114:図書塔へ
時は夕刻。半壊している街の中をアレン、リーシャ、ファルシアの三人は駆け抜ける。目指すは図書塔。それ以外には目もくれず、速度も落とさずに走り続ける。時折蜘蛛の軍勢が三人の行く手を阻むように襲い掛かって来るが、ファルシアの水魔法で簡単に蹴散らした。その途中、彼女は今しがた発動した水魔法を解除して杖を振るうと、ふと周りを見て口を開く。
「……あのフードの子が頑張ってるのか、襲って来る蜘蛛が少ないわね」
アレンも一度脚を止め、ファルシアの発言を聞くと同じように周りを確認する。
確かに襲って来る蜘蛛達は少ない。街へ入る時と比べればかなり減ったと思える。予定通りレウィアが別行動しながら蜘蛛達を無力化してくれているのだろう。
「ああ、彼女は頼りになるからな」
「ふぅん……信頼してるのね」
レウィアの実力を身を以て知っているアレンがそう言うと、ファルシアは両腕を組みながらそんな事を言う。別に何か怪しんでいる訳ではなさそうだが、彼女の素振りからして少し気になっているようだ。
そもそもファルシアからすればレウィアは突然現れた素性の知れない女である。アレンから一応は初めて会った冒険者と説明を受けたが、それにしてはアレンとレウィアはどこか信頼し合っている節がある。まるで以前何処かで出会ったかのような。もちろんアレンの交流関係を考えれば知り合いという可能性もあり得るが、ならば何故その説明をしないのか?状況が状況の為ファルシアも追求しなかったが、やはり少しは何か教えて欲しいのだ。
そんな疑問を抱いているファルシアに対してアレンは周りに蜘蛛が隠れていない事を確認すると、少し悩むように髭を弄りながら口を開いた。
「もちろんファルシアの事だって信頼してるさ」
「……そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
アレンの思わぬ発言にファルシアはげんなりとした表情を浮かべる。
アレンからすれば出会ったばかりの冒険者を信頼しているのは周りから見ればおかしいと思い直し、ファルシアの事を持ち上げる事で上手く切り抜けようと思ったのだが、ファルシアからすればその不器用過ぎる彼の発言に呆れていた。
「父さん! 図書塔見えて来たよ!」
そんな中瓦礫の上に上って遠方を確認していたリーシャはぴょんぴょんと飛び跳ねながらそうアレンに声を掛ける。アレンもそれを聞いて目を細めると、建物の二つ先に図書塔が確認出来た。他の建物が半壊しているのに対して図書塔は損傷が見られず、扉も閉まり切っていて何だか様子がおかしい。中にアラクネが居る可能性は高いだろう。
「よし、急ごう」
あの中に攫われたルナが居る。そう思うとアレンも胸の奥がざわめき、居ても立っても居られなくなる。そんな焦りの気持ちを何とか落ち着かせ、アレン達は図書塔へと向かった。
意外にもそこからは蜘蛛に襲われる事はなく、塔の周りにも蜘蛛達は居なかった。もう殆どの蜘蛛を無力化したからか、それとも何か企んでいるのか。いずれにせよ慎重になりながらアレン達は図書塔の前へと辿り着いた。
「なんだか……いかにも入って来てください、と言わんばかりね」
「やっぱり蜘蛛に見られて気付かれているんだろうな……」
ファルシアはいかにも怪しいその塔に怪訝そうな表情を浮かべる。入った所で罠だらけなのは明白だ。そんな所にわざわざ好んで入ろうとする者は居ない。だがアレン達にはどうしても踏み込まなければならない理由がある。
アレンは一度深呼吸をした後、覚悟を決めて塔の扉に手を伸ばす。重く歪な音を立てながらその扉は開き、中からは冷たい空気が流れて来た。一歩踏み込めば、力を入れていなくても足音が響き渡る。まるで墓場のようだ。
「一階は誰も居ないみたいね……さっさと上に行きましょう」
一階の部屋は本棚が倒れ、散らかっているだけで何か異変があるようには見えない。周りには蜘蛛の巣が張られているが、肝心の蜘蛛の気配がない。他の場所に潜んでいるのか、とりあえず先に進むしかないようだ。
ファルシアの言う通りアレン達は先へと進んで行く。すると二階へと登る階段の前まで辿り着くと、そこに立ちはだかる者が居た。
「ゴ……ギ……ギ……」
それは守護兵であった。図書塔の文様が刻まれた鎧で覆われた魔法で動く鎧。本来なら図書塔を守る為に配置している兵。だがその鎧の兜には、怪しく輝く蜘蛛の模様が浮かび上がっている。
「ちょっと、冗談でしょう?まさか守護兵まで乗っ取られたの?」
「犯人は図書塔の魔法を書き換えられるだけの実力があるって事か……手強いな」
ファルシアは見るからに面倒くさそうに顔を顰め、アレンも厳しそうな表情を浮かべる。
アラクネは恐らくこれも計画して図書塔へと引き籠ったのだろう。部下の蜘蛛だけでなく、更に強固な守りを構築する為に図書塔の守護兵を乗っ取る。全く持って用意周到な相手である。敵はたった一人の魔族のはずなのに、アレンは大軍を相手にしている気分だった。実際その感覚で合っているのであろう。
いずれにせよこの守護兵を倒して先へと進まなければならない。アレンは腰の鞘から剣を引き抜き、前へ出ようとする。リーシャが先走る前に自分が倒そうと思ったのだ。だがそんなアレンを遮る人物が居た。
「アレンさんは下がってなさい。ここは私がやるわ」
アレンの前に手を出し、ファルシアはどこか苛立ったように目を細めながらそう言う。その顔を見てアレンはかなり怒っていると察した。
「でもファルシア……」
「いい加減うざったいのよ。こうやってネチネチした手段ばっか取ってくる奴は……」
これまで連戦続きだった事を踏まえて体力を温存した方が良いのでは、と思ったアレンは意見を言おうとする。だがファルシアはそれも許さず、無理やりアレンの前に出ると髪を払い、杖でトンと床を叩いた。
「だから、一欠けらも残らず粉々に破壊してあげるわ」
その瞬間床から水の柱が出現し、グルンと方向を変えると守護兵へと襲い掛かる。水圧で守護兵は吹き飛ばされ、壁に激突すると更に水は勢いを増して押し潰すかのように攻撃を休めない。
「ギッ……ゴガ!」
だが守護兵も簡単には倒れない。金属音が擦れるような音を鳴らしながら腕を突き出し、押し寄せて来る水を弾き返す。それに対してファルシアは動じず、また杖で床を叩くと先程と同じように水の柱を出現させた。更に今度は三本。複数からの攻撃に守護兵は水圧で吹き飛ばす。するとファルシアも歩き出し、守護兵に近づきながら水の塊を放ち、追撃し始めた。
「わわっ……ちょっと、ファルシアさん大丈夫なの?! 父さん!?」
飛び散って来る水に濡れ、慌てて後ろに下がりながらリーシャは心配そうにそう尋ねる。アレンもファルシアの邪魔にならないように下がりながら静かに頷いた。
「ファルシアの実力なら守護兵くらい大丈夫さ……ただ……」
アレンはリーシャの肩に手を置きながら安心させるように笑みを浮かべる。だが再び顔を前に向けると険しい顔つきへと戻った。少しだけ気になる事があるのだ。
(ファルシアは既にかなりの魔力を消費しているはずだ。本当だったらシェルと一緒に後方に回るべきくらいに……)
実はファルシアもまた体調が万全ではなく、既に魔力も尽き始めているのである。彼女は村での戦闘と街に入る前の戦闘で大魔法を連発した。図書塔に来る途中でも戦闘で魔力を消費している。本当ならシェルと同じく体力は殆ど残っていないはずだ。それでも彼女がシェルに引くように言い、自分は作戦に参加したのはやはり先輩としての意地なのだろう。そんな彼女の性格を知っているからこそ、アレンも何も言わなかった。だが問題はそれだけではない。
(それにあの守護兵、魔力が少しおかしい……多分アラクネの奴から何か弄られたな)
アレンは視線を守護兵の方へと向ける。そこから感じられる魔力は通常とは少し違い、何か禍々しい気配が漏れていた。恐らくそれは魔族の魔力で、アラクネが守護兵を乗っ取る際に何か仕込んだのだろう。だからこそ通常よりも守護兵は頑丈なのだ。
アレンは自然と拳を握り絞める。ファルシアもこの事には気付いているだろうが。果たして守護兵はどんな動きをして来るか。
「さっさと終わりにさせてもらうわよ」
「グッ……ガ……」
ファルシアも何かして来る前に決着を付けようと思ったのか、杖を向けると巨大な水の塊を作り出す。だがその攻撃が止んだ瞬間、水圧で倒れ込んでいた守護兵の鎧からビキリと何かが破けるような音が響いた。
「ギ……ァ、ギギギィィァァアアアアアアアアア!!!」
突如守護兵の背中側の鎧から蜘蛛の脚が飛び出し、装甲を破壊しながら大量の蜘蛛達が飛び出して来た。
「……ッ!!」
ファルシアも流石に鎧の中から蜘蛛が飛び出して来るとは思わず、一瞬怯む。その間に蜘蛛達は俊敏に動き、ファルシアの元まで近づくと数匹が彼女のローブや脚に噛みつき、床に押し倒して拘束した。そして一匹が身体に伸し掛かり、鋭利な牙を剥き出す。
「ギチチチチ……!」
「ファルシア!!」
すぐさまアレンは剣を引き抜いて駆け出す。だが流石にこの距離では間に合わない。そう思った時、宙に浮いて発射されないままだった水の塊が弾け飛び、複数の水の弾へとなるとファルシアを拘束している蜘蛛達を覆い、逆に拘束した。
「「「ギグィァアァア……ッ!!?」」」
蜘蛛達は暴れて何とか水の拘束から逃れようとするが、当然水の中ではただもがく事しか出来ない。やがて動きは大人しくなり、ファルシアも疲れたように息を吐いて身体を起こす。
「たかが蜘蛛風情が私に勝てると思った?舐めるんじゃないわよ……あっ、これ別に蜘蛛に変えられた人達に対して言っている訳じゃないからね?」
優雅に髪を払いながらファルシアはそう言い、トンと杖を突く。すると水が弾け、気絶した蜘蛛達は床に落下した。背中が破られている守護兵も動く様子はなく、とりあえず脅威は去ったようである。そんなファルシアの元にアレンは慌てた様子で駆け寄る。
「だ、大丈夫か?ファルシア」
「ふん。なにアレンさん?私があの程度にやられると思った訳?」
アレンが気遣うとファルシアは不満げな表情を浮かべながら髪を払う。あくまでも余裕な態度を崩したくないようだ。だがアレンが心配しているのはそこではない。
「いやそうじゃなくて……魔力は大丈夫なのか?」
「…………」
残存魔力、現在の体力の状態、アレンが気にしているのはそこである。するとファルシアは僅かに視線を逸らし、先程のような発言をしなくなる。だがすぐに視線をアレンの方に戻すと、その美しい口元を緩めた。
「シェルリアが頑張ったのに先輩の私が身体張らない訳にはいかないでしょ……私だって大魔術師なんだから」
シェルは蜘蛛の軍勢が現れた瞬間すぐに住人の救助を優先した。己の魔力がなくなりかけ、危険な状態だとしても戦い続けた。ファルシアからすれば後輩がそんな無理をしたのに、自分だけ呑気にしていられないと意地になっているのだ。そもそも今回の事件の調査を依頼したのもファルシア。責任も彼女の方が感じていた。だから、戦わなくてはならない。
「でも無理はしないでくれよ?何かあったら大変だから」
「それくらい分かってるわよ。私だってそれくらいの分別は出来てるわ」
アレンが心配そうに注意をすると、ファルシアは背を向けて答える。
彼女も倒れるくらい無理をするつもりはない。仮にそうなった場合は仲間の足を引っ張る事になるのだから、それは最善の策とは言えない。頑張る事にも方向性があるのだ。
「父さん、早く先に進もう!」
「ん、ああ、そうだな。早くルナを助けよう」
後ろからリーシャが声を掛け、ブンブンと剣を振っている。やる気が溢れ出ているようだ。アレンも頷き、拳を握り絞めると二階へと続く階段へと向かう。リーシャもその後に続き、ファルシアもローブを翻して後を追おうとした。だがその時。
「……ん」
ズキン、とファルシアの頭が痛む。何か支障がある程の痛みではないが、ちょっと頭を小突かれたようなそんな痛み。その痛みが何を意味するのかファルシアは知っていた。
「ッ……こんな時に来ないでよ……」
預言の力。女神、あるいは大地の神と言った大きな存在から言葉を授かる力。これから来る災いや危険な未来を忠告してくれ、ファルシアはそれらの言葉を代弁する事によって預言者と呼ばれるようになった。その預言を授かる時がよりにもよって今来てしまったのだ。
ーー近く……近くに居る……。
まるで巨大な鐘でもなっているかのような、響き渡るような声が頭の中に聞こえて来る。その声は男か女かも分からない複数の声が混じり合ったような声で、ファルシアは思わず額を抑えた。
ーー魔を統べる者、破壊を望む者の傍に……我らが光は、其方の傍に……。
騒がしい声を何とか聞き漏らさないようファルシアは意識を集中させる。
こちらに言葉を掛けて来たという事は向こうが何か重大な事を伝えようとしているのだ。その言葉は大抵不吉な未来の事を指しており、それを対処しなければ確実に災いが起こる。つまりファルシアがその預言をきちんと理解し、不安要素を摘み取らなければならないのである。
ーー闇を受け入れし時、魔を統べる者は真の王と成りて……時が来たる前に、其方の手で魔を滅すべし……。
最後に声は念押しをするように大きくなり、言葉を終えると消えてしまった。するとようやく頭の痛みも治まり、ファルシアは汗を流して大きくため息を吐く。
「……はぁ……相変わらず、遠回しな有難い御言葉ね」
額に当てていた手を離すとファルシアは不満げにそう言葉を漏らした。
先程の預言。何となく意味合いは伝わって来るが、結局の所何が危険な未来で、どんな事が起こるかなど重要な点を全く説明していない。そこに彼女は不満を覚えていたのだ。
「毎度の事だけど何でもっと分かり易い説明を言ってくれないのかしら。解読するこっちの身にもなって欲しいわ」
ファルシアは預言者としてこの言葉を国王に伝える義務がある。しかしこんな中途半端な言葉をそのまま説明した所で意味が分からないだろう。故にファルシアが預言を読み取り、普通の人でも分かり易く説明する必要があった。それがどれだけ苦労する事か、知っているのは彼女だけである。
何にせよこんな時に預言が来たという事は十中八九この事件の事を指しているのであろう。そしてこのままでは危険な未来が迫っている事を忠告しているのだ。ファルシアはそう判断し、では何が危険なのか考えようとする。だがすぐに目の前の階段を上っているアレンとリーシャの姿が目に映り、そんな事を気にしている場合ではないと思い直した。彼女も慌てて階段を上り、二人の後を追う。その途中、彼女は先程の預言の最初の言葉を思い出す。
(魔を統べる者と我らが光、か……まさかね)
この言葉はかつてファルシアも預言の力で耳にした事があった。もしも今回の預言とその意味が同じだとすれば……。そこまで考えて結局ファルシアは確証を持てず判断を後回しにした。例えもしそうだったとすればその時に自分はどんな決断が出来るか考えるのが怖くなったのだ。
彼女は脚を早める。疲れなど忘れ、頭を作戦の事で一杯にする。そうすれば、頭の中の声など聞こえなくなるから。