116:助け出した者は
リーシャは聖剣の言葉を聞くとふらふらと近づき、柄を握り絞めてゆっくりと持ち上げた。相変わらず羽のように軽く、自身の手にしっかりと収まるその聖剣。更に今回は剣を握る事によって頭が鮮明になり、明らかに今までとは違う事が分かる。真の名を知った事で、この聖剣の使い方が分かったのだ。
その様子を見ていたアラクネは糸の上で身体を震わせ、憎たらしそうにリーシャの事を睨みつけていた。
そもそも本能的に行動する彼女は自分勝手な性格であり、邪魔をされるのが大嫌いなのだ。故にリーシャが起こした謎の現象に憎悪を抱き、背中の蜘蛛の脚は刃のように鋭く伸びていた。
一方でアレンとファルシアの方も困惑していた。突然霧が晴れ、リーシャの手の甲にある紋章が輝き始めたのだから。
「リーシャ……ッ!」
アレンは慌てた様子でリーシャの名を呼ぶ。
明らかにいつもの雰囲気とは違う、通常の魔力とも似つかない強大な力。アレンはリーシャの正体が露見されてしまう事を恐れて声を掛けたが、それはもう手遅れだった。
(あの紋章……まさ、か……?)
近くに居たファルシアはリーシャの手の甲にある紋章に気が付き、信じられないように首を横に振るう。
記憶力が良く、文献などにも目を通す彼女は当然〈勇者の紋章〉についても知っている。故にリーシャの手の甲で光っている紋章の形状がそれと一致する事もすぐに気が付き、我が目を疑った。あり得るはずがない。辺境の村に住む子供がその紋章を持っているなど。あり得るはずがない。自分の知人の娘が長年探していた選ばれし者など。そうファルシアは現実逃避をしそうになる。だが今の状況を思い出し、唇を噛んで何とか正気を保つ。
一方でリーシャは先程聖剣が述べた言葉を思い出し、聖剣を顔の近くまで持ち上げる。
「王殺しの、剣……」
ーー左様、それが我が名だ……さぁ其方はどうする?我が刃で悪しき者を屠るか?それとも最愛の妹を助けるか?……何でも出来るぞ。力が覚醒した今の其方なら、この世の王となる事も出来る。
リーシャは聖剣を握り絞めながらぼうっとした様子でその剣身を見つめる。すると聖剣はリーシャに何をするのかと問うてきた。その問いかけに対してリーシャは僅かに悩むように眉を動かした後、力強く柄を握って聖剣で空を斬る。
「全部だよ。アラクネを倒して、ルナも助けて、この街の平和を取り戻す! で、村に帰るの!」
ーー承知。
リーシャの答えを聞いて聖剣は面白がるような口調で返事をし、刃を輝かせる。そしてリーシャは再び聖剣を振り上げ、勢いよく振り下ろした。すると黄金の斬撃が幾つも飛び出し、周囲の蜘蛛の糸を斬り裂いて行く。アラクネが立っていた場所の糸も斬り裂かれ、脱力していたアラクネは無防備に落下していった。しかし背中の蜘蛛の脚を伸ばすと身体を支えて地面に着地し、身体部分だけ宙に浮いた状態でリーシャの事を睨む。
「てめぇ……なんなんだ?どうやってアタシの呪いを解きやがった?! 何者なんだてめぇは!!?」
アラクネは自分の呪いが消された事にかなり腹を立てていた。それを表すかのように彼女の赤い瞳は更に血走り、身体の蜘蛛の巣模様が広がり始めていた。
アラクネは咆哮を上げ、蜘蛛の脚を俊敏に動かしてリーシャへと襲い掛かる。だがリーシャは慌てる事なく、蜘蛛の脚を聖剣で受け止めて黄金の斬撃によって跳ね返した。
「動きが、遅い」
「ぐがっ……な、ぁ……ッ!?」
渾身の一撃を簡単に跳ね返された事にアラクネは驚く。
何故対処されたのかが分からず、蜘蛛の脚を床に突き刺して姿勢を立て直すと反撃を試みようとする。だが視線を前に戻すと、そこにはこちらに剣を振り上げながら向かって来るリーシャの姿があった。
「なに……!?」
「今のあんたは全然怖くない!」
黄金の光を纏った聖剣が振り下ろされる。瞬時にアラクネは蜘蛛の脚を前に出して防御体勢を取るが、鈍い音が鳴ると共に自身の身体は後ろへと吹き飛ばされ、地面に何度もぶつかりながら壁へと激突した。
(魔族のお姉さんが言ってた通りだ! 今のアラクネは呪いを発動した後だから弱くなってる……!)
ーー左様。だが油断はせぬよう。奴はまだ力を残している。
(ッ……分かった)
見るからに力が弱っているアラクネを見てリーシャはこのまま倒せるかも知れないと思い込む。だが急に頭の中から聖剣が忠告をして来た。リーシャもそれは分かっている為、コクリと頷いて聖剣を握り締め直す。
「がっ、ぁ……くそ……!」
壁から離れて床に倒れ込んでいたアラクネは自分の手足で起き上がり、ふらつきながらも立ち上がる。その姿は蜘蛛の模様が全身に広がり、赤いドレスも破けて怪物そのものと化していた。
アラクネの怒りが頂点へと達する。呪いを消され、自分にここまで立てついて来るリーシャという存在が許せなかった。彼女は手を振り上げ、拳を握り絞める。すると辺りからザワザワと音がし、暗闇から無数の蜘蛛達が姿を現した。
「行けお前ら! あの小娘の肉を剥いでやれ!!」
「「「ギギギギィィェァァアアアアアア!!!」」」
蜘蛛達は飢えているかのように雄たけびを上げ、鋭い牙を光らせてアラクネの元へとやって来る。
やはり伏兵を隠していたらしく、手駒が揃ったのを見るとアラクネはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「……ッ! まだこんなに蜘蛛が……!」
リーシャは憎たらしそうにアラクネの事を見つめ、歯を食いしばる。
蜘蛛達を攻撃する訳にはいかない。自分にはファルシアのように傷つけずに蜘蛛を無力化する術がなく、剣で戦うしかない。
リーシャは飛び掛かって来る蜘蛛達を聖剣で弾き、攻撃を受け流しなら立ち回る。
「さっきファルシアさんを助けた時みたいに、呪いを消せれば……!」
ーーそれは無理だな。いくら其方が選ばれし者と言えど、古の呪いに染まりきった者達を救う事は出来ぬ。
リーシャは何とか蜘蛛達を無力化出来ないかと願うが、聖剣はそれをきっぱりと不可能だと言い切る。
先程リーシャがファルシアを助けられたのはあくまでも彼女が呪いに掛かった直後、そしてリーシャの力が覚醒した瞬間だったからに過ぎない。偶然の要素が重なって呪いを解く事が出来たのだ。もう一度同じような事をするのは難しい。それならばと、リーシャは周りの蜘蛛達を剣圧で吹き飛ばし、アラクネを視界に捉える。
「だったら……本体を倒す!!」
ダンと地面を勢いよく蹴り、蜘蛛達には目もくれずリーシャはアラクネへと急接近する。
蜘蛛達を倒すのが無理ならば、呪いの大元であるアラクネを叩けば良い。瞬時にそう判断した彼女は黄金の光を纏う聖剣を勢いよく振るった。
一方でアレンとファルシアの方にも蜘蛛の軍勢が迫って来ていた。アレンは火魔法で牽制し、ファルシアも杖を振るって水魔法を唱え、蜘蛛達を水の球に閉じ込めていく。ファルシアも体調は回復した為、何とか二人は蜘蛛達の攻撃を食い止める事が出来ていた。だがいつまでもそれが続く訳ではない。何とかして弱っているアラクネを叩きたいと考えるファルシアはチラリとアラクネとリーシャが戦っている方向を見る。そこでは蜘蛛の軍勢の中心で華麗に身を躱し、アラクネと交戦しているリーシャの姿があった。まるで踊っているかのような軽いその身のこなしは、やはり彼女が普通の少女ではない事を物語っている。
「ッ……」
ファルシアは唇を噛み、やりきれない表情を浮かべた。
認めたくない。もしもリーシャの手の甲にある紋章が本物だというのなら、彼女は本当に〈勇者〉という事になってしまう。だとすれば当然アレンもそれを知っていたはず。それが明るみになれば彼は勇者を隠していたという罪で捕まってしまうだろう。それにファルシアにはもう一つ気がかりな事はあった。それは先程あった預言の内容である。
(魔を統べる者、破壊を望む者の傍に。我らが光は、其方の傍に……だったわよね。確か)
ファルシアは預言の言葉を一つ一つ思い出し、最も重要な部分を頭の中に浮かべる。記憶力の良い彼女ならば一瞬しか聞かなかった言葉でもこのように簡単に頭の中で思い起こす事が出来る。
(光がおチビちゃんの事だって言うなら……魔を統べる者は、やっぱり……)
ファルシアは器用に頭の中で預言の解読をしながら蜘蛛達の対処をこなす。
預言の解読は言葉の意味が一つ分かれば他の言葉も連動して分かる。もしも光が勇者であるリーシャの事を指すのならば、魔を統べる者は当然魔王の事。そして破壊を望む者が状況からしてアラクネだと考えれば……。
全てが繋がっている。今この状況こそが、預言で聞いた通りの状況だ。ファルシアはそれに気が付くと身体が冷たくなるような感覚がした。気付いていはいけない事に気付いてしまったような、そんな感覚だ。
「ねぇ! アレンさん!」
「……なんだ?!」
ファルシアはアレンと背中を合わせながら顔は前に向けたまま、そう呼びかける。アレンも気まずそうな表情を浮かべながらその呼びかけに返事をした。
ファルシアはすぐに続きの言葉を述べようとせず、どう質問をしようかと一瞬悩む。中々難しい選択だ。ここの問いかけの仕方でアレンも警戒心を抱いてしまうかも知れない。今まで必要以上に距離を縮めようとしなかった楽な関係が壊れてしまうかも知れないのだ。悩んでいるファルシアは躊躇しそうになるが、意を決して口を開く。
「貴方、さ……その、あの二人って、本当にアレンさんの子供なの?!」
「…………!」
悩んだ結果ファルシアはそんな質問をしてしまう。今最も必要な情報はそれではないはずなのに、何を混乱したのかリーシャとルナがアレンと血の繋がりがあるのかと尋ねてしまったのだ。これはこれで色々と問題がある質問である。家庭の複雑な事情が苦手なファルシアも、自分で質問しておいて答えを知りたくないと後から思う程であった。
アレンも困ったような表情を浮かべ、すぐに答えようとしない。目の前から襲い掛かって来る蜘蛛達を火炎で牽制するので手一杯で、思考が追い付いていないのだ。やがて少しだけ蜘蛛の勢いが弱まると、アレンは額から垂れる汗を拭いながら口を開いた。
「……いいや、違う! 森で拾った子達だ……!」
嘘を吐いても良かったが、ここではアレンは素直に答えた方が良いと判断した。
既にファルシアはリーシャの紋章に気が付いている。勘の良い彼女ならルナの正体にも薄々気付いているだろう。ならばここで嘘を吐けばファルシアと敵対する事になってしまうかも知れない。それに何より今の困っている素振りを見せるファルシアに嘘を吐きたくなかった。故に、アレンは言葉を続ける。
「でも! 二人共俺の子供だ! リーシャとルナ、そう名付けて……俺が育てた!」
「……!」
アレンの力強い言葉を聞いてファルシアは一瞬振り向き、アレンの顔を見る。彼の瞳は蜘蛛達を捉えつつもリーシャとルナの事も見ており、心配そうに揺らいでいた。嘘偽りのない、まるで子供のように純粋な瞳。それを見るとファルシアも前を向き直し、気持ちを切り替えるように大きく息を吐き出す。
「ああ、そう……本当に大事なのね。あの子達が」
「ああ。何せ俺は二人の父親だからな」
「ふっ……すっかり頼もしいお父さんね」
恐らくアレンは嘘を吐いていない。アレンの言動を見てファルシアはそう判断する。
彼は娘二人が敵対する関係だと知りながらも見捨てず、二人を育てた。いずれその関係が壊れてしまうかも知れないと分かりつつも、二人を本当の娘として接した。ならばそれを信じよう。この家族を信頼しよう。ファルシアはそう決断し、杖を握り絞めると床を突く。すると水の竜巻が起こり、眼前の蜘蛛達を吹き飛ばした。
ふと、そんなアレンとファルシアの近くにリーシャが吹き飛ばされてくる。彼女はクルクルと空中で回転すると床に脚を突き、聖剣を床に突き刺して無理やり停止した。その反対側ではアラクネが咆哮を上げ、蜘蛛の脚を振り回している。
「くっ……父さん! あいつしぶとくてルナを助ける余裕がない!」
リーシャは首筋に垂れている汗を腕で拭い、アレンにそう助けを求める。
力が覚醒したと言えどリーシャはまだ子供。魔王候補であるアラクネを倒すのはそう簡単な事ではない。おまけにアラクネ自身は相当タフな為、弱っていると言ってもかなり粘り強く戦い続けている。リーシャも蜘蛛を攻撃の巻き添えにする訳にもいかない為、決め手がなくて困っていた。
「焦るなリーシャ! アラクネは確実に弱ってる。慌てなくてもルナは助けられる!」
そんなリーシャを不安がらせないよう、アレンはそう声を掛けて励ました。
少なくともアレンの目から見ても分かり易いくらいアラクネは弱っているのだ。これならリーシャが負けるような事はないだろう。だがあのアラクネが押されたままというのも想像出来ない。もしかしたら最後の一撃を仕掛けて来るかも知れないし、もう一度呪いを発動しようとするかも知れない。その前に何とかルナを救出したいとアレンは願っていた。
「かつて世界には……一匹の、巨大な蜘蛛が居たッ……! それこそが、アタシのご先祖様! 人間如きが、アタシに敵うはずないんだよぉぉおお!!」
アラクネは意識が飛びかけているのか、訳の分からない言葉を口走りながら笑い声を上げていた。目の焦点は定まらず、蜘蛛の巣模様も歪に広がり、ただただ暴れ回っている。まるで暴走した魔物のような暴れ振りだ。リーシャの手の紋章にも気が付いていないらしく、リーシャが何者なのかも分からずただ殺そうとしている。
「……ねぇ、お嬢ちゃんを助けるには、あの魔族がおチビちゃんに夢中になってる今がチャンスだと思わない?」
「……!」
ふと、波のように押し寄せて来る蜘蛛達の侵攻を水の壁で防いでいるファルシアがそうアレンに話し掛ける。それを聞いてアレンも背中を彼女に合わせたまま目の前の蜘蛛を剣で弾き、耳を傾ける。
「だが、この蜘蛛の猛攻の中だぞ……?! 何か策でもあるのか?」
「策って程でもないけど……蜘蛛達を一瞬足止めしてくれるなら、その隙に私がお嬢ちゃんの所に行けるわ」
作戦内容は単純だ。先程まではアラクネが居た為ルナの救出は難しかったが、今はリーシャが相手をしてくれている。それならば蜘蛛の侵攻さえ一瞬止められればルナの所まで行けるのである。問題はアレンがそれまで一人で蜘蛛と戦っていられるかだが、今の彼の意気込みならその心配はないだろう。それに一人ではルナの所まで行く手段がない。最早その作戦に賭けるしかなかった。
「なら、それで頼む。俺が合図したら行ってくれ……!」
アレンは小さく頷き、その作戦を承諾する。そして次にどう蜘蛛達を足止めするかの作戦を考えた。
残存魔力からして大技はもう打てない。なるべく消費の抑えられる魔法で派手な事が出来る方が良いだろう。出来るだけ蜘蛛達の動きを止められる魔法。
アレンは自分が使える魔法を頭の中に思い浮かべ、そう作戦を練っていく。そんな中、ふとファルシアと視線が合った。彼女はどこか困ったような顔をしている。
「どうした?」
「……良いの?私をお嬢ちゃんの所に行かせても?……王宮に仕えている私を、信用するの?」
ファルシアはそう言い終えてから後悔するように自分の額に手を当てた。自分でも何を言っているのか分からず、ぎゅっと目を瞑って俯く。
せっかく今まで必要以上に干渉し合わない楽な関係だったというのに、それを今自分で壊してしまったのだ。これではもう二度とアレンと話す事すら出来なくなるかも知れない。だがアレンはそんな彼女の肩にぽんと手を乗せ、顔を起こさせた。
「ああ、信頼してるさ。ファルシアの事は、昔からな」
躊躇する事なく彼はそう言い切って見せた。
ファルシアが言いたい事は分かっている。王宮に仕える身である彼女の立場ではリーシャとルナの存在を見逃す訳にはいかない。ましてや魔族であるルナは早急に対処しなければならない存在だろう。そんな相手と二人きりにするのは危険だと、わざわざファルシアはアレンに伝えたのである。
だがアレンがファルシアを拒絶する事はなかった。むしろ信頼しているのだと心を開いて見せたのだ。
「……ッ」
その言葉を聞いてファルシアは思わず言葉を失う。ふとアレンと視線が合えば、彼の瞳はとても真っすぐこちらを見ている。ファルシアにはそれが眩しく、彼女はそっと視線を前に戻した。
意外であった。こんな状況になってもまだ信頼していると言葉を掛けてもらえるとは。正直に言うと、ちょっと嬉しい。同時に何故か罪悪感も芽生える。その感情から意識を背けるようにファルシアは杖を強く握り締める。
「貴方のその、人を疑わないところ……相変わらずよね」
「はは、そうか?」
ファルシアが少しだけ笑みを浮かべながらそう言うと、アレンも釣られて笑う。リーシャがアラクネを押しているおかげか、そんな軽口が叩けるくらい二人の気力も回復していた。
その時アレンは蜘蛛達の動きが一瞬鈍る事に気が付く。主であるアラクネが理性を失っているからか、先程のような勢いがない。アレンはこれをチャンスだと判断し、瞬時に手の平に魔力を込めると腕を突き上げて眩い光を辺りに放った。その光に無数の目玉を持つ蜘蛛達は当然悲鳴を上げ、慌てて後ろへと下がる。
「今だ! 行ってくれファルシア!」
アレンの合図と共にファルシアも走り出す。狼狽えている蜘蛛達の前を横切り、杖を回転させると足元から水の橋を作り出し、その水流に乗って宙に吊るされているルナの所へと目指す。だが魔王候補であるアラクネも一筋縄ではいかなかった。
「何してやがる!? 人間がぁぁぁああああああ!!」
グリンと顔を後ろに向けるとアラクネはファルシアの事に気が付き、裂けるくらい口を開くとそこから蜘蛛の糸を吐き出して来た。その糸はファルシアの脚に命中し、動きを止められる。
「----ッ!?」
「ファルシア!」
思わぬ拘束にファルシアも戸惑い、何とか引き寄せられないよう水流の勢いを強くして応戦する。だがその間は他の魔法を使う余裕がない為、単純な力勝負となってしまう。そうなれば当然、強化魔法で分があるアラクネの方が有利だろう。
ファルシアは身体を震わせながら汗を垂らし、脚に力を入れる。じわじわと痛みが広がって来るが、何とかそれに耐え続けた。
「ファルシアさんを離せ!」
「がっ……!?」
そんなアラクネの背後に回り込み、リーシャは黄金の斬撃を叩き込む。そして瞬時に糸を斬り裂いた。
「ルナをお願い! ファルシアさん!」
「言われなくても分かってるわよ……! おチビちゃん!」
動けるようになるとすぐさまファルシアは杖を振るって再び水を操り、ルナの所へと向かう。途中復活した蜘蛛達が飛び掛かって来たが、アレンが火の球で撃ち落とし、ファルシアは滑り込むようにしてルナが吊るされている蜘蛛の巣へと飛び乗った。糸はそれ程粘着力がなく、網状の床の感覚で歩く事が出来る。ファルシアは揺れる蜘蛛の巣の上で慎重に歩き、ルナへと近づいた。
ルナは意識を失っているのか、俯いたまま反応を示さない。とりあえずファルシアはルナの手足を拘束していた糸を切り、抱きかかえてその場に座らせた。
「ほら、目を覚ましなさい。貴女のお父さんが心配しているわよ……」
「う、ぅ……」
担いで逃げるのは流石に厳しい為、何とか目を覚ましてもらおうとファルシアは声を掛ける。するとルナは呻き声を上げ、ゆっくりと顔を起こした。その顔は、亀裂のような黒い線が走り、アラクネの身体に刻まれている蜘蛛の巣模様のように広がっていた。
「……ッ」
思わずファルシアは硬直し、手から杖を落とす。
見れば糸を切る際にルナの手に巻かれていた包帯も取れてしまったらしく、露わとなった彼女の手の甲には歪な紋章が紫色に輝いていた。
「ファルシア……さん?」
ようやくルナは意識が戻り、目の前にファルシアが居る事に気が付いて彼女の名を呼ぶ。その瞳の光はとても弱々しく、顔色もいつに増して青白い。呼びかけ方もまるで助けを求めるかのようなか細いものであった。
そんなルナに対して、ファルシアは困惑するように指先を震わせ、返事をする事が出来なかった。