ。他のことなんざ眼中にない」
アレンの質問にアシリギは手を振りながらばっさりと答える。
彼の中では絵を描くことこそが一番であり、それ以外のことは例え自分に利があろうとどうでも良いらしい。
「へー、変わってるー。ねぇ、何か絵描いてよ!」
「む、嬢ちゃんには迷惑掛けたし、良いぜ。丁度あんた達のことも描きたいと思ってたんだ」
リーシャのお願いをアシリギは受け入れ、早速鞄から紙と鉛筆を取り出す。そしてアレン達の方に顔向け、目を細めた。
「じゃぁそこ並んで。黒髪の子はここ……よし、良いね」
三人に指示を出し、良い具合に配置が決まるとアシリギは満足そうに頷く。そして動かないように指示を出すと切り株に腰を下ろし、絵を描き始めた。その間リーシャは動けなくてムズムズしていたが、ルナに注意されて何とか我慢する。するとあっという間にアシリギは絵を完成させ、三人にそれを披露した。
「おー、こりゃ上手いな。今まで見て来た絵で一番上手だよ」
「えー、私ってこんな顔してたー?」
「リーシャが何度も動いてたからだよ」
完成した絵を見て三人はそれぞれ感想を言う。特にアレンは依頼で色んな絵を見ることがあったが、その中でも特にアシリギの絵は綺麗だった。
「お褒めにあずかり光栄。んじゃ、悪いが俺はそろそろ行かせてもらうよ」
アシリギは三人に反応を見て嬉しそうに笑い、帰り支度を始める。のんびりしていると山を下りている最中に夜になってしまう為、早く行動する必要があるのだ。
「こんな綺麗な絵を有難う。いつかまた来てくれ。その時お礼をする」
「そりゃ嬉しいね。でも、もう会うことはないと思うぜ」
アレンの言葉にアシリギは意味ありげな表情を浮かべ、マントをはためかせる。
「俺は自由な絵描きなんでね、色んな世界を見てみたいんだ。だからここにはもう戻って来ない」
彼にとって世界とは絵を描く為の材料。自然も建造物も全ては絵を描く為に必要な過程に過ぎない。故に最高の絵を描く為にもっと多くの材料を観察する必要があるのだ。
(おまけにこの家族、なんか普通の関係じゃないっぽいしな。悪い人達じゃなさそうだが、面倒ごとはごめんだぜ)
ふとアシリギは顔を別方向に向けたまま、視線だけ横に向けて三人のことを観察する。
リーシャからはとてつもない強大な力を感じ、ルナからは人族とは違う何か不穏な気配をアシリギは感じていたのだ。それにアレンも只者ではないと見抜いており、アシリギは彼らが複雑な家庭なのだということを察していた。そして彼はそういった面倒なものは嫌いだった。
そしてアシリギは懐から金の筆を取り出し、宙に絵を描く。すると光り輝き、その場に濃い霧が発生した。
「という訳で、さらば!」
最後にアシリギのその声だけが響き、霧は徐々に晴れていく。そして視界が完全に見えるようになると、もうそこにはアシリギの姿がなかった。
「なんか、変わった人だったねー」
「そうだね……でも面白い人だった」
「ああ、それにこんな綺麗な絵を描いてくれたんだから、きっと良い人だよ」
アレンはもう一度アシリギが描いてくれた絵を確認する。一枚の羊皮紙の中心には、アレン、リーシャ、ルナの三人が並んだ絵が描かれていた。
「んじゃ、帰るとするか。二人共道に迷わないようにな」
「はーい」
「分かってるよ、お父さん」
こうして三人は村に帰ることにし、来た道を戻り始める。その間三人の表情は終始笑顔であった。
「お、戻れた」
ドスン、と音を立ててアシリギは地面に尻もちを付く。そして痛そうに腰を摩りながら起き上がり、周りを確認した。見渡す限り平原が広がっており、遠くにはアシリギが住んでいる街が見える。どうやら無事戻って来れたようだ。アシリギは安堵し、自分の頭上の空間にある真っ黒な穴を見上げた。
「まさかまた突然穴が現れて帰れるとは……というかこの穴は何なんだ?」
ちょいちょいと穴に触れ、アシリギは首を傾げる。
先程は濃い霧に紛れてアレン達の元から立ち去ろうと思ったが、再び現れた穴に落ちてしまい、移動をしてしまった。やはりこの穴が原因で移動してしまうようである。
「下手に創造魔法を使うと危ないな。もっと勉強しないと」
アシリギがそう呟くと空間に出来ていた穴は光の粒子となって消えてしまう。それを見て彼は興味が失せたように視線を逸らし、街の方を見た。
「さてと……それじゃ俺は俺で、やっていくとするか」
アシリギは懐から取り出して金の筆を握り締め、街に向かって歩き出す。一人の変わり者の絵描きは、こうして自分の世界へと戻って行った。
今回登場したアシリギが主人公の「伝説の剣なら三分で作れる」も投稿しております!
気になったらお目を通して頂ければ幸いです!!