128:ヘビーデーモン
ダンジョンはまるで魔物の腹の中にでも居るような気分だ、とアレンは通路を歩きながらそんな感想を抱く。
当然魔物の体内に入るなんて経験はしたことがない。だがダンジョンは普通の洞窟と違って生き物のような不思議な雰囲気を放っている為、そのような感覚を覚えたのだ。
アレンとメルフィスは辺りを警戒しながら慎重に暗闇の中を進んで行く。第二階層とは言え、ここまで来る間にかなりの距離を歩いて来た為、出口まで戻るのには少々時間が掛かる。二人の視線の先には未だ暗闇が広がっていた。
「……ん?」
ふとメルフィスは動きを止め、手を上げるとアレンに停止するように指示を出した。アレンもそれに従い、いつでも動ける体勢を取る。
立ち止まったメルフィスは意識を集中させ、前方の気配を探った。すると通路の奥の方から再び走る音が聞こえて来る。同時に唸り声のような音も。すかさずアレンとメルフィスは各々の武器を構えた。
「アレン君、下がって……!!」
メルフィスはそう言うと木の杖を地面に突き刺し、呪文を詠唱した。すると杖が輝き出し、前方の光の球を放つ。眩い光が通路を照らし一瞬恐ろしい姿をした魔物を映し出す。それは鰐のような見た目をした怪物であった。
「ジオクロコダイルだ! 毒を持っているから気を付けて!」
「グルゥゥゥォォォオオオオオオ!!」
血走った目に背中から無数の棘が生えている歪な姿をした鰐型の魔物、ジオクロコダイルは咆哮を上げてアレン達へと襲い掛かって来る。
「----ッ!」
自分の身長より三倍はあるであろう怪物と正面から戦う訳にはいかず、アレンは呪文を詠唱すると足元から土の壁を創り出した。理性のない魔物達は身体を捩じらせながらそれに激突し、なおもアレンを食べようと壁を前足で叩きながら飛びかかろうとする。そこをすかさずアレンは回り込んで魔物達を剣で斬り付けた。
「ギィィァアァァアアアアアアアアア!!」
だがその程度では硬い皮膚を持つ魔物達は怯まない。何より数が多い。確認出来るだけでも五匹は居る。アレンは囲まれないように立ち回りながら剣を持ち直す。
「ゴァアアアアアアアア!!」
直後に後ろから魔物の咆哮が聞こえて来る。振り返れば、そこには六匹目の魔物が鋭利な歯を剥き出しにして向かって来ていた。アレンは反射的に剣を前に出し、防御の体勢を取る。だが突然後ろから光線が横切り、それが魔物に直撃すると爆風を巻き起こした。
「囲まれないように気を付けて! こいつらは連携を取って来るから!」
「分かった……!」
メルフィスは自分の方に向かって来る魔物達を光の球で弾き飛ばしながらそう言う。アレンは助けられたことにお礼を言い、自分を見据えている二匹の魔物と対峙した。
メルフィスの言う通りジオクロコダイルという魔物は統率を取っているらしく、ただがむしゃらに攻撃しようとして来ない。一匹が右側に移動するともう一匹は左側に回ってアレンを左右の方向から狙おうとして来たのだ。それを見てアレンも魔法を詠唱し、地面から形成した土の柱を魔物達に放つ。
「ゴォァァアアアアアアアアアアッ!!」
魔物達はそれを見ると柱に噛みつき、身体を回転させて柱を粉砕した。その隙にアレンは付加魔法で炎を帯びた剣で片方の魔物に斬り掛かる。致命傷にはならないが、斬撃と炎を浴びた魔物は悲鳴を上げて後ろへ下がった。
すると背後からはもう一匹の魔物が襲い掛かって来る。反射的にアレンは懐に潜り込むように姿勢を低くすると、腹から魔物の身体に剣を突き刺し、炎を浴びせた。
「ギィィァアァアアアアアアアアアアアッ!!?」
「そらッーーーー!!」
剣を引き抜き、その勢いで前方に居る魔物にも炎の剣を突き刺す。炎に包まれた魔物達は悲鳴を上げてその場を転げ回り、炎を消そうとした。だが致命傷を負っている為、散々血をまき散らすとやがて動かなくなってしまった。
アレンがそれを確認した後メルフィスの方を向くと、そこでも戦闘は終幕を迎えていた。光の球を自在に操り、メルフィスは最初に立っていた場所から一歩も動かず華麗に魔物を葬っていたのだ。
「ふぅ……無事かい? アレン君」
「ああ、一応な」
戦闘が終わるとメルフィスは魔物達が完全に沈黙しているかどうか確認しながらそう尋ねた。アレンは頬に付いていた魔物の血を拭いながら応え、小さく息を吐き出す。
「それにしても驚いたな。いきなりこんな凶暴な魔物が現れるなんて……」
「うん、そうだね……確かにおかしいよ」
アレンは先程の魔物達の凶暴振りを思い出しながらそう言うと、メルフィスは倒れている魔物を杖で突きながら意味深な表情でそう答えた。その口振りが気になってアレンはメルフィスの方に顔を向ける。
「ジオクロコダイルは第五階層よりも下にある地下水に住みついている魔物だ。間違ってもこんな上層に居る魔物じゃない」
メルフィスは不可解そうにそう言い、周囲の魔物達に視線を向けた。アレンもその言葉を聞き、納得いった表情を浮かべた。
アレンは先程の魔物達の戦闘でダンジョンの上層にしては随分と手強いという感想を抱いていたが、どうやらそれは間違っていなかったらしい。
一匹だけでもかなりの実力を持ち、それが群れを成して襲って来る。そんな魔物を新米の冒険者が相手出来る訳がないのだ。恐らくは中級レベルの実力を持っている。問題なのは、何故そんなレベルの魔物がダンジョンの上層に居るのかということである。
「……魔物が階層を移動するのは珍しいことなのか?」
「絶対にないという訳ではないし、時々迷い込むことはあるんだけれど……ここまで階層をまたぐことはなかったはずだ」
アレンが尋ねるとメルフィスは魔物達から視線を背け、身体を起こして答えた。
魔物が階層を移動することは時々起こる現象である。だがそういうのは大抵一段階層を移動するくらいで、第五階層以下に居る魔物が第二階層に居るなんてことは今まで全くなかった。
メルフィスはやはり今のダンジョンは危険だと再確認し、白いマントを払うと光の球を前に移動させ、通路を確認した。
「やっぱり早くダンジョンから出た方が良さそうだね。少し急ごう」
「ああ、分かっ……」
早く撤退した方が良いと判断したメルフィスは先を急ぐことにし、アレンもそれに賛同して身体を起こそうとする。だが次の瞬間、ダンジョン内が突然激しく揺れ始めた。
「な、なんだ……!?」
「地震……ッ!?」
あまりの揺れの激しさに二人は立っていることが出来ず、慌てて地面に膝を付いて身を低くする。天井からパラパラと土が零れ落ち、遠くから津波がやって来るような恐ろしい音が聞こえて来た。
ようやく揺れが収まると、アレンとメルフィスは周囲を警戒しながら身体を起こす。静かなのが逆に不気味で、メルフィスは光の球で周囲を入念に照らした。
「収まったみたいだね……どうかした? アレン君」
「……前方から誰かやって来る。数は三人だ」
メルフィスは揺れが収まったのを確認して安堵していたが、アレンは暗闇が広がる通路の先をじっと見つめていた。
メルフィスがまさかと思って気配を探ってみれば、確かに遠くから魔力が感じ取れる。恐らく同業者の冒険者だろう。念の為杖を構えながら待ち構えていると、アレンの言う通り暗闇から三人の冒険者が現れた。
長身で筋肉質な男と、細身でバンダナを巻いている男、そして魔法使いらしきローブを羽織った女性の三人パーティであった。
「はぁ……はぁ……ッ! 冒険者か!?」
「そうだ。君達は?」
「同業者だ……! 依頼でダンジョンに潜ってた……ッ」
男達の方もアレン達に気が付くと警戒するように剣を構えて尋ねて来た。メルフィスも向け、お互いの素性を確認する。
どうやら男達の方もアレン達と同じような依頼を受けてダンジョンに潜っていたようだ。余程の強敵と戦ったのか、彼らの装備には出来たばかりの傷があり、大分ボロボロの状態になっていた。息遣いから相当疲労しているようだ。
「それよりもヤバいぞ! 最下層のダンジョンボスが暴れ回ってるんだ! 階層をぶち抜いてここまで登って来てやがる!!」
リーダー格らしき男がそう叫ぶと、再び走り始める。アレン達を横切って出口とは反対方向に向かって行った。慌ててメルフィスはそれを止めようとする。
だが次の瞬間、突如として男達が走っていた地面が膨らみ、衝撃と共にそこから巨大な拳が突き出て来た。
「うぉおわぁあああああああああああああッ!!!」
「ひっ……リ、リーダーァァアッ……!!」
「……ッ!!」
先頭を走っていた男はその腕に捕まってしまう。他の冒険者達はその場に尻もちを付いてしまい、余程の恐怖なのか動けずに居た。それを見てアレンは苦い表情をしながらも走り出し、付加魔法で剣に電撃を纏わせると巨大な拳に躊躇なく突き刺した。すると多少はダメージがあったのか、巨大な拳は冒険者の男を離し、拳を引っ込める。
「ッ……はぁ! はぁ! す、すまん! 助かった……!!」
「良いから、走るぞ」
自分よりも倍は歳を取っていそうな男の背中を叩き、反対方向へと走らせる。他の冒険者達もリーダーの無事を喜びながら同時に逃げ出し、メルフィスもアレンと共に移動を始めた。
「答えろ。さっきの巨大な腕は何だ?」
「こ、ここのダンジョンボスよ。さっきまでは第四階層に居たはずなのに、もうここまで登って来るなんて……っ!」
走りながらアレンがリーダー格の男に尋ねると、代わりの魔法使いらしき女が答えた。時折声が震えており、相当恐ろしい目に遭ったようだ。
「俺達は今回最下層の調査を依頼されてたんだ……っ、そしたらどういう訳か、ダンジョンボスが大暴れしていやがった。おかげで新調した防具が駄目になっちまった!」
今度はバンダナを巻いた男が忌々しそうに答え、手に付けていたボロボロの籠手を外して投げ捨てた。
どうやらリーダー格の男は白銀級の冒険者で、他の二人は銀級の冒険者の実力者パーティらしい。今回はダンジョンの調査をギルドから依頼されていたらしいが、その途中で暴走しているダンジョンボスに出会ってしまったという経緯だそうだ。
「そうか、魔物達はその異変にいち早く気が付いたから、安全な場所に逃げていたのか」
「あの鰐野郎が第二階層に居たのもそういう理由かよ……」
男達の情報を聞いてメルフィスは納得したように頷く。今までのダンジョンの妙な点も、全てはそのダンジョンボスが暴れていたからという訳だ。
動物も自分達のテリトリーに強大な侵入者がやって来たら戦うか逃げるかのどちらかの行動を取る。敵が巨大で、自分達では敵わない実力を持っていれば逃げるの一択だ。どうやらこのダンジョンボスは、ダンジョンの全ての魔物が逃げ出す程巨大な存在のようである。
「とにかく今は急いで脱出してギルドに報告するのが先決だ! あれは俺達だけの手には負えねぇ!!」
白銀級の冒険者であるリーダー格の男も今回のダンジョンボスは自分達の手に余る存在だと判断したらしい。余程ダンジョンから脱出したいのか、彼はボロボロな状態なのにも関わらず誰よりも早く走っていた。それだけ遭遇したダンジョンボスが恐ろしい存在だったということであろう。
アレンも今回は通常の依頼を受けただけの為、わざわざそんな危険な敵と遭遇したくはない。自分には絶対に果さなければならない目的があるのだ。こんなところで余計なことに首を突っ込んで危険な目に遭っている場合ではないのだ。故にアレンも撤退を最優先事項と判断し、暗い通路を走り続ける。すると突如、目の前の地面に亀裂が入り、衝撃と共に床が崩れ落ちた。
「なっ……!?」
「地面が……ッ!!」
まるで嘲笑うかのように、逃げ道が崩されていく。
冒険者達は慌てて立ち止まり、困惑の声を漏らした。自分達が進むはずだった道に突然ぽっかり穴が空いてしまったのだ。これでは出口に戻ることが出来ない。突然絶望に叩き落とされ、彼らの表情から生気がなくなる。そこに追い打ちを掛けるように、出来上がった穴から怪物が這い出て来た。
「フシュルルルルルゥゥゥゥゥゥ……」
それは巨大な人型の魔物であった。だがそれを人と同じ姿をしているとはとても言えず、身体は鋼鉄のような肉に覆われ、腹は顔を隠すくらいに肥大化しており、全身は錆びたように赤銅色。短い脚に卵が潰れたような顔をした化け物で、それは醜い以外に表現出来る言葉が見つからない程、醜い怪物だった。
「おい、まさかこれが……ダンジョンボスか?」
「あ、ああ……ダンジョンの王、〈ヘビーデーモン〉だ」
今まで見たこともない見た目をしている魔物にアレンも思わずたじろぐ。冒険者達も再び遭遇してしまったダンジョンボスに怯え、魔法使いの女に至っては今にも泣き出しそうになっていた。
「メルフィス、方針は?」
「……出来れば撤退したいんだけれど、この状況では無理そうだね」
アレンはまずメルフィスに方針を尋ねた。メルフィスの方が先輩冒険者であり、ダンジョンの経験も多い。彼の指示に従った方が確実だと判断したのだ。するとメルフィスは申し訳なさそうに笑い、杖を握り絞めた。アレンもそれを見て察し、剣を構える。
「アレン君、冒険者になって二日目の君には悪いけど、一緒に戦ってくれ……!」
そう言うと同時にヘビーデーモンが動き出し、柱のように長い腕をアレン達に向けて振るって来た。アレンとメルフィスはすぐさまバラバラの方向に散り、冒険者達も後ろに飛んで回避する。
そしてメルフィスは杖を振るって地面に突き刺すと、ヘビーデーモンに眩い光を放った。目がどの部分か分からないくらい醜い顔をしていても眩しさを感じたのか、僅かに敵の動きが鈍る。その隙にアレンは壁を蹴ってヘビーデーモンの肩に飛び乗り、鋭い剣を顔に突き刺そうとした。
だが次の瞬間、ガイィンと鈍い音を立ててにアレンの剣が折れてしまった。アレンは反動で腕が痺れ、動きが固まってしまう。するとヘビーデーモンが動き出し、肩に乗っているアレンを吹き飛ばそうと腕を振るった。
それは埃を払う程度の軽い動作であったが、柱のように大きな腕で弾かれた為、アレンは勢いよく吹き飛ばされ、壁に激突した。
「おっさん、勇者と魔王を拾う」2巻、8月10日に発売致します!
詳しくは活動報告を見て頂ければ幸いです!!