111:作戦会議
門の前で蜘蛛との戦闘を終えた後、アレンとファルシアはようやく街の中へ入る事が出来た。街の中では建物が幾つも崩壊しており、何か巨大な物でも通ったかのような跡が残っていた。至る所に蜘蛛の巣が張られており、そこから不気味な魔力が漏れている事にアレンは眉間にしわを寄せた。そしてもう一つ、彼には気になっている事があった。
「……街の中に入ってから蜘蛛達が襲ってこないな」
「そう言えばそうね」
走りながらアレンはそう気になっていた事を口にする。するとファルシアも頷き、不可解そうに周りに視線を送った。
わざわざ門の前に蜘蛛達を控えさせておいたのだ。第二の刃として他にも蜘蛛達が隠れていてもおかしくない。だが襲って来る気配はおろか、生き物の気配すら周りからは感じられなかった。
「人の叫び声とか、戦闘音も聞こえないわ。ひょっとして敵は一度撤退したんじゃないの?」
自分達が多くの蜘蛛達を無力化した為、敵が警戒し始めたのではないかとファルシアは考えた。実際このまま戦闘を続ければ蜘蛛達は全員無力化する事が出来るだろう。それを避ける為に敵は蜘蛛の軍勢を下がらせたのかも知れない。
「だとしたら、向こうはもう準備が出来たって事かも知れない」
ふとアレンは顔色を悪くしてそう呟いた。何かを不安がるような、そんならしくもない表情。それを見てファルシアは気を紛らわすように自身の髪を払った。
しばらく走り続けた後、二人は広場へと辿り着いた。昨日までは人通りも多く、活気に満ち溢れていた広場も今では半壊し、まるで墓場のように静かになっている。するとファルシアは一度立ち止まり、アレンに声を掛けた。
「アレンさん、私は避難所の方を見てくるわ。そっちにあの子達も居るかも知れないし」
「分かった。俺は宿の方を見て来る。後で合流しよう」
蜘蛛達の気配もない為、アレンもその方が効率的だろうと考えて了承した。合流場所も決め、ファルシアは避難所とされている建物を目指して歩き出す。アレンも自分達が泊まっていた宿の方へと向かって走り出した。
「無事で居てくれ……皆」
息を荒くし、落ち着きのない動作でアレンはそう言葉を零す。つい思っていた事が口から漏れたようだ。自分でも驚いたように口に手を当てている。
宿の方へ向かうと言っても、シェル達がそこに居るとは限らない。既に街の人達も避難したようだ。今更残っているとは思えない。だがひょっとしたらリーシャの性格を考えると、蜘蛛達と戦っているかも知れない。やむを得ない状況で逃げられない状況になっているかも知れない。そう考えるとアレンの脚は強く地面を蹴った。
するとそんなアレンの視線の先に見覚えのある人影が見えた。白いローブを纏い、雪のように白い髪をした女性。そして隣でその女性を必死に支えながら歩いている金髪の少女。その二人を目にした瞬間、アレンは大声を上げて呼びかけた。
「シェル! リーシャ!」
「……! 父さん!」
アレンの呼び声にリーシャも気が付き、ほっと安心したような表情を浮かべて手を振るう。隣で支えられているシェルも顔を上げ、会えて嬉しそうな表情をしているがどこか元気が無かった。服の肩部分に破けている所がある為、負傷したのかも知れない。アレンは慌てて二人の元へ駆け寄った。
「大丈夫か?シェル……って、ルナは?ルナは一緒じゃないのか?」
「……ッ」
途中でアレンはルナが居ない事に気が付き、周りを見ながらそう尋ねる。ルナだけ先に避難所に行ったのか、それとも別行動しているのか、そう推測した。だがシェルの申し訳なさそうな顔を見てアレンは嫌な予感を覚えた。
「すいません先生……実は……」
シェルはリーシャに支えられながら泣きそうに肩を震わせ、口を開いた。そして自分達の身に何が起こったのか、何故ルナが一緒ではないのかを説明し始めた。
魔王候補アラクネ。その名を聞いてアレンはやっぱりか、と額を抑えながら瓦礫の上に腰を下ろす。シェルも近くにあった壊れかけのベンチに腰を下ろして休息し、リーシャも隣に座って心配そうにシェルの背中を撫でている。
「連れ去られただけなんだな?命を狙われた訳ではなく……」
「はい……恐らくあのアラクネという魔王候補はルナちゃんが魔王だという事に気付いていないです。多分同じ魔族だから興味を持っただけでしょう」
シェルの説明を聞き終わった後、アレンは幾つか確認を取りながら拳を強く握り締めた。頭が熱くなり、思考が回転しなくなる。それを抑える為に彼はゆっくりと深呼吸をし、視線を空へと向けた。昼が過ぎ、段々と暗くなり始めた空。もうすぐ夜が来る。
シェルの推測ではアラクネがルナを攫ったのは単に興味を持ったからだけらしい。補助魔法で抑えられているルナの魔力が奇妙な為、そこを調べようと思ったのだろう。
(アラクネが呪いの犯人だとすれば……ルナを攫ってから蜘蛛を撤退させたって事か。だとしたら不味いな)
顎に手を当ててアレンは思考を纏める。与えられた情報と自分達の身に起こった事を踏まえると、タイミング的に考えればアラクネは目的を果したから蜘蛛の侵攻を止めたのだろう。だとすれば次に向こうが取って来る行動は一つ。それを想像すると流石のアレンでも背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「すいません……先生」
すると急にシェルが俯きながら謝り始めた。アレンには見えないがその目は潤んでおり、リーシャからの視点だと今にも泣き出しそうな程表情が崩れていた。
「私が実力不足だったから……私が二人を避難所に連れて行かなかったから、ルナちゃんが攫われた……本当に、ごめんなさいっ」
シェルは悲しさと悔しさから肩を震わせ、そう告白した。その説明もアレンは聞いていた為、シェルが子供達と一緒に行動をしていた事を知っていた。確かにシェルが真っ先に二人を避難所に連れて行けばこんな事にはならなかったかも知れない。その事実が彼女を苦しめた。
「シェルさんは悪くないよ! 私達が手伝いたいって無理にお願いしたの! だから、だから私とルナがいけないの……!」
そんなシェルを庇うようにリーシャはベンチから立ち上がり、アレンにそう訴える。悪いのは自分とルナ。だからシェルが気負う必要はない。子供ながら彼女は堂々とそう主張した。そんな二人を見てアレンは怒る訳でもなく、ただ辛そうな表情を浮かべた。
「分かってる……シェルを責めるつもりはないよ。リーシャ達も困ってる人を助けたかったんだろ?それをいけない事とは言わない」
少し悩むように顔にしわを寄せた後、アレンはいつもの優しい表情に戻ってそう語り始めた。シェルとリーシャの肩に手を当て、暖かく言葉を掛ける。
シェルだって最初は子供達の避難を優先しようとした。だがそのまま二人を避難所に連れて行った所で、困っている人を放っておけない二人は自力でも蜘蛛達に立ち向かおうとしただろう。リーシャとルナはそういう子達だ。アレンはしっかりと彼女達の事を理解していた。
「でも無理はしちゃ駄目だ。危ないと思ったら逃げる事も必要だ。勝つ事ばかりが正しいって訳じゃないんだから」
戦う事は勇敢だ。誰かを救おうとし、立ち向かう事も立派だ。だが戦って勝つ事だけがいつも正しいとは限らない。逃げる事だって勇気が居るし、その方が良かったという場合もある。何よりリーシャ達はまだ子供なのだ。本来ならそんな危ない選択を取る必要はない。とは思うものの、アレン自身も昔はかなり危ない事をして来た為、正面から叱りつけるという事が出来なかった。
「シェルだって、悪くはないさ。そもそも俺が二人の同伴を許したんだしな。だから気に病まないでくれ」
「……先生」
今度はシェルの方を向き、アレンは励ますようにそう言葉を掛ける。彼女の肩に手を置くと、シェルはバッと弾かれたように顔を起こした。その顔は真っ赤で、アレンはまだシェルが新米冒険者だった頃、依頼に失敗して泣き顔で悔しがっている彼女を思い出した。
「あの時ああすれば良かったって後悔し続けるより、今どうするべきかって考える方が有意義だろう?そうすればルナを助ける事だって絶対出来るはずだ」
「……ッ、はい!」
落ち込んでばかりいるシェルを激励し、気持ちを立て直させる。悔やむ事も大切だが、それで意識が今を向いていないのは駄目なのだ。現状を少しでも良く出来るよう、冷静に考え、対処する。落ち込んでいる間に現状がもっと悪くなれば本末転倒なのだ。救える者も救えなくなってしまう。
シェルも何とか笑顔を取り戻し、リーシャと共にルナを必ず救うと誓い合う。そんな二人を横目で見ながら、アレンは少しその場から離れ、二人に背を向けながら視線を落として自身の手を見つめた。
(……落ち着け……落ち着け……)
その太くゴツゴツとした男らしい手は生まれたての小鹿のように小刻みに震えていた。見た目とは裏腹に情けなく、じんわりと汗も出てきている。二人の前では冷静な振りをしていたが、アレンもしっかりと動揺していたのだ。それも今までにないくらい。
(ルナだってそんな軟な子じゃない。きっと無事だ……きっと)
呼吸が不規則になり、心臓の鼓動も煩わしく感じて来る。血の気が引き、指先が冷たくなっていくような気がする。それくらい不安と恐怖がアレンに伸し掛かって来ていた。だがここで自分が冷静さを失ってはならないのだ。ここで感情に左右されれば、ルナを助けるチャンスを失ってしまうかも知れない。だから必死に平静な素振りを続けた。
何にせよ今はアラクネが何処に行ったのかを調べなくてはならない。アレンの予想が正しければ向こうは準備を終え、ここから仕掛けて来るはずだ。その前に行動に移らなくては事態はより深刻になるかも知れない。アレンはそんな不安を覚え、考え込むように口元に手を当てる。するとそんな彼の前に、瓦礫の陰からボロボロのローブを纏った人物が姿を現した。
「ようやく会えた……おじさん」
どこか聞き覚えのある声。少し焦りが込められている余裕のない言葉使い。前とは少し雰囲気が違うが、間違いない。アレンはそのローブの人物の方を向き、驚いたように目を見開く。
「君は……!」
「久しぶりだね……アレンおじさん」
ローブの人物は被っていたフードを脱ぐ。するとそこには陶器のようになめらかな肌をし、美しくも儚げで、真っ黒な髪を長く伸ばした綺麗な少女の顔があった。アレンは彼女の事を知っている。今回この街を襲っているアラクネと同じ、魔王候補のレウィアである。
「ッ……あの時の魔族」
「わっ、綺麗なお姉さん」
アレンが驚いていると後ろに居るシェルとリーシャもレウィアの事に気が付いた。反応はそれぞれで、シェルは魔王候補がもう一人現れた事に警戒するように杖を手に取り、リーシャはそこまで警戒している訳ではないのかレウィアの事をただ見つめている。
「レウィア、君まで来ていたのか」
「アラクネが独断で大陸を渡ったって聞いてね……でもごめん、間に合わなかったみたい」
レウィアはそう言うと申し訳なさそうに俯いた。するとアレンだけは近くに居た為、ローブの中でレウィアが強く拳を握り絞めている事に気が付いた。
「君は……味方で良いのか?それとも傍観?」
「……今回は、全面的にルナの救出に協力したい。おじさんさえ良ければだけど……私も魔王様に死なれては困るの」
アレンがまずレウィアの今回の目的を確かめる為にそう尋ねると、意外にもレウィアは協力的だった。思いもよらない助け船に一瞬アレンは嬉しそうな顔をするが、すぐに普段の表情へと戻った。状況が状況な為、浮かれている場合ではない。
「俺は構わないよ。正直こっちもいっぱいいっぱいの状況でな」
「そう……有難う」
アレンからすればレウィアの協力は有難い。彼女はルナに対して魔王という理由以外にも守ろうとする意思を感じられる。その思いだけは本物だとアレンは信じていた。後ろではシェルが納得いかなそうな表情をし、リーシャも何か気になるようにレウィアの事を見ていたが、結局状況が切羽詰まっている為、そのまま話は進む事になった。
「じゃぁ、作戦会議と行こうか」
アレンはそう言って一度全員を自分の近くへと集めた。ファルシアとの合流の事も考えなくてはならない。
まずは計画を練って、そして迅速に動き、必ずルナを救う。駒は揃っているのだ。やるべき事も分かっている。ならば後は簡単だ。
空が夕暮れに染まり始める。反撃の時だ。