130:黒衣の剣士
空も地面も何もない空間。そこでは上も下も分からず、ただ暗闇だけが広がっている。アレンはその空間で浮遊するように存在していた。
夢なのか幻覚なのかは分からない妙な空間に彼は戸惑い、とりあえずその場に立とうとする。闇しか存在していないので、明確な地面というものは存在しないのだが、それでも立つというイメージを浮かべるとその場に脚を付けることが出来た。
「…………」
妙な浮遊感を感じたままアレンはその場に呆然と立ち続ける。頭にもやがかかったような眠たげな気分で、上手く頭が働かない。とりあえず前に進むことにし、歩き出す。すると前方から光が見えて来た。その光の中には誰かが立っており、アレンは目を細めてそれを確認する。
「……あ」
それはレドであった。生前と変わらぬ豪華で真っ赤なドレスを身に纏い、満月のような美しさを放つ黄金の髪を垂らした可憐な少女。
「母、さん……」
思わずアレンは駆け寄ろうとする。だが脚は前に進んでいるのに、ちっとも距離は縮まらない。まるで水の中にでも居るようで、身体は動くのに自由に動き回れないような感覚だった。
それでもアレンは必死に脚を動かし、レドに手を伸ばす。
「母さん……!!」
光の中でレドはただアレンに笑顔を向けているだけだった。いつものように余裕の笑みを浮かべ、アレンの仕草を面白がるような態度を取っている。
アレンの手は届かない。声も、思いも、何も届かない。どれだけ手を伸ばしてもその手は闇を掴むだけで、レドとの距離が縮まることはない。
すると、レドの背後から十二本の武器が現れた。彼女の奥義である〈十二・聖魔武器〉。聖剣、魔剣、妖刀、一般人がそう簡単には手にすることが出来ない伝説級の武器。アレンですらそれらを見せてもらったことは少ない。
それらの武器はレドを中心に円を描き、ゆっくりと回転している。するとレドは自分の口元にそっと人差し指を当てた。何かを呟くように口を動かし、彼女は最後にニコリと優しく微笑む。アレンにはそれが何を意味しているのか分からなかった。
やがてレドは闇の中へと姿を消し、十二本の武器だけがその空間に残った。アレンも走ることを止め、その場に立ち尽くす。
視界が段々と暗くなっていく。この幻覚から覚める時だ。
「…………」
目覚めた時、アレンの視界には真っ白な天井が映った。
身に覚えのない光景、遠くからは人の声が聞こえて来る。どうやらどこかの医療施設のようだ。ふと自分の身体の方を見てみると包帯で雑にグルグル巻きにされており、筋肉痛になったかのように節々が痛かった。アレンは小さくため息を吐き、身体を起こす。
「あ、目が覚めたかい?」
部屋の扉の方から聞き覚えのある声が聞こえて来る。その方向を見ると、扉のところにメルフィスが立っていた。
彼はアレンと同じようにベッドで眠っている人達の前を通り過ぎ、アレンの居るベッドの前へとやって来る。手には袋に入った果物があり、メルフィスはその一つをアレンの横にある机の上に置く。お見舞いということらしい。
アレンもようやく意識が覚醒して来た為、状況を確認することにする。
「……ここは?」
「街の医療施設だよ。アレン君、ボロボロだったからね。回復して良かった」
予想通りここは医療施設らしい。少々治療が雑な気がするが、しないよりはマシとアレンは考えることにする。
そしてアレンは腕に巻き付いていた包帯を解き、身体の調子を確認する。やはりまだ少し痛むが、それでも後遺症の心配はなさそうである。
「いやぁ、大変な目に遭ったね。まだアレン君は冒険者になったばかりなのに、いきなりダンジョンボスと戦うことになるなんて」
「ああ、そうだな……自分の運が良すぎて怖いよ」
「アハハ、確かにね」
結構危険な目に遭ったというのに、メルフィスは軽い調子で言う。
冒険者である彼からすればあのような体験は何度もしたので珍しくないのだろう。現に彼はヘビーデーモンの存在に驚いてはいたが、終始冷静だった。逃げる算段も考えてどう動くべきかをきちんと理解していた。
ふとアレンは自分の手を見つめる。また傷が増えてしまった。もっと強くならなければならない。そうでなければ、自分の目的を果たすことは出来ない。
「あの後どうなったんだ?」
アレンは顔を上げるとメルフィスにそう尋ねた。
意識を失う間際、アレンはヘビーデーモンの倒される瞬間を見ていた。だが記憶が曖昧な為、正確に何が起こったのかを思い出せない。
「ああ、そっか。アレン君は気絶しちゃってたもんね。少しは覚えてる? 彼女が助けてくれたんだよ」
メルフィスは袋を机の上に置き、説明を始める。
アレンも誰かが助けてくれたことを覚えていた。僅かに記憶に残っているのは、真っ黒な髪に黒い瞳をした少女。あの少女の姿だけ、記憶の中に焼き付いている。
「あの黒衣の剣……」
「あっ、起きたーー? 新米君!」
アレンが言い掛けた瞬間、扉を開ける大きな音と共に元気な少女の声が聞こえて来る。ベッドで眠っていた患者達も思わず驚き、何事かと身体を起こす。
アレンも驚いて扉の方に顔を向けると、そこにはあの時の少女が立っていた。
サラサラの黒髪に同じく黒の丸い瞳。色白で、不思議な雰囲気を纏っており、露出の少ない黒のワンピースの上にこれまた真っ黒なローブを纏っている。その腰には二本の剣が携えてあり、一本は荊の装飾が施された細身の剣。もう一本は包帯で巻かれた歪な剣。それなりの重量があるだろうに、少女は気にした様子もなくそれを持っていた。
まるで一人だけ別の世界に居るような、そんな幻想的な少女。笑顔が似合い、ニコリと微笑んでアレン達の方に手を振る。
「いやー間に合って良かったよ! 駆け付けた時には二人も倒れてるからさー、来るのが遅かったと思って焦っちゃった。特に君なんかボロボロの雑巾みたいになってたからさー、いやぁ生きてて良かったぁ」
その少女はツカツカと遠慮のない足取りでアレンのベッドの前まで移動すると、早口でそう言う。一言喋る度に大袈裟に手を振り、焦ったり安堵したりと何度も表情を変える為、アレンは随分と元気な人だと感想を抱いた。
「あんたは……あの時の?」
「あっと! 自己紹介がまだだったね。私はセレネ。銀級冒険者で、皆からは〈黒衣の剣士〉って呼ばれてるよ! よろしくね」
アレンの問いかけを聞き、少女は忘れていたと自分の名前を明かす。何故か妙なポーズを取り、自分の目の部分に二本指を立てる。彼女なりに何かをアピールしているのかも知れないが、アレンは大して反応を取ることが出来なかった。
「セレネ……アレン君はまだ病み上がりなんだから、大声出さないでくれ。それにここは他にも寝てる人が居るから」
「おっと、そうだった。ごめんごめん、どうしても新米君の顔が見たくてさ」
流石に病室で騒ぐのは不味いと思い、メルフィスが注意する。するとセレネも素直に謝罪し、それに従って声を少しだけ小さくした。
「それじゃ私は帰るよ。調子を確認したかっただけだしね。じゃぁまたギルドでね! アレン君」
「あ、ああ……」
用事を済ませたセレネはそう言うと手を振って去っていく。本当にアレンの容態を確認したかっただけのようだ。アレンも手を振り返し、セレネが部屋から去るのを見送る。
「……嵐みたいな人だったな」
「ハハハ……まぁね」
セレネが去った後、アレンはメルフィスとそう言葉を交わす。
突然現れ、散々騒いだ後あっという間に消えてしまう。セレネという人物はまさしく嵐と称するにふさわしい。だがアレンは気付いていた。セレネが目の前に立った時、彼女からは一切隙を感じなかった。終始笑顔なのも、自分に圧倒的な自信があるからだ。彼女の身体からは実力者としてのプレッシャーが放たれていた。
アレンは自然と拳に力を込める。完成された力。それを目の当たりにし、自分がいかに不完全な存在かを再確認してしまう。
「セレネは少し前にギルドに入った子でね。あっという間に昇格して銀級冒険者になったんだ。周囲からは期待のルーキーって言われてて、その身なりから〈黒衣の剣士〉って呼ばれてる」
メルフィスは近くの椅子に腰を下ろしながらそう説明を始める。
階級はメルフィスと同じ銀級だが、まだ冒険者になったばかりらしい。つまりこれからも更に昇格していくという訳だ。既に周りから二つ名を与えられている時点でその存在がどれだけ有名かを物語っている。
「こう言うの何だけど、彼女の実力は人間離れしている。アレは天才だよ」
珍しくメルフィスは普段の和らげな表情から真剣な顔つきになってそう言う。その表情がどこか笑っているような、呆れているような、そんな顔に見える。
「お前がそう言う程なのか?」
「うん、アレン君も少しは覚えてるでしょ? 僕達が戦った後とはいえ、あのヘビーデーモンを一瞬でバラバラにしたんだ。普通の人間が出来る技じゃない」
確かにセレネの実力は圧倒的過ぎた。自分達があれだけ苦労して追い詰めたヘビーデーモンをいとも簡単に倒してしまったのだから。それを行ったのが自分と歳の近い少女だと思うと、更に複雑な心境になる。
「ただ性格はあの通り元気が溢れんばかりって感じでね。裏表がなくて、優しい子だよ」
メルフィスは弁解するようにそう言い、いつもの表情へと戻る。
少々騒がしい部分もあったが、セレネは嘘を吐くような性格には見えなかった。わざわざ助けたアレンの容態を確認しに来るぐらいの為、本当に心優しい性格の持ち主なのだろう。
「僕達がヘビーデーモンと交戦していた時も、ギルドがダンジョンの異変に気付いて、真っ先にあの子が調査に向かうって言い出したらしいんだ。セレネが居なかったら僕達は今頃死んでたかもね」
「……そうだな」
アレンは静かに頷き、改めてセレネに感謝した。
今度会った時はきちんとお礼を言わなければ。そう自分の中で決め、彼はベッドに沈み込む。まだ本調子ではない為か、何だか疲れてしまった。
「それじゃ僕もそろそろ行くよ。またね、アレン君。次は安全な依頼を選ぶから」
「ああ、くれぐれも頼むよ」
メルフィスも最後にそう言葉を交わして病室を去っていく。
彼が帰った後、残されたアレンは静かに天井を見上げていた。そして先程のセレネのことを思い出す。
漆黒に覆われた不思議な雰囲気を纏う少女。明るく、元気で、まるで幼い子供のように無邪気であった。だがその実力は研ぎ澄まされており、一切の隙を見せない完璧な剣士であった。だがアレンは他にも感じていることがあった。
(なんか……懐かしい匂いがしたんだよな)
それが何なのかは分かっていない。どうして自分がそう思ったのかも分からない。もしかしたらまた会えばその時分かるかも知れない。
アレンは身体の力を抜き、短く息を吐き出す。
今は休息が必要だ。この身体を動かせるようになる為に、十分に休めなければならない。
アレンは退屈そうに窓越しの景色を眺めた。
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