133:救いのない男
薄暗い部屋の中、ひんやりと冷たく、壁一面には木箱が置かれていた。
そこはどこかの倉庫らしく、所々に武器が無造作に転がっている。部屋の隅には血の汚れがこびり付いており、ここが普通の場所ではないことを物語っていた。
そんな部屋の中を一人の男がフラフラと歩いている。生気のない瞳に、色が抜けたような真っ白な髪、病人のように顔色が悪く、漆黒の鎧に身を包んでいる。年齢は三十程か、髭が薄っすらと生えており、顔には大きなしわが刻まれている。
男は部屋の中心まで来ると、木箱が重なって陰になっている部分に顔を向けた。
「おい、居るんだろう? 隠れてないで出てきたらどうだ」
男が苛立った口調でそう言うと陰になっている部分が揺らめき、そこから一人の女性が顔を覗かせた。紫色の髪が混じった黒髪を長く伸ばし、絵画のように精巧に作られた美しい容姿を持った女性。魅惑的な笑みが似合い、口元にはほくろがある。その反対側には頬から首筋まで荊の模様が刻まれていた。
「フフフフ、私は明るいところが苦手なの。だからここから話させてもらうわ」
その女性は陰から出ようとはせず、木箱の上に腰掛けながら陰に包まれたままそう言った。その周りからは何か蔓のようなものが蠢いており、男は思わずぎょっとする。
「怖がらなくて良いのよ、ケイン。私は貴方を決して傷つけないから」
「……ああ、分かっている」
女性は子供に言い聞かせるように優しい声でそう言い、ケインと呼ばれた男もそれを確認するように頷く。
「最近調子はどうなの? 吸血鬼狩りは上手くいっている?」
「……ぼちぼちだ」
女性の質問にケインは言いたくなさそうな表情を浮かべながら渋々答える。そして視線を逸らすと、苛立った様子で自身の頭を掻いた。
「でも貴方、吸血鬼とは関係ない人達まで殺したみたいね? 良かったの?」
「俺の目的を果たす為には必要なことだったんだ。仕方がない」
ケインはすかさずそう答える。目つきを鋭くし、決意が固まっているかのように拳を握り締めた。
彼の淀んだ瞳がますます黒く染まっていく。まるで少しずつ人間ではなくなっていくように。
「それとも、俺を咎めるのか?」
ケインは首を傾げながら女性にそう問いかけた。
握り締めた拳は腰にある蛇腹剣へと伸びていき、指がその柄に触れる。だがその様子を見ても女性は笑顔を浮かべたまま、まるで子供をあやすような甘ったるい声色で語り始めた。
「ウフフフ、いいえ、そんなことはしないわ。だって貴方は正しいもの」
女性は陰の中から手を伸ばし、ケインの頭に触れる。そしてその細い指が並んだ手で彼の頭を優しく撫で始めた。
陰に潜んでいる蔓がケインの身体に絡みつき、傍へと手繰り寄せる。ケインも抵抗せず、それを受け入れた。
「大丈夫よケイン。貴方にはそうする権利がある。それをするだけの理由がある。貴方が過去に経験した出来事に比べれば、犠牲の一つや二つ、可愛いものだわ」
耳元で囁きながら女性は何度もケインに許しを与えた。彼に過ちを感じさせないように、言葉を何度も呟く。するとケインの肩の力も抜け、握り締めていた拳も緩める。
「ああ……そうだ。俺は正しい。俺は間違っちゃいない……ッ」
ケインは己の行いを正当化する。
吸血鬼を殺すのは全て当然のことだ。奴らは生かしておいてはいけない生物。全てを殺し尽くさなければならない。その為ならば、どんな犠牲が出ようとは関係ない。
「全ての吸血鬼を殺すまで、俺に安らぎは訪れない」
ケインの淀んだ瞳は更に光を失い、生きた人間がするはずのない瞳となっていく。そんな彼の姿を見て女性はクスリと笑みを零した。
「フフフ、そうよ。貴方は間違っていない。だからその蛇腹剣……〈蛇王の剣〉を与えたんだから」
女性の言葉は甘く、まるで蜜のようで、ケインの頭の中はそれに埋め尽くされた。女性が囁く度にケインの中にある黒い欲望が膨張していき、力が漲って来る。まるで魔法の言葉のようだ。
「私は貴方に必要なものを与える。力が欲しいのなら魔武器を。鋼の身体が欲しいのなら魔防具を……何だって与えるわ。だって私は貴方を愛しているんだから」
女性は手を広げ、全てを受け入れる女神のように優しく微笑む。陰に潜む蔓がシュルシュルと動き、まるで翼のように広がっていく。そして女性は、ペロリと舌を出して自身の唇を舐めた。
「〈最愛〉の名を持つ私は、貴方の全てを愛してあげるわ」
彼女の紫の混じった黒髪が揺れる。首筋にある荊の模様が蠢き、彼女の瞳が怪しく輝いたような気がした。だがケインにとってはそんなことはどうでも良かった。この女性は自分の全てを受け入れてくれる。どんなことをしようと許してくれる。ケインにとってはそれだけで良かった。
「さぁ行きなさい、ケイン。貴方の大切なものを奪った憎き吸血鬼達を見つけ出し、殺すのよ」
「……ああ。見つけ出して……殺す……俺は、正しい」
女性はそう言うとケインに絡みつかせていた蔓を解く。するとケインはブツブツと自分に言い聞かせるように言葉を呟きながら部屋を後にした。その様子を見送っていた女性は愛おしそうに頬に手を当てる。
「……フフ、素敵よ、ケイン。貴方のその淀んだ瞳」
女性は舌をチロリと出し、笑みを零しながらそう言う。その口調は本当に愛しているように感情が籠っている。だが同時にその言葉には邪悪なモノも混じっていた。
「ああ本当、人間が壊れていく様を見るのは、最高に楽しいわね」
愛は不変。全てを愛し、全てを自分のものにしようとする魔の者。
彼女は着実と、その蔓を広げていく。
◇
ダンジョン内で茶髪の少年が走り回っている。剣と槍を両手に持ち、背中には斧を背負っている重装備の冒険者、アレン。彼は今まさに激闘を繰り広げていた。
「そらぁぁぁ!!」
「ゴガァァアアアアアアアアアア!!」
アレンの前に立ちはだかるは頑丈な岩で構築された身体を持つ怪物、ゴーレム。頭部と思われる部分からは血のように真っ赤な目玉が浮き出ており、紅く輝いている。
アレンはそのゴーレムに向かって槍を投げ飛ばした。風を切って槍はゴーレムの脚へと突き刺さり、脚部分の岩を破壊する。
「もう一発!!」
「グゴガッ……!?」
更にアレンはバランスを崩したゴーレムの肩に飛び乗ると、背負っていた斧を手に取り、その巨大な刃で顔面を吹き飛ばす。バラバラに粉砕された岩が辺りに飛び散り、ゴーレムの声にならない悲鳴が鳴り響いた。だが怪物はそれだけでは沈黙しない。破壊したと思われた頭部に再び周りの岩が集まり、赤い目玉が浮き出て来た。それを見てアレンは斧をしまい、岩に突き刺さっていた槍を手に取ると一度その場から離れる。
「ちっ……!」
「アレン君、伏せて!」
アレンの後ろから男の声が飛んでくる。その方向を見ると、そこには緑色に縁取りされた白のローブを纏った青年、魔術師のメルフィスが杖を突き付け、魔力を込めていた。
言われた通りアレンは身体を伏せる。すると次の瞬間、メルフィスの杖が緑色の光を発した。
「我が放つ光は無情の翠。全てを、滅せ。〈光嵐〉!!」
杖から無数の光の刃が放たれ、まるで嵐のごとくダンジョン内を切り刻みながらアレンの頭上を通り過ぎていく。ゴーレムはその光に反応することが出来ず、自慢の岩の身体を切り刻まれた。
「グゴアアアァァァァァァァ!!?」
身体の半分を失い、ゴーレムは地面に崩れ落ちる。だがそれでもその目玉は輝きを失わず、怒りを表現するように赤黒く輝いた。
「グゴ……ゴゴゴッ!!!」
「しぶとい奴だね。まだ動けるなんて」
ゴーレムの周りに散らばっている岩が動き、再び集まって行く。再生しようとしているのだ。その様子を見てメルフィスはゴーレムのとてつもない生命力に呆れた。そしてチラリとゴーレムの背後の方へと視線を向ける。
「だがこれで、終わりだ」
ゴーレムの頭上に突然アレンが現れる。
メルフィスが魔法を撃っている間に背後へ回っていたのだ。
まだ再生中のゴーレムは動くことが出来ず、アレンはそんなゴーレムの頭部に向かって斧を振り抜く。轟音と共に頭部を形成していた岩が破壊され、鈍い悲鳴が響く。だがアレンの攻撃がそれで終わることはなく、彼はそのまま斧を突き刺すと、もう片方の手に持っていた槍を突き刺した。
「ウォォオォォオオオオ……!!?」
「おらぁああ!!」
最後にアレンは剣を突き刺す。流石のゴーレムもそれだけの武器で攻撃されれば致命傷となり、魔力を失って輝きが消えた。
ただの岩となった身体はゴロゴロと転がり、アレンはその場に着地する。そして岩に突き刺さっている武器を回収し始めた。すると槍だけは引き抜くなりポキリと折れてしまい、アレンは舌打ちをして他の武器を回収する。
「ふぅ……なんとかなったね。これでこのダンジョンも攻略かな?」
「そうだな……また武器を新調しないと」
「アレン君は戦い方が荒すぎるんだよ」
メルフィスが近くにより、声を掛けて来る。アレンは武器の傷の確認をしながら返事をした。
先程のゴーレムはこのダンジョンのボスモンスター。ダンジョンはボスを倒すことで攻略した証となる。
「これで何個目だい? 一体いくつのダンジョンを攻略するつもりなのさ? アレン君」
「…………」
メルフィスは呆れたように笑いながら杖に体重を乗せ、そう尋ねる。アレンは武器の確認を終え、装備しながら静かに黙っていた。
アレンが冒険者になってからかれこれ数か月、遂に銀級冒険者となり、多くの依頼を受けられるようになった。だがアレンはダンジョン系の依頼ばかりを受けており、強い魔物と戦う日々を送っていた。
既にアレンは複数のダンジョンボスを葬っており、ギルド内ではちょっとした有名人になっている。〈閃光の魔法使い〉メルフィスの相棒であり、〈黒衣の剣士〉であるセレネに認められた男として評価されるようになったのだ。その為アレンを引き抜こうとするパーティや、依頼を一緒に受けて欲しいとお願いする冒険者が多く出てきたが、アレンはそれらを断り、魔物と戦う依頼ばかりを受けていた。
何故、そんなことばかりするのかは分からない。相棒のメルフィスですらその理由は知らない。アレンは誰にも、そのことを語ろうとはしなかった。
「俺が最強になるまで、やり続けるさ」
「ハハ……君が言うと冗談には聞こえないよ」
ただ威勢を張っているだけなのか、それとも本気で言っているのか分からない表情でアレンはそう言い切って見せた。
最強。それは子供が目指す絵空事。実際になるのはとてつもなく難しく、そして漠然としている。常に弱肉強食の世界の冒険者ならなおさら、目指す事の難しさは分かっているはずである。だがアレンは堂々と言い切って見せた。まるでそれ以外のことを考えていないかのように。
「相変わらず君は変わってて面白いね。冒険者になった時から」
「……そんな俺と組んでるメルフィスも、十分変わり者だろ」
「そうかな? 僕は結構常識ある人間だと思うけど」
メルフィスの言葉に対してアレンは反論する。するとメルフィスは疑問そうに首を傾げ、自身の頬を掻いた。
「〈緑の大魔術師〉の称号まで貰ってる癖に、ただの銀級冒険者とつるんでるのは十分変さ」
大魔術師。それは魔術師協会に所属している魔術師に与えられる称号。個別の色と大魔術師の称号を与えられた者は、魔術師にとって誇らしい地位と設備を与えられる。言わば魔術師達の夢のような称号である。
メルフィスは以前、その称号を試験に通過してようやく手に入れたのだ。当時のメルフィスはかなり苦労したとやつれながら言っていた為、その称号がどれだけ貴重なものなのかを物語っていた。
するとメルフィスはクスリと笑い、杖を持ち直して口を開いた。
「そういう君こそ、〈死に狂い〉なんて呼ばれてるじゃないか。定着する前にもっと良い二つ名を考えてもらいなよ」
トントンと杖で二度地面を突き、メルフィスはそう言う。するとアレンはふんと鼻を鳴らし、顔を背けた。
正式にギルドから与えられる二つ名とは違い、あくまでもあだ名として呼ばれている死に狂い。アレンが危険を顧みずダンジョンに挑み続けることからそう呼ばれるようになった。
まだ二つ名ではない為、多くの人に呼ばれている訳ではない。だがあだ名がそのまま二つ名になることはよくある為、メルフィスとしては自分の相棒がそんな風に呼ばれるのには少し抵抗があった。
だがアレンは興味なさそうに転がっていた石ころを蹴り飛ばす。
「俺はそういうの興味ないんだよ。どうでも良い」
「えー、名は体を表すって言うんだから、大事なんだよ。もっと良いのを考えようよ」
「お前……俺より年上のくせに、そういうところは子供っぽいよな」
大魔術師という称号に憧れていたように、メルフィスは地位や階級にこだわっている部分がある。そういうところを子供っぽいと感じているアレンは呆れたようにため息を吐いた。
それから二人はゴーレムの討伐証拠である目玉部分の岩を回収し、帰還することにする。
ダンジョンボスを倒したからといってダンジョンから魔物が居なくなる訳ではない為、十分警戒して戻らなければならない。
「さて、それじゃギルドに戻ろっか。またダンジョンを攻略したって皆にお祝されるんじゃない?」
「……それも興味ない」
「あ、そう言えばそろそろセレネが戻って来る頃だったかな? 依頼を終えて」
「…………」
通路を歩いている最中、後ろからメルフィスはそんなことを言って来る。アレンは出来るだけ興味ない素振りを取っていたが、セレネという言葉が出て来た時だけ、一瞬立ち止まってしまった。
黒衣の剣士セレネ。初めてダンジョンボスと戦って死に掛けていた時、助けてくれた女性。
彼女には秘密がある。アレンだけが知っている秘密。正体が魔族であるということ。それに対してアレンが何か特別な感情を抱いている訳ではないが、セレネはやたらとアレンに話し掛けて来る為、つい反応を示してしまったのだ。
「どうでも良い。さっさと戻るぞ」
「はいはい、分かったよ。アレン君」
アレンはすぐにいつも通りの態度で応え、通路を少し早歩きで進んだ。そんな彼を見てメルフィスは面白そうに笑みを浮かべ、後を追い掛ける。
「おっさん、勇者と魔王を拾う」2巻、8月10日に発売致します!
詳しくは活動報告を見て頂ければ幸いです!