121:十人
そもそも〈魔王候補〉という物に明確な規定はない。いつ誰がそう呼び始めたか分からないが、百年前に新たな魔王が出現しなくなってから魔族達が勝手にそれを口にし始めただけの幻想に過ぎなかったのだ。だが時が経つに連れそれは徐々に形と意味を持ち始め、一つの称号として定着するようになった。
すると今度は自分こそが魔王だと宣言する魔族達が現れ、大規模な争いが起こった。王の座を手に入れる為に多くの血が流れ、幾つもの村や街を犠牲にしながらその争いは何年も続いた。
やがて数人の魔族だけが残った。これ以上争い続ければ共倒れになり、一族滅亡の危機がある為、その時の戦いは一度休戦となった。
それから魔族の中で強大な力を持ち、王としてふさわしい器を持つ者達は〈魔王候補〉と呼ばれるようになった。魔王候補同士は争う事を禁じられ、他の大陸に独断で乗り込む事も禁じられた。そして全ての民に認められた者こそが〈真の魔王〉として玉座を手に入れるとされ、候補達はそれぞれ手柄を立てて競い合うようになった。
「その均衡がかれこれ何十年も続いている……それが魔族の国の現状で、魔王候補達が争っている理由」
憎たらしそうに声色が僅かに低くなりながら、レウィアはそう話を纏める。ギリッと拳を握り絞め、鋭い目つきはより一層鋭くなっていた。
アレンとファルシアはその話をただ黙って聞いていた。アレンの場合は単純な驚愕。そしてファルシアの場合は疑惑と、恐怖。二人はそれぞれの感情を抱きながら情報を頭の中で整理し、話を聞き続ける。
「彼らが争いを止める事は絶対にない。己の本能と欲深さによって、国が滅びても戦い続ける……そんなイカれた連中ばっかりなんだよ」
アレンはここまで感情を露わにするレウィアは初めて見た。
何度も会っている訳ではないが彼女は大抵いつも無表情で、何を考えているか分からない物静かな雰囲気を纏っている。だが今の彼女は露骨に不満そうな態度を取っていた。それだけ他の魔王候補の事が許せないのだろう。
「貴女は別だって言うの?今回のアラクネみたいに、危険じゃないって言うの?」
「私をあの女と一緒にしないで。アレは〈最悪の魔王候補〉……候補の中でも一番下衆な奴だよ」
まだレウィアの事を疑っているファルシアが挑発的な態度でそう尋ねると、レウィアは鋭い視線を向けて言い返して来た。態度はまだ落ち着いているが、ルナと同じその漆黒の瞳からは静かな怒りの色が見える。
「魔族の民だって平和を望む者達は居る。でもそう言った人達は大抵力がなく、強者に逆らう事が出来ない……私はその人達を、助けたいの」
前髪が目元に掛かり、レウィアの表情が更に暗くなる。
魔族の国は複雑だ。魔王候補同士は敵対し、民ですら派閥に分かれて水面下で争っている。そんな影の争いに力を持たない魔族の民は苦しめられているのだ。レウィアはそれが許せなかった。
「何とかしてその魔王候補って言う仕組みを廃止する事は出来ないのか?」
両腕を組んでじっと話を聞いていたアレンはそう尋ねてみる。
実現性は低いかも知れないが、魔王候補達は魔王になろうとして争っているのだ。だから互いに競い合っている。ならばその候補という仕組みがなくなってしまえば、多少は犠牲を少なく出来るのではと考えた。
「出来たとしても無駄だろうね。どうせ彼らは争い続ける。結局は魔王になりたいだけなんだから」
レウィアは首を振ってすぐに否定する。
元々魔族同士の争いから生まれた魔王候補という仕組みだ。今の魔族達から魔王候補という肩書を取り上げたところで、結局はまた同じような歴史を繰り返すに決まっている。
「今回のアラクネの侵攻を切っ掛けに他の魔王候補達も動き出す。長年続いていた均衡がとうとう崩れたから……さて、ここからが問題」
レウィアは一度手を叩いて話を戻し、ファルシアにその長くて細い指を向けた。急に指を差されたファルシアは目を細め、何が言いたいんだ?と不満げな表情を浮かべる。
「もしもそんな状態の時、人間の大陸で魔王が見つかった、何て情報が出たらどうなると思う?手柄を欲している彼らは何をしようとすると思う?」
あくまでも冷静なままレウィアはアレンとファルシアにそう疑問を投げ掛けた。それを聞いて二人は一度口を閉ざす。
すぐに頭が動かなかった。薄っすらと想像出来てしまうからこそ、その先を考えるのが恐ろしくなった。
ファルシアは痺れたように震えている唇をゆっくりと動かし、何とか声を絞り出す。
「……来るって言うの?あんな化け物みたいな奴が、もっとたくさん、人間の大陸に……」
ファルシアは自分の口から出た声があまりにも弱々しい事に自分で驚いた。それくらい想像した事が恐ろしく、現実に起これば多くの犠牲が出ると簡単に分かったからだ。
隣に居るアレンも自分の指先が震えている事に気が付き、ガッと手で握り絞める。そんな動揺している二人を見てレウィアは静かに頷いた。
「レウィア……魔王候補ってのは何人居るんだ?」
アレンは軽い興味本位でそう尋ねる。興味本位と言っても大切な情報の為、どうしても聞いておきたい事ではあった。だが今は逆に聞きたくないと思う自分も心のどこかに居た。そんなアレンの心境を察したのか、レウィアは薄く笑みを浮かべた。あるいはそれは安心させる為の彼女の必死の優しさだったのかも知れない。
「私とアラクネを入れて、〈十人〉かな」
レウィアは思い出すかのように指を折りながら軽くそう言う。彼女からすれば既に知っている人物達を思い返すだけの感覚なのだろう。だが人数を聞かされたアレンとファルシアは身体に衝撃が走った。
アラクネ一人を倒すのに多くの犠牲と被害が出た。魔王候補という存在がどれだけ強大かを身を以て知った。正直勇者と魔王であるリーシャとルナが居なければ勝つのは難しかったかも知れない。そう思わせる程の存在だった。言葉の通り、アラクネが魔王だったとしても何らおかしくない実力と言えるだろう。そんな存在がレウィアを除いたとしても後八人も居る。最早正気で居る事すら難しい真実であった。
「冗談……でしょう?」
「残念ながら、嘘でも冗談でもない」
思わずファルシアは杖で身体を支えながらそんな願望を口にしてしまう。だが追い打ちを掛けるようにレウィアは首を振ってそれを否定した。
「今の候補達は全員功績を作りたがってる。もしもここで魔王が現れれば、間違いなく殆どが人間の大陸に攻め込み、破壊を尽くしながら魔王を探すだろうね」
レウィアは最も恐れていた未来を何の躊躇もなく口にした。もしもそんな事態になれば百年前に起こった大陸戦争が再び始まったとしても何ら不思議ではないのに。彼女からすればそんな危険性がある事など、とっくの昔に知っているのだ。
「どう?これが魔王を排除しない方が良い理由。国を滅ぼしたくないなら、あの子を生かしておくべきだろうね」
目つきの鋭さが僅かに弱まり、レウィアは最初の問題へと話を戻す。
そもそも彼女の目的はルナを危険な目に遭わせない事だ。その為には必要程度にファルシアを脅す必要があった。だからルナを排除しようとした場合の魔族側の動向をわざわざ教えたのだ。
「まぁ今この場で誰にも知られずに殺すって言う手もあるかも知れない……その時は私が他の魔王候補達に告げ口するけれどね」
「……ッ」
そっと魔剣の柄に手を添えながらレウィアは駄目押しにそう伝える。それを聞いてファルシアはギリッと歯を食いしばった。
ファルシア自身もそんな冷酷な手段を取りたくはないが、頭のどこかではその考えもあった。わざわざ王国に報告せず、今この場で自分の手でルナを始末してしまえば問題の種は摘む事は出来る。その考えを見透かされていた事にファルシアは動揺したのだ。
「勇者だってそうだよ。勇者は魔王の宿敵、それを打ち取ったとなれば本物の魔王と変わりないと主張出来る」
「勇者も魔王も……どっちにしろ人間の大陸を滅ぼす鍵になるってこと」
どちらにせよ待っているのは血の海と化した世界だ。救いがない。そんな状況にファルシアは笑い出しそうになった。大魔術師などと呼ばれている自分が世界から見ればいかにちっぽけな存在かが実感出来た。
「どう?ファルシアさん。この状況……被害を最小限にし、血が最も流れないのはおじさんに勇者と魔王を任せる事だと思わない?」
いよいよレウィアは話を進める。手をアレンの方に向け、ファルシアも追ってアレンの方に視線を向ける。急に自分の方に視線が集中したアレンはらしくもなく緊張した。当然だ。言ってしまえば自分の手に世界の命運が掛かっているのだから。
「……まぁ確かに、それが今考えられる最善ではあるわね」
「おいおい、流石に荷が重すぎるぞ」
「でもそれしか手はないんだよ。おじさん。別に今まで通りに何もせず、普通に過ごせば良い。ずっとそうして来たでしょ?」
改めて状況を考えると自分に背負わされる責任が大きすぎる。とてもただの村人が背負える物ではない。そう思ったアレンは自信なさげに手を振ったが、レウィアに一蹴されてしまった。元より選択肢などないようだ。
「前にも言ったはずだよ……おじさんは、世界の命運を握ってるって」
レウィアは前に口にした事と同じ言葉をアレンにもう一度突き付けた。
前の時とは重みが違う。もちろん以前から責任は感じていたが、それでも今回は魔王候補という存在を知ってしまった。もしも一歩間違えれば多くの犠牲者が出る事を実感した。想像と、一度経験した事ではその恐怖の度合いは大きく違う。アレンは自分の手に汗がじわりと広がるのを感じた。
「……私が言いたいのはそれだけ、後は自分で選択して」
「…………」
レウィアは自分で選べと言うが、選択肢などある訳がない。だが正解と分かっている選択肢すら、とても重い決断を必要とする。アレンはそう簡単に首を縦に振る事は出来なかった。ファルシアも同じく、最初の強気な姿勢はなくなり、困ったように額に手を当てていた。
その後、数分掛けてアレンは頷く事が出来た。ファルシアも何とか自分に言い聞かせたらしく、苦い表情を浮かべながら国王には秘密にする事を受け入れた。
そうとなったら今後の身の振り方や今回の騒動を上手く纏めなければならない。ファルシアは一度宿に戻って整理すると言い、ふらついた足取りでその場を後にした。
そしてレウィアの方も、どうやらあまり人間の大陸に長居する余裕はないらしい。アラクネを始末出来たならば早急に戻る必要があるようだ。
「じゃぁおじさん、また会えたら会おうね」
「……良いのか?ルナに会わなくて。今なら宿で寝てるけど」
「……良いよ。私と魔王様はあまり近くに居ない方が良いから」
もう行ってしまうと言うからアレンがそう尋ねてみると、彼女は少しだけ名残惜しそうな表情をしながらも首を横に振ってしまった。そしてボロボロのローブを纏うと、フードを被って彼女は最後にアレンの方に振り向いた。
「ルナの事、頼んだね」
それだけ言うとレウィアは跳躍し、瓦礫を蹴って一瞬で姿を消してしまった。アレンは目で追う事すら出来ず、レウィアが居なくなると小さく息を吐き出した。アラクネを倒してようやく安堵したというのに、何故か肩は更に重くなったような気がする。
翌日、アレン達は馬車に乗って渓谷の街を後にした。ルナとリーシャをあまり長居させない方が良いと思い、村に帰る事にしたのだ。馬車の中では二人はまだちょっと疲れているのか、それとももう帰る事に落ち込んでいるのか、来た時よりも大人しい雰囲気だった。
「ねぇ父さん。シェルさんは一緒に帰らないの?」
「シェルは魔術師協会に報告しなきゃいけないから、ファルシアと一度王都に行くってさ。すぐ帰って来るから心配しなくて良いよ」
リーシャが少しだけ不安げな声色で尋ねるので、アレンは手綱を握りながら優しい口調で答えた。
「へー、王都行くんだって。ルナ」
「王都かぁ……ちょっと気になるね」
意外と気にしていないのかリーシャとルナはそんな雑談をする。彼女達にとっては王都も未知の場所であり、シェルが所属している魔術師協会もある為結構興味があるようだ。
「二人共今回の街はどうだった?結構大変な目に遭っちゃったけど……」
ふとアレンは視線だけリーシャ達に向けてそう尋ねた。
今回はリーシャとルナにとって初めての遠出であり、街を体験する機会であった。残念ながらアラクネという邪悪な存在によって普通の観光は出来なかったが、それでもアレンは二人の率直な感想が聞きたかった。
「楽しかったよ! 街はおっきくて色んなお店あるし、村とは違う雰囲気が味わえた。ね、ルナ」
「うん……確かにアラクネには酷い目に遭わされたけど、それでも来て良かったと、私は思ってる」
一度顔を見合わせてから二人はそう答える。迷う様子はなく、心から本当にそう思っているようだ。
「それにファルシアさんも結構優しかったし」
「うん……色々と勉強になること教えてもらちゃった。また、会いたい」
「ね。今回の遠出は本当に付いて来て良かったと思ってるよ」
今回の騒動はリーシャとルナにとって今までで一番の困難であった。とても苦しく、挫折しそうになった。だがだからと言って来て後悔している訳ではない。困難にぶつかったからこそ、成長する事が出来た。信じ合う事が出来るようになった。その経験までも後悔と共に忘れ去りたくない。
「だからまた連れてって。お父さん」
「私もまた街行きたい!」
二人はニコッと満面の笑みを浮かべてアレンにそう言う。その姿はまさしく子供が親にお願いする姿で、とても微笑ましいものであった。
「そうか……分かった。なら次はもっと大きな街に連れてってやる」
アレンはそう言って笑い返す。二人の言葉は何よりも暖かい物であった。だからこそアレンは手綱を強く握り締め、覚悟を決める。例え世界中に偽善者と蔑まされようと、必ず二人を守り通すと。
かつての決意を嘘にしない為に。